「えっ、ここは神社だよ。お寺はどこなの?」と思ってしまった。大きな神社の赤い鳥居がどんと構えているのだ。よく見ると、隣に「天皇寺」という石碑が見える。第七十九番札所「天皇寺」は白峰宮の隣にあった。
天皇寺という名前がおもしろい。手元の資料には、「弘法大師がこの地にお寺を建て『妙成就寺』と名付けたが、保元の乱で敗れ、讃岐の地に流されていた崇徳上皇がこのお寺で亡くなり、ここに柩を安置したことから、天皇寺と呼ぶようになった」とあった。
お寺の入口から境内に入ると、そこはお寺というよりは神社の雰囲気だった。本堂も大師堂も白峰宮の中に間借りしているという感じだ。
神仏習合という考え方があるが、ここはその代表的なお寺のようだ。神仏習合は、日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和させた考え方で、奈良時代に始まったという。神と仏を同一のものとしてみる考え方で、神を菩薩とか権現とよび、神は仏がこのような姿をとって「権に現れたもの」と考えるようになったという。お寺と神社が混在していても不思議ではないのだ。しかし明治政府は、祭政一致の方針に基づき、神仏習合を廃止した。この天皇寺も、明治初年に廃寺になったということだが、その後、寺が再興され現在に至っているという。
参道の脇に小さなテントが張られ、人が寝ていた。中を覗くと白装束を着たお遍路さんだった。疲れて寝ているのだろうか。それとも病気なのだろうか。雨は上がったが、辺りには水溜りができていた。讃岐は「涅槃の道場」と云われるが、まだまだ「厳しい修行の道場」が歩き遍路には続いているようだ。

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