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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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四国お遍路の旅 第二十三番札所 薬王寺(やくおうじ)

  徳島県最後のお寺へ向って出発した。薬王寺へは平等寺から22km。国道の脇を歩いているお遍路さんを何人か追い抜く。歩き遍路の大変さがひしひしと伝わって来た。
  薬王寺に到着した。境内はたくさんの人で賑わっている。お遍路姿の人も多いが、家族連れも多い。薬王寺は厄払のお寺として有名で、年間百万人が参拝するということだ。山の中腹にあり、日和佐の町並みが眼下に広がっていた。
  本堂へ向って、石段を上って行く。不思議なことに石段に1円玉がたくさん落ちている。いや、落ちているというより、撒いてあるという感じなのだ。何か謂れがあって、お金を石段に置くのだろう。お金を踏まないように気を付けながら上って行った。後で分かったのだが、薬王寺には、男厄坂42段、女厄坂33段、還暦厄坂61段があり、石段を1段上がるごとに賽銭を置いて行くと厄が払われるというご利益があるのだそうだ。賽銭を置く人はいても、賽銭を拾う人はいないから、お金が撒いてあるように見えていたのだ。
  お参りを済ませた。次の札所「最御崎寺」は、ここから80km彼方にある。今日はこの日和佐町の大浜海岸で野宿することにした。海岸へ向って車を走らせると、広い川原があるので、車を停め、散歩することにした。
  ベンチにお遍路姿の女性が座っていた。足元には、大きなリュックと菅笠が置かれている。「こんにちは、歩いているのですか」と声を掛けた。「ええ、でも疲れてしまって、昨日からこの町で休んでいるのです」と女性から疲れた声が返って来た。宮崎から歩きに来たのだそうだ。「焼山寺、鶴林寺、立江寺への道が大変でした」と女性は話してくれた。これからが本当に辛いお遍路になる。「頑張ってください」と励ましの声を掛けて別れた。明日、彼女は旅立てるのだろうか。
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[ 2008/07/17 09:12 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第二十二番札所 平等寺(びょうどうじ)

  お寺からお寺までの距離がだんだん遠くなって行く。鶴林寺から太龍寺が7.4km。太龍寺から平等寺へは12.5kmである。阿波の国から土佐の国へ向って進み出したようだ。
  平等寺は、小さな川の辺にあった。駐車場には観光バスが3台も停まっている。露天の店も並びお遍路さんたちで賑わっていた。そういえば今日は、日曜日。観光バスがお遍路さんをたくさん連れて来たようだ。
  豊橋の青年に再び出会う。彼は、白装束に身を固め、菅笠を被り、金剛杖を突いている。お遍路さんの装束としては、申し分ない。旅人はと云ったら、白装束は上着だけで、金剛杖の代わりにスケッチブックを抱え、菅笠ではなく野球帽を被っている。菅笠も金剛杖も用意したのだが、めんどうだとばかり、車に置いたままだ。旅人は、俄か遍路の域を、まだ脱していない。しかし、青年は、本堂と大師堂をお参りするだけでなく、小さなお堂やお地蔵さんもお参りしていた。いいかげんな気持ちでお遍路していないことがその姿から伝わって来た。
  参道の横で、本堂をスケッチしていたら、老夫婦が話し掛けて来た。「どこから来たのですか」と聞かれたので、「富山からです」と答えると、「遠い所から来ましたね。ご苦労さまです。あなたみたいにスケッチしているお遍路さんを時々見ますよ」と奥さんが言った。「気をつけてお遍路を続けてください。そして一杯スケッチしてください」と旦那さんからも励まされた。頑張らなくては・・・。
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[ 2008/07/16 08:59 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第二十一番札所 太龍寺(たいりゅうじ)

