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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2008年08月

四国お遍路の旅 第八十番札所 国分寺(こくぶんじ)

  讃岐の国分寺である。これで四国すべての国分寺をお参りしたことになる。仁王門を抜け参道を進むと、両脇に石仏がずらりと並んでいる。石仏は四国八十八ヶ所のお遍路寺の本尊を刻んだものだという。「お遍路に出掛けなくても、ここで一番寺から八十八番まで順にお参りしていけば願いが叶います」ということなのだろう。お遍路代行業がある世の中、代行屋に頼むくらいならと、ここでお参りするお遍路さんもいるのだろう。しかし、この場所にある88体のご本尊に本気になってお参りしたら、般若心経が3分としても・・・半日は裕に掛かりそうである。お遍路はいずれにしても大変である。
  本堂へお参りに行く。大きな屋根がある立派な建物だ。鎌倉時代に建てられたものだという。お堂の前で大きな声でお経を上げているお遍路さんがいた。郷照寺で見掛けた夫婦連れだった。お経が終わり、夫婦連れは階段を下っている。先ほどは気付かなかったのだが、奥さんは体が不自由そうだった。歩く時に足を少し引きずっている。親父さんは、奥さんが階段を下りるのを心配そうに見守っていた。奥さんの病気回復を祈願してお遍路旅を続けているのだろうか。
  このお寺の本尊は行基が刻んだ十一面千手観世音菩薩とのことだ。一木造りで高さ5.2mの立像だという。国宝に指定され、本堂に安置されているというが、中は暗くて見ることができなかった。納経所で毎回そのお寺の本尊を印刷した御影札を渡されているが、このお寺のお札には、十一面千手観世音菩薩が印刷されていた。時刻は午後4時。次のお寺で今日は終了になりそうだ。空が暗くなって来た。また雨が降り出しそうだ。
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[ 2008/08/15 06:49 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十九番札所 天王寺(てんのうじ)

  「えっ、ここは神社だよ。お寺はどこなの?」と思ってしまった。大きな神社の赤い鳥居がどんと構えているのだ。よく見ると、隣に「天皇寺」という石碑が見える。第七十九番札所「天皇寺」は白峰宮の隣にあった。
  天皇寺という名前がおもしろい。手元の資料には、「弘法大師がこの地にお寺を建て『妙成就寺』と名付けたが、保元の乱で敗れ、讃岐の地に流されていた崇徳上皇がこのお寺で亡くなり、ここに柩を安置したことから、天皇寺と呼ぶようになった」とあった。
お寺の入口から境内に入ると、そこはお寺というよりは神社の雰囲気だった。本堂も大師堂も白峰宮の中に間借りしているという感じだ。
  神仏習合という考え方があるが、ここはその代表的なお寺のようだ。神仏習合は、日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和させた考え方で、奈良時代に始まったという。神と仏を同一のものとしてみる考え方で、神を菩薩とか権現とよび、神は仏がこのような姿をとって「権に現れたもの」と考えるようになったという。お寺と神社が混在していても不思議ではないのだ。しかし明治政府は、祭政一致の方針に基づき、神仏習合を廃止した。この天皇寺も、明治初年に廃寺になったということだが、その後、寺が再興され現在に至っているという。
  参道の脇に小さなテントが張られ、人が寝ていた。中を覗くと白装束を着たお遍路さんだった。疲れて寝ているのだろうか。それとも病気なのだろうか。雨は上がったが、辺りには水溜りができていた。讃岐は「涅槃の道場」と云われるが、まだまだ「厳しい修行の道場」が歩き遍路には続いているようだ。
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[ 2008/08/14 14:33 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十八番札所 郷照寺(ごうしょうじ)

  もうすぐ郷照寺という所で、袋小路に迷い込んでしまった。香川の道は道標がしっかりしているので、道に迷うことはほとんどなかった。道標を見落としたのだ。しばらくは同じ所を行ったり来たりしていたが、ようやく居場所が分かり、お寺に到着した。小降りになっていた雨が再び強くなり出した。傘を差して参道を上って行く。街中のお寺だと思っていたのだが、お寺は小高い丘の上にあった。振り返ると、瓦屋根が並ぶ町並みの中に巨大なビルが聳えている。お遍路寺と高層ビルは不似合いな感じなのだが、そのミスマッチがおもしろい風景を作っていた。「高層ビルが見えるお遍路寺」というキャッチフレーズが頭に浮かんだ。このお寺さんは、この風景をどう思っているのだろう。
  境内に人の姿はない。旅人は、静かな本堂で般若心経を詠んだ。暗唱した部分も増え、流れるようにお経は進んで行く。遠くから見れば、1人の熱心なお遍路さんが、お堂の前で一生懸命に祈っている姿に見えるのだろう。しかし、旅人はまだ俄か遍路の域を脱してはいない。明日にも八十八番札所へ到着しそうなのだが、仏への信心の心が芽生えたわけではなかった。お遍路が終われば、また以前のような仏の世界とは無縁の生活に戻ってしまうのだろう。
  そこへ夫婦連れがやって来た。親父さんは手早くロウソクと線香に火を付け、般若心経を大きな声で唱え出した。団体さんの大きなお経は聞いていたが、個人で、こんなに大きなお経を唱えた人は初めてだった。静かだった境内に親父さんの大きなお経が響いている。どんな願いを込めて祈っているのだろうか。必死に祈る夫婦連れの姿に心打たれた旅人だった。
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[ 2008/08/14 06:34 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十七番札所 道隆寺(どうりゅうじ)

