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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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笠寺界隈のスケッチ展の水彩画


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笠寺界隈のスケッチ展

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細入村の気ままな旅人の水彩画展が開かれています。
場所は 名古屋市南区役所一階情報コーナーです。
期間は、2016年12月1日~16日までです。土日はお休み。
ぜひお出かけください。
    


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笠寺観音かいわいの歴史探訪 その41  星宮社

星宮社


その41  星宮社  南区本星崎町宮西

星宮社

創建は舒明天皇9年(637年)。「この地に星が降り、それを祀るために建てられた」といわれる(この話は「知我麻社のことだ」と言う説もある)。また、創建時の星宮社は今の笠寺小学校のあたりに建てられたが、織田信長が星崎城を築城する際、現在の地へ移されたとの説がある。

•この地は古代、松炬島(松ゴ島(「ゴ」=「女后」))と呼ばれた場所で、乎止與命の館があったという。乎止與命は上知我麻社の祭神。
•はじめ上知我麻神社と下知我麻神社の本社はこの地に鎮座したが、後に熱田神宮へ遷座された。
•8世紀、13世紀にもこの地方に「隕石が落ちた」という言い伝えがある。
•1632年(1670年とも)、星宮社の南の南野村に隕石が落ちた。1829年(文政12年)に喚続神社へ寄進され、社宝となる。1976年に国立科学博物館の村山定夫によって隕石と確認され、南野隕石と命名された。隕石を収められている木箱には表に「霊石」と書かれている。

「星宮社―Wikipedia」

笠寺観音かいわいの歴史探訪 その39  長命井戸

長命井戸


その39  長命井戸  南区本星崎町宮浦

昔この地に薬師堂があり、浄円比丘尼という尼さんが住んでいた。この人は百三十歳まで長生きし、また代々薬師堂守も長命であったことから、誰ということなく薬師堂の井戸を「長命井戸」と言い伝えてきた。
村人はこの井戸の若水を織田信長に献上することになっていたが、天正十年(一五八二)桶から水が漏れて桶がからになり、人々は異変が起こるのではないかと大騒ぎした。この年の六月一日、信長は「本能寺の変」で自害し果てた。
長命薬師は第二次大戦で焼失した。しかし、長命井戸は今も残り、清水をたたえている。なお、井戸の南側空き地から室町期の羽釜片を採集した。
「マイタウン 南区の歴史探訪」

笠寺観音かいわいの歴史探訪   その38  水かけ地蔵 

水かけ地蔵


その38  水かけ地蔵  笠寺観音境内

笠寺観音手水舎の中に水かけ地蔵がある。ここに置かれてまだそれほど年月は経っていない。以前あった水かけ地蔵が壊されたので、新しく作り替えられたと聞いている。
赤い帽子と前掛けをつけ、精悍な顔立ちのお地蔵さんである。

水かけ地蔵とは
地蔵菩薩が子供を守るとされることから、子供の無病息災を祈るためのお祭りの一環として、地蔵へのお清めや供養などを目的とした水掛けが行なわれることがある。
また地蔵菩薩が水子供養の本尊であるため、水子を供養するためにも行なわれることがある。これは本来、子供を水子にしてしまった親が水をかぶって「禊ぎ」をするところを、代わりに地蔵に被ってもらうとする説もある。
地蔵への水の掛け方も様々だが、柄杓で優しく掛けるところから、長崎県の水掛け地蔵まつり「江迎千灯籠まつり」のように、容赦なく水を掛け続け、さらに消防用のホースまで持ち出して放水するような豪快な水掛けまでがある。
「水かけ地蔵―web通信用語の基礎知識より」

笠寺観音かいわいの歴史探訪  その37 富部神社

富部神社

その37 富部神社  南区呼続町四丁目

由緒
創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。
松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領百石を寄進した。
明治になると神仏分離令により天福寺は廃され、本社は祭神を素盞嗚尊とし存続した。明治11年(1873年)、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理姫命を合祀。
「富部神社―Wikipedia」

桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されている。
「富部神社ホームページ」

慶長8年(1603)に津島神社の摂社の蛇毒(じゃどく)神社を勧請し、天神山に祀ったが、慶長11年(1606)に清洲城主松平忠吉が病気平癒のために現地に移して社殿を造営したという。
本殿は、平成7年(1995)の本殿解体修理の際に背面の内壁から棟札16枚が発見され、それによると、慶長11年(1606)に松平忠吉を願主とし、大工は尾州春日井郡の澤田庄左衛門、勢州朝毛郡の村田喜左衛門により造営されたことが知られる。社殿は、拝殿、祭文殿および廻廊、本殿を一列に並べるなど、当地方の神社形式である尾張造で配置されている。
本殿は、一間社流造、檜皮葺であるが、背面は3間となる。規模は間口3.887m、奥行4.676mである。主屋の正面と側面には高欄付の廻縁をめぐらし、側面後端には脇障子(わきしょうじ)を立て、正面には木階7級を置き、下に浜床(はまゆか)を張る。主柱は丸柱で、組物に三斗組をおき、正面柱間では格子戸を入れる。内陣正面には両開き板扉をつる。妻飾りは扠首組(さすぐみ)である。庇柱は角柱で、組物には連三斗、中備に蟇股(かえるまた)を用いる。内方には手挟(たばさみ)を入れる。本殿には弁柄漆(べんがらうるし)で塗られ、格子戸に黒漆、脇障子の鶴と松の絵柄、本蟇股や手挟の植物彫刻には鮮やかな彩色が施され、江戸時代初期の華やかな特徴が見られる。(沢田多喜二)
「富部神社本殿―文化財ナビ愛知」

笠寺観音かわいの歴史探訪  その36  星崎城跡

星崎城

その36  星崎城跡  南区本星崎町本城

歴史

鎌倉時代
治承年間(1177年-1181年)に山田重忠が築城した。山田氏が居城していたが、他の地域に移りすんだので廃城になった。

戦国時代
鳴海の豪族だった花井右衛門兵衛がここを居城にした。山口教継の謀反により、花井右衛門兵衛の領地が織田信長に没収され、岡田直教が城主になった。天正12年(1584年)岡田直教の家臣である山口重勝が城主になった。山口重勝の娘が豊臣秀次の側室となったが、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が秀次に謀反の疑いにより自刃に追い込んだ後、親族も共に処刑され、山口重勝も自刃した。
その後、織田氏の家臣である岡田重善、岡田重孝が城主になった。織田信雄の伊勢国移封に伴い、後の牛久藩初代藩主山口重政が城主になったが、茂福城と領地を換える事になったため、廃城になった。

現代]
現在は名古屋市立笠寺小学校、宅地になっており井戸以外のものは残っていない。名古屋市立笠寺小学校と近くにある秋葉神社に石碑がある。
「星崎城―Wikipedia」

大きさ
星崎古城絵図(蓮左文庫(ほうさぶんこ))によれば、城域は東西約350メートル、南北約450メートルに及び、本丸の南東に天守閣がありました。本丸は現在の笠寺小学校の場所にあり、東西が約47メートル、南北が約61メートルあったといわれています。二の丸、三の丸、大手門は、校門南側の住宅地一帯に位置していました。台地東下には侍屋敷があり、城と一体化した総構え(そうがまえ)の堀で守られていました。
「Web ― minami」

