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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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四国お遍路の旅 第三十九番札所 延光寺(えんこうじ)

  延光寺まで73km。お寺とお寺が離れているのには本当に驚く。宿毛に向けて車を走らせた。海岸沿いの険しい断崖の道を走る。景色はよいのだが、それをゆっくり見ている余裕はない。「同行二人」という気持ちが強くなる。
  道の駅がある。「めじか土佐清水」と表示がある。食堂があるので昼食にした。うどん定食を注文すると、うどんに煮物とごはんと漬物が付いて来た。日頃なら全部平らげるのに、うどんを半分ほど食べ残した。旅人は、まだ本調子でないようだ。
  延光寺に到着した。広い駐車場に車を停め、お参りに行く。すぐ境内へ着くと思っていたら、なかなか着かない。上り道になり、やがてお寺の屋根が下に見え出した。お寺の裏山へ上る道を進んでしまったようだ。裏口から境内に入った。そこにも「四国第三十九番 延光寺」と道標が立っていた。間違えるのは旅人だけではないようだ。
  延光寺は、落ち着いた感じのするお寺だった。本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経所へ行くと、団体さんが列を作っていた。「赤亀が竜宮から鐘を背負ってきたと伝える鐘があるそうだよ。だから、ここのお寺の朱印は、亀の形をしているよ」と親父さんが話している。旅人の納経帳には、かわいらしい亀の形をした朱印が押されていた。詳しいことを知っている親父さんだった。  
  高い木立に囲まれた大師堂をスケッチした。スケッチを終え、仁王門の所を通り過ぎようとして、弘法大師の石像に気が付いた。何だかお大師様が、門から出て行くお遍路さんを見送っているように見える。ここは、高知県、最終のお遍路寺。ここから旅立つお遍路さんは、土佐の国「修行の道場」を終え、伊予の国「菩提の道場」へ進んで行く。旅人も、お大師様に見送られ、愛媛県へ旅立った。
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[ 2008/07/25 06:59 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十八番札所 金剛福寺(こんごうふくじ)

  金剛福寺は足摺岬の先端にある。岩本寺から90km、歩けば3日はかかる。「修行の道場」はまだまだ続く。
  2時間半近く車を走らせ、足摺岬に到着した。足摺岬は10年ほど前に来たことがある。断崖絶壁の細い道をバスに揺られて走ったことを覚えている。岬へ通じる道は、バイパスができ、安心して走れる道になっていた。歩き遍路さんたちは、細くて険しい道を今も歩いているのだろう。
  金剛福寺は立派な大きなお寺だった。お寺はたくさんの人で賑わっている。お遍路さんだけでなく、観光客もいる。観光コースに入っているようだ。スケッチブックを開いて、スケッチしている人が何人もいた。グループで写生に来ているようだ。「お堂をどうかいたらいいのかしら」と話し声が伝わって来た。お寺の屋根は、柱や梁が重なり合い複雑な形を作っている。それをきちんとスケッチするのは本当に難しい。旅人にも理解できる話だった。旅人は、池の向こうに見える本堂をスケッチした。
  大師堂でお参りしていると、「元気ですか」と声を掛けられた。振り返ると豊橋の青年だった。元気そうだった。「一つ一つのお堂できちんとお参りしているから感心しています」と旅人が言うと「いろいろありまして、お遍路に出ました。今は失職中です。失敗もあり、人生のごたごたもあり、罪滅ぼしの気持ちでお遍路をやっています」と、青年は胸の内を少し語ってくれた。彼は、旅人のような俄かお遍路ではないようだ。
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[ 2008/07/24 08:40 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十七番札所 岩本寺(いわもとじ)

