その31 七所神社 南区笠寺町天満この神社は本城中学校編集の東、名鉄本線の線路を隔てた台地にあります。
日本武尊、須佐之男尊、宇賀御魂尊、天穂日尊、天忍穂耳尊と宮簀媛命、乎止与尊の七柱の天つ神、 国つ神を合祀しているので「七所神社」と呼ばれています。前記五柱は神話にある高天原から国土に降臨した神の系統を引く天つ神、後の宮簀媛命と乎止与尊はこの地方の神としての国つ神といわれています。
市内にはこの種の神社は岩塚にもありますが、ここの七所神社は天慶三年(941)平将門降伏祈願のため熱田の宮、 七所の神を勧請したと伝えられております。明治初年、政府が神社の格付けをしたときに村社より一段上の郷社になりました。社宝には伝徳永義詮寄進の弓掛、同じく御田祭の絵巻がありましたが、昭和二十年の戦災で消失してしまいました。なお、境内から鎌倉期の山茶碗と第二次大戦の高射砲の弾の破片を採取しています。
(出典:池田陸介著「南区の歴史探訪編集」より)
創建に到る由来に、平将門が深く関係している。平将門の乱が起き、乱を鎮圧するために全国の神社仏閣で平定祈願が行われた。それは熱田神宮でも行われ、御神輿をこの地の鳥居山(現在の丹八山)に移して祈願祭が斉行された。鎮圧後、鳥居山に社を造り笠寺地域の氏神として、熱田大宮、八剣宮、日割宮、高倉宮、大福田宮、氷上宮、源田夫宮の神々の御分霊を祀ったのが始まり。その約100年後、現在の地に移されたという。
丹八山は現在は御旅所として、神事の際には行列をなして御神輿を渡すそうだ。
明治42年に新町にあった新宮社(天王社)を合祀、旧6月10日に天王祭、旧6月末日に茅ノ輪くぐりなどを斎行している。
(ブログ あらいのじかん~神社と朱印、ときどき猫と自転車~)