笠寺観音かいわいの歴史探訪   その35   村上社のクスノキ

クスノキ


その35   村上社のクスノキ   南区楠町

村上社の創立ははっきりしないが、村上天皇を祭った社で境内に大クスノキがあり、楠町という町名はこの大クスノキから来ている。幹周り十・六メートル余、枝張り南北二十メートル余、東西二十二メートル余もあって、数百年の風雪に耐えて作り上げた名木を思わせる。樹齢は千年といわれ、昭和六十二年(1987年)に市の天然記念物に指定された。この大クスノキが鎌倉街道に沿っているところから、昔時は旅人の目標となり、対岸の野並、古鳴海への渡船場であったようだ。
この境内に「万葉集」高市黒人の歌「櫻田へ 鶴(たづ)鳴きわたる 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 鶴(たづ)鳴きわたる」が東京大学名誉教授久松潜一氏揮毫、南区郷土文化会久野園吉氏の手により建立されている。
なお、境内から平安時代の須恵器、鎌倉期の山茶碗等を採集しているので、この時代から人々が住んでいた場所のようである。
「南区の歴史探訪」
「Web ― minami」

笠寺観音かいわいの歴史探訪   その34  お百度石   笠寺観音境内

お百度石


その34  お百度石   笠寺観音境内

本堂への上り口、右側の常夜灯の前にお百度石がある。小さな石碑なので気づかずに通り過ぎる人が多いのではないだろうか。このお百度石は、寺史によると、元治二年(1865)米屋弥三郎、水本屋清右エ門に寄進建造されたものと記録がある。それから百五十年近い年月を経たのであるが、このお百度石に足を運んだ人はどのくらいになるのであろうか。

お百度参り
お百度参りは、願いを叶えてもらおうとする仏さまや神さまに、100回お参りして祈願することです。
同じ願い事で、100回を1セットとして何回も繰り返す場合もあります。平安時代の末頃から始まったと言われています。
回数を重ねることで仏さまと顔なじみになり、信仰心の篤さと願いの切実さを訴えてご加護を得る、という考え方です。これから発展して、交渉事などでも「お百度参り」とか「お百度を踏む」という表現が使われます。
しかし、回数を重ねることは、本来別のところに意味があります。
まず、回を重ねることによって、無駄がなくなり洗練されます。お参りは雑念を持たずに、一心に祈ることが大切です。回を重ねればすぐに精神統一することが上手になるでしょう。
また、回を重ねることで今まで気づかなかったことに気づきます。お百度は修行の一形態なのです。したがって、単に回数をこなせば良いのではなく、一回を大切に参拝しなければなりません。
お百度は通常、参道の入口から本堂までの間を往復します。百度石があればそこを基点として本堂までを往復します。
数はお賽銭に入れる硬貨を100枚用意したり、棒などを100本用意して数えます。百度石にカウント用の数字を刻んだ円盤状の石が付いている場合もあります。
呪法じゅほう的になると、お百度を人に見られては効果が無くなると考えて、夜間に行う人もいます。
「お百度参り-tobifudo.jp」

笠寺観音かいわいの歴史探訪  その34  笠寺高射砲陣地

笠寺高射砲陣地

その34  笠寺高射砲陣地 南区見晴町 笠寺公園内

笠寺陣地:
名古屋市南部の見晴台に築かれた陣地。昭和17年11月、高射砲中隊「あそ隊(300名)」により、陣地構築開始。当初八八式七糎高射砲4門が装備されたが、昭和18年8月の陣地再構築で2門追加された。昭和19年11月には第二大隊「いすず隊(200名)」も配置され、名古屋南部の防衛にあたった。陣地内には撃墜柱の他、ここの砲で撃墜したと思われるB29の尾翼も展示されていたが、終戦当日大急ぎで埋めたらしい。

戦後の発掘で、兵舎・通信事務所・通信ケーブル溝などの跡が見つかっているほか、さまざまな部品・工具・日用品などに加えて、装填訓練のために使用された木製の砲弾や前述の金属塊、観測用機器の部品、土中に埋没した砲座基底部なども発見され、2基の砲座跡と砲側弾薬庫が公園内に保存されている。

なお、この見晴台は弥生時代からの遺跡跡でもあり、それらの出土品も多く出土している。

笠寺高射砲陣地 underzero.net
見晴台遺跡―Wikipedia


プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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