  手元の案内所によれば「海抜600mの山頂近く、巨杉に囲まれたお寺で、麓からロープウエーがある。林道もあり、こちらは駐車場から2kmほど歩く」とある。旅人は林道で行くことにした。
  舗装されてはいるが細い道だ。対向車に気を付けながら走って行く。もちろん「同行二人」という気持ちである。無事駐車場に到着。「駐車料500円は納経所で納めてください」と大きな張り紙がある。「私は車で来ました」と自主申告することになるのだろう。それにしても高額の駐車料である。
  木立に囲まれた上り坂を、金剛杖を突きながら歩いて行く。歩き出して15分、汗が噴き出して来た。歩き遍路は大変だ。このお遍路道を全て歩き通す人がいるということが信じられない。
  本堂に到着した。立派な本堂だ。右手の石段の上には、これもまた立派な多宝塔が見える。大師堂のお参りを済ませ、ロープウエー乗り場の見学に行った。「展望台からの景色はさぞかしいいのだろう」と期待していたが、ロープウエー乗り場は、高い木立に囲まれていて全く展望が利かなかった。「いい景色を見たいなら、ロープウエーに乗れ」ということなのだ。料金は往復で、2400円。やはり高額な乗り物だ。
  本堂をスケッチしていたら、団体さんがやって来た。昨日会った団体さんだった。やがて、大きなお経が辺りに響き始めた。お経の響きを聞いていると、何だか心地よさを感じるようになっていた。お遍路の世界に、はまり出したということだろうか。
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[ 2008/07/16 08:56 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第二十番札所 鶴林寺(かくりんじ)

  午前8時「道の駅なかがわ郷」を出発し、那珂川堤防道路を上流に向って快調に走っている。那珂川は大きな川だ。たぶんこのまま走れば、鶴林寺へ向う道路に出るはずなのだが、不安な気持ちが過ぎる。犬を連れて散歩をしている親父さんがいるので、車を停め、道を尋ねた。「鶴林寺なら、この先の道を右に走って行けばいいさ」と親父さんは親切に教えてくれた。お遍路さんに対しては、皆親切である。
  「→鶴林寺」という案内標識を見つけた。その標識に従って走って行くと、しばらくして山道になり、道も細くなった。危険な所では「同行二人」という気持ちなって走っているが不思議である。お遍路している人は、皆こういう気持ちになっているのだろうか。
  鶴林寺の駐車場に到着。深い山の中にあるお寺である。参道を上って行くと山門が見えた。歴史を感じさせる山門だ。山門には運慶作と伝えられる仁王像が立っていた。
  本堂と大師堂をお参りし、納経所に行く。「車ですか」と聞かれた。「ええそうですが」と答えると「駐車料300円を戴きます」と言われた。駐車料を納めるのも別に抵抗感がなくなってきたのが不思議だ。慣れるということは怖いものだ。
  山門をスケッチしていたら、昨日、恩山寺で見掛けた青年が歩いて来た。彼は「豊橋」ナンバーの車に乗っていた。「おはようございます」と声を掛けると「おはようございます」と挨拶が返って来た。「昨日はどこに停まったのですか」と聞くと『道の駅神山』に泊りました」と返事が返って来た。旅人も泊った道の駅だ。「温泉に入りましたか」と聞くと「いい温泉でした。温泉がセットされていて、最高の道の駅でした」と若者は笑っていた。彼とはこれからもいろいろなお寺で会いそうな気がした。
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[ 2008/07/15 10:06 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十九番札所 立江寺(たつえじ)

  雨が止んだ。通り雨だったようだ。無事、立江寺に到着し、有料駐車場に車を停める。料金は300円と高額だった。山門から境内に入ると、堂々とした本堂が正面に建っている。その横にある多宝塔も立派だ。
  本堂のお参りを済ませ、大師堂へ行く。その参道の中央に1匹の猫が横たわっていた。横たわった格好が少し妙で、頭をだらりと地面に付け、死んでいるような感じなのだ。近づいても微動だにしない。やはり死んでいるのだろうか。旅人が猫を覗いている横を、お遍路さんたちが何人か通りすぎて行った。「この猫死んどるのかね」という声も聞こえる。
  そこへ家族連れがやって来た。「お母さん、猫がいるよ」と5才位の男の子が叫んだ。「ああ、かわいそうに死どるみたいだね」と母親が子どもに話している。その時、猫の髭がピクリと動いたのだ。「この猫生きていますよ」と旅人は声を上げた。「えっ、生きているんですか」と母親が言った。「ほら、髭が動いているでしょう」旅人は、髭が微妙に動いている所を指差した。「心配させる猫やね」と母親は笑った。何と猫は、道の往来で堂々と昼寝をしていたのだ。お遍路寺では、殺生する人はいないと悟りきっているのだろうか。この猫には参ったというしかない旅人だった。
  大師像と多宝塔をスケッチした。時刻は午後4時半。今日のお遍路はこのお寺で終了にした。今日は、どこで野宿することになるのだろう。今から場所を探してあちこち放浪することになるのだ。「近くに道の駅があればいいのだが・・・」そう願いつつ、お寺を後にした。宿探しもお遍路する者の修行の場である。
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[ 2008/07/15 10:03 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十八番札所 恩山寺(おんざんじ)

