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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  2012年02月

神通峡をたずねて  猪谷かいわい 5

猪谷の名所・旧跡・お勧めの風景 その1

猪谷関所館 

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 猪谷関所館は、富山市の施設で、猪谷駅から徒歩二分の所にある。昭和六十三年に建てられた。建物が、少し奥まった所にあるため、気が付かないで素通りする旅人もいる。
 猪谷は、越中と飛騨の国境で、古くから軍事的な要衝で、江戸時代には「富山藩西猪谷関所」が置かれていた。
 猪谷関所館には、当時の古文書・武具・用具や江戸時代の僧円空が彫った仏像など、貴重な資料が多数展示されている。また、険しい神通峡を渡った「籠の渡しの模型」も設置されている。


金剛山 西禅寺 

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 猪谷駅西方の山にお寺の屋根が見える。このお寺が、金剛山西禅寺(曹洞宗)である。歴史は旧く、一六〇四年に建立されたという。赤い幟が並ぶ長い石段が続く。
 石段を少し上ると、小さなお堂がある。中には、三体のお地蔵様が納められている。この中の一体は、元禄時代に作られたものである。
 そこから少し上ると、右手に稲荷社がある。社は、西禅寺鎮守堂ともいい、以前は本堂脇にあった。商売繁盛の「稲荷大明神」が奉られている。

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 さらに階段を上ると、大きな仁王像が出迎えてくれる。その脇には、小さな石仏がたくさん並んでいる。赤い色で塗られた石仏もあり、お寺の入口は賑やかである。

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 西禅寺本堂内には、木造の三十三所観音が安置されていてる。また、お寺には、三体の塼仏(せんぶつ=型に粘土を入れて素焼きした仏像)が伝えられている。歴史的に大変貴重な仏像だということである。十一月、お寺は美しい紅葉に包まれる。


六地蔵 

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 西禅寺西の裏道の脇にコンクリートのお堂がある。中には、六体のお地蔵様が並んでいる。以前は、旧飛騨街道にあったのだが、ダム湖に沈むので、ここに移された。細入地域の中では、最も古い六地蔵で、江戸時代中期に作られたものである。


西猪谷関所跡

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 明治初めに関所が廃止された後、関所跡は、宅地や畑地として利用され、石畳や礎石が残っていたが、昭和四十年、国道四十一号線の拡張工事が行われ、今の関所跡は、ほんの一部しか残っていない。関所跡に立つ説明板には、次のように記されている。
 「西猪谷関所は、天正十四年頃(一五八六)から、明治四年(一八七一)までの約二八〇年間置かれ、特に富山藩が立藩した寛永十八年(一六四一)からは、橋本家と吉村家が代々番人を務め、人や物の監視など国境の警備にあたっていました。
 番人は関所内の建物で生活し、その建物には川手方へ十四間、山手方へ三十八間の矢来垣があり、番所には常時鉄砲二挺等が備えてありました…」
 西猪谷関所の模型を、猪谷関所館で見ることができる。

神通峡を訪ねて 猪谷かいわい 4

猪谷駅前商店街 

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 「猪谷商店街の歴史は昭和五年に始まる。昭和五年十一月、飛越線が猪谷まで開通すると、昭和六年、三井鉱山は、ただちに神岡軌道を飛越線の猪谷駅構内へ乗り入れた。この乗り入れによって、猪谷は重要な貨物駅としての性格を持つようになった。それに伴い、三井鉱山は、猪谷に駅舎・倉庫・社宅等を多数建設した。細入村も猪谷駅から真直ぐ県道につながる村道を建設した。これが、現在の駅前通りである。
 駅前通りが建設されると、その両側には、続々商家が並ぶようになり、片掛から郵便局も移転した。この頃、営業を始めた商家には、水腰酒類販売店、森下友蜂堂、早瀬亭、宮口精米所、土田洋服店、魚国商店、江尻商店などがある。また、駅前通り以外にも鮮魚店、雑貨店、理髪店、和菓子店などが建ち、大きな活気を呈していた。」(細入村史より)
 平成に入り、神岡鉱山の縮小、神岡鉄道の廃線など大きな変化があり、戸を閉めている商店が目立つようになった。古い話になるが、笠智衆と宇野重吉が「ながらえば」というテレビドラマで酒を酌み交わした金山旅館も何年か前に廃業した。寂しい商店街になりつつあるが、現在も営業を続けている商店を紹介しよう。



森下友蜂堂

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 森下友蜂堂は、猪谷駅の正面にあるお菓子屋さんである。歴史は古く、高山線が全線開通した昭和五年頃、養蜂業を営んでいた先代が、開業した。当時は、旅館業も営んでいたという。

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 現在も養蜂業を営み、昭和天皇へ献上した「トチの花から取った蜂蜜」や蜂蜜入りの「関所せんべい」は、猪谷名物のお土産である。



水腰商店 

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 創業は明治二十八年。昭和十年、片掛から猪谷駅前通りに店を移して、この地で営業を始めた。白い蔵の横には、酒・みそ・しょうゆの大きな暖簾が架かり、休憩用のテーブルや椅子が置かれている。ふらりと立ち寄り、ここで一杯呑んでいく旅人もいる。
 水腰商店は、この辺りで唯一の酒屋さんである。列車の待ち時間に、ビールを買いに走る旅人の姿が、時々見受けられる。