  不安な夜が明けた。幸いなことに、熱が下がった感じがする。富山の薬が効いたようだ。
  午前7時、次の札所「岩本寺」へ向けて出発した。ここから40kmほど先にある。遠い道のりだ。途中ドライブインを見つけ、朝食にした。「きれいなトイレやシャワーのあるドライブイン」という大きな看板が掛かっている。シャワーがあるとは、歩き遍路にとっては、有難いドライブインだと思った。山菜うどんを食べたが、半分ほど食べて残した。味も塩辛かった。まだ、体は本調子でないようだ。風邪薬を飲んだ。
  岩本寺に向けて車を走らせる。歩き遍路を3人追い抜いた。数は少ないが、皆、頑張って歩いていた。旅人は彼等から元気をもらったような気がした。頑張らなくては。
岩本寺は窪川町商店街の中にあった。駐車場に車を停め、お寺への道を歩く。立派な山門を抜け、本堂へお参りに行くと、ロウソクが1本だけ立っていた。お参りに来たのは、まだ1人ということなのだろう。
  納経を終え、大師堂をスケッチしていると、岩手のおじいさんが金剛杖を突いてやって来た。いつもの穏やかな笑顔である。旅人の体調がよくなったことをおじいさんも喜んでいた。「昨日は、駅の駐車場で野宿しました。近くに風呂がなくて、入れなかったのが残念でした」とおじいさんは笑っていた。旅人も2日間風呂に入っていなかった。昨夜はびっしょり寝汗もかいた。今日はどこかで風呂に入りたいものだ。
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[ 2008/07/24 08:37 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十六番札所 青龍寺(しょうりゅうじ)

  仁王門を抜けると、石段がずっと先まで続いていた。本堂はその上にあるようだ。20段ほど上ったところで、息が上がってしまった。体調はやはりよくないようだ。階段で休んでいると、上から岩手のおじいさんが降りて来た。「体調はどうですか」と聞かれた。「まあ、何とかここまで来ましたが、あまりよくないようです」と答えると、「今日はもう終わられたらいいですよ」と旅人のことを心配してくれた。時刻は、午後3時半。今日はこのお寺で終了することにした。
  青龍寺とは、弘法大師が中国留学中に、真言密教の秘法を伝授した恩師「恵果阿闍梨」が住んでいたお寺の名前である。帰国した大師は、この地へ巡錫し、ここにお寺を建て、恩師を慕って青龍寺と名付けたといことだ。大相撲の横綱「朝青龍」も青龍寺から名前を付けたという話だ。
お参りを済ませると、「先に行くからね。気を付けて旅をしなさい」と髭モジャの親父さんが下りて行った。あの人と、また会うことができるのだろうか・・・。
  石段を下り始めて、スケッチを忘れたことに気が付いた。再び、階段を上る気力はなかった。それで、石段に座り込み、長い石段をスケッチすることにした。石段の脇のアジサイが美しい紫色の花を咲かせていた。
  この日は、この先にある「すさき道の駅」で野宿した。夕食に買った「まぜご飯」は、半分も残し、試練の夜になった。風邪薬をしっかり飲んで寝たが、ひどい夜だった。旅先で病になることほど、心細いことはない。家庭・家族の有難さを思い知った。
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[ 2008/07/23 07:19 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十五番札所 清滝寺(きよたきじ)

  種間寺から清滝寺へ向う道で、道路脇で休んでいた豊橋の青年を見つけた。「道に迷って困っています。青龍寺へ行く道を調べていた所です」と青年が笑っている。「私は、清滝寺へ行く所です」と旅人が言うと「清滝寺は、この道を逆に行かないと行けませんよ」と青年が言った。旅人も道に迷っていたのだが、気づいていなかっただけだ。青年は元気そうだった。
  清滝寺は、細い山道を上り詰めた所にあった。駐車場に車を停めると、「やあ、無事到着しましたね」と「なにわ」ナンバーの自動車から、髭モジャの親父さんが降りて来た。「あなたを前のお寺で見かけたので、たぶん次はこの寺だと思って待っていたのです。無事到着して何よりでした」と髭モジャの親父さんは笑ていた。旅人の到着が遅いので、心配してくれていたのだ。大阪からお遍路に来たそうで、巡礼も、5回目になるとのことだった。「次の青龍寺も行くのが難しいから、私の後に付いて来るといいよ」と親切に言ってくれた。お参りを済ませたら、一緒に行くことにした。
  清滝寺の境内には巨大な観音様が立っていた。光を受けて日輪がキラキラ光っている。お参りを済ませ、スケッチを始めると、「スケッチしながらお遍路しているとは、優雅だ」と髭モジャの親父さんは、感心していた。「色はどうするのかい」と聞かれ、「家へ帰ってから塗るつもりで、写真で記録しています」と答えた。「そういう方法もあるのか」と親父さんは驚いていた。
  スケッチを終え、青龍寺へ出発した。旅人の車の前には「なにわ」ナンバーの自動車が走っている。高知のお遍路道は素人には迷い易いということなのだ。親切なお遍路さんのお陰で、青龍寺へは間違いなく行けそうだ。
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[ 2008/07/22 19:41 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十四番札所 種間寺(たねまじ)

