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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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四国お遍路の旅 第八十八番札所 大窪寺(おおくぼじ)

  念願だった大窪寺へ無事到着した。旅人は、今、大窪寺の参道を本堂へ向って歩いている。参道には売店が並び、「安くしておきます。結願記念にどうですか」とおばさんが通り過ぎる旅人に声を掛けて来る。その声は、旅人には心地よい祝福に聞こえた。
  境内はたくさんのお遍路さんで混んでいた。本堂へ通じる石段もお遍路さんで詰まり、順番を待っている。旅人もその列に並んだ。ようやく前が開き、今まで何十回と繰り返して来たように、納札箱に納め札を入れ、賽銭を投げ、それから数珠を指に掛け、般若心経を唱えた。大師堂でも同じようにお参りをした。
  最後に納経所へ行った。納経所のお坊さんは、大窪寺の真っ白なページを開くと、筆でサラサラとお寺の名前を書き、朱印を三つ押した。こうしてお遍路旅は終了した。
お遍路を終わった旅人にはたくさんの思い出ができた。旅先で出会った人たち、美しい風景、お寺の建物、お経が響く不思議な世界・・・。俄か遍路の域を脱することはできなかったが、旅人の手提げ袋の中には、お寺のスケッチがぎっしり詰まっていた。
  しかし、これで旅人のお遍路が終わったわけではない。これから、家に帰り、スケッチに色を付け、旅日記をまとめるという膨大な取組みが待っている。それをやり遂げてこそ旅人のお遍路旅は結願するのだ。
  決意も新に、真の結願を目指して「同行二人」、旅人は細入に向け、車を発車させた。(完)
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[ 2008/08/18 21:51 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十七番札所 長尾寺(ながおじ)

  第八十七番札所「長尾寺」へ向けて車を走らせる。お遍路はもうすぐ終了する。旅人の頭はそのことで一杯だ。ここを通過するお遍路さんは、きっと旅人同じ気持ちに違いない。ここまでに要した日数に差はあっても、誰もが八十八番寺を目指してお遍路寺を巡って来たのだから・・・。
  道路脇を坊さん姿の若者が歩いている。どこかのお寺で見た皮膚が剥けまだら模様になった顔ではなかった。艶のある精悍な顔つきをしている。ここまで歩き通してきた自信がそういう表情を作っているのだろう。この若者ももうすぐ八十八番寺へ到着する。
  長尾寺は街中にあるお寺だった。広い境内に鄙びた本堂と大師堂が仲良く並んで建っている。お遍路さんでお寺は賑わっていた。その中に大きな声でお経を上げていた親父さんの姿を見つけた。親父さんは以前と同じように奥さんの様子を気遣いながら歩いている。岡山の親父さんは、いつものようにカメラを構えてお堂を撮っていた。こういう風景も、もうすぐ見られなくなる。
  お参りを済ませ、大師堂をスケッチした。屋根の烏帽子が長く伸びていて、趣がある。大師堂の屋根にこれほど長い烏帽子を見たのはこのお寺が初めてだ。大師堂が多宝塔を兼ねているのだろうか。
  大きなリュックを背負った若者が旅人の目の前を通り過ぎて行く。「歩いているのですか」と旅人が声を掛けると、「はい」と元気な声が返って来た。岩手からやって来た若者だった。「歩き出して35日になります。今日中に大窪寺に到着できそうです」と真っ黒に日焼けした顔が嬉しそうだった。旅人も大窪寺へ向けて車を発車させた。
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[ 2008/08/18 15:24 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十六番札所 志度寺(しどじ)

  志度寺は志度湾に面した道路沿いにあった。境内へ入ると、朱色に塗られた五重塔が聳えていた。立派な五重塔だ。お遍路寺で五重塔を見たのは、竹林寺、本山寺、善通寺、そしてここということになるが、志度寺の五重塔は、昭和50年に建てられた新しい建物だった。大阪へ出て成功した人が建立したのだそうだ。五重塔が、お寺に出現した時は、きっと大騒ぎだったに違いない。
  そこから参道を少し行くと広い境内へ出た。昼時で境内は閑散としている。お参りを済ませ、境内にあるベンチに座って大師堂をスケッチした。鄙びた感じの建物だ。長い歴史があるのだろう。
  そこへ団体さんがぞろぞろと入って来た。お坊さんの号令で、お経が始まった。静かだった境内に、大きな般若心経が響き始めた。大きくなったり小さくなったりしてお経は響いている。どこかのお寺で体験した時と同じように、不思議な感覚が旅人を包み込んでいた。お経が響く世界の中で、必死に鉛筆を走らせている旅人の姿が見えるようだ。八十八番寺まであと2寺。不思議な体験は、これが最後かも・・・。
  志度寺のすぐ近くにうどん屋さんがあった。昼はそこで食べることにした。店の入口で、岡山の親父さんに出会った。おもしろい所で出会うものだ。「味はもう一つだけど、値段が安いのには驚きました」と親父さんは笑っていた。店の中は昼時で混んでいる。セルフサービスの店である。ざるうどんを注文した。トッピングすると値段が高くなっていくようだ。何もトッピングしなかった旅人は250円だった。驚くような値段だ。味は、岡山の親父さんが言った通りにもう一つだった。
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[ 2008/08/18 12:31 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十五番札所 八栗寺(やくりじ)

