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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2011年01月

富山市吉野 冬の片路峡

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 神通川に架かる吉野橋から片路峡を眺めた風景を描いた。川原には雪が降り積もっているが、水は流れていない。冬場は、神通川は渇水期にあたるのだろう。
 昨年十二月末、「飛騨街道 片掛の宿昔語り まぼろしの瀧」という本の中に書かれていた昔話を絵本にした。この本は、片掛集落に住んでいた文山秀三さんが書き残したものだ。富山市立図書館に絵本を寄贈したら、「寄贈された本を、蔵書としました」と図書館から連絡があった。
 この「まぼろしの瀧」の本の中で、文山秀三さんが、「庵谷峠が、神通川を堰き止めるような形で突き出ているのか不思議だ」と書いておられた。そのことがヒントになり、「伝説 幻の瀧」ができたという話だった。この片路峡に、その昔、三百メートルの瀧があったというのだから、ここは、実に興味深い所である。
[ 2011/01/30 19:11 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市吉野 冬の神通川第一ダム

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 相変わらず厳しい寒さが続いている。もう雪はうんざりという気分なのに、週末には、大寒波がやって来るという予報が出ている。暦はまだ1月。春は、まだまだ先のようだ。
 こういう季節にしか描けない風景を求めて出かけた。やって来たのは片路峡。今まで何度も描いてきたここの風景だが、真冬に描くのは今回が初めて。まずは、神通川第一ダムをスケッチした。
 黒いダムと白い雪。黒と白しか色がない。正に墨絵の世界だ。他に色はないのか?微かだが、薄茶色に枯れた小枝と、ダムの下にある川面に、淡いエメラルドグリーンの色を見つけた。何とか墨絵の世界から脱する絵になりそうだ。
[ 2011/01/30 19:10 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市楡原 楡原郵便局

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 国道四十一号のバイパス道路が完成し、楡原地内の旧国道を走る車がめっきり少なくなった。雪で歩道がすっかり埋まり、車道を歩かなくていけない季節になったが、安心して車道が歩けるようになった。ありがたいことである。
 その記念というわけでもないが、楡原郵便局の冬景色を描いた。どこにでもありそうな郵便局である。しかし、絵にすると風情が出てくるからおもしろい。「楡原郵便局が絵になるとは思わなかったわ。水溜りに郵便局の建物が映っているところが特にいいね。」と上さんが褒めてくれた。この絵は、来月、楡原郵便局に、飾るつもりでいる。郵便局員さんが、どんな感想を話してくれるか、楽しみにしている。
[ 2011/01/25 16:24 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市猪谷  蔵のある家

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 今年の冬は、例年になく寒さが厳しく、積雪は一メートルを超えた。まだ、屋根雪を下ろすまでには至っていないが、屋根から突き出した雪を掻き落とす作業は続けている。五年ほど前のことになるが、この作業を怠ったため、ひさしが壊れて、修理のために大変な出費をした。それ以来、用心しているが、今年は、特に、注意が必要な年になりそうだ。
 晴れ間を見つけ、水彩画を持って猪谷へ出かけた。猪谷駅前にある細入郵便局には、旅人の水彩画が飾られている。月が新しくなったので、水彩画を取り替える。手にしているのは、蔵の家の冬景色である。三年前に描いたものだが、まだ展示したことのない絵である。受付の職員に「今年もよろしくお願いします」と挨拶をして、絵を取り替えた。今年もここに展示してもらえるように、いい絵を描かなくてはと思った。
 帰りに、猪谷駅の待合室に置いている旅人のパンフレットを補充した。旅行客は少ないようで、年末に置いたパンフレットがまだ残っていた。青春十八切符を使って旅する人が少なかったようだ。

