水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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夕暮れの神通峡

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             夕暮れの神通峡  

  神通川に沿う県道を散策した。このところの暖かさで雪が一気に解け出し、雪を気にせずに歩けるようになった。崖崩れ防止の柵の脇にフキノトウを見つけた。つぼみはまだ固い。開花までにはまだ時間がかかりそうだ。
竹林の横を通ると、たくさんの竹が倒れ、ジャングルのようになっていた。今年の雪で曲がったり、折れたりしたようだ。今年はやはり大雪だったようだ。
  道路にハザードランプが点滅する車が止まっていた。その近くに人影を見つけた。どうやら、フキノトウを探しに来た人たちのようだ。山菜取りの人で賑わう季節がやって来たようだ。さっき見つけたフキノトウもこの人たちが摘んでいくのだろう。
  川の方から人の声が聞こえて来る。崖下を覗くと、大きな白いボートが浮かんでいた。漕艇の練習をしているようだ。八人乗りだ。そのすぐ横をモーターボートが伴走していた。声はモーターボートから聞こえて来る。叱咤激励の声のようだった。しばらく見ていたら、ボートは、夕暮れ迫った赤い観光橋の向こうへ消えていった。美しい風景だった。
[ 2010/02/28 14:21 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

北陸電力庵谷発電所

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                   北陸電力庵谷発電所
 
  猪谷駅へ出掛けた帰り、片路峡へ寄り道した。片路峡は神通峡の景勝地である。雪が解け始めた道路脇にはフキノトウが顔を出していた。春が駆け足でやって来ているようだ。
  突然サイレンが鳴り出した。何だろうと思ってあたりを見渡すと、掲示板に、「この辺りでは、ダムの放水を知らせるサイレンが鳴ります。増水に気をつけてください」と表示がある。しばらくして、庵谷発電所の排水口から、水が溢れ始めた。やはり、ダムの放水を知らせるサイレンだったようだ。この庵谷発電所は、昭和五十一年に建設されたもので、すぐ隣には昭和二十九年に建設された神通川第一発電所がある。
  細入村史を読んでいたら、すごいことが書いてあった。「この場所にはそれ以前に、庵谷第一発電所と第二発電所があった。庵谷第一発電所は、神通川に初めて作られた発電所で、明治四十四年のことだった。導水口は、猪谷の上流のワラシグラと蟹寺の国境橋のたもとに設け、そこから、トンネルと地表の水路でつなぎ、ここまで引いてきた。庵谷峠を貫くトンネルは難工事の連続だったが内部をコンクリートで固めた。大正四年には、すぐ隣に庵谷第二発電所が作られた。こちらは片掛に導水口を設けたが、導水トンネルはやはり難工事の連続だった。現在の庵谷発電所は、旧庵谷第二発電所の童水路を利用したので、比較的小さい経費で建設することができた…」片路峡と呼ばれるこの場所には、いろいろな歴史が埋まっているようだ。
[ 2010/02/28 12:50 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

神通峡に出現した二つのアーチ橋

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                 神通峡に出現したアーチ橋
 
  細入地域の基幹道路である国道41号線にバイパスを付ける工事が行われている。工事が始まってから、かれこれ4年ほどになる。新しい道路や橋やトンネルが出現し、細入地域の風景が大きく変わりつつある。特に、神通川に二本の巨大な橋は、神通峡の風景を一変しつつある。
  この二本の橋は、共に、アーチ式と呼ばれるものだが、工法が全く違う。片方は、鉄骨を組み合わせる工法、もう一方は鉄筋コンクリートで作る工法である。鉄骨の橋は、取り掛かって一年程で完成してしまった。「あれよ、あれよ」という間に真っ赤な橋が出来上がってしまった。
  ところが、鉄筋コンクリートで作る橋の方は、コンクリートが固まるのに時間が掛かるのだろうか、一部には内閣が変わり、予算が削減されたという話もあり、未だに建設が続いている。スケッチしたのがこちらの橋である。工法が違うのは、請け負った会社が異なるからだという話だが、時間差の大きさには驚くばかりだ。ウサギとカメの話があるが、どちらの橋が強靭なのだろうか。今年の秋には、真っ赤な鉄骨の橋と白いコンクリートの橋が並ぶ風景が見られそうだ。
[ 2010/02/28 12:45 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