  八栗寺へ通じる細い道をしばらく進むと、広い駐車場に到着した。駐車場は車で埋まっている。たくさんの人がお参りに来ているようだ。ここから八栗寺へはケーブルカーが通じている。旅人は、今からそれに乗車するつもりだ。
  駅の入口でおばあさんたちが話をしていた。楽しそうな表情だ。世間話でもしているのだろう。「こんにちは」と旅人が声を掛けると、「お遍路さんかい。どこから来たのかい」と聞かれた。「富山からです」と答えると、「遠くからよく来られた。ご苦労様」と温かい言葉が返って来た。「ケーブルに乗るのもいいが、歩いてみてはどうかね」と白髪のおばあさんが言った。「そこの坂道を上って行けばいいのさ。あんたの足なら15分かね」とおばあさんたちにおだてられ、旅人は歩いて上ることにした。
  お参りに来た人たちがたくさん歩いている。共通しているのは、皆、坂道を下って来ることだった。上りはケーブルで、下りは歩いてという人たちがほとんどなのだ。おばあさんにおだてられて、乗せられた旅人だった。
  汗だくになりながら到着した八栗寺の境内は、人で溢れていた。湧いて出て来たのではないかと思うほど、たくさんの人が、ぞろぞろ歩いている。しかも、白装束なのだ。別世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。「今日は縁日なのですよ。このお寺は厄払いのご利益があるので、縁日にはいつもこうなのですよ」とおばあさんが教えてくれた。お遍路寺には不思議な日があるのだ。
  本堂の後方に鋭く尖った山が聳えている。「八栗寺は五剣山の中腹にある」と案内書にある五剣山のようだ。お参りを済ませ、スケッチも終え、帰りも歩き遍路に徹した旅人だった。
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[ 2008/08/18 10:25 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十四番札所 屋島寺(やしまじ)

  屋島の山頂へ通じるドライブウエーを走る。ここは、その昔源平の合戦があった所。源義経が軍団を率い、平家を打ち破ったという入江は、今は筏が浮かび、のどかな風景に見える。那須与一が弓を射った場所もこの下にあるのだろう。
  屋島寺は、屋島の山頂にあった。朱塗の本堂が太陽の光に輝いている。実に立派な本堂だ。手元の案内書には、「754年来日した唐僧鑑真が、北領に普賢堂を建て、その弟子恵雲律師が堂宇を整備して住職となった。これが寺の草創である」とあった。その後、訪れた弘法大師によって、お寺は南嶺に移され、大師が刻んだ十一面千手千眼観世音を本尊として、四国第八十四番札所に定められたという。
  本堂の脇に、大きなタヌキの焼き物が置かれていた。ユーモアたっぷりの表情である。「四国の狸の総大将」と大きな表示がある。屋島に住む狸太三郎は日本三名狸で、水商売の神様なのだという。それで、ここにタヌキを祀っているということなのだそうだ。このタヌキをお参りするために訪れる人も多いのだろう。本堂の隣にはアーチ型の屋根をした博物館もあり、源平の合戦に関わる資料やこのお寺に伝わる秘宝などが展示されている。
  今までたくさんのお遍路寺を見て来たが、お寺の建物が、そのお寺の今の勢いを現している。このお寺は実に立派だ。屋島見学に訪れた観光客によってこのお寺は支えられているのだろう。博物館まで作るのだから・・・。お遍路寺を巡って、現代版「お遍路寺盛衰記」を見て来たようだ。
  スケッチはユーモアたっぷりのタヌキにした。
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[ 2008/08/18 10:22 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十三番札所 一宮寺(いちのみやじ)

