一 はじめに
節分が近づいた。「今年も節分を見に行きます」と、名古屋の知人には電話で話していたが、なかなか踏ん切りがつかない。何せこの大雪である。凍てついた国道を、軽自動車を走らせていくことは、今の旅人には無謀な冒険である。今年は止めようかなと思っていた所に、突拍子もない話が持ち上がった。
旅人は去年の秋から、絵本作りに熱中しているのだが、そんなある日のこと、「笠寺観音に関わる絵本を作ってみてはどうだろうか」ということを思いついたのである。旅人が作った笠寺観音の絵本を地域の人たちに読んでもらえば、素晴らしいことである。町おこしにも役立ちそうな話だ。さっそく、名古屋の知人に電話すると、「それはおもしろいですね。ぜひ作ってください。古本通りの取組みに加えて、町おこしに利用させてもらいます」と快諾を得たのである。
思いついたら、待てない旅人は、「笠寺観音の絵本」をインターネットで検索し始めた。しかし、笠寺観音に関わる昔話は、出て来るのだが、どれも大人向けの文章ばかりで、子ども向けに書かれた昔話は全く見つからない。旅人が子ども用に書き直せばよいのだか、その能力はない。困り果てて、再び知人に「子ども向けに書かれたお話を見つけてくれないだろうか」と電話した。
何日か過ぎた頃、知人から電話があった。「笠寺の物知りの人たちにも聞いたのだけど、誰も知らないのよ。鶴舞中央図書館に郷土資料室があるから、そこで聞くと何か分かるかも知れないよ」という話だ。
さっそく鶴舞中央図書館へ電話すると、親切な対応があり、「調べてみます」という返事が返ってきた。そして、次の日、鶴舞中央図書館から電話が掛かって来たのだ。「子ども向けに書かれた笠寺観音のお話が、二つ見つかりました。一つは 『あいちのむかしばなし第四巻』にある、『かさかけかんのん』という話です。もう一つは、『名古屋の伝説 第八話』にある『笠かけ観音』です」と司書さんは丁寧に教えてくれた。
実物をこの目で見たい!笠寺観音の節分見学も兼ねた名古屋への一泊二日の旅はこうして始まった。
二 楡原~名古屋
二月一日(月)
相変わらず、国道四十一号は凍てついていた。「車で行くのは止めたら。鉄道で行ったらどうなの」と上さんも心配している。しかし、貧乏性が板に着いている旅人は、なかなか決心できない。何せ鉄道だと運賃だけで一万円は裕に超えてしまうのだ。車以外で、安く行く方法はないか、思案し始めた旅人だった。
そして、見つけたのである。富山から名古屋へ走る高速バスで、何と、片道料金は四五〇〇円、往復買えば七千二百円と格安。しかも、四時間足らずで名古屋に着いてしまうのだ。このバスは、東海北陸道が開通してから、新設されたものだった。
さっそく、バスセンターに、「明日、乗車したいのですが」と電話すると、「空席あります」という返事だ。JR高山本線との接続から、午前八時十五分富山駅前発「名古屋行」高速バスに乗車することに決めた。いよいよ、名古屋へ出発だ。
二月二日(火)
雪は止んでいるが、深夜に少し積雪があった。凍てついた国道を楡原駅に歩いて向かう。歩道が雪で埋まり、車道を歩かざるを得ない。大型のトレーラーが時々通過する。引っ掛けられたらそれで終りである。国道を歩くのも命懸けである。