射水市新湊 海王丸

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 新湊にある富山新港に係留されている旧海王丸が、海の日の記念日にあたり、総帆展をするという。何年か前にも全ての帆を張った海王丸を見たことがあったが、また見たくなり出かけた。港に着いたのは、昼近く。白い帆を張った美しい姿の海王丸が、海に映えていた。
 どこから見ても美しい海王丸だが、絵にする最高のポイントを探して、歩き出した。大きなカメラを持った人たちも歩いている。皆、同じ考えでいるのだろう。小さな船が、海王丸に近づいて行く。船には、たくさんの人が乗っている。海上から海王丸を眺めようとやって来た船のようだった。
 海王丸の前方がよく見える位置に移動した。プランタンに植わった赤い花と海王丸の白い船体がマッチしている。空を見上げると、真っ青な空に、白い入道雲がもくもくと沸き上がっていた。ここが、絶景ポイントだと決め、スケッチした。
 それから、半年。ようやく完成させたのがこの作品である。今までに描いた海王丸の作品の中では、これが一番ではないかな? 
[ 2011/01/25 16:19 ] その他富山県内 | TB(0) | CM(0)

滑川市高月 高月漁港にて

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 スケッチブックに描きかけの絵がたくさん残っている。「描こう、描こう」と思いながらも、色を塗る段階で、筆が止まってしまったものばかりだ。特に昨年の七月からの作品が多い。どうやら、旅人は、彩色の段階で行き詰まっているようだ。しかし、今年に入り、少しずつだが、その状態を抜け出しつつあるように見える。
 昨年十月、ハゼ釣りに行った時に、スケッチした絵がある。上市川に流れ込む水路に留めてある小さな漁船と、川面の光る波の影が強く心に焼きついた風景だった。ようやく、色を着ける気持ちになり、その時の感動を思い出しながら、筆を動かし、完成したのがこの絵である。川面に光る波が、キラキラ動いているような作品になった。確実に、スランプは脱しつつあるようだ。
[ 2011/01/25 16:17 ] その他富山県内 | TB(0) | CM(0)

富山県魚津市  魚津漁港にて

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  魚津漁港へ上さんとアジ釣に行った。アジを釣るには、アミエビに似た擬似針を付け、アミエビを撒いて釣るのが一般的だが、旅人たちは、もっぱらトリック針を使って釣る。トリック針は、針が二重になっていて、アミエビを直接針に付ける。擬餌針に比べると、針に餌が付いている分、アジが良く釣れると、旅人たちは思っている。
この日も、一時間ほどで、百匹近い小アジが釣れた。「もう止めよう」と上さんに言うが、上さんは、釣りに熱中していて、止める気配はない。
  早々と竿を納めた旅人は、漁港内を散歩した。白い船体の漁船が、何隻も停泊している。太陽の光を反射して、白い船体がいっそう白く輝いていた。
  しばらく、漁港内をうろつき、上さんの所へ戻ると、バケツが小アジで一杯になっていた。しばらくは、小アジ料理の日が続きそうだ。

[ 2011/01/10 17:27 ] その他富山県内 | TB(0) | CM(1)

福井県越前町 おこのぎ漁港にて

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  滋賀へ行った帰り道、越前海岸を走った。八号線を走れば、早く富山に着けるのだが、のんびり走れる海岸道路の方が旅人の性にあっている。
  冬場を迎え、カニ料理の幟が道沿いに並んでいる。ここで獲れるカニの爪には、越前産を証明する黄色いタグが付いている。タグがあるかなしで、値段が倍は違うから驚く。本当に味が違うのだろうか?
  越前おこのぎ漁港に立ち寄る。強風の中でも、釣りをしている人がいる。狙いはアジのようだ。岸壁から海の中を覗くと、たくさんの魚が、群れているのが見える。釣り人は、面白いようにアジを釣上げていた。
  その横に停泊している魚船の中で、三人の青年が網の手入れをしていた。白い船体には「兄弟丸」と船名が刻んである。「きっと三人は、兄弟に違いない」と旅人は思った。
[ 2011/01/05 16:52 ] 福井県 | TB(0) | CM(0)

