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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2008年07月

四国お遍路の旅 第四十二番札所 仏木寺(ぶつもくじ)

  仏木寺は、のどかな田園の中にあった。お参りを済ませ、大師堂をスケッチすることにした。手前には、大きな観音様が立っている。観音様は優しく微笑んでいる。抱いているのは赤ん坊のようだ。
  団体さんが入って来た。団体さんの中心になっているのは、年配のお坊さんだった。どこかのお寺で見たように、お坊さんの号令でお経が始まった。やがて、大きなお経が本堂から響き始めた。お経だけが響く不思議な世界の中で、一生懸命スケッチしている自分の存在に気が付いた。どこかのお寺でも似たような体験をしたことを思い出した。旅人は不思議な旅をしているようだ。
  大師堂のお参りを終えた団体さんが、鐘つき堂を見上げている。「鐘つき堂の屋根を見なさい。これは藁葺き屋根です。お遍路寺の中で、鐘つき堂が藁葺きなのは、ここだけです。たいへん貴重なものです」とお坊さんが説明する声が聞こえて来た。「スケッチするなら、鐘つき堂にすればよかった」と後悔した旅人だった。
  団体さんにもいろいろなタイプがある。マイクロバスで回っている団体さんは、みな顔見知りのようだ。中心になっているお坊さんは、檀家の人を連れて巡っているのだろう。観光会社が企画したお遍路バスツアーは大集団である。皆、同じ白装束だが、寄り合い所帯だという感じが伝わって来る。お寺の説明や号令の声がやたら大きいのが特徴だ。個人で静かにお遍路している人は、団体さんとは一緒になりたくないと思っている人が多いようだ。
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[ 2008/07/26 09:45 ] 四国お遍路 愛媛県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第四十一番札所 龍光寺(りゅうこうじ)

  昨夜、思いがけないことがあった。岩手のおじいさんが同じ道の駅に宿泊したのだ。「明日の出発を考えると、この道の駅が1番近いのです」と、おじいさんは物静かな口調で話していた。地図をよく調べ、慎重に行動している様子に感心する旅人だった。
  夜が明けた。昨夜、寝汗をかいたこともあり、体調は、今一つの感じだ。岩手のおじいさんも起きているようだ。車の横を通ると、薄暗い車内におじいさんが座っているのが見えた。よく見ると、仏壇に向って手を合わせていた。おばあさんに祈っているのだろうか。おじいさんは「同行三人」でお寺を巡っているのだと思った。
  次の札所「龍光寺」へ向けて出発した。小さな踏切が見え、警報機が鳴っていた。宇和島へ向う予土線だ。しばらくすると、たった一両のディーゼルカーが走り抜けて行った。旅人が住む細入の風景に似ていた。
  愛媛県に入ってから、お遍路寺の案内表示がよく目立つようになり、安心して走って行ける。行政が力を入れているようだ。迷うことなく龍光寺に到着した。
  鄙びた感じのするお寺だ。お遍路さんがたくさんお参りしている。このお寺は、三間町にあるのことから「三間のお稲荷さん」と呼ばれているそうだ。お遍路さんの中にも、商売繁盛や開運出世を祈願している人が、たくさんいるのだろう。
  大師堂をスケッチした。お寺の屋根や屋根を支える梁など、独特な様式で建てられている。大師堂の横には、石灯籠、石塔、お地蔵さん、キツネの石像など並んでいる。本堂の前にもいろいろな石像が並んでいる。このお寺は本当に賑やかだ。
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[ 2008/07/26 07:58 ] 四国お遍路 愛媛県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第四十番札所 観自在寺

