
作品番号1 「松田尚之 年若き女」
渡されたパンフレットには、彫刻作品に番号が付けられていた。その1番が、「松田尚之 年若き女」である。設置場所は、松川べり公園の一番東にあたる北陸電力電気ビルの前となっていた。
「年若き女」の像は、電気ビル玄関前の大理石の台の上に、聳えるように立っていた。すらりとした巨大な女性像で、身体の正面で手を組んでいた。
この作品の作家、松田尚之氏について調べてみた。
松田 尚之(まつだ なおゆき) 1898年9月4日- 1995年3月29日
彫刻家、日本芸術院会員。富山県出身。
1922年東京美術学校彫刻科卒、帝展に出品、1926、1927年特選。
1930年京都帝国大学講師。
1932年帝展審査員。
1935年京都市立美術工芸専門学校教諭。文展に出品、1943年同審査委員。
1946年日展審査員。
1951年金沢美術工芸大学教授。
1952年京都学芸大学教授。
1958年日本芸術院賞受賞、日展評議員。
1968年日本芸術院会員、日展理事、1969年同常務理事、1970年勲三等瑞宝章受章、1975年日展顧問。
経歴からは、すごい人物であったことが伺える。
松田尚之氏の作品については、「松田尚之の作品は、戦前は強いタッチと線のなめらかな肌による明快な写実を、戦後は、やや起伏のある肌を持つなどを特色とし、日本的であること、きりっとした立体感を一貫して追求している」と、評があった。
また、富山いきいきライオンズクラブのホームページには、この作品について、「清純な乙女の像ですが、すんなりと立って、伸ばして前で組んだ手、未成熟な角ばった体からくる張り詰めた緊張感が、美しくピーンと伝わってくる様です。」と紹介されていた。
インターネットを検索していくうち、松田尚之氏に、興味深い作品があることを見つけた。その彫像は、黒部ダムにある。
黒部ダム建設で殉職された171人の人たちを慰霊するために、ダム堰堤東側の一角に、殉教者慰霊碑が建設されたという。「尊きみはしらに捧ぐ」の慰霊碑には、ダム建設で働く6人の男たちの彫像があり、台座には、171人の名前が刻まれているという。その作家が、松田尚之氏であった。松田尚之氏の作品には女性像が多いが、働く男たちを力強く表現した彫像があることを知った。
黒部ダムには、2度ほど行ったが、慰霊碑には全く気づかなかった。今度行く時には、しっかり見て来ようと思う旅人だった。
「年若き女」の彫像の下に、石に刻まれた題字がある。パンフレットによると、「題字・中田大雪」とある。中田大雪氏についても、インターネットで調べ見た。
中田 大雪 (なかだ たいせつ)
明治43年 富山市生まれ
日展常連作家
昭和32年 清渓社結成
昭和48年 北陸創玄書道会を結成
平成10年 没する
誠実真摯な筆法と強靭な意思の書家として著名である。
と、経歴が載っていた。
松川べり公園にある彫刻の題字も、富山県にゆかりのある書道家の筆であることが分かった。中田大雪氏の書は、富山市城址公園でも見ることができる。
佐々成政の歌碑「何事も かはり果てたる 世の中に 知らでや 雪の白く降るらむ 佐々成政」は、中田大雪氏の書である。昭和63年、佐々成政没後400年にあたって、常願寺川の石を使って建立されたものだそうだ。
彫像を訪ねる旅は、始まったばかりだが、これから先のことを考えると、本当にわくわくしてくる。次は、誰の作品と出会うのかな?
「被災地のみなさんへ。みなさんと心はひとつ。生きる望みを捨てないで、がんばってください」と祈っています。