富山市片掛に伝わる伝説  「幻の瀧」

 神通川周辺にはたくさんの民話や伝説が残っている。旅人は、その幾つかを、発掘し、手作り絵本に仕上げた。現在、その冊数は、15巻になり、富山市図書館にも所蔵されている。
 去年の暮れのことだが、細入図書館で、新たな伝説を見つけた。それは、片掛集落に伝わる伝説で、文山秀三という人が書いた「飛騨街道 片掛の宿」昔語り『まぼろしの瀧』という冊子の中に納められていた。しかし、困ったことに、その話は、子どもにはとても理解できない語句や言葉遣いが多く、書き直す必要を感じた。書き直すには、作者の同意が必要だが、残念なことに、文山秀三さんは、すでに他界されていた。それで、ご家族をたずね、「幻の瀧の話を絵本にしたい」と申し出ると、快く承諾してもらえたのだ。そして悪戦苦闘して出来上がったのが、これから紹介する「幻の瀧」である。長文の伝説であるが、ぜひお読みください。

飛騨街道「片掛の宿」昔語り『まぼろしの瀧』 文山秀三(ぶんやまひでぞう)著 より    
   「幻の瀧」

 おばあ1
祖母は、いろりで小豆を煮ながら、この地にまつわる昔話をしてくれた。

昔、昔の、その昔、神通川という名も、立山という呼び名もなく、片掛という地名などついていなかった遠い昔のことである。
滝1
 片掛一帯に大きな湖があって、長さ南北七里(二十八キロメートル)もあった。もちろん、湖の名も、湖水から落下していたという、高さ三百メートルにもおよぶ大きな滝のことも、今では知る人もなく、この話を伝えるのも、私が最後になるかもしれない。
 原住民と呼ぶか、先住民と呼ぶかは、その道の専門家にまかせるとして、とにかく、わずかだが、人はすんでいた。山があって湖があり、せまいとはいえ、平地に近い傾斜地もあり、よい飲み水もあったし、洞穴までもあったのだ。無理に農耕しなくても、わずかな人数なら、生きていくのに、大きな心配をせずにすんだのである(  )。
 峠の雪もすっかり消え、若葉が山々をおおい、その緑の中に、山つつじの花がちらほら見える、うららかな春のある日のことである。このあたりでは見かけない、年の頃なら十七、八といった娘がただ一人、下流の方から神通川沿いに、上流の方へ歩いて行った。いつまでに、どこまでたどりつくというあてもなく、話し合う友だちもいないその娘は、ただ黙々と歩き続けていた。
娘11
 庵谷(片掛の北隣村)までたどり着いた時、はじめは気のせいかと思っていた音が、歩くにしたがって、しだいに大きくなり、ついには、轟々と鳴り響く音だけが、耳に入るようになった。それが、滝の音であることを知らない娘は、その音にひかれ、ひとりでに足が滝の方に向い、遠回りするように進んで行った。
しかし、道などあるわけはなく、庵谷峠の山は、行く手に立ちはだかるような形でさえぎり、山は、さらに、けわしさを増していた。さすがの娘も、しだいに疲れを覚えてきたが、適当な休憩場所はなく、おまけに、山あいの太陽は西に傾いて行った。
進むにつれて、音は大きく聞こえてくるが、すかして見ても、伸び上がって見ても、木の葉がじゃまになって何も見えなかった。
 「もっと近くへ行ってみよう!」娘は、歩きながら、大きく息をして背のびをしたその時・・・「見えた! 見えた!」 大きな滝が見えたのだ。娘は、これまでに、このように水量が多くて、こんなに高い滝を見たことがなかった。娘は、滝のあまりの見事さに、疲れも何もかも忘れて、ただただ、眺めるばかりであった。
娘12
その頃、飛騨の山々の雪解け水が集まった神通川は、いつもより水量が多く、滝の音は木々の枝をゆすり、滝つぼから湧きあがる水煙は、あたり一面に立ちこめていた。
 その時である。滝に気を取られていた娘は、足をすべらせ、そのショックで木の枝から手を離してしまい、崖をすべり落ちたのだ。しかし、幸いにも、転落する途中で、身体が木の幹にひっかかり、一命だけは、とりとめたのだが、打ちどころが悪かったのか、虫の息になってしまった。
 こんな所を通る人もいないその頃のことである。このまま放置しておけば、当然、その夜のうちに、若い命は、消えたにちがいない。滝は、そんなことを知らないかのように、前と同じ音を立て、同じ響きで落ちていた。
しばらくして、一ぴきの猿が、その娘に近づいてきた。猿は、娘の様子をじっと見ていたが、娘は、全然動かない。それで、猿はさらに近づき、おそるおそる娘に触れてみると、娘は、ぐったりしているけれども、まだ体温はあるし、呼吸もしていることを知った。やがて、その猿は、仲間に知らせるために、その場から離れて行った。
しばらくして、子猿も含めて二十ぴきほどの仲間が集まり、何か相談している様子だったが、「とにかく、娘を助けよう」と、話が決まったようである。
猿3