JR高山本線 楡原駅
午前七時、楡原駅に到着。七時七分発の列車に乗る予定だ。ホームには誰もいないと思っていたら、結構人影が見え る。高校生のようだ。その後も続々と高校生たちがやって来た。こんなにたくさんの高校生が、この列車を利用していたのだ。楡原も捨てたもんじゃないと思った。
列車が入って来た。四両編成である。高山線を四両編成の列車が走っているのだ。朝から、驚くことばかりだ。この列車はワンマンカーではなく、車掌さんが乗っていた。さっそく車掌さんから富山までの乗車券を購入した。五百七十円だった。安くはないと思った。
隣りの笹津駅でも、たくさんの人が乗車してきた。越中八尾駅を過ぎる頃には、列車は、満員になっていた。千里駅や速星駅では、扉が閉まらず、「中へお詰め下さい」という車掌のアナウンスも流れた。大都会並みのラッシュが高山線にもあったのだ。
乗降りに相当の時間を要しながら、列車はゆっくり走っている。こんなにゆっくり走っていては、八時十五分発の高速バスに乗れなくなると旅人はハラハラしていたのだが、ほぼ定刻通り列車は富山駅に到着した。この列車のダイヤは、乗降りに要する時間も含めて組まれているようだった。
改札を早足で抜け、地鉄バス乗車券売り場へ急ぐ。高速バスが発車するまで、あと十五分だ。富山地鉄ビルの一階にある乗車券売り場で、昨日予約したバス乗車券を無事購入した。発車まであと十分である。

富山駅前
富山駅前広場にあるバス停に高速バスの姿はまだ見えない。定刻ギリギリにしかバスはやって来ないようだ。バスを待つ人の姿もない。乗車するのは、旅人だけのようだ。
八時十分、名古屋行バスが姿を現した。いかにも高速道路を走りそうな、高級感を感じさせるバスである。客は旅人だけかと思っていたら、十人ほどが乗車した。平日でも、このバスを利用する人がいるのだ。
定刻より少し遅れてバスは、富山駅前を出発した。途中、富山市役所前、総曲輪、市民病院前、アピタ前にも停車したが、乗車した人はいなかった。このバスは、いつも、今日のようにがら空き状態で走っているのだろうか…。名古屋到着予定時刻は、十二時二分である。
北陸道に入ると、運転手さんから「この先、小矢部から東海北陸道に入ります。途中、ひるがの高原サービスエリアで休憩します。トイレは、このバスの後方あります」などの説明があった。ずっと昔のことになるが、名古屋から金沢までの高速バスを利用したことがあるが、その時は、運転手さんが二人いて、しかも、映画の上映やらコーヒーサービス等があった。昔は人もバスものんびりしていたのだと思った。
小矢部市から東海北陸道へ入った。平野の風景がなくなり、山並みが続くようになった。次第に雪も深くなり、路面に白いわだちが見える。これから険しい五箇山の山並みが続く道になるのだろう。
車窓は、トンネルが続く風景に変わった。東海北陸道は、険しい山の中に作られた高速道路である。昔なら山裾を縫いながら道を作っていたのだが、現在は全く違っている。山があれば、穴を空けてトンネルを作り、山と山は橋で結び、ひたすら突き進んで行く工法だ。飛騨市河合町の小鳥川でアマゴ釣りをしたことがあるが、すごく高い所に東海北陸道の陸橋が架かっているのを見つけた。巨大な橋をよくもまあ作ったものだと感心したが、バスはちょうどその辺りを走っているようだ。
長い長いトンネルに入った。河合町と白川郷を結ぶ飛騨トンネルである。全長一万七百十メートル、道路トンネルとしては関越トンネルに次ぐ国内二番目の長さだという。沸水が予想以上にあり、難工事の連続で、開通が四年近く遅れたという。東海北陸道の特徴だが、対面通行である。トンネルの中を中央線だけを頼りに走るのは危険を感じる。事故が発生するのも仕方のない話である。そんな中で、火災事故が起きたらどうなるのだろうか。避難場所はあるのだろうか。そんな心配をしながらトンネルの前方を見つめていた。
十時過ぎ、ひるがの高原サービスエリアに到着した。駐車場は深い雪に埋まり、雪が舞っている。十五分間休息するという。旅人は、バスから降り、凍てついた道を歩き、トイレを済ませ、温かいコーヒーを手に帰って来た。「お疲れさまでした」と運転手さんから声を掛けられた。やさしそうな運転手さんだ。彼は、休憩の間もバスを離れなかったようだ。二時間続けで走って来て、十五分間の休憩で、これから名古屋まで走って行くのだから、プロの運転手さんはすごいと思った。
ひるがの高原を出発した。白鳥を過ぎ、郡上八幡辺りで、雪はみるみる少なくなり、美並町で雪はなくなった。道路も対面通行がなくなり、バスは快調に走っている。無駄な高速道路は今後作らないという話だが、高速道路の対面通行は危険そのものである。車線を増やすことは、無駄な高速道路になるのだろうか。高速道路の無料化よりも、安全な道路を作ることの方が大切ではないのか???そんなことを考えながら、車窓の風景を眺めていた。
バスは高いビルとビルの間に作られた都市高速道路を走っている。もうすぐ名古屋に到着する。名古屋はいい天気だ。日本海側とは、全く天候が違うのだ。雪のない冬がどんなに便利だったか、青空を見ながら、旅人は、名古屋に住んでいた頃のことを思い出していた。
バスが、停車し、ドアが開いた。「ミッドランドスクエア前です」とアナウンスがある。乗客たちが、荷物を持って下り始めた。名古屋駅前のようだが、数年前と辺りの風景が大きく変わり、バス停の前にはタワーのような新しいビルが聳えていた。「えっ、ここはどこ?どこ?」と、迷っている間に、ドアが閉まり、バスが動き出した。若い頃なら、きっと他の乗客と一緒に下りただろうに、旅人もだいぶもうろくしたようだ。
それから五分後、バスは、終点の名鉄バスセンターに到着した。やっと見慣れた風景に出会えて、胸をなでおろした旅人だった。それにしても、名古屋駅前の風景が大きく様変わりして驚くばかりだった。
これからの予定だが、まずは、鶴舞中央図書館に行く。それから、これは最初の計画にはなかったが、栄の愛知県美術館で開かれている日展に行って、知人の絵を鑑賞する。そして、笠寺観音の節分前夜祭を見に行く。夜まで、あわただしくなりそうだが、こんなことができるのも、高速バスのお陰である。
名古屋駅から中央線に乗って鶴舞駅へ。鶴舞駅は、快速列車は通過するものとばかり思っていたが、停車するのだ。記憶がだいぶ薄れている。昼食を図書館の食堂と決めていたが、気が変わり、駅前の中華料理店に入る。店員さんが、中国語なまりの日本語を遣って、注文を聞きに来た。ランチを頼むと、ボリュームのあるマーボー豆腐が出て来た。本場の中華料理を食べている感じがして美味しかった。

