福原伸二さんが遺してくれた笠寺にまつわる逸話「かさでら物語」をシリーズでご紹介します。
織田信長と長命井戸のお話
「織田信長って知っとりゃあすか」
「そら 知っとるわぁ。鳴かぬなら殺してしまえ、ほととぎす。おっとろしい殿様だぎゃあ」
「その信長さんが、笠寺地方の恩人だったって知っとりゃあしたか」
「知らんきゃあも。それじゃあ教えたるわぁ。天正三年 今の あはらに 天白川のあはら堤を作りゃあしたのが信長さんよ」
「そうきゃあも。ところで、信長さんは何で堤を作りゃあしたのきゃあ」
「それはよう、この地方の塩の製造とこの地方を洪水から守るのが目的だったんだぎゃあ」
「信長さんが、あはら堤を作りゃあしたことで、天白川の洪水が減って、民、百姓が、命を落とさずに長生きできるようになったんだと。それに、有名な前浜塩もぎょうさん取れるようになったんだと」
「ありがたや ありがたや。信長さん ありがたや」
「信長さんはよ、塩で儲けたお金で、ぎょうさんの鉄砲を買って、日本一になりゃあしたんだよ」
「へぇー そうだったきゃあも。ちょっとも知らなんだわあ」
「今から、信長さんとこの星崎のおもしれえ話をするから聞いてちょお」
ずっと ずっと 昔のことよ。じょうえんという尼さんがこの宮浦におりゃあしたそうだ。
尼さんは、ここに薬師にょりゃあを祀ってよ、そばに井戸を掘って、住んどりゃあしたそうだ。
そして、ここの井戸水を飲んでよ、百三じっ歳までも生きとりゃしたそうだ。
私らあより随分と長生きしとった人がいりゃあしたもんだ。
いつの間にかよ この井戸のことが評判になったんだそうだ。
「わしにも ちょっと 分けてちょ」
「おれんとこの病人にも飲ましてやってちょ」
この星崎の人たちはよ、そのお裾分けをねだってやってきたそうだ。
そしてよ、この井戸のことをよ、「長命井戸」と呼ぶようになったんだと。
その評判が、清須の織田信長さまの耳にもひゃあたそうだ。
「わしもその水を飲みたゃあ」との命令が下だったんだと。
この星崎の人たちはよ、毎年 元旦の朝になるとよ、この井戸の水を汲んで、信長さまに献上したそうだ。
信長さまは その水を沸かしてよ、自慢のてんもく茶碗で飲んだそうだぎゃあ。
「うわぁー うみゃあ。さすが星崎の水はうみゃあ。ありがたゃあことよ。
だけどよ、人生は五十年。わしゃあ、あす死んでも悔いはにゃあ」と、言い切ったそうだぎゃあ。
ある年の元旦のことよ。水桶に汲んどいた水ずがよ、そのまますうっとなくなってしまったんだぎゃあ。
「おや。おや。おやおや。おや」
「穴も開いてにゃあのに、不思議なことに、桶に水がにゃあ」
「不思議だ。不思議だ。不思議なことがある」
「何か不吉なことが起こるんじゃにゃあか」
みんなが 騒ゃあーだ。
そして、その年。本能寺の変があってなあ。
信長さんは、けりゃあの明智光秀での謀反で、殺されてしまったんだぎゃあ。
薬師にょりゃあーは先の戦争で燃えてしまったけれどよ、今も長命井戸は満々と水を貯えとるよ。
よぉー聞いてちょおだいた。これで おしまい。
とっぴんぱらりの ぷー。