 ところが、助けようにも、そこでは水煙にぬれてしまう。どうしても峠の頂上付近まで、運び上げなければならないことは、猿たちにも分かっていたようだ。しかし、日が暮れかかるけわしい山の中では、全員の力を集めても、運び上げる作業は、そう簡単なものではなかった。娘の身体を持ち上げる者、押し上げる者、引き上げる者など、いろいろ試しているうちに、猿たちの力が合わさり始めた。そして、やっとのこと、猿たちの協力は、実を結び、日が暮れる頃には、ついに頂上まで、運び上げることに成功したのだった。
山の上とはいえ、そこには、少し平らで、風当たりの弱い場所があり、猿たちは、娘をそこまで運んだ。しかし、悪いことに、先ほどより、娘の体温がだんだん下がっていることに、猿たちは気がついた。それで、気温が低下してゆく中、一団の猿たちは、娘の体温を温め、別団の猿たちは、食べものの木の芽などを取りに散ったのだった。それから三十分もたった頃だろうか、娘は、かすかに目を開いた。あたりは、すっかり暗くなっているし、まだ、疲れていたので、娘は、再びねむってしまった。しかし、幸いにも、その夜は雨が降らなかった(   )のだった。
猿5
 朝になって、娘は、目を覚ました。実に、すがすがしい朝だった。娘は起き上がってあたりを見まわした。娘は、自分をいろいろ介抱してくれたのは、人間ではなく猿たちであることが分かったが、人の言葉が通じない猿に、何を言ったらよいのか、お礼の言い方に困っていた。
猿たちは、元気をとり戻した娘を見て、喜んでいる様子で、「キャッ キャッ」と、あたりを走りまわっていた。娘は、猿が集めてきた木の芽などを、少し食べてみた。何の木の芽か分からないが、猿が持って来たのだから毒ではないようだ。少し食べても、身体に異常がないので、娘は安心して食べた。
 木の葉の間から見下すと、そこに、大きな湖があることに、娘は気がついた。よくよく見ると、湖面が、春の陽光を反射して、キラキラ輝いている。そして、その中に、水鳥が浮かんだり、飛びまわったりしていた。瞳をこらすと、湖面は、はるかに続き、果ては山の影にかくれて、どこまでが湖か分からないまま、もやに包まれていた。
 移動
娘は、これからのことを考えた。山の上では、水にも困るし、雨露もしのげない。どうしても、雨や風に耐えられる所で、水の出る場所を探したい。娘は、そう思いたったらじっとしておられず、少しずつ、南側へ下り、西の方へ歩き出した。猿たちも一緒について歩いたり、木の枝から枝へとび移ったり、一部の猿たちは、食べ物探しにも出かけた。歩くといっても、もちろん道があるわけではない。歩き始めてから、どれほどの時間がたっただろうか。疲れたし、おなかもすいたので、岩の上に腰を下ろし、休憩することにした。
 しばらく、ひと休みをして、娘は、また歩きだそうと立ち上がり、あたりを見まわすと、岩肌の向こうに何か黒く見える所を見つけた。「何だろう」と近づきよくよく見ると、それは洞穴だった。「これは天の助け」とばかり、娘は、太陽に両手をあわせて拝んだ。そして、その洞穴に入って行った。
穴の広さは、八畳敷ぐらいで、十分な広さがある。とりあえず、娘は、その洞穴で寝起きすることにした。猿たちは、友だちになってくれ、食べ物も運んでくれるのだ。しかも、眼下が、広々とした湖畔である。娘は、当分の間、ここでゆっくりすることに決めた。
洞穴
 季節は、まだ暖かかったので、着るものは心配なかった。娘は、冬に備えて、藤づるを叩いて、繊維らしいものをたくわえ始めた。この村には(村というほどのものではないが)わずかの「人」が、別の洞穴に住んでいるようだったが、どちらも近よろうとはしなかった。娘は猿たちを友として暮らしているうちに、弓を作ったが、使うこともなかった。それは、木の芽や食べられる草のほか、幸いにも湖の浅いところに貝が多かったので、貝をとって食べていたから(  )だ。
 いつもの年なら、梅雨時期には雨の降る日が多いのに、その年は、梅雨の季節になっても雨は少なく、周囲の山々は濃い緑におおわれて、やがて夏が来た。
 蝉のなき声が耳に痛いほど聞こえる湖畔である。娘は、毎日のように湖水で汗を流した。洞穴は涼しく、夜はしのぎ易く、虫の音楽もすばらしかった。山では、猿も狐も狸もイタチもテンも、仲よく、暮らしていた。また、熊も人も他のけものたちも、動物たちを襲うようなことはなかった。湖の水は、深い所まで澄んでいて、貝や魚などもよく見えるほどきれいで、空はぬけるような青さだった。
嵐1
ある日のこと、入道雲がしだいに鉛色となり、その動きも激しくなって、気温が急に下がり、風が吹きはじめたのだ。突然の天変異変に驚いた猿たちは、空を見上げてただ泣くばかりである。しかも、猿たちの動きは、今までに見たことのないものだった。娘は、いやな予感がしたが、見守るばかりだった。と、その時、大粒の雨が降り出した。