鶴舞中央図書館
午後一時半、鶴舞中央図書館に到着。入口には自転車がずらりと並んでいる。入試時期を迎えた学生たちで混んでいるのだろう。旅人も若かりし頃、この図書館で勉強したことを思い出した。
一階にある児童図書関係のカウンターへ行く。「あいち むかしばなし第四巻を探しているのですが…」と受付の女性に尋ねた。女性は、コンピューターで検索し、「その本なら、児童閲覧室の入口の本棚にあります」と教えてくれた。
目指す本は、教えられた本棚で見つかった。さっそく手にし、目的のページを開くと、「かさかけかんのん」という表題で、笠寺観音が出来た頃のお話が、子どもにもよく分かる文章で書かれていた。このお話なら絵本になりそうだと思った。書き写すのも一つの方法だが、コピーすれば簡単である。コピー機は二階の一角に設置してあった。コピーの許可をもらい、三ページ分をコピーした。料金は一枚十円だった。
続いて、二階の一般図書関係のカウンターで、「名古屋の伝説」の本を申請した。少し時間がかかったが、係りの人が、図書館の倉庫から持って来てくれた。この本も同様に、許可をもらい、コピーした。こちらの「笠かけ観音」は、漢字が多く、内容的にも難しいと思った。最初の話で、絵本作りを始めることになりそうだが、その前に、著作者に許可をもらうという手続きが残っている。その取組みは、富山へ帰ってからのことである。これで、名古屋に来た目的の一つを達成した。
午後二時半、鶴舞のバス停から「栄行き」市バスに乗車した。これから日展を見に行くのである。名古屋に勤めていた頃は、毎年研修として日展鑑賞が義務付けられていた。有名な作家の絵や彫刻や書道などを鑑賞して教養を高めなさいというのが、目的なのだが、当時は美術に全くといっていいほど関心がなくて、会場に来てもあっという間に鑑賞を終っていた。
ところが、ある年のこと、職場の同僚の絵が、日展に入選し、さらに大賞を受賞したのだ。自分の母を描いた絵だった。それ以来、彼は母の絵を描き続け、日展に入選し続けている。旅人の日展鑑賞の態度もそれを契機に変わり、彼の絵だけは、しっかり鑑賞するようになった。今年も彼の絵が入選したということを知り、時間に余裕が出来た旅人は、やって来たというわけである。

