水彩画で綴る細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父が、全国あちこち気ままに旅をしています。 その時の様子を、習い覚えた水彩画と旅日記で綴ります。

四国お遍路の旅 第五十二番札所 太山寺(たいさんじ)

  石手寺のお参りを終えてから、道後温泉に入浴した。岩手のおじいさんも一緒だった。道後温泉は、お寺のような屋根が幾重にも重なり歴史を感じさせる建物だ。番台で入浴料300円を払って中へ入る。東風呂と西風呂の2ヶ所がある。どちらも同じ作りで、大きな湯船が真中に一つあり、簡素な造りだ。昔の銭湯というイメージだ。透明なお湯で、入ると肌がつるつるになった。旅人の住む細入村にある温泉のお湯に似ていると思った。
  岩手のおじいさんは、今日は松山市内を見学するという。旅人は、さらに先へ進む予定だ。もう、おじいさんに会うことはないようだ。旅人は、おじいさんが、お遍路が無事終了し、元気に岩手へ戻ることを祈りながら、おじいさんと別れた。
  松山市内の渋滞する道を走り、太山寺に到着した。歴史を感じさせる立派な本堂が建っている。お参りを済ませ、本堂をスケッチした。「お前さん、どこへ腰掛けて絵を描いているのかい。井戸の所に腰を掛けていてはバチが当るぞ」と掃除に来たおじいさんから怒鳴られた。何の疑問もなく、これは具合がいいと、井戸の淵に腰を掛けていた旅人だった。怒鳴られて初めて、それがいけないことだったと気付いた。穴があったら入りたい気持ちだった。
  子どもの頃、大人たちからいろいろ言われたことを思い出した。「敷居は跨いで通りなさい」「靴は、きちんと揃えて脱ぎなさい・・・」その中に「井戸には神様が住んでいるのですよ」と井戸をお参りしたこともあった。常識的なことを、かなり欠落させたまま、この年まで生きてしまったようだ。自分の子どもに常識が欠けているのは、仕方のない話なのかも知れない。非常識を深く反省した旅人だった。
no52taisanji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第五十一番札所 石手寺(いしてじ)

  石手寺は道後温泉の真ただ中にある大きな寺である。お寺の参道には、土産店がずらりと並んでいた。「ここがお遍路寺ですか」と、勘違いするほどだ。道後温泉を訪れた人たちが足を延ばし、この石手寺へお参りに来ているようだ。
  石手寺の歴史は古く、728年聖武天皇の勅命で伽藍が建てられたことが始まりだという。翌年、行基が薬師如来を刻み、それを本尊とし、安養寺と名付けたが、100年ほど後、弘法大師が巡錫し、真言宗に改めた。それから80年ほど後、石手寺と改名された。楼門は国宝、本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、銅鐘、五輪塔などは重要文化財に指定されている。
  納経所隣にある茶堂が、たくさんの参拝客で賑わっている。香盤には線香が山のように積み上げられ、朦朦と煙を上げていた。
  本堂は、参道を真っ直ぐ行った正面にあった。その手前に、立派な三重塔が建っている。塔の前には、千羽鶴が何百も並び、「人命尊重」という大きな看板が立っていた。「イラク戦争で命を亡くした犠牲者を慰霊する」という大きな表示もある。人と人が殺し合うことを止めなければ、「人命尊重」はない。このお寺は、「イラク戦争反対」を強烈にアピールしていた。大切なことを、このお寺は訴えていると思った。お坊さんの勇気に拍手を送りたい気持ちだった。
  本堂と大師堂でお参りした。旅人は、愛媛に入った頃から、お経の終わりに「南無大師遍照金剛、願くばこの功徳を以って普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と祈るようになっていたが、このお寺からは「世界が平和でありますように」という願いも祈ることにした。
no51isiteji1.jpg
クリックする大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第五十番札所 繁多寺(はんたじ)

  繁多寺は、浄土寺から2kmほどの所にある。お寺とお寺の距離がこのくらいだと、歩き遍路をしていても楽しくなりそうだ。歩き遍路が多い訳だ。時間があれば、歩き遍路に挑戦してみたいのだが、余裕がないので残念だ。
  繁多寺に到着した。車から降りると、岩手のおじいさんの車が入って来た。一緒にお参りに行くことにした。山門を抜け、境内へ出た。境内が広いのには驚いた。その境内の向こうに本堂や鐘楼、大師堂などの建物が並んでいた。境内を横切り、まず本堂へお参りに行く。
  線香を立て、ロウソクを立て、納札を入れ、賽銭を入れた。岩手のおじいさんも同じ手順だ。般若心経を詠み始めた。「お経は人に聞いてもらうものではない。お経は大きな声で詠む必要はない」と、どこかのお寺で話している人がいた。それからは、旅人は、お経は自分に聞こえるほどの大きさで詠むことにしていた。おじいさんのお経も、自分にしか聞こえないほどの小さな声だった。
  それから、大師堂へ行った。大師堂が終わると、「別のお堂も参ってきます」と、おじいさんは出掛けて行った。旅人は、納経を終え、広い境内でスケッチをした。スケッチが終わる頃、おじいさんが帰って来た。「一生懸命お参りしているのですね」と言うと、「最初の頃は、お参りも本堂と大師堂でした。でも、お寺を巡っている内に、お堂や、お地蔵さんもお参りしていこうという気持ちになりましてね」とおじいさんは答えた。それに比べて、旅人は、お経がすらすら詠めるようになり、今では5分ほどで終わっていた。やはり、旅人は俄か遍路の域を脱していないようだ。
no50hantaji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十九番札所 浄土寺(じょうどじ)

  朝のラッシュで混み合う道を浄土寺へ向う。浄土寺は西林寺から3kmほどの距離にある。道を歩くお遍路さんを何人も追い抜いた。愛媛に入ってから歩き遍路さんの数が多くなっているようだ。
  浄土寺へ到着した。立派な仁王門がドンと構えている。仁王様の前の柵には、たくさんの草履が引っ掛けてあった。お遍路さんが奉納した草履のようだ。悪霊や疫病神を追い払うために草履を奉納するのだそうだ。仁王門にある巨大な草履は、「こんなに大きな草履を掃く仁王様がここにはいるのだぞ」と悪霊たちを威嚇するために置くのだそうだ。
  境内へ入ると、正面に鄙びた感じの本堂が建っていた。灰色の瓦屋根が印象的な建物だった。500年以上も昔に建てられたもので、現在は国の重要文化財になっているという。
  大師堂をスケッチしていたら、お遍路さんが、次から次へとやって来た。その中に岩手のおじいさんの姿を見つけた。岩手のおじいさんも旅人の顔を見つけ、ニコニコしている。久しぶりの再会だった。「豊橋の青年も元気でしたよ」とおじいさんは教えてくれた。今日は、おじいさんとまたどこかのお寺で一緒になるのだろう。
  お参りを済ませ、納経所へ行った。夫婦連れが何組か列を作っている。その中に、作業着姿の男性がいた。どこかのお寺でも同じ作業着を見たことを思い出した。どう見てもお遍路さんではない。その男性は、掛け軸に朱印を貰うと、去って行った。どうも、男性は、掛け軸に朱印を貰うためだけに、このお寺へやって来ているようだ。朱印が全部揃った掛け軸を販売する商売が、あるのかも知れない。
no49jyodoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十八番札所 西林寺(さいりんじ)