冬の猪谷駅にて

  猪谷駅舎の中にある棚に置いてあるパンフの在庫状況を見に出掛けた。旅する人に猪谷周辺を紹介しようと思い立ち、ここに置き始めてかれこれ二年になる。二週間に一度くらいは見るように務めているが、このところ忙しくてなかなか出掛けられなかった。予想通りパンフは一部も残っていなかった。冬になり、めっきり旅行客は減ったが、乗り換え時間に旅人のパンフを持っていくお客さんが結構いるようだ。ありがたい話だ。

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                      ラッセル車

  補充のパンフを置き、外へ出た。時刻は、午前八時半。特急ひだ号がやって来るころだ。ひだ号の姿が見たくて、駅の外れまで歩いて行くと、格納庫の前に、ラッセル車がとまっているのを見つけた。こんな近くでラッセル車を見るのは初めてだ。オレンジ色の車体が白い雪に映えていた。
  車体をよくよく見て、驚いた。前部は、雪を掻き分けて進む羽が付いているが、後部には、ロータリー車の羽が付いていた。以前は、ラッセル車とロータリー車は別々だったが、この列車は両方が合体している。最新式のラッセル車は、皆こんな形になったのだろうか。素晴らしいアイデアだと感心した。実際に走っている所を見たいと前々から思ってはいるが、春は近い。そのチャンスはなさそうだ。

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                      特急ひだ号

 特急ひだ号がやって来た。シルバー色の車体が光を浴びて、光っている。三両編成の真中の車両に人影が見える。ここが自由席なのだろう。列車は、スピードを落とし、ホームに停車した。何人かが乗車したようだ。三月半ばには青春18切符が始まる。猪谷駅が見たくて、はるばるやって来る旅人の顔がもうすぐ見られそうである。
[ 2010/02/22 13:40 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

飛騨市神岡町へ行って来た

もうすぐ三月だというのに、毎日のように雪が降り続いている。しかし、ベタ雪で、日が差せばあっという間に解けてしまうから、ありがたい。春は確実に近づいて来ているようだ。
 神岡町の旧神岡鉄道奥飛騨温泉口駅前に「茶樹」という名前の喫茶店がある。四年ほど前から懇意にしている喫茶店で、今は、旅人の水彩画を常設で展示してもらっている。去年、旅人の手作りカレンダーを十部ほど置いてもらったのだが、完売したという知らせが入り、集金がてら、気分転換に神岡の町までドライブすることにした。
 国道四十一号線を走るのは、苦手だ。何せ、猛スピードで走る車に追い立てられるからだ。特に平日だと、その車がダンプやトレーラということになる。幸い今日は土曜日である。大型車は少なそうだ。「車にはくれぐれも気をつけてね」という上さんの言葉に送られて出発した。
 予想通り、大型車の姿はなく、日頃、道路工事が行われている所も、解除マークがついていて、快調に走って行ける。途中、松本ナンバーのワゴン車に抜かされたくらいで、神岡の町に到着した。
 喫茶店「茶樹」は昼時を迎え、女将さんが忙しそうにランチを作っていた。カレンダーの代金を受け取り、コーヒーを注文した。「今年の冬は、雪が多いですね」と声を掛けると、「神岡も何年振りかの大雪です。毎日、除雪がたいへんです」と、返事が返ってきた。神岡は、細入より寒いから、凍てついた雪の除雪は大変だろうなあと思った。喫茶店のテレビからは、冬季オリンピックのスキー競技が流れていて、お客さんたちが食い入るように画面を見つめていた。日本はまだ金メダルを獲得していない。浅田真央は金メダルを取れるのだろうか…。

