神通峡 岩稲
学校が春休みに入り、神通峡「岩稲」にある富山県営漕艇場は、ボートを漕ぐ学生たちで賑わっている。
神通川第2ダムが作った湖水に競技用のボートが浮かぶようになったのは、今から40年ほど前のこと。県立八尾高校ボート部がこの湖水にボートを浮かべて練習を始めたのが始まりだった。やがて地域の会社や楡原中学校にもボート部ができ、平成5年に富山県が「2000年富山国体」を目指して、ここに本格的な漕艇場を建設した。
大学や企業のボート部もでき、ここで練習した選手たちが、国体やインターハイで優勝するのも珍しくない。
湖面を進むボートを、漕艇場のすぐ横に立つ温泉施設「楽今日館」の露天風呂から眺める景色も趣があっていいものだ。
青岸渡寺と那智の滝
熊野三山の一つ那智大社の横に青岸渡寺がある。ここは西国三十三ヶ所巡礼の一番札所である。一昨年四国八十八カ所巡りを経験した。再び四国八十八カ所巡りに挑戦しようと思ってるのだが、なかなかその時間が取れずいる。西国三十三ヶ所巡りなら時間も短くて済みそうなので、こちらにしようかなと思案中である。もしそうなれば、この寺から第一歩が始まるのだ。そんなことを考えながらお寺をお参りした。
お寺の境内から、勇壮な那智の滝が見える。絵になる風景だった。季節は2月。山々の杉の木立が黄土色に変色している。花芽が付いているのだ。今年も花粉が大量に飛びそうである。間もなくその季節が始まる。
那智の滝
「那智の滝前」に到着。時刻はまだ午前八時を過ぎた所である。ようやく開いた駐車場に車を止める。駐車料が五百円とは、びっくりした。
鬱蒼とした杉林の道をしばらく歩くと、正面に壮大な那智の滝が現れた。高さ一三三メートル、一気に落下する滝としては日本一だという。
この滝がもつ自然の驚異は、人に神を感じさせる。その昔、この地に那智大社や青岸渡寺が作られたのも理解できる。自然への畏敬の念というのはこういうことなのだろう。
神子さんが忙しそうに掃除を始めた。社務所から滝壺まで行けるようになっている。滝の拝観料は三百円。
石段に座ってスケッチを始めた。明るい日差しが大滝を照らしている。うっすらと虹もかかっていた。今日もたくさんの人がこの滝をお参りに来るのだろう。
橋杭岩
紀伊半島を一路南下し、串本町に入った所で、不思議な光景が飛び込んで来た。鋭くとがった大きな岩が海に向かってずらりと並んでいる。国の天然記念物に指定されている橋杭岩という景勝地である。
お坊さんの姿に似た岩もある。「弘法大師が一晩で作ったという伝説が残っている」と、駐車場にいたおじいさんが教えてくれた。「実際の所は、堆積岩の中に埋もれていた硬い岩の部分が、海に侵食される中で残されたのだよ」とそのおじいさんは詳しく説明してくれた。このおじいさんは、観光ボランティアの仕事をしているようだった。
スケッチしている間にも、観光バスが何台も止まり、観光客が記念撮影をしていた。あのおじいさんは、橋杭岩の説明に大忙しだった。
片路峡 薄波の野仏その2
薄波のお地蔵さんの足下で神通川に合流する長棟川には、舟倉用水の取り入れ口がある。
江戸時代末期、ここから下流域にある舟倉野(大沢野)は、干ばつが続き、飢饉に見舞われていた。大沢野を流れる神通川は、水を満々と湛えているのだが、谷が深く、高台の舟倉野地域には水を引くことが出来なかった。
この地域を治める加賀藩は、舟倉から16km近く上流にあるこの長棟川から水を引く計画を立て、用水建設に着手した。鑿や鏨を使い、険しい断崖にトンネルを掘り、幅1.5m、深さ90cmの水路を切り開いて行った。
工事は難航を極めたが、20年余の年月を経て見事に舟倉用水は完成した。
薄波のお地蔵さんはその時のことを覚えているのだろうか。
片路峡 薄波のおじぞうさん
旧飛騨街道にはたくさんの石造物が残っている。神通川右岸に沿う東街道(大沢野地区)には、179、神通川左岸に沿う西街道(細入地区)には、172の石造物があるという。東街道は野仏の里と呼ばれている。
片路峡の中ほどにある薄波にもお地蔵さんが残っている。人里遠く離れた薄波は、今は廃村になってしまった。断崖に沿って付けられた旧飛騨街道を歩いて行く。所々に崖が崩れた跡が残っている。冬眠から覚めた熊が出没しそうな場所である。
目指すお地蔵さんは、神通川とその支流長棟川が交わる崖の上に立っていた。その昔、このお地蔵さんの前を、塩ブリを担いだ旅人が通り過ぎて行ったのだろう。
神通川第3ダム
今日は春分の日。風もなく穏やかに晴れ渡り、遠くの山々の峰がはっきり見える。家々の軒先に祝日を祝う日の丸の旗が立てられている。都会ではまず見られなくなった風景である。
神通川の川原へスケッチに出掛けた。
目の前に聳える御前山の頂は、先日降った雪がまだ白く残り、山肌は冬枯れの赤茶けた色であるが、土手のあちこちにフキノトウが芽吹いている。
東京で桜が開花したという。今年はどこも開花が早くなりそうだ。富山でも3月末には桜が開花するそうだ。
伊良湖岬の菜の花畑
名古屋からの帰りは、渥美半島の伊良湖岬から鳥羽へフェリーで渡り、紀伊半島を巡ることにした。ちょっとした旅行になりそうである。
渥美半島に入り、なだらかな丘陵地を走る。暖冬の影響もあるのだろうが、春真っ盛りの天候である。
田原町に入り、ガラス張りの建物があちこちに見え始めた。温室である。ここは電照キクで有名な地だ。そして突然、黄色い絨毯が広がり始めた。菜の花畑だ。黄色い絨毯が太陽にキラキラ輝いている。黄色い絨毯は、伊良湖岬まで途切れ途切れではあったが、続いていた。町が力を入れている様子が伝わって来た。
伊良湖岬
伊良湖岬に到着した。太平洋の荒波が打ち寄せる海岸には、広大な砂浜が広がっている。その砂浜のすぐ横には、立派なサイクリング道路が作られていた。今日は平日なのでサイクリングを楽しむ人の姿は見られない。丘の上に巨大なホテルが建っていた。
「この浜にウミガメが産卵しに来る」と、ずっと昔に聞いたことがあったが、もうウミガメがやって来られるような環境ではないようだ。
島崎藤村が、「椰子の実」の詩を詠んだのもこの浜辺だという。それで、土産物屋には、椰子の実がたくさん並べてあるのだが、今流れ着くのは外国のゴミばかりなのだろう。
若い頃にやって来た伊良湖岬と風景は大きく様変わりし、時の流れを強く感じた。
Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。