  「道の駅 ひろた」の横を自転車通学する中学生の一団が走って来る。白いヘルメットをきちんと被り、制服もピシッと着て、一列になっている。だらだらした所が全く感じられない。「おはようございます」と大きな挨拶をしながら、旅人の前を通り過ぎて行った。「きびきびしていて、気持ちがいいですね。今時、珍しい中学生たちですね」と、大宮から来ている親父さんも感心していた。そういえば、ここの道の駅は、他の道の駅と少し違った所がある。普通なら設置してある、ゴミ箱や自動販売機が全くないのだ。しかも、掃除は行き届き、ゴミ一つ落ちていない。道の駅も生半可ではないのだ。広田村は、大人たちもビシッとしているのだ。すがすがしさを感じさせる村だった。
  西林寺へ到着した。山門を入ると、一人の若者が絵を描いていた。はがきにペンで描いている。たくさんのお遍路さんが、彼のスケッチを覗きこんでいた。「上手いですね」という声も聞こえて来る。本当に上手な絵だ。今まで描いたペン画も、ストックブックに入れて、展示してある。「ペン画はこう描くのですよ」と彼は、自信満々で描いている。プロの絵描きなのだろうか。「一つのお寺で1日過ごすことにしています。何枚も描くから、そのお寺の建物はほとんど描きますね」と若者は答えた。一つのことを徹底してやるということが大切なのだ。それに比べて、旅人は実にいい加減なスケッチを描いている。深く反省した旅人だった。
  お参りを済ませ、お寺の山門をスケッチした。山門の向こうでは青年がペン画を描いている。旅人は、久しぶりに緊張しながらスケッチを描いた。「このお寺には、絵描きさんがここにもいるのだ」と言いながら、お遍路さんが旅人の横を通り過ぎて行った。
no49sairinji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十七番札所 八坂寺(やさかじ)

  午後5時少し前、八坂寺に到着した。納経所終了まであと数分。何とか間に合ったようだ。団体さんの一団が、マイクロバスから降りて来た。彼等も皆あわてている。「午後5時、納期所終了」という決まりは、どのお寺でもかなり厳格に守られているようだ。
  納経を終え、お参りに行く。団体さんと一緒のお参りになった。彼等を案内しているお坊さんに、どこかのお寺で会ったような気がするのだが思い出せなかった。静かな境内に、般若心経が響き出した。お経はよく揃っていて、大きくなった小さくなったりしながら、旅人の体にも響いて来る。線香の白い煙が、合掌している人たちの間をゆっくりと流れて行った。
 境内にあるベンチに座り、スケッチを始めた。すぐ前で、若いお坊さんが掃除をしている。お寺の一日もそろそろ終了するのだろう。気が付くと、黒い物が目の前を飛び交っていた。やぶ蚊に囲まれてしまったようだ。旅人は急いでスケッチを仕上げると、その場を退散した。不思議だったのは、若いお坊さんが、平然と掃除をしていたことだ。彼だって、やぶ蚊の攻撃を受けているはずなのに、どうして平然と掃除を続けてられるのだろう。「心頭を滅却すれば、蚊もまた涼し」ということなのだろうか。実のところは、「虫除けスプレーをしっかり塗っていた」ということなのかも知れない。
  八坂寺のお参りを終え、松山市内から15kmほど山へ入った広田村にある「道の駅ひろた」で野宿した。大宮から四国旅行に来ていた夫婦連れと一緒になり、その夜は、楽しい晩餐になった。その夫婦連れは、旅人が住む細入村にある温泉にも、立ち寄ったことがあるという。旅の話は深夜まで続き、少々寝不足の一夜となった。旅することは素晴らしい。
no47yasakaji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十六番札所 浄瑠璃寺(じょうるりじ)

  岩屋寺から次の札所「浄瑠璃寺」へ向けて走り出した。時刻は午後2時を過ぎている。どこかで食事をと思っているのだが、山の中を走る道なので、店は見つからない。
  かなり走った所で、ようやく小さな食堂を見つけた。駐車場は車で一杯だ。繁盛している店のようだ。さぞかし美味しい料理を食べさせる店なのだろう。店の中はお客さんで満員だった。メニューには、丼物や麺類が並んでいる。旅人はラーメンを注文した。
  店の奥では、2人のおばさんが切り盛りをしている。その様子を見て、少々がっかりした。料理を作る動作が、きびきびしていないのだ。だいぶ待ってから、注文したラーメンが運ばれて来た。案の定、化学調味料が一杯入ったどうしようもないラーメンだった。どうしてこの食堂が満員なのか、不思議だった。もう一つ不思議なことがある。ラーメンの値段が530円なのだ。500円とか525円なら理解できるが、530円とはどういう計算なのだろう。いろいろと疑問が残る食堂だった。
  険しい山道を下る。三坂峠という所で、曲りくねった下り坂が続く。土佐街道最大の難所という。後ろからトラックに追い立てられながら、無事、松山市内へ入った。ここから少し道に迷ったが、無事、浄瑠璃寺に到着した。車遍路も大変であった。
  時刻は午後4時を過ぎていた。山門から境内に入る。静かな境内だった。このお寺は、奈良の大仏開眼に先立ち、行基が仏教布教のためこの地へ立ち寄り、ここに伽藍を建立したのが始まりだという。西暦708年というから、長い歴史のあるお寺だった。
  お参りを済ませ、本堂をスケッチしていたら、やぶ蚊に襲われ、あっという間に二箇所ほど刺された。スケッチも早々に退散することにした。お遍路には、虫除けスプレーも必需品のようだ。
no46jyoruriji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十五番札所 岩屋寺(いわやじ)

  岩屋寺は、説明書には、「岩をくり抜いた所にお堂がある」とあり、そそり立った岩肌にお堂が建っている写真の紹介もある。ずっと山を上って行かないと着けないお寺のようだ。
  駐車場に車を停め、参道を上って行く。予想していた通り、険しい道が続いている。石段の所で、おばあさんが休んでいた。「まだまだ、ここは始まったばかりだよ」と旅人に話してくれたのだが、そういう声は、旅人にではなく、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
  石段を団体さんが下りて来た。皆、ニコニコしながら歩いている。話し声も聞こえ、余裕たっぷりの感じだ。一方、旅人の方は、息が上がり、挨拶する余裕もない。帰り道は、あの団体さんのような表情で歩いてやろうと思ったが、それにしても辛い上り道だった。
  階段を上り詰めた所に、岩屋寺はあった。説明書通り切り立った崖にへばりつくようにお堂が建っている。本堂の銅版の屋根が葺き替えられたばかりで、ピカピカ光っていた。その奥に梯子があり、崖の上へ上って行けるようになっている。ここから300mほど上った所に大師の行場があるそうだ。
このお寺の本尊は、不動明王で、それも2体あるという。一つは木像で、本堂に納められているが、もう一体は石像で、山に封じ込め、山そのものを本尊とし、それが岩屋寺と名前が付いた由来だそうだ。岩屋寺は、寺名に相応しい場所にあった。
  帰り道は、自然と足が前へ出て、上って来るお遍路さんに笑顔を振り撒いた旅人だった。
no45iwayaji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十四番札所 大宝寺(たいほうじ)

