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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2011年04月

富山市楡原  楡原の春祭り

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4月16日(土)、旅人の住む楡原で春祭りがあった。楡原の春祭りでは、獅子舞がある。江戸時代の終わり頃から、この地域に伝わる獅子舞で、青年団がその伝統を守り続けている。宿の出発は、午前8時。獅子舞は、まず、鎮守の森にある楡原八幡宮に奉納され、その後、各家々を回り、午後11時頃に終了する。以前は、次の日まで獅子を廻していたというから驚く。家々では、ご馳走を作り、祭りを祝う。この日は、遠く離れて暮らしている人たちも里帰りするという。去年は、北海道から里帰りした青年が、太鼓を叩き続けていたという話を聞いた。今年も、その青年は祭りに参加しているとのことだった。

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 楡原八幡宮で奉納される獅子舞を見た。ササラ、金蔵、姉マの役は、小学生が担当し、重い獅子頭は青年が持つ。みんなが見つめる中、笛や太鼓の音に合わせて、獅子舞が始まった。小学生の踊りが、ビシッと決まっている。かなり練習を積んだようだ。重い獅子頭を持ったまま、宙返りをする曲獅子もきっちり決まり、拍手が起きた。先ほどまで、稲妻が光り、雷が鳴っていたが、空も明るくなり、雨も止んだ。お宮さんでの奉納を終えた獅子舞の一行は、出発して行った。今日は、笛や太鼓の音が聞こえる賑やかな一日になりそうだ。



「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
  
[ 2011/04/29 13:14 ] 富山市 | TB(0) | CM(2)

高山市   春の高山祭に行ってきた

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  4月15日、春の高山祭へ出かけた。屋台の曳き揃えが始まるのは、昼過ぎからなので、11時の列車で出かけることにした。楡原駅で「猪谷行」普通列車に乗車。運転士の横に、もう一人、教官らしい人が乗っている。4月は人事異動の季節だが、新任の運転士や車掌さんが登場するのもこの時期だ。安全に列車が運転できるか最終チェックをしているのだろう。
  猪谷駅で、「美濃太田行」普通列車に乗り換えた。富山から、春の高山祭りに出かける人が、たくさんいるのだろうと思っていたのだが、乗客は数人だ。特急列車を利用して出かける人が多いのだろうか。やはり、大震災の影響で観光客が激減しているのだろう。
  早春の宮川に沿って列車は進んで行く。まだ所々に、雪が見える。今年は、雪解けが遅いようだ。一瞬だったが、線路脇に、黄色い花の群れを見つけた。福寿草の花のようだった。雪解けを待つようにして咲く花である。高山線沿いに、群落があるようだ。
  飛騨古川で、たくさんの人が乗車し、車内は、ほぼ満席になった。高山祭に出かける人たちのようだ。きっと、高山の街は、人で溢れていることだろう。
  高山に到着。予想したとおり、高山の街中は賑わっていた。駅前の広場には、屋台を曳く人たちの一団が休んでいた。ここが、この人たちの陣屋になっているようだ。桜は残念ながらつぼみのままだった。開花は、まだまだ先のようだ。
  からくり人形が公開される陣屋前の広場を目指す。通りには、出店が並び、祭りの気分を盛り上げている。胸にワッペンを付けた観光客が多いが、外国人の姿が少ないようだ。やはり、大震災の影響が出ているようだ。
  広場に到着した。広場には、たくさんの人が詰め掛けている。いい場所見つけて、腰を下ろし、じっと開演を待っているようだ。からくり人形の公演は、2時30分からとアナウンスがある。まだ、1時間ほど時間がある。小さなからくり人形だから、遠くからはよく見えない。間近で演技を見ようというのだ。しかし、この人たちは、それまで待つというのだから辛抱強さには驚いた。
  じっとしていられない旅人は、古い家並みが続く「さんまち通り」を散策することにした。以前にも増して通りの造りが賑やかになっている。「この春、行ってみたい小京都」のアンケートが新聞に載っていたが、高山は、ベスト5に入っていた。土産物店や飲食店がぎっしり並んでいる。飛騨牛の串焼きの旗があちらこちらで揺れている。観光客を引き付ける力は、やはり食べ物にあるようだ。その人で賑わう狭い通りを、人力車が走って行く。人力車も以前には見かけなかった風景である。それも、1台や2台ではなかった。人力車が商売として成り立つほど、たくさんの人が高山を訪れているようだ。
  時刻は、2時を過ぎた。そろそろからくり人形の開演時刻である。人の動きも、陣屋広場へ向かっているようだ。再び、陣屋広場に着いた。広場は、身動きが取れないくらいの人で埋まっていた。からくり屋台は、ずっと向こうに見える。辛抱して待っていた人たちは、このことが分かっていたようだ。
  予定通り、2時30分からからくり人形の公演が始まった。3つの人形の演技が順番に始まった。人形の大きさ、子どもほどの大きさがあるそうだが、遠くからは、小さく見えていた。
  最初のからくりは、「三番叟」だった。童子のからくり人形が、翁のお面を付けるところが一番の見せ場だった。うまくいかないこともあるとのことだったが、見事成功し、拍手が起きた。
  二番目は、「龍神台」である。樽のような壺から、龍神が一瞬にして現れる所が凄かった。拍手喝采であった。ただ、このからくりでは、マイクの調子が悪くなり、肉声での演技に変わり、遠くにいる人たちには、その声が聞こえなかったことが残念であった。それにしても、壺が一瞬のうちに龍神に変身する仕掛けには驚いた。
  最後は、「石橋台」である。花笠をかぶった人形が逆立ちすると、獅子がその中から現れて踊り、再び元の人形に変身するというものだった。風紀上好ましくないという理由で、100年間も中断されていたという。見ていてどこが風紀に触れるのか、その基準がよく分からなかった。どのからくりも、江戸時代に作られたものだという。何人もの人が、細い紐を引いて人形の動きを作っているのだという。祭りを続ける中でしか、その技は引き継がれない。春の高山祭の自粛ということも、きっと検討されたことだろうが、開催されて本当によかったと思う。この祭りのパワーは、必ず被災を受けた人たちに伝わっていると思う旅人だった。