  道隆寺の駐車場に車を停める。雨が小降りなって来た。上がるといいのだが・・・。仁王門から境内へ入ると、参道の両側に大きな観音像が並んでいる。その数に驚いた。何体あるのだろうか。道隆寺は子安観音が奉られているお寺だということだが、ずらりと並んだ観音様の姿は、壮観だった。
  納経所へ行くと、真っ赤な納経帳を差し出しているおじいさんがいた。どこかのお寺でもこういうお遍路さんがいたことを思い出した。この納経帳は、何度もお遍路寺を巡ったという証だ。こういう人のことを「先達」というのだそうだ。初めてのお遍路で、おどろくような体験をしている旅人だが、何十回とお遍路しているおじいさんは、想像を絶するような体験をしているのだろう。凄い人がいるものだ。
  お参りを済ませ、仁王門をスケッチした。そこへ徳島ナンバーのワゴン車が停まり、4人連れの親父さんが下りて来た。今日、何回か会った人たちだった。「ここでもスケッチしているのですか」と白髪の親父さんが話し掛けて来た。「スケッチしながらお遍路しています」と旅人が答えると、「短時間にしてはよく特徴を掴んでいますね」と親父さんは誉めてくれた。
  親父さんたちは、まとまった休暇が取れたので出掛けて来たということだったが、俳句を詠みながら巡礼しているという話には感心した。お遍路寺もいろいろな楽しみ方があるのだ。このお寺では、観音様を詠み込んだ句になのでは・・・。いや、ひょっとしたら、スケッチするお遍路さんと詠まれるかも・・・。時刻は午後2時、今日はあと幾つ巡るのかな?
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[ 2008/08/13 17:32 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十六番札所 金倉寺(こんぞうじ)

  善通寺の駐車場を出発したが、時刻は昼時。どこかで食事にしよう思っていた。見ると、すぐそこにうどん屋の看板が出ている。飾り気のない粗末なプレハブの建物である。好都合とばかり、その店で昼ご飯にした。
  店内のテーブルは、ほぼ満席状態だった。繁盛しているようだ。お上さんが注文を取りに来た。メニューがよく分からないが、冷やしうどんの小を注文した。「しばらく待ってください」とお上さんは言うと店の奥へ入って行った。調理場が見える。白い帽子を被った親父さんが、大きな釜を睨んでいる。うどんを茹でているのだ。テーブルのお客さんも皆、うどんが茹で上がるのをじっと待っていた。
しばらくしてうどんが運ばれて来た。麺と出し汁だけのシンプルなうどんだが、さすが本場の讃岐うどん。つやのある太い麺は腰があり、なかなかの味だった。値段が250円と聞き、さらにびっくり。お土産用のうどんも販売していたので、上さんの喜ぶ顔を想像しながら、3袋もうどんを買い込んだ旅人だった。
  金倉寺に到着した。相変わらず雨が降り続いている。本堂と大師堂のお参りを済ませ、納経所の横にあるベンチに座って本堂をスケッチした。大きな屋根のある建物だ。屋根瓦が雨に濡れて光っていた。
  境内の中を、傘を差したお遍路さんが歩いて行く。2つの傘が仲良く並んでいた。仲のよい夫婦連れのようだ。納経所のお坊さんは、目を閉じて瞑想している。そして、お遍路さんがやって来ると、穏やかな顔で朱印を押し、お遍路さんがいなくなると、再び目を閉じて瞑想している。雨の日の昼下がり、お寺の時間はのったりと過ぎて行った。
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[ 2008/08/13 07:44 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十五番札所 善通寺(ぜんつうじ)