  観自在寺の駐車場に車を停め、お寺への参道を歩いて行く。お寺のすぐ隣に、小学校があり、下校する子どもたちに会った。「こんにちは」と声を掛けると「こんにちは」と明るい声が返って来た。校門の脇には、「大型車、マイクロバス駐車場」と表示がある。お遍路バスは、校庭の隅っこを駐車場として利用させてもらっているようだ。
  全国各地からやって来るお遍路さんを、この学校の子どもたちは間近に見ている。きっとお遍路さんといろいろな出会いがあるのだろう。心の教育が叫ばれているが、この学校の教育には、お遍路さんが大きく位置付けられているのではないかと思った。
  境内に入ると、山門の横に小さな出店が並んでいた。かわいらしいパラソルを立て、ダンボールを並べた粗末な店である。店番はおじいさん、おばあさん。朝市の風景だ。台の上には、夏みかんが山盛りになっている。「美味しいからどうですか」とおばあさんが声を掛けてきた。果物が大の苦手の旅人は、あわてて、手を振って断わった。地域とお遍路寺が一体になっている感じがした。高知では見なかった風景だ。
  お参りを済ませ、納経所へ行くと、作業着姿の男性が立っていた。お遍路している感じはしない。団体さんの運転手なのだろうか。掛け軸に朱印を押してもらっている。不思議なのは、掛け軸が2本だけなのだ。今まで見た人は、納経帳やら白衣やら掛け軸を山のように積み上げていた。男性は、掛け軸の納経を済ませると、立ち去って行った。不思議な人がいるものだ。
  この日のお参りは、このお寺で終了した。その夜は、宇和島の近くの「道の駅 広美森の三角ぼうし」で野宿した。久しぶりに風呂へも入った。体調も回復したようだ。
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[ 2008/07/25 07:02 ] 四国お遍路 愛媛県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十九番札所 延光寺(えんこうじ)

  延光寺まで73km。お寺とお寺が離れているのには本当に驚く。宿毛に向けて車を走らせた。海岸沿いの険しい断崖の道を走る。景色はよいのだが、それをゆっくり見ている余裕はない。「同行二人」という気持ちが強くなる。
  道の駅がある。「めじか土佐清水」と表示がある。食堂があるので昼食にした。うどん定食を注文すると、うどんに煮物とごはんと漬物が付いて来た。日頃なら全部平らげるのに、うどんを半分ほど食べ残した。旅人は、まだ本調子でないようだ。
  延光寺に到着した。広い駐車場に車を停め、お参りに行く。すぐ境内へ着くと思っていたら、なかなか着かない。上り道になり、やがてお寺の屋根が下に見え出した。お寺の裏山へ上る道を進んでしまったようだ。裏口から境内に入った。そこにも「四国第三十九番 延光寺」と道標が立っていた。間違えるのは旅人だけではないようだ。
  延光寺は、落ち着いた感じのするお寺だった。本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経所へ行くと、団体さんが列を作っていた。「赤亀が竜宮から鐘を背負ってきたと伝える鐘があるそうだよ。だから、ここのお寺の朱印は、亀の形をしているよ」と親父さんが話している。旅人の納経帳には、かわいらしい亀の形をした朱印が押されていた。詳しいことを知っている親父さんだった。  
  高い木立に囲まれた大師堂をスケッチした。スケッチを終え、仁王門の所を通り過ぎようとして、弘法大師の石像に気が付いた。何だかお大師様が、門から出て行くお遍路さんを見送っているように見える。ここは、高知県、最終のお遍路寺。ここから旅立つお遍路さんは、土佐の国「修行の道場」を終え、伊予の国「菩提の道場」へ進んで行く。旅人も、お大師様に見送られ、愛媛県へ旅立った。
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[ 2008/07/25 06:59 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十八番札所 金剛福寺(こんごうふくじ)

  金剛福寺は足摺岬の先端にある。岩本寺から90km、歩けば3日はかかる。「修行の道場」はまだまだ続く。
  2時間半近く車を走らせ、足摺岬に到着した。足摺岬は10年ほど前に来たことがある。断崖絶壁の細い道をバスに揺られて走ったことを覚えている。岬へ通じる道は、バイパスができ、安心して走れる道になっていた。歩き遍路さんたちは、細くて険しい道を今も歩いているのだろう。
  金剛福寺は立派な大きなお寺だった。お寺はたくさんの人で賑わっている。お遍路さんだけでなく、観光客もいる。観光コースに入っているようだ。スケッチブックを開いて、スケッチしている人が何人もいた。グループで写生に来ているようだ。「お堂をどうかいたらいいのかしら」と話し声が伝わって来た。お寺の屋根は、柱や梁が重なり合い複雑な形を作っている。それをきちんとスケッチするのは本当に難しい。旅人にも理解できる話だった。旅人は、池の向こうに見える本堂をスケッチした。
  大師堂でお参りしていると、「元気ですか」と声を掛けられた。振り返ると豊橋の青年だった。元気そうだった。「一つ一つのお堂できちんとお参りしているから感心しています」と旅人が言うと「いろいろありまして、お遍路に出ました。今は失職中です。失敗もあり、人生のごたごたもあり、罪滅ぼしの気持ちでお遍路をやっています」と、青年は胸の内を少し語ってくれた。彼は、旅人のような俄かお遍路ではないようだ。
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[ 2008/07/24 08:40 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十七番札所 岩本寺(いわもとじ)