  時刻は昼時。腹の具合は大丈夫のようだ。「種間寺へ行く途中で、軽食にしよう」と考えていたのだが、食堂もコンビニも見つからず、小さな商店で菓子パンを買い、これが昼食となった。本当に軽い昼食だった。
  細い川に沿った道を走っていくと、田んぼの向こうにお寺の屋根が見えて来た。お寺の屋根が幾重にも重なって、「ここに立派なお寺があるぞ」と言っているようである。車を降りて、土手を歩いた。手前の田んぼには、田植えを終えた稲が、葉を伸ばし始めていた。ビニールハウスでは、この地方特産のピーマンかミョウガを育てているのだろう。心地よい風が吹き抜けて行った。汗が額から噴き出してくる。先程飲んだ風邪薬が効き始めたのかも知れない。
  本堂と大師堂でお参りを済ませる。「種間寺」という不思議な名前だが、お寺の案内には、「弘法大師が、この地へ巡錫し、薬師如来をご本尊として寺を開創され、中国から持ち帰った五穀の種子を蒔かれた。種間寺の寺名はこれに由来する」とあった。
  お参りで、旅人に変わったことがある。その一つは、旅人の詠む般若心経もだいぶお経らしくなってきたことだ。お経の途中は、すらすらと流れるように詠んで行ける。文字を追わなくても、次の言葉が出てくるのだ。何度も繰り返せば、大抵の人はこうなるのだろう。
  まだある。お賽銭を最初の頃は100円にしていたのだが、今は10円か5円にしている。お寺で納経すれば、少なくとも300円は必要だ。それに「駐車代だ、通行料だ」とやたら請求が多いのだ。節約できる所は、とうとうお賽銭になったのだ。お大師様はどう思っておられるのだろうか・・・。
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[ 2008/07/22 19:37 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十三番札所 雪蹊寺(せっけいじ)

  桂浜へ通じる海岸沿いの道を走る。真っ青な太平洋が行く手に広がっていた。大きな浦戸大橋を渡ると、橋の下が桂浜だ。寄り道することにした。
広  い駐車場には観光バスや自家用車がたくさん停まっている。さすがに高知の観光名所だ。土産物屋が並ぶ道を歩き、坂本竜馬の巨大な銅像が立つ浜辺へ出た。凛々しい顔の坂本竜馬が太平洋を睨んでいた。
  旅人は、30年ほど昔のことを思い出した。仲間たちと高知で開かれた教育研究集会に参加したのだ。大阪港から船に乗り、高知に向っていた。もうすぐ高知港という時、船のデッキからこの銅像を見つけたのだ。凛とした竜馬の銅像をみて、「自由民権運動発祥の地へやって来た」と、坂本竜馬のような気持ちになっていた自分を思い出した。旅人が若かりし日のことだ。
  雪蹊寺は桂浜からしばらく走った所にあった。何と、桂浜からこのお寺へ向う道でも、旅人は迷った。「お寺の案内標識を当てにしながら走る」という、安易な気持ちは捨てなくてはいけない。「これからは、地図でしっかり道を確認してから走ろう」と旅人は思った。
  本堂と大師堂をお参りした。本堂は屋根も柱も壁もピカピカ光っていた。新しく建直したのだ。お寺を建替えるには、相当なお金が必要だ。このお寺は繁盛しているのだろう。大師堂をスケッチしていたら、体にだるさを感じた。発熱しているようだ。スケッチもそこそこにして車へ戻った。持って来ていた「富山の風邪薬」を飲んだ。効いてくれればよいのだが・・・。旅人にとって、土佐は「修行の道場」そのものになっていた。
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[ 2008/07/22 08:57 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十二番札所 禅師峰寺(ぜんじぶじ)

