昔懐かしい風景に逢いたくて金沢へ出掛けた。金沢は、旅人が名古屋の大学を卒業し、社会人として最初に務めた土地である。所帯を持ったのもこの金沢である。ここで五年間勤務し、その後、名古屋へ転勤した。
あれから四十年。金沢の風景は一変していた。新しい道が次々と出来、新婚当時住んでいたアパートがどこにあるのか、今は全く見当がつかない。「加賀百万石の城下町」と、全国へ発信し続けている金沢であるが、近年、これほど大きく風景を変えた町はそれほど多くないように思う。最近、都市環状道路ができ、さらに風景を変えようとしている。今日は、旧い町並みが残る東山の茶屋街と昔よく買い物をした近江町市場を見て回ることにした。

東山の茶屋街
浅野川大橋の近くにある市営駐車場に車を止める。小さな駐車場だが、幸い平日なので空きがあった。その駐車場のすぐ裏手の通りが東山の茶屋街である。平日の水曜日というのに、たくさんの観光客が歩いていた。皆、団体さんのようである。そうこうしていると、通りの向こうから、小旗を手にしたバスガイドさんが、団体さんを引き連れて歩いて来た。「ここから自由散策になりますが、集合時刻に遅れないようにご注意願います」と大声で叫んでいる。ここは、お茶屋さんが並ぶ通りが、一本あっただけだのように記憶している。「そんなに観光する所があったかな?」と、不思議に思う旅人だった。

東山の茶屋街
歩き始めてびっくり。茶屋街の風景は、一変していた。細い路地裏も整備され、格子戸のある家がずらり並んでいる。金箔細工、加賀友禅、土産物、喫茶店など昔には見られなかった店が続いている。建物の内部が見学できる「志摩」、「懐華楼」のお茶屋や、最近開館したという「お茶屋文化館」もある。「集合時刻に遅れないようにお願いします」という意味がようやく理解できた旅人だった。
細い路地裏に小さな米屋さんがあった。町の米屋さんという感じだが、木造建築の店は、黒い板壁で被われている。昔は何処にでもある普通の商店だったのだろうが、旧い町並みに相応しい造りに最近建替えた感じがする。板塀が黒光りしていた。店先には、白米、胚芽米、雑穀等と記した白い暖簾が掛かっている。覗いてみたくなる米屋さんだった。
この辺りは、2000年ごろまでは、町並みの風景にそれほど変化はなかったそうだが、江戸時代の雰囲気を残す重要伝統的建造物保存地区に指定されてから、風景が急速に変わり始めたそうだ。金沢の重要な観光スポットの一つとして、さらに風景を変えていくことだろう。

大正ロマンただよう浅野川大橋
茶屋街から浅野川沿いを歩き、浅野川大橋を渡る。大正時代に作られた橋だというが、欄干や壁面、照明等が、最近改修されたようで、ぴかぴか光っていた。この橋の袂にある「橋場町」のバス停から、若かりし頃、毎日のように国鉄バスに乗り、山深い勤務地まで通っていた。そのバス停横を通ったが、その時の風景とは、やはり一変していた。あの時の思い出は、遠い昔のことになってしまったようだ。
橋場町から、尾張町を通り、近江町市場へ向かう。尾張町という名前に懐かしさを覚える。この町名は、前田年家が金沢に城を構える時に、尾張荒子から町人を呼び寄せ、ここに住まわせた所から名前が付いたものだ。名古屋と金沢とは関係が深いのだ。
近江町市場の建物が見えて来た。金沢を紹介する番組には必ずと言っていいほどに登場する市場である。しかし、何だか閑散としている雰囲気である。市場の駐車場はがら空きである。「どうしてなの?」と、思いながら、進んで行ってようやく謎が解けた。今日は魚屋さんがお休みなのだ。水曜日は、富山の魚市場は休日だが、金沢も同じなのだ。
近江町市場を代表する風景は、何と言っても、ずらりと並んだ魚屋さんである。今ならズワイガニやブリが店頭に並び、「さあ、安いよ、安いよ。生きがいいカニはどうですか」と威勢のいい替え声が飛び交い、溢れんばかりのお客さんで賑わっているはずだ。その風景が今日は見られないと思うと残念で仕方がない。しかし、ここまで来たのだから、覗くだけでもという気持ちで市場の中へ入って行った。

近江町市場
やはり、市場にあるほとんどの魚屋は店を閉じていたが、八百屋や乾物屋、土産物店などはいつも通りの営業のようだ。観光客らしい一団が近江町市場の中を歩いている。「よりにもよって、休業日の近江町市場に来るなんてついてない!」と、きっと旅人と同じような気持ちで歩いているのだろう。
それでも、店を開けている魚屋があった。仕入れの仕方が違うのだろう。店頭に並んでいるのは、ズワイガニだった。一匹一万円以上の値がついていた。近江町市場というブランド名が高値をつけているのだろうか。
近江町市場の見学を終え、岐路に着く。市場の前に鄙びた建物の味噌屋がある。店先には、「味噌、醤油、麹」の文字が記された暖簾が下がっている。四十年前にもここで営業していたのだろうが、旅人の記憶には全くない。その頃は、周りの風景を見る余裕など全くなく、仕事を覚えるためだけに突き進んでいたのだろう。懐かしい風景を求めてやって来たのだが、過ぎ去った年月は長過ぎたようだ。今回は、金沢の町の大きな変貌を知らされる旅だったようだ。 (完)