  空はすっきりと晴れ渡り、昨日の天気が嘘のようだ。目の前に青い海が広がっていた。波もなく穏やかな瀬戸内海だ。海岸に沿って松林が続いている。ここが景勝地の津田の松原というのだろう。早朝の砂浜を散歩した。突堤でおじいさんが釣をしていた。「さっぱり釣れません」とおじいさんは、あきらめ顔で話していたが、その時当りがあり、大きなメバルが上がって来た。「これを狙っていたのだよ」と満面笑みのおじいさんになった。お遍路していなかったら、旅人もきっと釣竿を伸ばしていただろう。
  次の札所「一宮寺」に向けて出発した。国道はラッシュ時間と重なり、ひどい渋滞だ。都会の道を走るのはこうだから嫌になる。高松の中心街を抜け、栗林公園の横を走り、郊外へ出た。お遍路寺の案内標示がきちんとしていて助けられる。午前8時、一宮寺に到着した。出発して1時間近く車を運転していたようだ。
  境内にはお遍路さんの姿が見える。天気がよいのでお遍路さんの出足も早いようだ。本堂のお参りを済ませ、大師堂へ行くと、若い女性がお参りしている。スーツを着て今から出勤する格好だ。スーツ姿でのお参りはあまり見たことがなかった。不思議に思って声を掛けると、「毎朝、お寺にお参りしてから仕事に出掛けています。日課になっていますから、そうしないと1日気分が悪いのです」とその女性から答えが返って来た。信仰のある人には、毎朝お参りすることは普通のことなのだ。「気をつけてお遍路を続けてください」と励まされた旅人だった。
  本堂をスケッチしていると、次から次へとお遍路さんがやって来た。歩き遍路さんの姿もある。今日は天気もよく、お遍路日よりの一日になりそうだ。
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[ 2008/08/17 06:55 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十二番札所 根香寺(ねごろじ)

  午後4時55分根香寺に到着した。かろうじて閉所前に間に合う。お参りは後回しにして納経所へ急ぐ。「まだ5時前ですから、大丈夫ですよ」とお坊さんが納経帳を開き朱印を押してくれる。そこへ、ドカドカとお遍路さんたちが駆け込んで来た。徳島から来ている俳句を詠みながらお遍路している親父さんたちだった。「間に合ってよかった」と嬉しそうだ。「いい絵が描けましたか」と白髪の親父さんが旅人に声を掛けて来た。「雨が降り続いて、スケッチは難しかったです」と言うと「俳句は、天候には余り左右されませんからね」と笑っている。いい俳句ができたようだ。
  納経を終え、本堂へお参りに行った。本堂の奥に回廊があり、その壁には小さな仏様がぎっしり並んでいる。全国各地の信者が奉納した観音様で、全部で33,333体あるそうだ。県別に奉納者がまとめられていて、富山県からのものもあった。ロウソクの明かりに映し出された観音様が不思議な世界を作っている。「涅槃の世界」というのはこういう風景をいうのだろうか。
  大師堂へお参りに行く。お堂の中には、「南無大師遍照金剛」と書かれた白い垂れ幕が所狭しに下がっている。お遍路さんが祈願成就を願い奉納するのだろう。お遍路寺でしか見られない風景だ。お参りを終え、お寺を後にした。
  雨が降る中、野宿する場所を探して、高松の街中を放浪し、高松港のフェリー乗り場の駐車場に停車したら、「ここは、野宿する所ではない」とフェリー会社の人に叱られた。知らない土地での場所探しは難しい。やはり宿泊場所は道の駅にしようと国道を放浪し、高松からかなり離れたさぬき市の「道の駅 津田の松原」を見つけた。八十八番寺まであと6寺。お遍路最後の夜は、こうして更けて行った。
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[ 2008/08/16 11:07 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十一番札所 白峯寺(しろみねじ)