名古屋市栄 テレビ塔
日展会場の愛知県美術館は、平日というのに混雑している。研修で来ている団体さんが多いのかも知れない。今年の彼の絵はどうだろう。期待しながら母の絵を求めて混雑する会場を足早に進んで行った。洋画部門になったが、なかなか彼の絵は見つからない。

伊藤寿雄氏 母の像
そして、洋画の最後の部屋で、「伊藤寿雄 母の像」と表示がある彼の絵を見つけた。写真のように細部まで正確に描く技法は今まで通りだが、今年の絵は、色遣いが全く異なっていた。セピア色一色だったのだ。こういう彼の母の絵を見たのは初めてだ。どうしてセピア色にしたのだろう。セピア色の写真を見つければ、大方は、懐かしさを覚える。最近上映された「夕日ケ丘三丁目三番地」という映画も、セピア色だったように思う。昔懐かしいということから連想すると、お母さんに何かあったのかも知れないと思った。彼の絵を見に来た人が、「あれ!」と声を発した。その女性も、セピア色の彼の絵に驚いた様子で、しばらくの間呆然としていた。
会場では、展示された作品の絵はがきを販売している。去年は売り切れて買えなかったが、今年は彼の絵はがきを買うことが出来た。彼は注目を集めている画家の一人なのだ。それにしても、なぜセピア色なのだろう?彼の絵はがきを見つめながら会場を後にした。

名古屋市の基幹バス
栄バスターミナルから基幹バスで笠寺まで行くことにした。バス停には、長い行列ができていた。並んでいるのは、同年輩かそれ以上の人たちばかりだ。星崎車庫行のバスがやって来た。料金二百円を払い、乗車する。名古屋の市バスは先に料金を支払うことになっている。下車する時に支払う都市が多いのだが、なぜか名古屋は逆である。これは、名古屋人の思考なのだろうか。バスは、たくさんの老人を乗せ、ほぼ満席状態で発車した。
途中のバス停での乗降りは老人が圧倒的に多かった。病院通いの人、行楽帰りの人、買い物を終えた人…、大須のバス停から乗車した老人は、何と手にカップ酒をもっていた。そして、座席に座ると、飲み出した。とんでもない人もいるのだ。高齢化社会は名古屋にも確実に押し寄せているようだ。
南区役所で下車し、笠寺観音へ向かう。笠寺観音近くの旧東海道は、通行止めになり、露天がびっしり並んでいる。節分は明日なのだが、たくさんの人で賑わっている。明日になれば、この通りは、人で溢れる。混雑を避けて前日に早々とお参りする人たちだ。

節分で賑わう笠寺観音本堂
参道にもびっしり露店が並んでいるが、店は閉じている。どうやら商いを始める時刻が決まっているようだ。本堂への上り口に、巨大な鬼の絵馬とお多福の絵馬が飾られている。厄除けの絵馬のようだ。節分には、ずっと以前からここに飾られていたのだろうが、この絵馬には全く気が付かなかった。毎年のように節分のお参りに来ていても、気が付かなかったとは…。何せ、旅人のお目当ては、お参りより、露店を覗くことだったから、仕方がない話かも知れない…。