  善通寺は、広大な敷地を持つお寺だった。お遍路寺の中でこれほど立派なお寺を見たのは初めてである。広い敷地とお堂の数に圧倒される。それもそのはず、ここは、弘法大師の聖地なのだ。
雨が降る中、まずは本堂へお参りに行く。どこに本堂があるのだろうか。これだけたくさんお堂が建っていると、迷いそうだ。案内の道標に従って参道を進んで行くと、参道の横には土産店も並んでいた。今日は雨で参拝客もまばらだが、天気がよい日は、ここがぎっしり人で埋まるのだろう。
  前方に五重の塔が見える。本堂はその横にあるが、お参りは後にして、五重の塔をスケッチする。鐘楼の屋根を借りてスケッチした。威厳のある立派な五重塔は、総本山善通寺の象徴的な建物だそうだ。菅笠を被ったお遍路さんが、五重の塔の下を歩いて行く。彼はどんなことを思いながら歩いているのだろうか。雨は相変わらず降り続いている。
  本堂へお参りした。薄暗いお堂の中は、お遍路さんで一杯だった。祭壇には大きな薬師如来が座っている。大きなロウソクの火に映し出され薬師如来が金色に輝いていた。お堂にはお遍路さんが唱える般若心経がこだまするように響いていた。
  御影堂へ行く。その地下に、戒壇巡りがある。「悪業のある者はこの地下から出られない」といわれる真っ暗な回廊である。「ここから出られなかったらどうしよう」と不安な気持ちになった旅人だった。御影堂にある納経所で朱印を押してもらう。納経帳には、「われ住まば よもきえはてじ 善通寺 深きちかいの 法のともしび」とご詠歌が記されていた。納経代300円を納め、善通寺を後にした。
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[ 2008/08/12 06:50 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十四番札所 甲山寺(こうやまじ)

  雨足が強くなって来た。車のワイパーがフロントガラスに落ちた雨粒をせわしなく追い払うのだが、次から次へと雨粒は落ちて来る。「善通寺」という案内標識が見えるが、これから向うのは「甲山寺」である。善通寺のすぐ近くにあるお寺のようだ。
  甲山寺に到着した。広い駐車場に車を停め、山門を抜けると正面に本堂が見える。菅笠を被り、背中に黒いリュックを背負ったお遍路さんが参道を歩いていた。透き通ったカッパを着ているが、ズボンは雨で濡れている。雨の中でもお遍路さんは歩き続けているのだ。高知でよく見掛けた、疲れた様子で歩くお遍路さんの姿を、香川では見なくなった。歩き遍路さんの姿には、元気がある。ここまで歩き通して来た自信がそうさせるのだろう。目の前のお遍路さんも、元気に参道を歩いて行った。
  甲山寺がある辺りは、弘法大師が子どもの頃よく遊んだ所だという。この辺りには大師にまつわるいろいろな伝説が残っている。このお寺にも次のような話が残っていた。「大師が善通寺と曼茶羅寺の間にお寺を建てようと探し求めていたところ、この山麓の岩窟から老翁が現れ、『ここが探し求めている霊地なり。1寺を建立せよ』と霊示を受けた。大師は、早速石を割って、毘沙門天を刻んで安置したのがこのお寺の始まりだと伝えられる・・・」
  お参りを済ませ、山門の下で、本堂をスケッチした。傘を差して、スケッチするという器用なことはとてもできない。スケッチブックが雨に濡れれば、鉛筆では線が引けなくなる。今日は苦労しそうだ。
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[ 2008/08/12 06:48 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十三番札所 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)

  出釈迦寺は、曼茶羅寺から500mほどの所にある。辺りにはのどかな田園が広がり、歩くお遍路さんが多いのではないだろうか。狭い境内に本堂や大師堂、納経所がこぢんまりと建っていた。
  出釈迦寺という名前がおもしろい。「お釈迦様が出現するお寺」と読むのだろう。その謂れが知りたくて、手元のお遍路寺の案内書を開くと「弘法大師が7歳の時、481mの倭斯濃山の頂に立ち『仏道に入って多くの人を救いたい。この願いがかなうなら一命を捨ててこの身を諸仏に供養する』といって、断崖絶壁から谷底へ身を投げた。この時、釈迦如来と天女があらわれて雲上に抱きとめ、『一生成仏』の旨をいわれた。一命を救われ、その願いが成就することを示された大師は、感激して釈迦如来の像を刻み、堂宇を建てて出釈迦寺とし、倭斯濃山を我拝師山に改めた」とあった。
  境内でスケッチしていると、お寺の尼さんが庭箒を持って掃除を始めた。旅人の納経帳に朱印を押してくれた人だ。境内の茶店でも掃除が始まっていた。時刻は午前9時を過ぎた所。お遍路寺の忙しい一日がこれから始まる。
  前のお寺で会った老夫婦もやって来た。お寺がだんだん賑やかになって行く。そう思っていたら、空から雨粒が落ち出した。どんより曇ってはいたが、まさか雨が降り出すとは予想していなかった。お参りを済ませた老夫婦が足早に去って行った。そういえば、雨に降られたのは、四国に入った第1日目だけだった。それからは、ずっと晴れの日が続いていた。晴れ男の旅人らしいお遍路旅だったのだが・・・。今日は、雨の中でスケッチするという苦行のお遍路になりそうだ。
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[ 2008/08/11 10:08 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十二番札所 曼荼羅寺(まんだらじ)