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                旧神岡鉄道「奥飛騨温泉口駅」

  帰りに、奥飛騨温泉口駅に寄った。神岡鉄道が廃線になった後も、この建物は、以前のまま残されている。主にバス停として利用されているが、春、夏、秋の行楽時期には、旧神岡鉄道の廃線になった線路を自転車で走る「レールマウンテンバイク」の取組みが行われている。この駅舎はその出発駅になっている。入口には、「レールマウンテンバイク」の垂れ幕が掛かっていた。今年は、もう少し路線を長くしようと、飛騨市に申請しているそうだ。実現すれば、話題を呼びそうだ。

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        釣瓶橋からの高原川の風景

 駅前のすぐ近くにある釣瓶橋まで歩いた。橋の上から下を覗くと、雪が積もった渓谷をコバルトブルーに染まった水が流れていた。岩肌や木々の色がくすんでいたので、川の色がいっそう美しく見えた。
 帰りの国道は、飛騨ナンバーの車にトンネルの中でパッシングライトを点滅され、ひやひやどきどきの運転になったが、無事家路についた。ああ、疲れた…。
[ 2010/02/21 16:53 ] 飛騨市 | TB(0) | CM(0)

割山森林公園「天湖森」  冬のフェスタに行って来た

  二月十一日の祝日、細入にある割山森林公園「天湖森」で冬の行事があるという。地元の人が作った紙芝居を上演するというので、出掛けることにした。以前は、冬期間は閉鎖されていた公園だが、二年前から冬も営業するようになった。除雪が大変だと思うが、とにかくがんばって開園しているのだという。しかし、冬期間の開園を地元の人が知らないくらいだから、訪れる人は少ない。宣伝が足りないようだ。
  今日は、朝から小雨が降出し、あいにくの空模様である。天湖森に着く頃には、みぞれに変わっていた。駐車場に到着したが、車が五台ほどしか止まっていない。「この空模様だから中止になったのだろうか。それとも、日にちを間違えたのかな」と思いながらも、とにかく、管理等まで行くことにした。
  傘を差して歩き出した。とても、冬のフェスタが行われる天気ではなさそうだ。案内によれば、今日は、屋外では、スノーシューを履いての冬山歩き、そり遊び、雪上バイク。屋内では、木工工作、紙芝居、豚汁などいろいろな取組みが企画されている。たくさんの人で賑わっているはずなのに、人の姿が全く見えない。管理棟に到着したが、ここにも人影はなかった。
  園内を歩いてみることにした。ログハウスの方から人の話し声が聞こえて来る。ハウスの前には青いシートが掛かっている。近づいて行くと、ベランダから女性が手招きしている。フェスタは開かれているようだ。

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              割山森林公園「天湖森」のログハウス