  国分寺から国道11号線をしばらく走り脇道へ入ると、次第に山道になる。白峯寺は山の中にあるお寺だった。
  小さな山門をくぐり、薄暗い境内へ入ると、正面に崇徳天皇の菩提をとむらう頓証寺殿が見えてきた。本堂と大師堂はそこから石段を上った所にあるという。
  見上げるような石段を上り、本堂へお参りに行く。辺りは薄暗くローソクの火が明るく感じられる。お参りを終え、大師堂へ行くと、大きな犬を連れたおばさんが歩いて来た。手にはバケツを下げている。「何をするのかな」と見ていると、おばさんは、香盤の中の燃え残った線香やローソクを集めバケツに入れ始めた。
 旅人がずっと疑問に思っていた一つが解決した。それは、「お遍路さんがお参りするために立てたローソクはどうなるのか」ということだった。お寺の人が毎日夕方、バケツで回収していたのだ。こうして次の日のお遍路さんは気分よく、最初のローソクを立てられるのだ。ところで、回収されたローソクはどうなるのだろうか。新たな疑問が生まれたのだが、この疑問は、お遍路の中で解決されるのだろうか・・・。
  スケッチを始めたら、白い帽子を被った親父さんが石段を下りてきた。さっきすれ違った人だった。「今日はここで終わりですね」と声を掛けると、「いや、まだ5時まで15分あります。次のお寺へぎりぎり間に合いそうですよ」と親父さんは車へ走って行った。旅人もスケッチを大急ぎで終了させ、次の札所を目指して車を発車させた。
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[ 2008/08/15 14:34 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第八十番札所 国分寺(こくぶんじ)

  讃岐の国分寺である。これで四国すべての国分寺をお参りしたことになる。仁王門を抜け参道を進むと、両脇に石仏がずらりと並んでいる。石仏は四国八十八ヶ所のお遍路寺の本尊を刻んだものだという。「お遍路に出掛けなくても、ここで一番寺から八十八番まで順にお参りしていけば願いが叶います」ということなのだろう。お遍路代行業がある世の中、代行屋に頼むくらいならと、ここでお参りするお遍路さんもいるのだろう。しかし、この場所にある88体のご本尊に本気になってお参りしたら、般若心経が3分としても・・・半日は裕に掛かりそうである。お遍路はいずれにしても大変である。
  本堂へお参りに行く。大きな屋根がある立派な建物だ。鎌倉時代に建てられたものだという。お堂の前で大きな声でお経を上げているお遍路さんがいた。郷照寺で見掛けた夫婦連れだった。お経が終わり、夫婦連れは階段を下っている。先ほどは気付かなかったのだが、奥さんは体が不自由そうだった。歩く時に足を少し引きずっている。親父さんは、奥さんが階段を下りるのを心配そうに見守っていた。奥さんの病気回復を祈願してお遍路旅を続けているのだろうか。
  このお寺の本尊は行基が刻んだ十一面千手観世音菩薩とのことだ。一木造りで高さ5.2mの立像だという。国宝に指定され、本堂に安置されているというが、中は暗くて見ることができなかった。納経所で毎回そのお寺の本尊を印刷した御影札を渡されているが、このお寺のお札には、十一面千手観世音菩薩が印刷されていた。時刻は午後4時。次のお寺で今日は終了になりそうだ。空が暗くなって来た。また雨が降り出しそうだ。
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[ 2008/08/15 06:49 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十九番札所 天王寺(てんのうじ)

  「えっ、ここは神社だよ。お寺はどこなの?」と思ってしまった。大きな神社の赤い鳥居がどんと構えているのだ。よく見ると、隣に「天皇寺」という石碑が見える。第七十九番札所「天皇寺」は白峰宮の隣にあった。
  天皇寺という名前がおもしろい。手元の資料には、「弘法大師がこの地にお寺を建て『妙成就寺』と名付けたが、保元の乱で敗れ、讃岐の地に流されていた崇徳上皇がこのお寺で亡くなり、ここに柩を安置したことから、天皇寺と呼ぶようになった」とあった。
お寺の入口から境内に入ると、そこはお寺というよりは神社の雰囲気だった。本堂も大師堂も白峰宮の中に間借りしているという感じだ。
  神仏習合という考え方があるが、ここはその代表的なお寺のようだ。神仏習合は、日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和させた考え方で、奈良時代に始まったという。神と仏を同一のものとしてみる考え方で、神を菩薩とか権現とよび、神は仏がこのような姿をとって「権に現れたもの」と考えるようになったという。お寺と神社が混在していても不思議ではないのだ。しかし明治政府は、祭政一致の方針に基づき、神仏習合を廃止した。この天皇寺も、明治初年に廃寺になったということだが、その後、寺が再興され現在に至っているという。
  参道の脇に小さなテントが張られ、人が寝ていた。中を覗くと白装束を着たお遍路さんだった。疲れて寝ているのだろうか。それとも病気なのだろうか。雨は上がったが、辺りには水溜りができていた。讃岐は「涅槃の道場」と云われるが、まだまだ「厳しい修行の道場」が歩き遍路には続いているようだ。
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[ 2008/08/14 14:33 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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