  明石寺から次の札所「大宝寺」へは約90kmの道のりがある。四国のお遍路道では、窪川町の岩本寺から足摺岬の金剛福寺の距離に次ぐ長さだという。車で走っても2時間以上掛かりそうだ。
  国道56号線を大宝寺へ向けて走る。小さな商店の店先で、お遍路さんが休んでいるのが見える。お遍路さんの顔を見て驚いた。顔がまだら模様になっている。日焼けでめくれた皮膚とそうでない皮膚がまだら模様を作っていたのだ。伊予の国は「菩提の道場」というが、まだお遍路さんには、「修行の道場」が続いている。
  大宝寺に到着した。山深い所にあるお寺だ。駐車場にはたくさんの車が停まっていた。車を停めようとすると、停まっていたタクシーの運転手が、「ここも駐車場だが、山門の横にも駐車場があるから、そこへ行きな」と教えてくれた。教えてもらった道を上って行くと、見事に山門の横へ出た。そして、そこには小さな広場があった。知る人ぞ知る駐車場なのだろう。お陰で、600mという長い坂道を歩かないで済んだ旅人だった。「富山」ナンバーの人のよさそうな親父だと思って、親切にしてくれたのかも知れない。
  お参りを済ませ、納経も終えた。「少しは歩かないとバチが当るぞ」と、参道を少し下りてみた。巨大な山門の屋根が、参道に覆い被さるように見えている。そこをスケッチすることにした。旅人の横を、お遍路さんが汗を流しながら上って行った。90kmを歩き通したお遍路さんは、この道を、どんなことを考えながら上って行るのだろうか。
no44taihoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十三番札所 明石時(めいせきじ)

  仏木寺から30分ほどで明石寺に着いた。駐車場にはたくさんの車が停まっている。観光バスも何台かある。愛媛県に入ってから、お遍路寺が賑わっている。
  参道を歩き、石段を少し上ると、石段の先に立派な山門が見えて来た。屋根には赤瓦が使ってある。赤い屋根を見たのは、このお寺が初めてだ。石段を上り詰めると本堂があった。本堂も立派で、ここの屋根も赤瓦で拭かれ、柱も朱色に塗られていた。今はくすんで歴史を感じさせる建物だが、出来た頃は、真っ赤な光を放っていたのだろう。
  団体さんのお経が終わってから、旅人はお経を詠み始めた。般若心経の最後の部分で、息継ぎの仕方がよく分からなかった所が、すらすら詠めるようになっていた。旅人にとっては、団体さんは、大切な先生になっているようだ。
  納経所へ行くと、納経帳が山積みになっていた。受付のお坊さんが、大忙しで納経帳に朱印を押している。愛媛のお寺は、繁盛しているようだ。
  山門をスケッチしようとしたが、石段に隠れて、山門全体が見えない。そこへ、カメラをもった親父さんがやって来た。山門を狙ってシャツターを押している。「残念だね。もう少し後ろへ下がれたら、山門が全部入るのに」とぶつぶつ言っている。「私もそう思っていたのです」と旅人が言うと「絵なら、描けるのではないの」と、親父さんは不思議な顔をした。「私は見た通り描いているから、カメラと同じですよ」と言うと「なるほど。絵も写真も一緒か」と親父さんは分かったような顔をして去って行った。旅人も、山門はあきらめ、本堂をスケッチした。
no43meisekiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十二番札所 仏木寺(ぶつもくじ)

  仏木寺は、のどかな田園の中にあった。お参りを済ませ、大師堂をスケッチすることにした。手前には、大きな観音様が立っている。観音様は優しく微笑んでいる。抱いているのは赤ん坊のようだ。
  団体さんが入って来た。団体さんの中心になっているのは、年配のお坊さんだった。どこかのお寺で見たように、お坊さんの号令でお経が始まった。やがて、大きなお経が本堂から響き始めた。お経だけが響く不思議な世界の中で、一生懸命スケッチしている自分の存在に気が付いた。どこかのお寺でも似たような体験をしたことを思い出した。旅人は不思議な旅をしているようだ。
  大師堂のお参りを終えた団体さんが、鐘つき堂を見上げている。「鐘つき堂の屋根を見なさい。これは藁葺き屋根です。お遍路寺の中で、鐘つき堂が藁葺きなのは、ここだけです。たいへん貴重なものです」とお坊さんが説明する声が聞こえて来た。「スケッチするなら、鐘つき堂にすればよかった」と後悔した旅人だった。
  団体さんにもいろいろなタイプがある。マイクロバスで回っている団体さんは、みな顔見知りのようだ。中心になっているお坊さんは、檀家の人を連れて巡っているのだろう。観光会社が企画したお遍路バスツアーは大集団である。皆、同じ白装束だが、寄り合い所帯だという感じが伝わって来る。お寺の説明や号令の声がやたら大きいのが特徴だ。個人で静かにお遍路している人は、団体さんとは一緒になりたくないと思っている人が多いようだ。
no42butumokuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十一番札所 龍光寺(りゅうこうじ)

  昨夜、思いがけないことがあった。岩手のおじいさんが同じ道の駅に宿泊したのだ。「明日の出発を考えると、この道の駅が1番近いのです」と、おじいさんは物静かな口調で話していた。地図をよく調べ、慎重に行動している様子に感心する旅人だった。
  夜が明けた。昨夜、寝汗をかいたこともあり、体調は、今一つの感じだ。岩手のおじいさんも起きているようだ。車の横を通ると、薄暗い車内におじいさんが座っているのが見えた。よく見ると、仏壇に向って手を合わせていた。おばあさんに祈っているのだろうか。おじいさんは「同行三人」でお寺を巡っているのだと思った。
  次の札所「龍光寺」へ向けて出発した。小さな踏切が見え、警報機が鳴っていた。宇和島へ向う予土線だ。しばらくすると、たった一両のディーゼルカーが走り抜けて行った。旅人が住む細入の風景に似ていた。
  愛媛県に入ってから、お遍路寺の案内表示がよく目立つようになり、安心して走って行ける。行政が力を入れているようだ。迷うことなく龍光寺に到着した。
  鄙びた感じのするお寺だ。お遍路さんがたくさんお参りしている。このお寺は、三間町にあるのことから「三間のお稲荷さん」と呼ばれているそうだ。お遍路さんの中にも、商売繁盛や開運出世を祈願している人が、たくさんいるのだろう。
  大師堂をスケッチした。お寺の屋根や屋根を支える梁など、独特な様式で建てられている。大師堂の横には、石灯籠、石塔、お地蔵さん、キツネの石像など並んでいる。本堂の前にもいろいろな石像が並んでいる。このお寺は本当に賑やかだ。
no41ryukoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第四十番札所 観自在寺