「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/25 09:34 ] 高山市 | TB(0) | CM(0)

富山市城址公園  富山城

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  「ハイ ポーズ」。ここは、富山市城址公園の中でも、最高の撮影ポイントである。とくに、桜が咲くこの時期には、ひっきりなしに人が訪れて、賑わっている。
後ろに見える富山城は、昭和29年、この辺り一帯で開かれた富山産業博覧会のおりに、富山復興のシンボルとして、鉄筋コンクリート構造による模擬天主として建てたものだそうだ。
  富山城は、戦国時代には佐々成政が居城とし、江戸時代には、富山前田家の城であったが、天守閣は存在しなかったのだという。富山の人々は、この模擬天主を、親しみを込めて、「富山城」と呼ぶようになり、その名称は、今も引き継がれている。
  この富山城は、博覧会が終わった後、富山市郷土博物館として運営され、戦国時代に築城されてから400年以上にわたる富山城の歴史を、貴重な資料などで紹介している。入館料は一般200円である。見学コースの一つに入れてみてどうですか。



「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/23 10:20 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市城址公園  富山市佐藤記念美術館

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 城址公園の入り口に、小さなお城がある。このお城は、旧富山城の石垣を利用し、城郭風に建てられたものでも、昭和36年、佐藤記念美術館として開館した。平成14年に、建物と所蔵品などの一切が、富山市へ寄付され、富山市佐藤記念美術館と改称された。
 このお城の隣には、増築された平屋造の新館があり、館内には、展示室のほかに、「柳汀庵」・「助庵」という二席の茶室や、大正9年竣工の総檜造広間が佐藤家から移築されている。
 入館料は、200円。この月は、企画展「伝統と創造 越中の美術品と工芸品」が開催されていた。松川べりの桜を見物したその足で、この美術館を訪れてみるのもいいですよ。
  


「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/22 09:32 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市城址公園 松川べりにて

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  松川べりの遊歩道を散策した。すれ違人と肩が触れそうである。この遊歩道には、たくさんの彫刻が並んでいる。「松川べり彫刻公園」という別名も付いていて、富山県在住・出身の彫刻家の作品28点が展示されている。彫刻を観るツアーが企画されているのかも知れない。時間をとって、ゆっくり彫刻を観て回りたいと思った。おもしろスケッチが掛けそうに思う。



「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/21 08:14 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市城址公園 松川べりにて

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 松川の桜並木は、大正2年、大正天皇の即位を記念し、植えられたのが始まりだという。太平洋戦争中、富山大空襲で消失したが、昭和25年ごろから、再び、市民の手によって植えられはじめ、今では、約520本もの桜並木が続き、「日本桜の名所百選」に指定されている。川沿いの遊歩道では、桜や遊覧船を眺めながらの宴会が開かれていた。



「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/20 08:43 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

富山市城址公園 松川べりにて

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 桜が満開の富山城址公園を散策しました。江戸時代の頃には、この辺りを神通川が流れていたのですが、今は、流れが変わり、神通川はずっと西の方を流れています。この松川は、神通川の名残りです。その「松川」を遊覧船が走って行きます。この遊覧船は、昭和63年から運行されたそうです。何年か前までは、情緒豊かな手漕ぎの屋形船でしたが、今では姿を消し、大型船になりました。船からの桜の眺めは、きっと素晴らしいのでしょう。船の乗り場には、長い行列ができていました。




「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/19 17:02 ] 富山市 | TB(0) | CM(0)

思い出の風景その10 「旧神岡鉄道 富山市猪谷にて

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 私のスケッチブックの中から、今は廃線になった旧神岡鉄道の絵を見つけました。思い出がいっぱい詰まった風景です。



「みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。

思い出の風景その9 「旧神岡鉄道 神岡町漆山にて」

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 私のスケッチブックの中から、今は廃線になった旧神岡鉄道の絵を見つけました。思い出がいっぱい詰まった風景です。



「みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/16 11:33 ] 飛騨市 | TB(0) | CM(0)

思い出の風景その8 「旧神岡鉄道 神岡町 奥飛騨温泉口駅にて」

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私のスケッチブックの中から、今は廃線になった旧神岡鉄道の絵を見つけました。思い出がいっぱい詰まった風景です。



「みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。
[ 2011/04/15 10:09 ] 飛騨市 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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