 はじめ弱かった風もしだいに強くなり、雨はますますはげしくなって、湖水を隔てた向うの山が見えなくなった。そのうち、谷という谷、川という川のすべてが鉄砲水となって、濁流が音をたててあふれるほどになって来た。青く「静」そのものに見えた湖面も、流れ込む川のあたりから褐色に変わって行き、ついに濁流が渦巻くようになってきた。
 強い風とはげしい雨のために、あちこちの枝になっていた木の実が振り落とされ、振り落とされた木の実は、すぐに濁流にのみこまれて流れて行った。これを見た猿たちは、泣き叫んでいる。それは、悲鳴にも似たもので、直接、生命にかかわる重大事ということを知っているのか、空を見上げたり、木の実を眺めたりして、悲しみと驚きを顔にあらわしていた。
 風は、やがて弱くなったものの、雨は、なかなか止まなかった。濁流は、大きな木を根こそぎ抜きとって流していき、山から押し出された土砂は、小さな谷を埋めてしまった。次から次へと流れてくる大木が、湖で渦を巻いている。その木の枝に、小さな動物がしがみついているのが見える。しまいには、山津波が起き、直径数十メートルもの岩までも流され転がり、この世の終わりかと思えるほどの、すごさになった。
 がけ崩れ
このはげしい雨は、連続三昼夜も小止みなく降り続き、まったく小降りになるような気配は見られなかった。これ以上、雨が続いたら、この猿たちは、他のけものたちといっしょに、食べるものもなく、全滅してしまうかも知れない。娘は、そのことが心配で、心配で、胸がいっぱいになった。
三日目の夜、娘は、「何とかして、けものたちを救うことはできないものか」と、一晩中考えてみたが、とうとう、結論が出ないうちに、夜が明け始めた。
そして、四日目の朝が来た。空を見上げてみても、雨はやみそうになく、湖の水位は、前の日よりも、また高くなっていた。
 ついに、娘は決心した。
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 洞穴を出た娘は、はげしい雨をついて、頭からずぶぬれになりながら、湖へ向かってゆっくり歩き出した。そして、湖畔へ着いた娘は、麻のような繊維で織った腰巻き(スカートのようなもの)を脱ぎすて、真っ裸になり、天に向かって、一心に祈り始めた。長い髪は顔や首にまといつき、ふり乱したその髪からは、雨のしずくが滴り落ちている。娘の白い肌からは、ぞっとするほどの恐ろしさが、ただよっていた。
 祈りが終わり、娘は、ゆっくりあたりを見まわすと、静かに、濁流渦巻く湖へ、一歩一歩入って行った。はげしい雨が降り続く中、可愛そうに、白い肌は、濁流のために、たちまち汚されてしまった。そして、渦巻く水に、吸い込まれそうな娘のうしろ姿は、あわれであった。
 娘は、しだいに深みに入って行く。ついには、渦巻く濁流のために、娘の頭や顔が、見えかくれするほどになってしまった。乙女の生命もこれでおしまいかと思われたその時、娘がニッコリと笑った。そして、次の瞬間、濁流の上にスクッと立(た)っていた。よく見ると、何と、娘は、下半身がうろこでおおわれ、大きな尾びれが、はっきり見える、人魚になっていたのだ。
人魚
人魚は、しばらく、波間から見えかくれしていたが、突然、水面の上に、その下半身と尾を高く垂直に上にあげた。しかし、それもつかの間、人魚は、猿たちの泣き叫ぶ声も聞かないまま、濁流の中に吸いこまれ、再び浮上することはなかった。
 と、不思議や不思議。それまで降っていた雨はピタリと止み、風もなくなった。そして淡い太陽の光までも見えるようになった。不思議なことに、天候だけでなく、滝の音が、前に比べて、非常に大きくなったのである。どうやら、滝に異変が起こったようである。
 大雨による洪水で、滝の音が大きくなることは分かるが、雨が止んで、三日たっても四日たっても、滝の大きな音はかわらなかった。やがて、湖の水位が下がり、大雨が降る前の 水位になったが、滝の大きな音は、あいかわらずそのままだった。さらに、湖の水位が、どんどん下がっていく。どうやら、今まで、滝口であった所の破壊が始まったようだ。そして、いったん破壊が始まった滝口は、とどまることをしらなかった。
湖の水位はさらに低くなり、やがて、湖底が陸上にあらわれ始めた。何と、それまで湖の中央で、深いと思われていた所が、予想に反して、砂の台地であったり、岸に運ばれた粘土が、へばりついていたりしていた。人々は、湖底の神秘というものを、思いしらされることになった。そして、幾十年の後、神通川は、滝のない川になってしまったのである。
片掛のこの地に、巨大な滝があったことなど、誰もが信じることができなくなり、いつの頃からか分からないが、「幻の瀧」と呼ばれるようになった。 
 