  観自在寺の駐車場に車を停め、お寺への参道を歩いて行く。お寺のすぐ隣に、小学校があり、下校する子どもたちに会った。「こんにちは」と声を掛けると「こんにちは」と明るい声が返って来た。校門の脇には、「大型車、マイクロバス駐車場」と表示がある。お遍路バスは、校庭の隅っこを駐車場として利用させてもらっているようだ。
  全国各地からやって来るお遍路さんを、この学校の子どもたちは間近に見ている。きっとお遍路さんといろいろな出会いがあるのだろう。心の教育が叫ばれているが、この学校の教育には、お遍路さんが大きく位置付けられているのではないかと思った。
  境内に入ると、山門の横に小さな出店が並んでいた。かわいらしいパラソルを立て、ダンボールを並べた粗末な店である。店番はおじいさん、おばあさん。朝市の風景だ。台の上には、夏みかんが山盛りになっている。「美味しいからどうですか」とおばあさんが声を掛けてきた。果物が大の苦手の旅人は、あわてて、手を振って断わった。地域とお遍路寺が一体になっている感じがした。高知では見なかった風景だ。
  お参りを済ませ、納経所へ行くと、作業着姿の男性が立っていた。お遍路している感じはしない。団体さんの運転手なのだろうか。掛け軸に朱印を押してもらっている。不思議なのは、掛け軸が2本だけなのだ。今まで見た人は、納経帳やら白衣やら掛け軸を山のように積み上げていた。男性は、掛け軸の納経を済ませると、立ち去って行った。不思議な人がいるものだ。
  この日のお参りは、このお寺で終了した。その夜は、宇和島の近くの「道の駅 広美森の三角ぼうし」で野宿した。久しぶりに風呂へも入った。体調も回復したようだ。
no40kanjizaiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十九番札所 延光寺(えんこうじ)

  延光寺まで73km。お寺とお寺が離れているのには本当に驚く。宿毛に向けて車を走らせた。海岸沿いの険しい断崖の道を走る。景色はよいのだが、それをゆっくり見ている余裕はない。「同行二人」という気持ちが強くなる。
  道の駅がある。「めじか土佐清水」と表示がある。食堂があるので昼食にした。うどん定食を注文すると、うどんに煮物とごはんと漬物が付いて来た。日頃なら全部平らげるのに、うどんを半分ほど食べ残した。旅人は、まだ本調子でないようだ。
  延光寺に到着した。広い駐車場に車を停め、お参りに行く。すぐ境内へ着くと思っていたら、なかなか着かない。上り道になり、やがてお寺の屋根が下に見え出した。お寺の裏山へ上る道を進んでしまったようだ。裏口から境内に入った。そこにも「四国第三十九番 延光寺」と道標が立っていた。間違えるのは旅人だけではないようだ。
  延光寺は、落ち着いた感じのするお寺だった。本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経所へ行くと、団体さんが列を作っていた。「赤亀が竜宮から鐘を背負ってきたと伝える鐘があるそうだよ。だから、ここのお寺の朱印は、亀の形をしているよ」と親父さんが話している。旅人の納経帳には、かわいらしい亀の形をした朱印が押されていた。詳しいことを知っている親父さんだった。  
  高い木立に囲まれた大師堂をスケッチした。スケッチを終え、仁王門の所を通り過ぎようとして、弘法大師の石像に気が付いた。何だかお大師様が、門から出て行くお遍路さんを見送っているように見える。ここは、高知県、最終のお遍路寺。ここから旅立つお遍路さんは、土佐の国「修行の道場」を終え、伊予の国「菩提の道場」へ進んで行く。旅人も、お大師様に見送られ、愛媛県へ旅立った。
no39enkoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十八番札所 金剛福寺(こんごうふくじ)

  金剛福寺は足摺岬の先端にある。岩本寺から90km、歩けば3日はかかる。「修行の道場」はまだまだ続く。
  2時間半近く車を走らせ、足摺岬に到着した。足摺岬は10年ほど前に来たことがある。断崖絶壁の細い道をバスに揺られて走ったことを覚えている。岬へ通じる道は、バイパスができ、安心して走れる道になっていた。歩き遍路さんたちは、細くて険しい道を今も歩いているのだろう。
  金剛福寺は立派な大きなお寺だった。お寺はたくさんの人で賑わっている。お遍路さんだけでなく、観光客もいる。観光コースに入っているようだ。スケッチブックを開いて、スケッチしている人が何人もいた。グループで写生に来ているようだ。「お堂をどうかいたらいいのかしら」と話し声が伝わって来た。お寺の屋根は、柱や梁が重なり合い複雑な形を作っている。それをきちんとスケッチするのは本当に難しい。旅人にも理解できる話だった。旅人は、池の向こうに見える本堂をスケッチした。
  大師堂でお参りしていると、「元気ですか」と声を掛けられた。振り返ると豊橋の青年だった。元気そうだった。「一つ一つのお堂できちんとお参りしているから感心しています」と旅人が言うと「いろいろありまして、お遍路に出ました。今は失職中です。失敗もあり、人生のごたごたもあり、罪滅ぼしの気持ちでお遍路をやっています」と、青年は胸の内を少し語ってくれた。彼は、旅人のような俄かお遍路ではないようだ。
no38kogofukuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十七番札所 岩本寺(いわもとじ)

  不安な夜が明けた。幸いなことに、熱が下がった感じがする。富山の薬が効いたようだ。
  午前7時、次の札所「岩本寺」へ向けて出発した。ここから40kmほど先にある。遠い道のりだ。途中ドライブインを見つけ、朝食にした。「きれいなトイレやシャワーのあるドライブイン」という大きな看板が掛かっている。シャワーがあるとは、歩き遍路にとっては、有難いドライブインだと思った。山菜うどんを食べたが、半分ほど食べて残した。味も塩辛かった。まだ、体は本調子でないようだ。風邪薬を飲んだ。
  岩本寺に向けて車を走らせる。歩き遍路を3人追い抜いた。数は少ないが、皆、頑張って歩いていた。旅人は彼等から元気をもらったような気がした。頑張らなくては。
岩本寺は窪川町商店街の中にあった。駐車場に車を停め、お寺への道を歩く。立派な山門を抜け、本堂へお参りに行くと、ロウソクが1本だけ立っていた。お参りに来たのは、まだ1人ということなのだろう。
  納経を終え、大師堂をスケッチしていると、岩手のおじいさんが金剛杖を突いてやって来た。いつもの穏やかな笑顔である。旅人の体調がよくなったことをおじいさんも喜んでいた。「昨日は、駅の駐車場で野宿しました。近くに風呂がなくて、入れなかったのが残念でした」とおじいさんは笑っていた。旅人も2日間風呂に入っていなかった。昨夜はびっしょり寝汗もかいた。今日はどこかで風呂に入りたいものだ。
no37iwamotoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十六番札所 青龍寺(しょうりゅうじ)

