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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2009年09月

富山市小糸 「尾萩野」の首なし地蔵さん

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  首なし地蔵さんのスケッチに小糸へ出掛けた。実のところ、野菊の会の村田さんから、「首なし地蔵さんは、尾萩野の地蔵さんがたくさん並んでいる中にあるから、見てきたら」と去年の春に言われていたのだが、ずっとそのままになっていたのだ。ようやく約束が果たせそうである。
  尾萩野のひろい田んぼは、すっかり稲刈りが終わり、茶色の地肌が一面に広がっている。この高台に、お地蔵さんがずらりと並ぶ所がある。集落のお墓も併設しているから、迷いそうである。「一箇所は、墓仏が並んでいるよ。旧街道の野仏は、高台の方だから間違えないようにね」と知人から言われたことを思い出した。
  高台の社には、七つの野仏たちが並んでいた。そして、首を修復したお地蔵さんはすぐに見つかった。赤い前掛けを着けていたが、確かに首を修復した跡があった。物語にあるように、優しい眼をしたお地蔵さんだった。
  今も、お地蔵さんを、小糸集落の人たちは、お守りしているのだろう。小さな花瓶に秋の花が飾られていた。
[ 2009/09/29 17:14 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市小糸 尾萩野

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  小糸集落では、昭和三十年代、米作りをし易くするために、水田の耕地整理がありました。「尾萩野」と呼ばれるこの台地は、その時の土地改良事業で誕生しました。
  当時、この地域は、養蚕が主たる産業で、辺り一面桑畑でした。この台地には川がなく、水不足は日常的なことだったからです。
  この地域でも稲作が出来るようにしようという目的で、土地改良事業が始まりました。大型機械が連日入り、大変な作業が行われたそうです。その作業の中で、この地域に昔から残っていたお地蔵さんにまつわる物語が生まれました。それが、「尾萩野の首なし地蔵」というお話です。
  「首なし地蔵」というタイトルは大変物騒ですが、決して妖怪の話ではありません。土地改良事業をする中で、取り残されたお地蔵さんが、事故に会い、首が折れてしまったのです。それを発見したおじいさんとおばあさんが、手厚く修復し、元の場所に戻してあげるという大変心温まるお話です。旅人は、これを絵本にしようと奮闘中です。
[ 2009/09/27 19:26 ] 富山市 | TB(0) | CM(1)

富山市庵谷 庵谷鉄橋

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  稲穂が黄色く色付き、本格的な取り入れの時期を迎えた。庵谷の棚田をスケッチしに出掛けた。今日は、四一号線から、棚田に通じる道を歩いて行くことにした。
  棚田は、黄色一色に染まっていた。今年の稲は、日照不足で実入りが少ないという話だが、稲穂は重そうに穂を垂れていた。
  棚田から見上げると、ツタが生い茂った鉄橋の橋脚が目に入った。これは絵になる風景だと思い、急遽、方針を変え、この鉄橋を描くことにした。
集落のお墓に通じる細い道を上ると、鉄橋全体が見渡せる所に出た。迫力がある橋脚が並んでいる。
  さっそくスケッチを始めた。しかし、しばらくして、顔の周りを小さな虫が飛び始めた。ブヨに囲まれてしまったようだ。虫除けスプレー持参で、再挑戦することにして、早々に退散することにした。
  しかし、庵谷にこんな素晴らしいスケッチポイントがあろうとは、今日は思いがけない発見に、嬉しいお出掛けになった。鉄道ファンはこの場所を知っているのかな? 
[ 2009/09/25 15:39 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

名古屋市南区笠寺観音 春の亀池

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  笠寺での個展の折、「亀池から見た桜の絵はないのですか」と、会場に来ていた婦人から尋ねられた。「残念ながらありません」と答えると、「私も何度か笠寺観音の桜に挑戦して、描いているのですか、なかなか思うように描けなく悩んでいるのです。亀池から見た桜は、本当に素晴らしいから、貴方なら、どんな絵になるのか、見たかったのです。次回にはぜひ見せてくださいね」と、励ましの言葉が返ってきた。
  知人からは、「この亀池の石橋は、私の家が寄贈したものなのよ。貴方の夏の亀池の絵も素晴らしいけど、春の亀池と石橋をぜひ描いてね」と言われた。
  実のところ、スケッチブックには、笠寺観音の桜を見に出掛けた時の絵が、未完成のまま残されていた。前々から、「完成させなくては」と思っていたのだが、秋風が吹き始めた頃になって、ようやく色を着け始めた。
  華やかな桜の白さを表現することが難しかったが、少しピンク色を加えたら桜らしい絵になった。知人は喜んでくれるかな?
  しかし、春の絵を今ごろ描いていてはいけないと、深く反省している旅人である。
[ 2009/09/20 11:10 ] 笠寺観音かいわい | TB(0) | CM(0)