  竹林寺から川沿いの道を走り、「→禅師峰寺」の標識を見つける。小高い丘にある小さなトンネルを抜け、無事、禅師峰寺に到着した。
  駐車場に車を停めると、その横に小さな箱があり、「駐車された方は、この中へ駐車料200円を入れてください」と案内が出ている。自主申告どころか、自主納入である。踏み倒せば、踏み倒せるのだろうが、お遍路している者にとっては、そんな罪深いことはできない。それを承知でこの土地の持ち主は、この箱をぶら下げているのだろう。素晴らしい商売があるのだ。もちろん旅人は、200円をきちんと箱に投入した。それを見ていたタクシーの運転手が、「さすが、立派なお遍路さんだ。ご利益が一杯あるよ」と笑っていた。
  石段の所で、岩手のおじいさんと再び出会った。元気そうだった。昨日は、「南国道の駅」に泊ったという話だ。「何だか今日は体調がよくないみたいです」と旅人が話すと、「無理をされないように、のんびり周りましょう。先は長いのですから」と励まされた。こういう時の励ましの言葉は、心に響く。
本堂と大師堂をお参りし、納経を済ませた。強い日差しで頭がクラクラする。熱が出てきたのかも知れないと思った。
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[ 2008/07/22 08:55 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十一番札所 竹林寺(ちくりんじ)

  善楽寺から竹林寺へ向けて出発したが、道に迷ってしまった。高知の道には、お遍路寺の標識が少ないのだ。竹林寺が近くにあるという高知港を目指して走ることにした。高知市内に入り、車が多くなる。「高知港」という標識を見つけホッとする。竹林寺はもうすぐのようだ。
  竹林寺は高知港近くの五台山頂上にあった。駐車場には観光バスが何台も停まっている。辺りは大きな公園になり、展望台からは高知市内や浦戸湾が見渡せ、観光スポットになっていた。牧野富太郎記念館や牧野植物園も併設されている。植物学者の牧野富太郎が高知県出身だったことを初めて知った。
  竹林寺本堂へ向って、木々に囲まれた参道を歩いて行く。石畳の参道には、新緑の間を抜けて来た柔らかな光が、差し込んでいる。「チリンチリン」と金剛杖に付けた鈴の音が参道に響いている。何か不思議な世界に入った感じで、石畳を歩いて行った。
  本堂のお参りを済ませ、大師堂へ向う。右手の石段の上に鮮やかな朱色の五重塔が聳えている。立派な五重塔だ。観光客の一団が、石段の所に並んで記念撮影をしていた。お遍路寺でありながら、お遍路さんと観光客が混在している景色を見たのは、このお寺が初めてだった。観光客はお参りに来たのではなく、このお寺を見学に来たようだった。庭園の見学は有料になっていた。
  大師堂のお参りを済ませ、五重塔をスケッチした。たくさんの人の中でスケッチするのは恥ずかしい。「上手ですね」と覗き込んできたおばさんから言われた。この旅の中で、腕前が上達したのだろうか。
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[ 2008/07/21 08:53 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十番札所 善楽寺(ぜんらくじ)

  夜中外へ出たら、天の川が大空を横切っていた。お遍路していて天の川が見られようとは思ってもいなかった。嬉しい贈り物だった。
  爽やかな朝だと思った。木立に囲まれた美術館が、朝日で光っている。朝食のメニューはインスタントうどんである。食べ終わってしばらくしたら、急に腹が痛くなった。あわてて、トイレに駆け込んだら、激しい下痢だった。夕食に食べた鯖の刺身がよくなかったのかも知れない。持ってきた腹痛の薬を飲んだのだが・・・。お遍路さんなら、こういう時は、大師様にお願いするのだろうか。
  午前8時、善楽寺へ出発。通勤時刻と重なり、渋滞の道を走る。午前9時過ぎにお寺へ到着した。大きなお寺である。すぐ横が土佐神社である。駐車場に車を停め、歩き出したら、「あんたは、どこへ車を停めとるんや」とお坊さんに怒鳴られた。よく見ると、そこは月決め駐車場だった。「善楽寺の駐車場はもっと北です。すぐ動かしなさい」と、お坊さんは、まだ怒鳴っている。何度も頭を下げ、車を移動する旅人だった。今日は、判断力も鈍っているようだ。それにしても、怖いお坊さんだった。たぶん、お遍路さんが、この駐車場を使ってしまい、苦情が一杯舞い込んでいるのだろう。あの人は、善楽寺のお坊さんに違いない。
  お参りを済ませ、本堂をスケッチした。建替えられたばかりの本堂だった。屋根も柱も白壁もピカピカ光っている。集中力がなく、途中でスケッチを投げ出したくなった。やはり体調はよくないようだ。しかし、こういう時こそ頑張らなくてはと、何とか本堂のスケッチを描き終えた旅人だった。
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[ 2008/07/21 08:50 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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