  曼茶羅寺へ向けて車を走らせる。国道から狭い脇道へ入るが、お寺の案内標識がしっかりしていて迷うことはない。後ろからバイクが迫って来た。黒いジャケットに身を固めた若者が運転しているようだ。朝早くどこへ行くのだろう。曼荼羅寺の駐車場へ車を停めると、後ろから付いて来たバイクも駐車場へ入って来た。バイクの運転手はお遍路さんだったようだ。運転手はてっきり男性だと思っていたのだか、何と、若い女性だった。しかも、黒いライダージャケットに身を固めている。「かっこいいなあ」と思わず叫びたくなった旅人だった。
  曼茶羅寺の境内には、樹齢1000年を超える「不老の松」があった。弘法大師お手植えの松といわれるもので、木の高さは4m、東西17m、南北18mに枝が広がっている立派な松だった。
  本堂へお参りに行く。さっきのバイクの女性は、納経所へ直行して行った。本堂でのお参りを済ませ、大師堂へ向う所で、彼女がお寺を出て行くのを見つけた。全くお参りもしないでお寺を去って行った。最近、お遍路寺を巡ることがゲーム感覚でやられているという話も聞いた。納経所で押してもらう朱印をスタンプ集めと考えて、お遍路寺を巡っているのだという。彼女は、四国一周のついでにスタンプ集めをしている気まぐれな旅人なのだろうか。それとも、どこかのお寺で見たお遍路代行業なのだろうか。お遍路の世界にはいろいろ不思議なことが起きているようだ。
  本堂をスケッチしていたら、お遍路さんが境内へ入って来た。弥谷寺の奥の院でお参りしていた老夫婦だった。今日は、この人たちと一緒に周るのだろうか。ふと、岩手のおじいさんや豊橋の青年のことを思い出した。彼等は、今日は、どこをお遍路しているのだろうか。
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[ 2008/08/11 08:29 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)

四国お遍路の旅 第七十一番札所 弥谷字(いやだにじ)

  午前6時半「道の駅ふれあいパークみの」を歩いて出発した。第71番札所「弥谷寺」はこの道の駅のすぐ近くにある。20分ほど歩けばお寺へ到着できるということだ。舗装された上り坂を歩いて行くと、「有料道路」という表示があり、ゲートがあった。500円を投入すればこのゲートが開くようだ。もちろん歩けば無料である。予定では仁王門の前に到着するはずなのに、着いたのはお寺の裏門だった。ここはお坊さんが出入りする所らしい。どこかで道を間違えたようだ。旅人らしい。
  本堂へお参りに行く。狭い参道を進み、長い石段を上ることになった。しばらく上ると、右手上の岩壁に石仏が見えた。薄暗い中に、三つの石仏が浮き上がっている。一つは目鼻が何とか判断できるが、後の二つは風雨で侵食が進み、顔の表情がはっきりしない。これは弘法大師が刻んだ阿弥陀三尊といわれている。神秘的な石仏だった。
  本堂は、そこからさらに石段を上った所にあった。このお寺の石段は全部で540段あるというから驚いた。弥谷寺は、岩壁にへばりつくように建てられているようだ。
  本堂のお参りを済ませ、大師堂へ行った。入口で靴を脱ぎ、お堂へ入った。お参りで靴を脱いだのは、ここが初めてだ。大師堂には奥の院があり、「弘法大師が若かりし頃勉学に励んだ」と説明がある。阿弥陀像、弥勒像、大師像が薄暗いお堂の中に安置されていた。その前で老夫婦が静かに般若心経を唱えていた。奥の院は不思議な世界だった。大師堂でお参りを済ませ、納経所で朱印を貰った。お坊さんが眠そうな顔で朱印を押してくれた。時刻は午前7時30分。今日も納経所は忙しくなるのだろう。
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[ 2008/08/11 08:27 ] 四国お遍路 香川県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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