  ログハウスの中は、おばさんたちで一杯だった。「さあ、こちらへどうぞ」とテーブルへ案内された。おばさんたちは、待っていましたとばかり、「美味しい豚汁はどうですか。ミョウガ寿しはどうですか」と勧めて来る。あまり食欲はないが、豚汁を貰うことにした。
  周りのおばさんたちは、この地域に住んでいる人たちなのだろうが、知らない人ばかりだった。「あれ、奥さんは元気ですか」と声を掛けてきたおばさんがいる。旅人のことを知っているようだ。「奥さんと一緒に来ればよかったのに。奥さんに会いたかったなあ」と残念がられた。豚汁を食べ、体が温まった。紙芝居は、十二時頃から、別棟のログハウスで行われるというので、少し時間が早いが移動した。
  天湖森には三つのログハウスと、小規模のコテージがある。ログハウスは二階建てで、トイレ・風呂・台所があり、別荘気分が味わえる。この日、旅人は初めて入ったのだが、素晴らしいログハウスだった。八人まで宿泊でき、料金は一泊二万六千六百五十円だという。寝具を持ち込めば、十人は裕に宿泊できそうだ。この冬場でも、予約が入っているという。家族や仲間で過ごしたら楽しいだろうなあと思った。
  楽しみにしていた紙芝居が始まった。上演するのは、地域のおばあさんたちだ。観客が少ないのが残念だが、前列に陣取った小さな子どもたちが、大きく目を開いて紙芝居を見つめている。最初の演目は、「さるとかめ」というお話だった。岩稲集落に住むおじいさんが、子どもの頃に母親から聞いた話を紙芝居にしたのだという。どこか「さるかに合戦」に似たところがあった。教訓になるお話だった。
  二つ目の演目は、「まぼろしの滝」だった。片掛集落に伝わるお話で、旅人が、以前から絵本にしたいと思っている作品である。紙芝居は、細入村史に載っている原文を、子どもたちに分かるようにかなり脚色してあるように思った。絵もしっかり描けていたが、小さい子どもたちにはお話の内容が少し難しかったようだ。このお話は、中学年以上の子どもなら、理解できるのではないだろうか。
  紙芝居が終わってから、懇談の時間があった。おばあさんたちは、今も小学校や保育所で、紙芝居を見せているということだった。しかし、紙芝居は、もう二十年近く前に作ったもので、その頃は皆エネルギーがあったが、今は高齢化し、どう若い人に引き継いでもらうかが課題になっているという。団塊の世代がこの紙芝居を引き継ぐ時代になっているのだが、前途は多難のようだ。
  フェスタの帰り、駐車場で、雨合羽に身を包んだ十人ほどの集団に出会った。山歩きを終えて帰って来た人たちだった。雨の中の山歩きだったが、笑顔がこぼれていた。満足のゆく山歩きだったようだ。
  天気がよければ、もっとたくさんの人で賑わったのだろう。来年の冬は、盛大なフェスタになることを願いながら天湖森を後にした。

「宮川温泉 オンリー湯」へ行って来た

  立春を過ぎたというのに、まだ春は遠い。連日のように雪が降り続いている。今朝も二十センチほどの積雪があり、行政のブルドーザーが除雪をしていった。旅人も、日課になっている通学路の除雪を終えた。
  朝食を済ませ、今日の予定について上さんと話す。年末から取り組んでいる絵本作りが忙しく、二人とも、買い物に出かける以外は、家にいる日が続いている。「久しぶり近くの温泉にでも行こうか。無料券があるから、宮川のオンリー湯にしよう」と提案する。おばあさんも一緒に、家族三人で出かけることになった。
  午前十一時、出発。除雪が行き届き国道に雪はない。庵谷トンネルを抜けると、道の両側に雪の壁が続いていた。やはり、片掛や猪谷は雪が多い。
  猪谷から国道三六〇号線に入る。「ここで、去年雪が崩れて来たのよ」と上さん不安そうに言う。国道脇の斜面を見上げると、雪の塊がぶら下がっている。いつ崩れ落ちてきても不思議ではない。雪崩に遭わないことを願いながら、車を走らせた。
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                    飛騨マンガ王国

  家を出て十五分、オンリー湯に到着した。ここは、白木ヶ峰スキー場として発足した施設だ。子どもがまだ小学生の頃、スキーを滑りに何度も訪れた。冬場だけスキー場として営業していたのだが、やがて温泉施設が作られ、マンガの資料館も併設され、年中利用できるようになった。
  今日は平日だが、けっこう車が止まっている。建物の横で、大きな重機が動き、工事が行われていた。施設を改良するようだ。車は、その人たちの物なのだろう。
  立派な温泉施設だが、訪れるお客さんはそれほど多くないようで、つい先日行われた「そばまつり」も閑古鳥が鳴いていたという話を聞いた。この不況の中、どこの温泉施設もお客さんに来てもらうため、苦労しているようだ。
  入館し、風呂へ直行した。天然温泉の浴槽に浸かる。湯の温度は四十度くらいだろうか。少し温めていると説明がある。お湯は少し茶色く、ぬるぬる感があるから、温泉に入っているという感じがする。しばらくしたら、サウナ室の扉が開き、親父さんが出てきた。貸切だったと思っていたのだが、そうではなかったようだ。
  頭も洗い、さっぱりした気分で風呂を出た。しばらくしたら、上さんとおばあさんも出て来た。「いいお湯だったわ。ぬるいからと、長湯をしたら、のぼせてしまったわという先客がいたわ。温泉は後からポカポカしてくるから、長湯は禁物ね。」と、おばあさんが笑っていた。
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                   宮川温泉 オンリー湯