  仁王門を抜けると、石段がずっと先まで続いていた。本堂はその上にあるようだ。20段ほど上ったところで、息が上がってしまった。体調はやはりよくないようだ。階段で休んでいると、上から岩手のおじいさんが降りて来た。「体調はどうですか」と聞かれた。「まあ、何とかここまで来ましたが、あまりよくないようです」と答えると、「今日はもう終わられたらいいですよ」と旅人のことを心配してくれた。時刻は、午後3時半。今日はこのお寺で終了することにした。
  青龍寺とは、弘法大師が中国留学中に、真言密教の秘法を伝授した恩師「恵果阿闍梨」が住んでいたお寺の名前である。帰国した大師は、この地へ巡錫し、ここにお寺を建て、恩師を慕って青龍寺と名付けたといことだ。大相撲の横綱「朝青龍」も青龍寺から名前を付けたという話だ。
お参りを済ませると、「先に行くからね。気を付けて旅をしなさい」と髭モジャの親父さんが下りて行った。あの人と、また会うことができるのだろうか・・・。
  石段を下り始めて、スケッチを忘れたことに気が付いた。再び、階段を上る気力はなかった。それで、石段に座り込み、長い石段をスケッチすることにした。石段の脇のアジサイが美しい紫色の花を咲かせていた。
  この日は、この先にある「すさき道の駅」で野宿した。夕食に買った「まぜご飯」は、半分も残し、試練の夜になった。風邪薬をしっかり飲んで寝たが、ひどい夜だった。旅先で病になることほど、心細いことはない。家庭・家族の有難さを思い知った。
no36syoryuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十五番札所 清滝寺(きよたきじ)

  種間寺から清滝寺へ向う道で、道路脇で休んでいた豊橋の青年を見つけた。「道に迷って困っています。青龍寺へ行く道を調べていた所です」と青年が笑っている。「私は、清滝寺へ行く所です」と旅人が言うと「清滝寺は、この道を逆に行かないと行けませんよ」と青年が言った。旅人も道に迷っていたのだが、気づいていなかっただけだ。青年は元気そうだった。
  清滝寺は、細い山道を上り詰めた所にあった。駐車場に車を停めると、「やあ、無事到着しましたね」と「なにわ」ナンバーの自動車から、髭モジャの親父さんが降りて来た。「あなたを前のお寺で見かけたので、たぶん次はこの寺だと思って待っていたのです。無事到着して何よりでした」と髭モジャの親父さんは笑ていた。旅人の到着が遅いので、心配してくれていたのだ。大阪からお遍路に来たそうで、巡礼も、5回目になるとのことだった。「次の青龍寺も行くのが難しいから、私の後に付いて来るといいよ」と親切に言ってくれた。お参りを済ませたら、一緒に行くことにした。
  清滝寺の境内には巨大な観音様が立っていた。光を受けて日輪がキラキラ光っている。お参りを済ませ、スケッチを始めると、「スケッチしながらお遍路しているとは、優雅だ」と髭モジャの親父さんは、感心していた。「色はどうするのかい」と聞かれ、「家へ帰ってから塗るつもりで、写真で記録しています」と答えた。「そういう方法もあるのか」と親父さんは驚いていた。
  スケッチを終え、青龍寺へ出発した。旅人の車の前には「なにわ」ナンバーの自動車が走っている。高知のお遍路道は素人には迷い易いということなのだ。親切なお遍路さんのお陰で、青龍寺へは間違いなく行けそうだ。
no35kiyitakiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十四番札所 種間寺(たねまじ)

  時刻は昼時。腹の具合は大丈夫のようだ。「種間寺へ行く途中で、軽食にしよう」と考えていたのだが、食堂もコンビニも見つからず、小さな商店で菓子パンを買い、これが昼食となった。本当に軽い昼食だった。
  細い川に沿った道を走っていくと、田んぼの向こうにお寺の屋根が見えて来た。お寺の屋根が幾重にも重なって、「ここに立派なお寺があるぞ」と言っているようである。車を降りて、土手を歩いた。手前の田んぼには、田植えを終えた稲が、葉を伸ばし始めていた。ビニールハウスでは、この地方特産のピーマンかミョウガを育てているのだろう。心地よい風が吹き抜けて行った。汗が額から噴き出してくる。先程飲んだ風邪薬が効き始めたのかも知れない。
  本堂と大師堂でお参りを済ませる。「種間寺」という不思議な名前だが、お寺の案内には、「弘法大師が、この地へ巡錫し、薬師如来をご本尊として寺を開創され、中国から持ち帰った五穀の種子を蒔かれた。種間寺の寺名はこれに由来する」とあった。
  お参りで、旅人に変わったことがある。その一つは、旅人の詠む般若心経もだいぶお経らしくなってきたことだ。お経の途中は、すらすらと流れるように詠んで行ける。文字を追わなくても、次の言葉が出てくるのだ。何度も繰り返せば、大抵の人はこうなるのだろう。
  まだある。お賽銭を最初の頃は100円にしていたのだが、今は10円か5円にしている。お寺で納経すれば、少なくとも300円は必要だ。それに「駐車代だ、通行料だ」とやたら請求が多いのだ。節約できる所は、とうとうお賽銭になったのだ。お大師様はどう思っておられるのだろうか・・・。
no34tanemaji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十三番札所 雪蹊寺(せっけいじ)

  桂浜へ通じる海岸沿いの道を走る。真っ青な太平洋が行く手に広がっていた。大きな浦戸大橋を渡ると、橋の下が桂浜だ。寄り道することにした。
広  い駐車場には観光バスや自家用車がたくさん停まっている。さすがに高知の観光名所だ。土産物屋が並ぶ道を歩き、坂本竜馬の巨大な銅像が立つ浜辺へ出た。凛々しい顔の坂本竜馬が太平洋を睨んでいた。
  旅人は、30年ほど昔のことを思い出した。仲間たちと高知で開かれた教育研究集会に参加したのだ。大阪港から船に乗り、高知に向っていた。もうすぐ高知港という時、船のデッキからこの銅像を見つけたのだ。凛とした竜馬の銅像をみて、「自由民権運動発祥の地へやって来た」と、坂本竜馬のような気持ちになっていた自分を思い出した。旅人が若かりし日のことだ。
  雪蹊寺は桂浜からしばらく走った所にあった。何と、桂浜からこのお寺へ向う道でも、旅人は迷った。「お寺の案内標識を当てにしながら走る」という、安易な気持ちは捨てなくてはいけない。「これからは、地図でしっかり道を確認してから走ろう」と旅人は思った。
  本堂と大師堂をお参りした。本堂は屋根も柱も壁もピカピカ光っていた。新しく建直したのだ。お寺を建替えるには、相当なお金が必要だ。このお寺は繁盛しているのだろう。大師堂をスケッチしていたら、体にだるさを感じた。発熱しているようだ。スケッチもそこそこにして車へ戻った。持って来ていた「富山の風邪薬」を飲んだ。効いてくれればよいのだが・・・。旅人にとって、土佐は「修行の道場」そのものになっていた。
no33sekkeiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十二番札所 禅師峰寺(ぜんじぶじ)