  不安な夜が明けた。幸いなことに、熱が下がった感じがする。富山の薬が効いたようだ。
  午前7時、次の札所「岩本寺」へ向けて出発した。ここから40kmほど先にある。遠い道のりだ。途中ドライブインを見つけ、朝食にした。「きれいなトイレやシャワーのあるドライブイン」という大きな看板が掛かっている。シャワーがあるとは、歩き遍路にとっては、有難いドライブインだと思った。山菜うどんを食べたが、半分ほど食べて残した。味も塩辛かった。まだ、体は本調子でないようだ。風邪薬を飲んだ。
  岩本寺に向けて車を走らせる。歩き遍路を3人追い抜いた。数は少ないが、皆、頑張って歩いていた。旅人は彼等から元気をもらったような気がした。頑張らなくては。
岩本寺は窪川町商店街の中にあった。駐車場に車を停め、お寺への道を歩く。立派な山門を抜け、本堂へお参りに行くと、ロウソクが1本だけ立っていた。お参りに来たのは、まだ1人ということなのだろう。
  納経を終え、大師堂をスケッチしていると、岩手のおじいさんが金剛杖を突いてやって来た。いつもの穏やかな笑顔である。旅人の体調がよくなったことをおじいさんも喜んでいた。「昨日は、駅の駐車場で野宿しました。近くに風呂がなくて、入れなかったのが残念でした」とおじいさんは笑っていた。旅人も2日間風呂に入っていなかった。昨夜はびっしょり寝汗もかいた。今日はどこかで風呂に入りたいものだ。
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[ 2008/07/24 08:37 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十六番札所 青龍寺(しょうりゅうじ)

  仁王門を抜けると、石段がずっと先まで続いていた。本堂はその上にあるようだ。20段ほど上ったところで、息が上がってしまった。体調はやはりよくないようだ。階段で休んでいると、上から岩手のおじいさんが降りて来た。「体調はどうですか」と聞かれた。「まあ、何とかここまで来ましたが、あまりよくないようです」と答えると、「今日はもう終わられたらいいですよ」と旅人のことを心配してくれた。時刻は、午後3時半。今日はこのお寺で終了することにした。
  青龍寺とは、弘法大師が中国留学中に、真言密教の秘法を伝授した恩師「恵果阿闍梨」が住んでいたお寺の名前である。帰国した大師は、この地へ巡錫し、ここにお寺を建て、恩師を慕って青龍寺と名付けたといことだ。大相撲の横綱「朝青龍」も青龍寺から名前を付けたという話だ。
お参りを済ませると、「先に行くからね。気を付けて旅をしなさい」と髭モジャの親父さんが下りて行った。あの人と、また会うことができるのだろうか・・・。
  石段を下り始めて、スケッチを忘れたことに気が付いた。再び、階段を上る気力はなかった。それで、石段に座り込み、長い石段をスケッチすることにした。石段の脇のアジサイが美しい紫色の花を咲かせていた。
  この日は、この先にある「すさき道の駅」で野宿した。夕食に買った「まぜご飯」は、半分も残し、試練の夜になった。風邪薬をしっかり飲んで寝たが、ひどい夜だった。旅先で病になることほど、心細いことはない。家庭・家族の有難さを思い知った。
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[ 2008/07/23 07:19 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十五番札所 清滝寺(きよたきじ)

  種間寺から清滝寺へ向う道で、道路脇で休んでいた豊橋の青年を見つけた。「道に迷って困っています。青龍寺へ行く道を調べていた所です」と青年が笑っている。「私は、清滝寺へ行く所です」と旅人が言うと「清滝寺は、この道を逆に行かないと行けませんよ」と青年が言った。旅人も道に迷っていたのだが、気づいていなかっただけだ。青年は元気そうだった。
  清滝寺は、細い山道を上り詰めた所にあった。駐車場に車を停めると、「やあ、無事到着しましたね」と「なにわ」ナンバーの自動車から、髭モジャの親父さんが降りて来た。「あなたを前のお寺で見かけたので、たぶん次はこの寺だと思って待っていたのです。無事到着して何よりでした」と髭モジャの親父さんは笑ていた。旅人の到着が遅いので、心配してくれていたのだ。大阪からお遍路に来たそうで、巡礼も、5回目になるとのことだった。「次の青龍寺も行くのが難しいから、私の後に付いて来るといいよ」と親切に言ってくれた。お参りを済ませたら、一緒に行くことにした。
  清滝寺の境内には巨大な観音様が立っていた。光を受けて日輪がキラキラ光っている。お参りを済ませ、スケッチを始めると、「スケッチしながらお遍路しているとは、優雅だ」と髭モジャの親父さんは、感心していた。「色はどうするのかい」と聞かれ、「家へ帰ってから塗るつもりで、写真で記録しています」と答えた。「そういう方法もあるのか」と親父さんは驚いていた。
  スケッチを終え、青龍寺へ出発した。旅人の車の前には「なにわ」ナンバーの自動車が走っている。高知のお遍路道は素人には迷い易いということなのだ。親切なお遍路さんのお陰で、青龍寺へは間違いなく行けそうだ。
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[ 2008/07/22 19:41 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十四番札所 種間寺(たねまじ)