  次の札所「恩山寺」までは20kmほどの道のりである。車でも1時間強はかかると手元の地図にはある。慣れない道をとにかく走り始めた。徳島市の中心街を抜け、国道55号線を小松島へ向けて走って行ったのだが、道に迷ってしまったようだ。お寺の標識が見えるので、それに従って、しばらく走ると立派なお寺の前に到着した。
  しずしずと山門からお寺の中へ入って行ったのだが、少々様子が変だ。今まで何人かは見たお遍路さんの姿はない。広い境内はひっそりとしていた。変だなと思いながら参道を歩いて行くと、背広やスーツを来た一団が歩いてきた。その中の1人が、このお寺の歴史について説明していた。そこで初めて、旅人はお寺を間違えたことに気が付いた。お遍路寺かそうでないかが見分けられない俄かお遍路は困ったものだ。このお寺は「丈六寺」といい、山門は徳島県内最古の建物だそうだ。重要文化財の大きな観音様も拝むこともできた。「これは弘法様のご利益なのだろう」と考え、お寺を後にした。
  恩山寺に到着した。木立に囲まれた静かなお寺である。長い石段が本堂まで続いている。石段をお遍路姿の3人の女性が上って行く。学生のような感じである。背中にリュックを背負っているので歩き遍路のようだ。本堂でのお参りが一緒になった。彼女たちは慣れない手付きでロウソクや線香を立てていた。今日は土曜日。友達と歩き遍路に挑戦しているのだろうか。
  スケッチを始めたら、大粒の雨が降り出した。スケッチもそこそこにして、車へ戻った。先程の女性たちは、カッパを着て、次の寺へ向って歩き出した。雨に濡れながら歩き遍路を続ける彼女たちは、お遍路からどんな答えを得るのだろうか。
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[ 2008/07/14 10:57 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十七番札所 井戸寺(いどじ)

  立派なお寺である。観光バスやマイクバスが何台も停まっている。納骨堂や宿泊施設もあり、しっかりお遍路さんを受け入れているようだ。これは前のお寺で出会ったおじいさんの受け売りだか・・商魂たくましく努力しないと、お寺も立派に建て替えられないのだ。
  本堂のお参りを済ませ、大師堂へ行く途中で、足が不自由なお遍路さんとすれ違った。大きなリュックを背負い、金剛杖を突きながら、足を引きずっている。片手もどこか不自由な様子だ。しかも、付き添っている人は誰もいない。1人で旅しているのだろうか。「念ずれば・・・」という話があるが、相当の決意でお遍路を続けているのだろう。頭が下がる。
  旅人は、以前、山陰を旅していた時に出会ったリヤカーを引きながら旅している親父さんの話を思い出した。「四国で、車椅子でお遍路している夫婦連れに会ったよ。旦那が病に倒れて、体が不自由になったのだが、お遍路することを決意し、奥さんが一生懸命車椅子を押していたよ。凄い人たちだったよ」親父さんは、感心した顔で話していた。山陰で出会った親父さんは、この四国をリヤカーを引きながらお遍路していたのだ。あの人も凄い人だったのだと、今更ながらに感心した旅人だった。
  井戸寺には、弘法大師が、錫杖で一夜に掘ったという井戸がある。「この井戸を覗いて姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に不幸がある」という言い伝えが残っている。井戸寺という名前もそこに由来するという。立派なお寺の全景をスケッチした。
  もう昼時だ。どこかで昼食にしなければいけない。団体さんたちは、このお寺の食堂でお昼を食べているのだろう。
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[ 2008/07/14 10:54 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十六番札所 観音寺(かんのんじ)