  竹林寺から川沿いの道を走り、「→禅師峰寺」の標識を見つける。小高い丘にある小さなトンネルを抜け、無事、禅師峰寺に到着した。
  駐車場に車を停めると、その横に小さな箱があり、「駐車された方は、この中へ駐車料200円を入れてください」と案内が出ている。自主申告どころか、自主納入である。踏み倒せば、踏み倒せるのだろうが、お遍路している者にとっては、そんな罪深いことはできない。それを承知でこの土地の持ち主は、この箱をぶら下げているのだろう。素晴らしい商売があるのだ。もちろん旅人は、200円をきちんと箱に投入した。それを見ていたタクシーの運転手が、「さすが、立派なお遍路さんだ。ご利益が一杯あるよ」と笑っていた。
  石段の所で、岩手のおじいさんと再び出会った。元気そうだった。昨日は、「南国道の駅」に泊ったという話だ。「何だか今日は体調がよくないみたいです」と旅人が話すと、「無理をされないように、のんびり周りましょう。先は長いのですから」と励まされた。こういう時の励ましの言葉は、心に響く。
本堂と大師堂をお参りし、納経を済ませた。強い日差しで頭がクラクラする。熱が出てきたのかも知れないと思った。
no32zenjibuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十一番札所 竹林寺(ちくりんじ)

  善楽寺から竹林寺へ向けて出発したが、道に迷ってしまった。高知の道には、お遍路寺の標識が少ないのだ。竹林寺が近くにあるという高知港を目指して走ることにした。高知市内に入り、車が多くなる。「高知港」という標識を見つけホッとする。竹林寺はもうすぐのようだ。
  竹林寺は高知港近くの五台山頂上にあった。駐車場には観光バスが何台も停まっている。辺りは大きな公園になり、展望台からは高知市内や浦戸湾が見渡せ、観光スポットになっていた。牧野富太郎記念館や牧野植物園も併設されている。植物学者の牧野富太郎が高知県出身だったことを初めて知った。
  竹林寺本堂へ向って、木々に囲まれた参道を歩いて行く。石畳の参道には、新緑の間を抜けて来た柔らかな光が、差し込んでいる。「チリンチリン」と金剛杖に付けた鈴の音が参道に響いている。何か不思議な世界に入った感じで、石畳を歩いて行った。
  本堂のお参りを済ませ、大師堂へ向う。右手の石段の上に鮮やかな朱色の五重塔が聳えている。立派な五重塔だ。観光客の一団が、石段の所に並んで記念撮影をしていた。お遍路寺でありながら、お遍路さんと観光客が混在している景色を見たのは、このお寺が初めてだった。観光客はお参りに来たのではなく、このお寺を見学に来たようだった。庭園の見学は有料になっていた。
  大師堂のお参りを済ませ、五重塔をスケッチした。たくさんの人の中でスケッチするのは恥ずかしい。「上手ですね」と覗き込んできたおばさんから言われた。この旅の中で、腕前が上達したのだろうか。
no31tikurinji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第三十番札所 善楽寺(ぜんらくじ)

  夜中外へ出たら、天の川が大空を横切っていた。お遍路していて天の川が見られようとは思ってもいなかった。嬉しい贈り物だった。
  爽やかな朝だと思った。木立に囲まれた美術館が、朝日で光っている。朝食のメニューはインスタントうどんである。食べ終わってしばらくしたら、急に腹が痛くなった。あわてて、トイレに駆け込んだら、激しい下痢だった。夕食に食べた鯖の刺身がよくなかったのかも知れない。持ってきた腹痛の薬を飲んだのだが・・・。お遍路さんなら、こういう時は、大師様にお願いするのだろうか。
  午前8時、善楽寺へ出発。通勤時刻と重なり、渋滞の道を走る。午前9時過ぎにお寺へ到着した。大きなお寺である。すぐ横が土佐神社である。駐車場に車を停め、歩き出したら、「あんたは、どこへ車を停めとるんや」とお坊さんに怒鳴られた。よく見ると、そこは月決め駐車場だった。「善楽寺の駐車場はもっと北です。すぐ動かしなさい」と、お坊さんは、まだ怒鳴っている。何度も頭を下げ、車を移動する旅人だった。今日は、判断力も鈍っているようだ。それにしても、怖いお坊さんだった。たぶん、お遍路さんが、この駐車場を使ってしまい、苦情が一杯舞い込んでいるのだろう。あの人は、善楽寺のお坊さんに違いない。
  お参りを済ませ、本堂をスケッチした。建替えられたばかりの本堂だった。屋根も柱も白壁もピカピカ光っている。集中力がなく、途中でスケッチを投げ出したくなった。やはり体調はよくないようだ。しかし、こういう時こそ頑張らなくてはと、何とか本堂のスケッチを描き終えた旅人だった。
no30zenrakuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十九番札所 国分寺(こくぶんじ)

  午後4時50分、国分寺の駐車場に到着した。駐車場は閑散としている。実は、お遍路寺には決まりがあり、納経所で納経を受け付ける時刻は、午前7時から午後5時までと定められているのだ。納経終了まであまり時間がない。お参りは後回しにして、納経所へ急ぐ。朱印が押してもらえなけば、また明日どうぞということになる。納経は極めて事務的なのだ。急いだお陰で、納経を済ませることができた。こういう姿を見ると、「朱印をもらうためにお遍路している」と考えても不思議ではない。お遍路とはそういうものなのだろうか。またまた、疑問を感じた旅人だった。
  国分寺の本堂は、屋根が薄茶色の皮で葺かれている。かやぶき屋根と思っていたら、そうではなく「こけらぶき屋根」という、ヒノキやマキなどの薄板で屋根をふいたものだそうだ。天平様式を伝える寄棟造の立派な本堂だった。
  時刻は、午後5時半になろうとしている。今日の寝場所は、物部川を上流に上った香北町にある「道の駅美良布」と決めた。途中、何度か道に迷い、人に道を尋ねながら走った。お遍路さんに対して、高知の人も親切だった。お遍路装束は、こういう時に威力を発揮するようだ。午後7時、無事、道の駅に到着した。知らない土地で、目的地を見つけるのは苦労する。これも修行なのだ。
  道の駅のすぐ横には、「アンパンマンミュージアム」という「やなせたかし氏」の作品を展示した美術館があった。健康福祉センターやトレーニングセンターもあり、この辺りは、町の文化センターのようだ。季節はまだ5月なのに、屋外プールで人が泳いでいたのには驚いた。さすがに南国高知である。
no29kokubunji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十八番札所 大日寺(だいにちじ)

  徳島は、お遍路では「発心の道場」と言われている。「発心とは、あることをしてみようと思い立つ」ことだ。旅人の場合も、動機がいかにせよ、「発心」そのものだった。そして、徳島のお寺を巡ることで、般若心経を詠むようになり、「お遍路とはどんなものか」「同行二人とはどんなことか」その意味も、少し理解し始めた。そして高知は「修行の道場」である。高知県では、どんな試練が待ち受けているのだろうか。
  神峯寺から大日寺へは40km。車窓の左側には、真っ青な太平洋が広がっている。美しい海を見ながら、走って行った。途中、数人の歩き遍路を追い抜いた。歩き遍路の数もだいぶ少なくなったようだ。厳しい修行に、脱落する人も多いのだろう。
  そろそろ「大日寺」に到着するはずなのに、お寺の案内標識が見当たらない。標識を見落としたようだ。タクシーが停車していたので、運転手に道を尋ねると、「大日寺は、この道を引き返さなくてはいけないね。高知はお遍路さんが少ないから、案内板も他所に比べれば少ないね」と運転手は笑っていた。
  大日寺は新しいお寺だった。最近、本堂と大師堂を建替えたということだ。新しくなった本堂をスケッチしていると、そこへ岩手のおじいさんが歩いて来た。元気そうだった。旅人と同じペースでお遍路しているようだ。「道に迷いましてね」と旅人が言うと「私も道に迷ってしまいました。案内標識が高知県はよくないですね」とおじいさんも嘆いていた。「修行の道場です。お寺を見つけるのも修行の一つです」と言われれば、あきらめるしかないが、こういう苦情は役場へ届いていないのだろうか。
no28dainitiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十七番札所 神峯寺(こうのみねじ)