  時刻は昼時。腹の具合は大丈夫のようだ。「種間寺へ行く途中で、軽食にしよう」と考えていたのだが、食堂もコンビニも見つからず、小さな商店で菓子パンを買い、これが昼食となった。本当に軽い昼食だった。
  細い川に沿った道を走っていくと、田んぼの向こうにお寺の屋根が見えて来た。お寺の屋根が幾重にも重なって、「ここに立派なお寺があるぞ」と言っているようである。車を降りて、土手を歩いた。手前の田んぼには、田植えを終えた稲が、葉を伸ばし始めていた。ビニールハウスでは、この地方特産のピーマンかミョウガを育てているのだろう。心地よい風が吹き抜けて行った。汗が額から噴き出してくる。先程飲んだ風邪薬が効き始めたのかも知れない。
  本堂と大師堂でお参りを済ませる。「種間寺」という不思議な名前だが、お寺の案内には、「弘法大師が、この地へ巡錫し、薬師如来をご本尊として寺を開創され、中国から持ち帰った五穀の種子を蒔かれた。種間寺の寺名はこれに由来する」とあった。
  お参りで、旅人に変わったことがある。その一つは、旅人の詠む般若心経もだいぶお経らしくなってきたことだ。お経の途中は、すらすらと流れるように詠んで行ける。文字を追わなくても、次の言葉が出てくるのだ。何度も繰り返せば、大抵の人はこうなるのだろう。
  まだある。お賽銭を最初の頃は100円にしていたのだが、今は10円か5円にしている。お寺で納経すれば、少なくとも300円は必要だ。それに「駐車代だ、通行料だ」とやたら請求が多いのだ。節約できる所は、とうとうお賽銭になったのだ。お大師様はどう思っておられるのだろうか・・・。
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[ 2008/07/22 19:37 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第三十三番札所 雪蹊寺(せっけいじ)

  桂浜へ通じる海岸沿いの道を走る。真っ青な太平洋が行く手に広がっていた。大きな浦戸大橋を渡ると、橋の下が桂浜だ。寄り道することにした。
広  い駐車場には観光バスや自家用車がたくさん停まっている。さすがに高知の観光名所だ。土産物屋が並ぶ道を歩き、坂本竜馬の巨大な銅像が立つ浜辺へ出た。凛々しい顔の坂本竜馬が太平洋を睨んでいた。
  旅人は、30年ほど昔のことを思い出した。仲間たちと高知で開かれた教育研究集会に参加したのだ。大阪港から船に乗り、高知に向っていた。もうすぐ高知港という時、船のデッキからこの銅像を見つけたのだ。凛とした竜馬の銅像をみて、「自由民権運動発祥の地へやって来た」と、坂本竜馬のような気持ちになっていた自分を思い出した。旅人が若かりし日のことだ。
  雪蹊寺は桂浜からしばらく走った所にあった。何と、桂浜からこのお寺へ向う道でも、旅人は迷った。「お寺の案内標識を当てにしながら走る」という、安易な気持ちは捨てなくてはいけない。「これからは、地図でしっかり道を確認してから走ろう」と旅人は思った。
  本堂と大師堂をお参りした。本堂は屋根も柱も壁もピカピカ光っていた。新しく建直したのだ。お寺を建替えるには、相当なお金が必要だ。このお寺は繁盛しているのだろう。大師堂をスケッチしていたら、体にだるさを感じた。発熱しているようだ。スケッチもそこそこにして車へ戻った。持って来ていた「富山の風邪薬」を飲んだ。効いてくれればよいのだが・・・。旅人にとって、土佐は「修行の道場」そのものになっていた。
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[ 2008/07/22 08:57 ] 四国お遍路 高知県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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