  昼食はここの食堂で食べた。上さんたちは天ぷらそばを、旅人は日替わりランチを注文した。日替わりランチは、六百円である。これだけお客が少ないのに日替わりランチがあるのが不思議だが、この辺りで食事ができる施設はここだけである。風呂には入らず、昼食だけを食べに来るお客さんが多いのだろう。この日も、食堂は結構混んでいた。
  ランチが届いた。お盆には大きな土鍋が載っている。着火剤に火が付けられ、本格的なコース料理のように見える。飛騨牛でも入っているのか期待したが、中味はおでんだった。大根、竹輪、油揚げなどの定番の材料がつゆの中で煮立っていた。素朴なおでんだったが、薄味で美味しかった。一緒に出て来たキャラブキも美味しかった。上さんたちが注文した天ぷらそばには、大きなエビが載っていた。ここは、格安で美味しい田舎料理を食べさせる食堂として、評判になっていることだろう。
  食事を終え、外へ出た。目の前には、広いスキー場が広がっていた。白いゲレンデを見ていたら、昔、子どもたちとスキーを滑りに来た時の風景がよみがえって来た。甥っ子がリフトから落ちたこと、子どもたちにいいところを見せようとして、ゲレンデの段差で転んで、したたか体を打ちつけたこと、上さんの知人が食堂で働いていて、いっぱいお土産を貰った事…。このスキー場には、いっぱい思い出が残っている。
  まだしっかり雪はある。週末には、スキー客たちが、たくさんの思い出をここへ残していくことだろう。 ひょっとしたら、いつの日か、大きくなった孫たちが、このスキー場で滑る日が来るかも知れない。そんな楽しい日が来ることを期待しながら、オンリー湯を後にした。
[ 2010/02/15 10:37 ] 飛騨市 | TB(0) | CM(0)

金沢の風景

  昔懐かしい風景に逢いたくて金沢へ出掛けた。金沢は、旅人が名古屋の大学を卒業し、社会人として最初に務めた土地である。所帯を持ったのもこの金沢である。ここで五年間勤務し、その後、名古屋へ転勤した。
  あれから四十年。金沢の風景は一変していた。新しい道が次々と出来、新婚当時住んでいたアパートがどこにあるのか、今は全く見当がつかない。「加賀百万石の城下町」と、全国へ発信し続けている金沢であるが、近年、これほど大きく風景を変えた町はそれほど多くないように思う。最近、都市環状道路ができ、さらに風景を変えようとしている。今日は、旧い町並みが残る東山の茶屋街と昔よく買い物をした近江町市場を見て回ることにした。

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                     東山の茶屋街

  浅野川大橋の近くにある市営駐車場に車を止める。小さな駐車場だが、幸い平日なので空きがあった。その駐車場のすぐ裏手の通りが東山の茶屋街である。平日の水曜日というのに、たくさんの観光客が歩いていた。皆、団体さんのようである。そうこうしていると、通りの向こうから、小旗を手にしたバスガイドさんが、団体さんを引き連れて歩いて来た。「ここから自由散策になりますが、集合時刻に遅れないようにご注意願います」と大声で叫んでいる。ここは、お茶屋さんが並ぶ通りが、一本あっただけだのように記憶している。「そんなに観光する所があったかな?」と、不思議に思う旅人だった。