名古屋市南区呼続 旧東海道 鈴木酒店

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  笠寺から熱田に向けてしばらく行くと呼続町に入る。ここは、旅人が生まれ育った町である。今はとても細く感じる旧道だが、子どもの頃には市バスが走っていた。そのバスに乗って鶴舞まで行った記憶が残っている。
  呼続の町もこれから描いて行く予定だ。描きたい風景が頭に浮かぶ。「戸部神社・呼続公園・清水稲荷・呼続小学校・新郊中学校…」どこも旅人が子どもの時に遊んだ所である。故郷の絵を描き始めて、思い出すのは、不思議と、子どもの頃の記憶ばかりである。それが歳をとったという証拠なのかも知れない。
  そして、最初に描いたのが、旧道筋にある「鈴木酒店」である。この酒屋さんには、親父の代からお世話になった。 
  子どもの頃、空になった親父の酒瓶を抱えて、この店の暖簾をくぐり、酒の計り売りをしてもらったことが、よくあった。当時は、計り売りという売り方が、普通に行われていたようだ。帰りに、「お手伝いご苦労さん」と駄賃をもらった記憶もある。
  量販店に負けないで、今も元気に商売をしていることが、店構えから伝わってくる。若旦那さんも元気なようだ。
[ 2009/09/19 14:58 ] 笠寺観音かいわい | TB(0) | CM(0)

名古屋市南区  笠寺観音商店街 魚兼

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  名鉄本笠寺駅前に立派な看板が掛かる日本料理店「魚兼」がある。旅人は、子どもの頃から「魚兼」という名前を聞いていた。家でお祝い事がある時には、決まって「魚兼」から料理を運んでもらっていたからだ。豪華な料理が食卓に並び、ワクワクしながら食事をした懐かしい思い出が残っている。
  旅人の絵画展の反省会を、「魚兼」で行うことになった。店に入るのはこの時が初めてである。「宴会場はこちらです」と二階に案内された。広い廊下の壁面には、大きな絵が何枚も掛かっていた。
この夜は、芝保育園や笠東学童保育所で、子育てを一緒に取り組んだ懐かしい人たちが「魚兼」に終結し、素晴らしい反省会になった。
  帰り際に、女将さんから「魚兼も描いてね」と言われた。そういえば、まだ魚兼は描いていなかった。それで描いたのがこの絵である。女将さんは、気に入ってくれるかな?
[ 2009/09/10 14:08 ] 笠寺観音かいわい | TB(0) | CM(0)

名古屋市南区笠寺 旧東海道 みのや

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  笠寺観音付近には、旧東海道の風景が今も少し残っている。そうした風景を大切にしようと、笠寺西門交差点には、道標やモニュメントにも工夫を凝らしたものがいろいろ置かれている。旧ユニー笠寺店前にある「戸部のカエル」のモニュメントは愛嬌があり、おもしろい。
  笠寺観音から少し南へ下った所に、笠寺一里塚があるが、すぐ横に、旧街道の雰囲気を感じさせる「みのや」という日用品を売る店がある。
  旅人が、呼続から笠寺に移り住み、しばらくして子どもが小学校へ通うようになり、この「みのや」で、文房具を購入したのが始まりで、それ以後、よくお世話になった店である。お上さんは気さくな人で、旅人の無理な注文にも快く応対してくれた。たくさん商品を買えば、「おまけですよ」と割引いてもくれた。下町風情漂う店であった。
  旅人が笠寺を離れて、十五年以上の歳月が流れたが、この日も、店先には、トイレットペーパーやティシュの箱がうず高く積まれ、元気に商いをしている様子である。覗いてみようかな?

[ 2009/09/06 04:27 ] 笠寺観音かいわい | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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