  小さな商店が並ぶ、町中にあるお寺である。細い道のすぐ横に大きな山門が聳えていた。歴史を感じさせる山門だ。本堂と大師堂でお参りを済ませる。まだ、お遍路3日目だが、般若心経は、30回も詠んだのだから、だいぶ詠むのが上手くなってきた。
  納経を済ませ、狭い道路の向かい側で、山門をスケッチすることにした。そこへ、大きなカメラを持った親父さんがやって来た。山門を撮ろうというのだ。スケッチするのも写真を撮るのも、やはりポイントは同じ場所のようだ。カメラの親父さんは私のすぐ横でシャッターを切っていた。
  そこへお遍路姿の2人の女性がやって来て、山門の所で、合掌を始めたのだ。絵になる風景である。カメラの親父さんもその瞬間を見逃すことなく、被写体を山門から彼女たちに切り替え、シャッターを切った。そして、すばやく、その場から立ち去って行った。シャッターの音に気付いたのか、2人の女性は、振り返り、怪訝な顔をして旅人を睨んでいる。もちろん旅人が写真を撮っていないことは、彼女たちにも分かったようだった。
  それにしても、プライバシーに触れる行為を平然と行い、そのまま知らん顔をして立ち去ったあの親父さんは、本当に失礼な奴だと思う。やはり、女性たちに一言断わる必要があるのではないだろうか。写真展に並ぶ人物作品には、本人に断わりもなく、無断で撮られたものが並んでいるのだろうか。
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[ 2008/07/13 09:29 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十五番札所 国分寺(こくぶんじ)

  国分寺は、常楽寺から歩いて5分ほどの所にあった。本堂は、あちこち痛んではいるが、勇壮な建物である。お参りを済ませ、山門近くの石段に座ってスケッチを始めた。
  そこへメガネを掛けたおじいさんが、足を引きずりながらやって来た。前のお寺で見掛けた人だ。前のお寺では、一生懸命ゴミを拾ったり、箒で掃いたりしていたので、お寺の人と思っていたのだが違っていた。
  「スケッチしているのかい」とおじいさんが話し掛けてきた。いろいろ話す内に、このおじいさんも、お遍路している事が分かった。「今日は十七番寺まで行けばいいと出掛けてきたのさ。お遍路することが、健康の秘訣さ。納経帳は持たないさ。お金がいるからね。お参りするだけで十分だよ」とおじいさんは笑っている。
  旅人が歩き遍路について尋ねると、「歩き遍路も日に5人は見るかな。何日で周ろうと決めている人もいるし、あてもなく歩いている人もいるよ。疲れたらそこでじっとしている人もいる。本当にいろんな人がいるよ。さっきの自転車で周っているという若者たちは、今日はあのお寺で休むという話だ」とおじいさんは詳しく話してくれた。
  「このお寺は、少々くたびれていますね」と旅人が言うと、「巡礼者の数はどのお寺もそう違わないが、お寺で宿泊させるとか、土産物を売るとか、団体客を引き受けるとか、商売上手なお寺が繁盛しているのだろうよ。檀家の数の違いもあるだろうし、立派なお寺もあれば、そうでないお寺もある。あんたもこれから見ていくことになると思うよ」とおじいさんは、真顔で話してくれた。おじいさんから見れば、このお寺は、商売が下手だということになるのだろう。
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[ 2008/07/13 09:26 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第十四番札所 常楽寺(じょうらくじ)

  街中の細い道を進むと、右手に小さな池が見えて来た。常楽寺はその池の辺にある。駐車場には、寝袋やテントを積んだ自転車が2台停まっていた。自転車遍路をしている人がいるようだ。
  お寺への階段を上り、山門を抜け境内へ入った。赤茶けた地面の向こうに大きな本堂が見える。その手前にベンチがあり、菅笠を被ったお遍路姿の二人の青年が座っていた。自転車の持ち主は、その青年たちらしい。自転車遍路も山続きの遍路道だから、本当に大変だ。二人とも真っ黒に日焼けしていた。歩き遍路や自転車遍路には、若者の姿が多い。体力がなけば挑戦できないから、当然そうなるのだろうが、青年はなぜお遍路しようと思ったのか、聞いてみたいものだ・・・。
  本堂へお参りに行く。赤土とばかり思っていた地面は、赤茶けた岩肌だった。このお寺は、硬い岩盤の上に建っていたのだ。お参りを済ませ、納経所へ行くと、団体さんの納経帳が山積みになっていた。前のお寺で会った人たちの物だ。二人のお坊さんが流れ作業のように納経帳を処理していた。
 その納経帳の中に、ページが真っ赤になった納経帳が交じっていた。お坊さんは、その真っ赤なページを開き、朱印をその上から三つ押している。朱印を押したのか押さなかったのか、後から見てもきっと分からないだろう。納経帳を新しく替えなければ、何度もお遍路している人の納経帳は、朱肉でだんだん赤く染まって行くことになる。「私はお遍路に年季が入っているのだぞ」と納経帳を見れば分かるのだ。こういう人は、朱印を押すという動作にお金を納めていることになる。お遍路さんにも達人がいるのだ。
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[ 2008/07/12 10:38 ] 四国お遍路 徳島県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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