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              東山の茶屋街

  歩き始めてびっくり。茶屋街の風景は、一変していた。細い路地裏も整備され、格子戸のある家がずらり並んでいる。金箔細工、加賀友禅、土産物、喫茶店など昔には見られなかった店が続いている。建物の内部が見学できる「志摩」、「懐華楼」のお茶屋や、最近開館したという「お茶屋文化館」もある。「集合時刻に遅れないようにお願いします」という意味がようやく理解できた旅人だった。  
  細い路地裏に小さな米屋さんがあった。町の米屋さんという感じだが、木造建築の店は、黒い板壁で被われている。昔は何処にでもある普通の商店だったのだろうが、旧い町並みに相応しい造りに最近建替えた感じがする。板塀が黒光りしていた。店先には、白米、胚芽米、雑穀等と記した白い暖簾が掛かっている。覗いてみたくなる米屋さんだった。
  この辺りは、2000年ごろまでは、町並みの風景にそれほど変化はなかったそうだが、江戸時代の雰囲気を残す重要伝統的建造物保存地区に指定されてから、風景が急速に変わり始めたそうだ。金沢の重要な観光スポットの一つとして、さらに風景を変えていくことだろう。

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                   大正ロマンただよう浅野川大橋

  茶屋街から浅野川沿いを歩き、浅野川大橋を渡る。大正時代に作られた橋だというが、欄干や壁面、照明等が、最近改修されたようで、ぴかぴか光っていた。この橋の袂にある「橋場町」のバス停から、若かりし頃、毎日のように国鉄バスに乗り、山深い勤務地まで通っていた。そのバス停横を通ったが、その時の風景とは、やはり一変していた。あの時の思い出は、遠い昔のことになってしまったようだ。
  橋場町から、尾張町を通り、近江町市場へ向かう。尾張町という名前に懐かしさを覚える。この町名は、前田年家が金沢に城を構える時に、尾張荒子から町人を呼び寄せ、ここに住まわせた所から名前が付いたものだ。名古屋と金沢とは関係が深いのだ。
  近江町市場の建物が見えて来た。金沢を紹介する番組には必ずと言っていいほどに登場する市場である。しかし、何だか閑散としている雰囲気である。市場の駐車場はがら空きである。「どうしてなの?」と、思いながら、進んで行ってようやく謎が解けた。今日は魚屋さんがお休みなのだ。水曜日は、富山の魚市場は休日だが、金沢も同じなのだ。
近江町市場を代表する風景は、何と言っても、ずらりと並んだ魚屋さんである。今ならズワイガニやブリが店頭に並び、「さあ、安いよ、安いよ。生きがいいカニはどうですか」と威勢のいい替え声が飛び交い、溢れんばかりのお客さんで賑わっているはずだ。その風景が今日は見られないと思うと残念で仕方がない。しかし、ここまで来たのだから、覗くだけでもという気持ちで市場の中へ入って行った。

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                       近江町市場
 
  やはり、市場にあるほとんどの魚屋は店を閉じていたが、八百屋や乾物屋、土産物店などはいつも通りの営業のようだ。観光客らしい一団が近江町市場の中を歩いている。「よりにもよって、休業日の近江町市場に来るなんてついてない!」と、きっと旅人と同じような気持ちで歩いているのだろう。
  それでも、店を開けている魚屋があった。仕入れの仕方が違うのだろう。店頭に並んでいるのは、ズワイガニだった。一匹一万円以上の値がついていた。近江町市場というブランド名が高値をつけているのだろうか。
  近江町市場の見学を終え、岐路に着く。市場の前に鄙びた建物の味噌屋がある。店先には、「味噌、醤油、麹」の文字が記された暖簾が下がっている。四十年前にもここで営業していたのだろうが、旅人の記憶には全くない。その頃は、周りの風景を見る余裕など全くなく、仕事を覚えるためだけに突き進んでいたのだろう。懐かしい風景を求めてやって来たのだが、過ぎ去った年月は長過ぎたようだ。今回は、金沢の町の大きな変貌を知らされる旅だったようだ。   (完)
[ 2010/02/07 18:45 ] 石川県 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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