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語り終えた祖母は、小豆の煮え具合を見てくれと、小皿に入れてくれた。(完)


文山秀三(ぶんやまひでぞう)さんの話

文山秀三
祖母の思い出             
 私には、弟や妹がいて、母が二人の面倒をみていたので、当然のように私は祖母の手で育てられ、いろいろの伝説や物語などを聞く機会に恵まれた。
とは言っても、祖母は、平仮名とカタカナは全部知っていたが、漢字は、画数の少ない字しか知らなかった。しかし、数については、驚くほどの速さで計算していたのを、子ども心に不思議に思ったことを覚えている。
その祖母から、ずいぶん、日本古来の話や、おとぎ話などを聞いたが、何度聞いても、正確に話してくれるのにはびっくりした。伝説の中に真実が入り、事実の間におとぎ話が入ってくるなど、その話しぶりは見事だった。まだ、幼かった私には、どこまでが伝説で、どこからが真実であるのか判断力がなく、かえって興味深く聞いたものである。
まだ、テレビはもちろん、ラジオもなかったその頃、子どもにとっては、いつも家にいて話をしてくれた祖母は、国語の、歴史の、道徳や伝説・おとぎ話などの この上ないよい先生だったのである。
「大昔、わが国に文字がなかった頃、『語り部』がいて、一般民衆に物語や政治のことなどを、言葉を通して知らせた」と聞いていたが、祖母が、時間のたつのも忘れて話してくれる姿は、「語り部」の再来かと錯覚するほどだった。

飛騨街道「片掛の宿」昔語り『まぼろしの瀧』 文山秀三著 より

[ 2011/01/01 17:55 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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