泉増院
笠寺観音の向かいにある泉増院へ行く。これから旅人が絵本にするお話の主人公が奉られているお寺である。参道にはたくさんの提灯が吊り下げられている。暗くなると明かりが灯されるのだろう。境内は、お参りする人や厄除けのサカキを求める人など混んでいた。
受付に知人の顔を見つけた。笠寺の町興しで事務局として大活躍しているおばさんだ。彼女は、今回の昔話を探すのに骨を折ってくれた。旅人にとっては、感謝、感謝の人だ。それにしても、お寺さんでもないのに、どうして受付にいるのだろう。
「あら、節分に来てくれたのね。今日はボランティアでお手伝いしているの。これも町興しの一つよ。ところで、本は、見つかったの」と笑顔で聞かれた。「今日、鶴舞図書館で見つけたよ。絵本に描けそうだよ」と答えると、「がんばって仕上げてね。楽しみにしているから」と励まされた。サカキを手渡す彼女から、元気のパワーが発散していた。力をもらった旅人である。

笠寺観音境内の露店
再び旧道を歩く。先ほどまで待機していた露店が商いを始めた。串かつ、お好み焼き、ヤキトリ、イカ焼きなど呑兵衛には堪らない匂いが漂い始めた。時刻は五時を過ぎている。少し早いが、どこかで呑むことにした。
くぐった暖簾は西龍恵土本店である。名古屋に来た時は、入りたいと思っている店である。串かつとホルモン焼きが美味しい。満席で座るところがないかと心配していたが、奥の方に席を見つけた。今日は腹一杯食べようと思っている。牛ホルモン二人前とドテヤキ二本、それに日本酒を注文した。

西龍恵土本店のホルモン焼き
目の前で調理が始まった。熱く焼かれた鉄板の上にラード油がひかれ、ホルモンと生野菜が入れられた。やがて、濛々と湯気が立ち上り、ホルモンや野菜が炒められていく。そして、三分、美味しそうなホルモン焼きが出来上がった。日本酒も届いた。空っぽのグラスに、酒が注がれていく。酒の表面がコップから盛り上がり今にもこぼれそうになった。このつぎ方も昔とちっとも変わらなかった。そして、出来上がったホルモン焼きを恵土特性のたれに付けて食べた。懐かしい味が口の中に広がった。名古屋にいるんだと実感した。
恵土でしっかり食べ、しっかり飲み、宿へ直行した。宿泊は、新月旅館である。素泊まり、一泊五千二百円。名古屋にしては格安の旅館である。去年の夏にも利用した。宿について間もなく、旅の疲れか、飲み過ぎか、旅人は、風呂にも入らず深い眠りに落ちた。
三 名古屋~楡原
二月三日(水)
午前五時起床。天気はよさそうである。洗面を終え、近くのコンビニで朝食のサンドイッチと牛乳を購入し、部屋へ戻る。朝食を食べながら、富山への帰り方を考える。JR高山本線の特急に乗るか普通列車を乗り継ぐか迷っていた。昨日使った高速バスという方法も頭に浮かぶ。一人旅はこういうことができるから楽しくなる。