  今日は、薬王寺から出発したのだが、最御崎寺へは、80km。車で2時間近く走った。お寺でお参りを済ませ、スケッチを終え、再び出発し、次のお寺へ移動。現在、時刻は午後2時を過ぎているのに、巡ったお寺は僅かに三つ。ようやく4つ目のお寺、神峯寺に到着した。走った距離は、実に120kmを超えた。
  徳島では、出発してすぐ次のお寺に到着したので、疑問にも思わなかったが、高知県は、お遍路寺の間隔が生半可な距離ではないのだ。きっと、歩き遍路の人は、行けども行けどもまだ着けない、それはそれは遠い道のりに感じていることだろう。脱落する人は、この高知県が一番多いに違いない。危険な道を命懸けで歩きながら、「なぜ、お前はこんな過酷なお遍路をしているのか」と自問自答を繰り返していることだろう。車の中ではあったが、俄か遍路の旅人も、「なぜお前はお遍路をしているのか」と自問自答し始めた。土佐の国が「修行の道場」と云われるのは、こういう理由があるからではないだろうか。
  神峯寺の本堂と大師堂は、険しい石段を上り詰めた所にあった。お参りを終え、スケッチしていたら、「スケッチしながらお遍路ですか。いいですね」と石段を上って来たおばさんに言われた。ここで脱落するわけにはいかない。「あせらず、あきらめず」と、初心を思い出した旅人だった。
no27konomineji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十六番札所  金剛頂寺(こんごうちょうじ)

  魚を食べさせてくれる食堂を見つけることができず、お昼はコンビニのサンドイッチになった。美味しい魚は夜までお預けにした。
  国道から離れ、細い山道を上って行く。お遍路する人だけが使う道路だから、私道ということになる。たぶん有料だろうと思っていたら、やはりその通りだった。料金は200円、納経所での自主申告である。自主申告しなくても、その人の姿を見れば、この人は団体客か、個人か、車遍路か歩き遍路かすぐ分かるのだから、嘘は付けない。お遍路しているのに、嘘をける人はまずいないだろう。
  本堂へお参りに行くと、参道の所に、片足は靴だが、もう片足にサンダルを履いた青年が座っていた。顔は真っ黒に焼け、元気そうだが、足は痛々しい。「歩いてみえるのですね。大変ですね」と声を掛けた。「見た目ほど酷くないですよ。もうだいぶよくなりました。今日は、室戸から歩いて来ましたが、このお寺で今日はおしまいです」と青年は笑っていた。こうした試練を経て、青年はどんどん逞しくなっていくのだろう。土佐は修行の場である。
  本堂をスケッチしていたら、見覚えのある人を見つけた。その人に会ったのは、那珂川河口の道の駅だった。岩手からお遍路に来たおじいさんで、軽自動車の中は、ぎっしり家財道具が詰まっていた。驚いたのは、仏壇まで積んでいたことだ。おばあさんが亡くなり、おばあさんの遺骨と共に旅に出たのだという。旅人は、スケッチしながらのお遍路なのでペースが遅いのだが、岩手のおじいさんもペースが遅いようだ。久しぶりの再開に、おじいさんの顔がほころんでいた。
no26kongotyoji1.jpgクリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十五番札所 津照寺(しんしょうじ)

  室津港の漁協前に車を停める。津照寺には駐車場はなく、お遍路さんは漁協の駐車場を利用してもよいとのことだ。市場の店先に魚が並んでいる。日本海では見たことのない赤色や黄色などの魚も並んでいる。さすがに南国である。刺身にして食べたい新鮮な魚ばかりだった。
  仁王門を抜け境内へ入る。見上げるような急な階段の向こうに面白い形をした建物が見える。その建物の下を抜け、さらに石段を上った所に本堂はあった。お寺は、山の斜面にへばりつくように建っているようだ。先程の面白い形の建物は鐘つき堂だった。本堂でお経を上げる。息継ぎも上手くなり、お経がすらすら詠めるようになってきた。箱に一杯入っていた線香やロウソクも残り少なくなった。補充しなくてはいけないようだ。
  納経所で朱印を押してもらう。このお寺の住職さんのようだ。貫禄がある。住職さんは、納経帳のページを開いてこういった。「この納経帳をどこで買いましたか。ここには、巡礼が終わったら、一番初めに参拝したお寺へお礼参りしなさいと書いてありますが、決して、こんなことをする必要はありません。真言宗ではこのような強制はしていませんよ」と強い口調で言った。「巡礼用品は1番寺より2番寺で買った方がうんと安かったのだよ」と、どこかのお寺で会った人の話を思い出した。納経帳にも仕掛けがあるのだ。さすがに一番寺は商魂たくましいと思った。
  時刻は昼時。次のお寺へ向う途中で食堂を見つけ、美味しい魚を食べたいものだ。
no25sinsyoji11.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十四番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)

  昨夜野宿した日佐和町大浜海岸は、ウミガメが卵を産みに来ることで有名な海岸だった。ウミガメが上陸する季節を迎え、町の監視員による徹夜の警戒が続いていた。旅人は、監視員事務所のすぐ横の駐車場で野宿した。「今晩辺り上陸するかも知れませんよ」と監視員さんから話を聞き、旅人も真夜中に何回か起き、砂浜に目を凝らしたのだが、この夜のウミガメ上陸はなく、残念だった。しかし、思いがけない体験の旅行土産が出来たと喜んだ旅人である。
  日和佐町を出発し、しばらく走ると、国道を元気に歩く昨日の女性を見つけた。「頑張れよ」と声を掛けると、彼女は、笑顔で手を振っていた。次の札所まで80km、長い長い道程である。
  高知県に入った。お遍路では、土佐の国は「修行の道場」となっている。きっといろんな試練が待ち受けているのだろう。走ること2時間、室戸岬に到着した。途中、お遍路さんを20人近く追い抜いた。歩き遍路をしている人が本当にたくさんいるのだ。
  弘法大師が悟りを開き、空海と改名した最御崎寺に到着した。お寺は、室戸岬灯台のすぐ真上にある。参道を歩き、山門をくぐり境内へ入る。境内は閑散としていた。四国の果てにあるこの地までお遍路に来るのは大変である。人が少ないのも理解できる。お参りを済ませ、本堂をスケッチした。
  高知に入ってから、お遍路寺の道路標識が少なくなった気がしている。このお寺へ来るのも少々分かり辛いところがあった。高知県は徳島県ほどお遍路さんが多くないのかも知れないと旅人は思った。
no24hotumisakiji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十三番札所 薬王寺(やくおうじ)

