
史蹟 猿倉城跡
標高三四五・二メートルの猿倉山頂上に「史蹟 猿倉城跡」と刻まれた石碑がある。その昔、ここに山城があったのだという。
この場所は飛騨街道が東街道と西街道に分かれる交通の要衝であり、越中の飛騨口にあたる。城を築くには最適である。時は戦国の世、飛騨衆の越中における前線基地として、飛騨の三木良頼の部将塩屋秋貞が築いた。
神通川に面した側は切り立った崖となり、天然の砦になった。城郭や郭などがこの山頂に築かれ、兵が駐屯する建物や食料・武器などを保管する倉庫もあったそうだ。
しかし、織田勢の越中進出、佐々成政の越中分封、秀吉の越中進出があり、猿倉城も時代の嵐の中で流転し、秀吉の天下統一によって歴史的にその役割を終えたのだという。猿倉城跡から望む景色は絶景である。