笠寺観音 仁王門
午前七時半旅館を出発。笠寺観音へお参りに行く。露店は皆、店を閉じている。今日は節分本番だが、露店開始時間がやはり決められているようだ。参道を歩いている人は疎らだ。豆まき開始までには一時間ほどあるようだ。本堂にはお経が流れ、お参りが始まっていた。 今回の旅の目的はほぼ達成したので、節分本番を見るのはまたの機会へ譲り、富山へ帰ることにした。
午前九時少し前、本笠寺駅から名鉄電車に乗車した。JR高山本線の普通列車を乗り継いで帰るつもりだったが、この時刻なら、名古屋バスセンターを一〇時一〇分に発車する「富山行」高速バスに十分に乗車できそうだ。急遽予定を変更し、高速バスで帰ることにした。気ままな旅人の旅は実にいい加減なのだ。
ところがである。旅人が、名鉄バスセンターで乗車したのは「富山行」ではなく、午前九時三十分発「高山行」だった。「えっ、どうして?」と、思われるだろうが、時刻表を見ていて、新しい路線を見つけたのだ。高速バスで高山まで行き、高山で、JR高山本線の普通列車に乗り換えるのである。列車で帰りたいと思っていたことが、これで実現することになったのだ。
しかし、高速バスには乗ったが、驚くべきことが発生した。「乗客のみなさんにお知らせします。東海北陸道が大雪のため、現在、白鳥インターと庄川インターの間が通行止めになっています。通行止めが解除されなければ、途中、一般道を走る場合があります。到着時刻がかなり遅れそうです。また、最悪の場合は、名古屋へ引き返すこともあります。ご了承願います」と運転手さんから通告されたのだ。高速バスは速くて、安い乗り物だが、こういうトラブルもあったのだ。こうして、冒険旅行のような高速バスの旅が始まった。
名古屋年高速から名神高速を通り、東海北陸道に入った。バスは順調に走っている。天気は快晴である。冬に太平洋側が快晴の時は、日本海側は、大雪になっていることが多い。今日の天気はその典型のようだ。

高山行高速バス 長良川SAにて
午前十時半、長良川サービスエリアに到着。十分間の休憩で再び出発した。この先バスはどうなるのだろうか。一般道を走るのだろうか。きっと一般道も大雪だろうし、引き返すのだろうか。不安な気持ちが過ぎるが、この先のことは、運転手さんに任せる他はない。
郡上八幡に近づき、白い雪が見え始めた。やはり、山は大雪が降っているようだ。郡上八幡インターでバスは、停車した。ここには、停留所がある。インターを出発してから、運転手さんから朗報がもたらされた。「大雪のため、通行止めになっていた東海北陸道ですが、通行止めが解除されました。このまま、高山まで高速道を走って行きます」あちこちから歓声が上がった。冒険旅行はなさそうだ。
白鳥インターを過ぎ、路面が白くなり出した。ひるがの高原を過ぎた辺りで、渋滞が始まった。除雪車がこの先にいるようだ。本来なら、このバスが順調ならば、高山には十二時五分に到着する。旅人は、高山で、十二時三十分発の猪谷行普通列車に乗車するつもりでいたのだが、それは、かなり難しくなっているようだ。乗れなければ、午後四時の列車になる。
十二時少し前、飛騨清見インターから高山清見道路に入る。道路に雪はなくバスは快調に走っている。列車発車まであと三十分。この分だと、列車に乗れそうである。バスが停車した。崇教真光総本山前バス停だった。このバスに乗っていた五人のお客さんが下車した。バスのトランクルームが開き、大きな荷物を降ろしている。あと十五分。とても無理だとあきらめた。 そしたら、五分ほどでJR高山駅に着いてしまった。何と幸運にも、旅人は目的の普通列車に乗ることができたのである。 昼食の駅弁は買い損ねたが、高速バスの旅は、本当にハラハラ、ドキドキの冒険旅行だった。

冬の宮川 高山本線を走る列車から
列車の車窓に広がる宮川の白い川原を見つめながら、一泊二日の旅を思い出していた。いろんなことがあったが、最大の目的だった昔話の資料を見つけることができたし、何と言っても、高速バスという新しい発見の旅だった。マイカーで行くケチケチ旅行もいいが、高速バスを利用したケチケチ旅行もおもしろかった。絵本を作る仕事が完成したら、今度は、高速バスでどこへ行こうかな・・・。(完)
資料 富山(楡原)~名古屋
JR高山本線 運賃(普通列車のみ) 4310 円 約5時間~6時間
JR高山本線 運賃(猪谷から特急列車) 7130 円 約4時間
富山駅~名古屋
高速バス 運賃 4500 円 約3時間40分
富山(楡原)~高山
JR高山本線 運賃(普通列車のみ) 1150 円 約1時間10分
高山~名古屋
高速バス 2900 円 約2時間35分