  徳島県最後のお寺へ向って出発した。薬王寺へは平等寺から22km。国道の脇を歩いているお遍路さんを何人か追い抜く。歩き遍路の大変さがひしひしと伝わって来た。
  薬王寺に到着した。境内はたくさんの人で賑わっている。お遍路姿の人も多いが、家族連れも多い。薬王寺は厄払のお寺として有名で、年間百万人が参拝するということだ。山の中腹にあり、日和佐の町並みが眼下に広がっていた。
  本堂へ向って、石段を上って行く。不思議なことに石段に1円玉がたくさん落ちている。いや、落ちているというより、撒いてあるという感じなのだ。何か謂れがあって、お金を石段に置くのだろう。お金を踏まないように気を付けながら上って行った。後で分かったのだが、薬王寺には、男厄坂42段、女厄坂33段、還暦厄坂61段があり、石段を1段上がるごとに賽銭を置いて行くと厄が払われるというご利益があるのだそうだ。賽銭を置く人はいても、賽銭を拾う人はいないから、お金が撒いてあるように見えていたのだ。
  お参りを済ませた。次の札所「最御崎寺」は、ここから80km彼方にある。今日はこの日和佐町の大浜海岸で野宿することにした。海岸へ向って車を走らせると、広い川原があるので、車を停め、散歩することにした。
  ベンチにお遍路姿の女性が座っていた。足元には、大きなリュックと菅笠が置かれている。「こんにちは、歩いているのですか」と声を掛けた。「ええ、でも疲れてしまって、昨日からこの町で休んでいるのです」と女性から疲れた声が返って来た。宮崎から歩きに来たのだそうだ。「焼山寺、鶴林寺、立江寺への道が大変でした」と女性は話してくれた。これからが本当に辛いお遍路になる。「頑張ってください」と励ましの声を掛けて別れた。明日、彼女は旅立てるのだろうか。
no23yakuoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十二番札所 平等寺(びょうどうじ)

  お寺からお寺までの距離がだんだん遠くなって行く。鶴林寺から太龍寺が7.4km。太龍寺から平等寺へは12.5kmである。阿波の国から土佐の国へ向って進み出したようだ。
  平等寺は、小さな川の辺にあった。駐車場には観光バスが3台も停まっている。露天の店も並びお遍路さんたちで賑わっていた。そういえば今日は、日曜日。観光バスがお遍路さんをたくさん連れて来たようだ。
  豊橋の青年に再び出会う。彼は、白装束に身を固め、菅笠を被り、金剛杖を突いている。お遍路さんの装束としては、申し分ない。旅人はと云ったら、白装束は上着だけで、金剛杖の代わりにスケッチブックを抱え、菅笠ではなく野球帽を被っている。菅笠も金剛杖も用意したのだが、めんどうだとばかり、車に置いたままだ。旅人は、俄か遍路の域を、まだ脱していない。しかし、青年は、本堂と大師堂をお参りするだけでなく、小さなお堂やお地蔵さんもお参りしていた。いいかげんな気持ちでお遍路していないことがその姿から伝わって来た。
  参道の横で、本堂をスケッチしていたら、老夫婦が話し掛けて来た。「どこから来たのですか」と聞かれたので、「富山からです」と答えると、「遠い所から来ましたね。ご苦労さまです。あなたみたいにスケッチしているお遍路さんを時々見ますよ」と奥さんが言った。「気をつけてお遍路を続けてください。そして一杯スケッチしてください」と旦那さんからも励まされた。頑張らなくては・・・。
no22byodoji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十一番札所 太龍寺(たいりゅうじ)

  手元の案内所によれば「海抜600mの山頂近く、巨杉に囲まれたお寺で、麓からロープウエーがある。林道もあり、こちらは駐車場から2kmほど歩く」とある。旅人は林道で行くことにした。
  舗装されてはいるが細い道だ。対向車に気を付けながら走って行く。もちろん「同行二人」という気持ちである。無事駐車場に到着。「駐車料500円は納経所で納めてください」と大きな張り紙がある。「私は車で来ました」と自主申告することになるのだろう。それにしても高額の駐車料である。
  木立に囲まれた上り坂を、金剛杖を突きながら歩いて行く。歩き出して15分、汗が噴き出して来た。歩き遍路は大変だ。このお遍路道を全て歩き通す人がいるということが信じられない。
  本堂に到着した。立派な本堂だ。右手の石段の上には、これもまた立派な多宝塔が見える。大師堂のお参りを済ませ、ロープウエー乗り場の見学に行った。「展望台からの景色はさぞかしいいのだろう」と期待していたが、ロープウエー乗り場は、高い木立に囲まれていて全く展望が利かなかった。「いい景色を見たいなら、ロープウエーに乗れ」ということなのだ。料金は往復で、2400円。やはり高額な乗り物だ。
  本堂をスケッチしていたら、団体さんがやって来た。昨日会った団体さんだった。やがて、大きなお経が辺りに響き始めた。お経の響きを聞いていると、何だか心地よさを感じるようになっていた。お遍路の世界に、はまり出したということだろうか。
no21tairyuji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行

このページのトップへ

四国お遍路の旅 第二十番札所 鶴林寺(かくりんじ)

  午前8時「道の駅なかがわ郷」を出発し、那珂川堤防道路を上流に向って快調に走っている。那珂川は大きな川だ。たぶんこのまま走れば、鶴林寺へ向う道路に出るはずなのだが、不安な気持ちが過ぎる。犬を連れて散歩をしている親父さんがいるので、車を停め、道を尋ねた。「鶴林寺なら、この先の道を右に走って行けばいいさ」と親父さんは親切に教えてくれた。お遍路さんに対しては、皆親切である。
  「→鶴林寺」という案内標識を見つけた。その標識に従って走って行くと、しばらくして山道になり、道も細くなった。危険な所では「同行二人」という気持ちなって走っているが不思議である。お遍路している人は、皆こういう気持ちになっているのだろうか。
  鶴林寺の駐車場に到着。深い山の中にあるお寺である。参道を上って行くと山門が見えた。歴史を感じさせる山門だ。山門には運慶作と伝えられる仁王像が立っていた。
  本堂と大師堂をお参りし、納経所に行く。「車ですか」と聞かれた。「ええそうですが」と答えると「駐車料300円を戴きます」と言われた。駐車料を納めるのも別に抵抗感がなくなってきたのが不思議だ。慣れるということは怖いものだ。
  山門をスケッチしていたら、昨日、恩山寺で見掛けた青年が歩いて来た。彼は「豊橋」ナンバーの車に乗っていた。「おはようございます」と声を掛けると「おはようございます」と挨拶が返って来た。「昨日はどこに停まったのですか」と聞くと『道の駅神山』に泊りました」と返事が返って来た。旅人も泊った道の駅だ。「温泉に入りましたか」と聞くと「いい温泉でした。温泉がセットされていて、最高の道の駅でした」と若者は笑っていた。彼とはこれからもいろいろなお寺で会いそうな気がした。
no20kakurinji1.jpg
クリックすると大きくなります

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行