早瀬亭 

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 商店街の一角で、「もつ焼」の幟が風に揺れている。「早瀬亭」の幟である。早瀬亭は、この商店街唯一の食堂である。NHKの旅番組で、関口知弘さんが、猪谷駅に立ち寄り、この早瀬亭の「もつ鍋」を美味しそうに食べていたことがあった。「もつ鍋は美味しいの」と知人に聞くと、「知り合いが来ると、土産に持たせるくらいだよ。とにかく美味しい」と勧められた。
 早瀬亭は、夏には、「常虹の滝」の横で、流しそうめんの店を開いている。



村中商店

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 国道四十一号線猪谷バス停の真横にある。婦人服を中心に下着、文具、お菓子、生活雑貨など幅広く取り揃えている。バスを待つ間、話し上手なお上さんと談笑するお客さんの姿が見られる。

神通峡をたずねて 猪谷かいわい 3

猪谷駅で見られる列車

 猪谷駅で見られる列車について紹介しよう。
 高山本線を走る列車は、全て気動車である。ホームの手前に停車しているシルバー色の車体にオレンジ色ラインが入っている列車が、猪谷~富山間を走る普通列車である。ワンマンカーで、一両のみで走る列車もある。一時期、富山市が社会実験と称して、一時間に一本、猪谷~富山間を走らせたが、乗降客が極めて少なく、今は、八尾~富山間に縮小された。

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 オレンジ色と緑色のラインが入った薄いクリーム色の列車が、JR東海の普通列車である。キハ四八系と呼ばれる気動車で、国鉄時代に作られた車両である。一度は乗ってみたいと思っている鉄道ファンが多いそうだ。 
 二〇〇四年、高山本線が豪雨で寸断され、三年という長期の間、不通になったことがあった。その時、打保駅に、この型の気動車が閉じ込められた。その時閉じ込められていた列車は、奇跡的に復帰し、元気に高山本線を走っているという。車内に、現場復帰したという記念のプレートが掲示してあるというから、運がよければ、その列車に乗ることができるかも知れない。

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 シルバー色の車体に赤いラインが入っているのが、特急ひだ号である。グリーン席、指定席、自由席の三両編成で走っている。十年ほど前には、猪谷駅で運転手や車掌が交代する風景は見られなかったが、最近になってJR東海とJR西日本の経営の境界がかなりはっきりしてきたように思う。
 発車ベルが鳴り、雪煙を巻き上げながら特急ひだ号が走り出した。雪国でしか見られない風景である。
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 駅の外れまで歩いて行くと、格納庫の前に、ラッセル車がとまっているのを見つけた。こんな近くでラッセル車を見るのは初めてだ。オレンジ色の車体が白い雪に映えていた。
 車体をよくよく見て、驚いた。前部は、雪を掻き分けて進む羽が付いているが、後部には、ロータリー車の羽が付いていた。以前は、ラッセル車とロータリー車は別々だったが、この列車は両方が合体している。最新式のラッセル車は、皆こんな形になったのだろうか。


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神通峡をたずねて 猪谷かいわい 2

高山本線 猪谷駅 

猪谷駅舎は、木造モルタル作りの鄙びた駅舎である。この駅に降り立った旅人たちが、駅舎を撮影する風景が定番になっている。秘境の駅にやって来たという気持ちにぴったりの駅舎なのだろう。


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 駅舎は、飛越線の笹津~猪谷間が開通した一九三〇年(昭和五年)に建てられたもので、その当時から、建物の様子は殆ど変わっていないという。高山本線が開通する一九三四年(昭和九年)以前からこの地に建ち、豪雪にも負けず、昭和と平成の時代を見守ってきた駅舎である。


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 駅舎の入口に掲げられている駅名の看板は、少し歴史は浅いが、手書きで書かれていて、これも旅人たちには人気がある。猪谷駅は、JR東海とJR西日本の境界の駅で、この駅で、運転手と車掌の引継ぎが行われる。そのことがあるのか、乗り降りする客がきわめて少ない駅ではあるが、「特急ひだ号」が停車する駅である。

神通峡をたずねて  猪谷かいわい 1

猪谷 

 国道四十一号線沿いに人家が密集し、小さな町にやって来たという感じがする集落である。中心には、高山本線猪谷駅があり、駅前には、郵便局や商店街がある。

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 細入村史には、「イノシシが多く住んでいたことによる説と、『井の谷』すなわち水の得られやすい地という説などがある。」と紹介されている。
 江戸時代の頃の猪谷の家並の多くは、山の斜面を登る桐谷道に沿って広がっていて、神通川に近い所を通る飛騨街道周辺には家が少なかったそうだ。人々は、急流の神通川沿いを避け、なだらかな山の斜面に生活の場を見つけて住んでいたようだ。今も、桐谷道周辺には、田畑がたくさん見られる。山の斜面を切り開いて、田畑を作っていった先人達の苦労が、棚田に積まれたたくさんの石垣から偲ばれる。
 江戸時代には、猪谷に関所が設けられ、飛騨街道を行き交う人々を厳しく監視した。国道四十一号線の山下自動車整備工場前には、富山藩西猪谷関所跡の碑が建っている。
 猪谷が大きく変貌するのは、昭和五年に開通した飛越線の猪谷駅ができてからである。神岡鉱山専用軌道が乗り入れ、鉱山物資の搬出入が始まり、駅前には三井鉱山のおびただしい施設が作られ、駅前通りには商店街がひしめくようになったという。 
 昭和四十一年、国鉄神岡線が開通し、三井専用軌道は、役目を終えた。昭和四十二年、生徒数の減少により、猪谷中学校は楡原中学校と統合し、廃校となった。昭和四十九年、三井鉱山アパート二棟の建設があり、二百人が入居した。
 平成に入り、三井鉱山の縮小、鉱山事務所、鉱山施設の撤去、神岡鉄道の廃線などが相次ぎ、猪谷の人口が急激に少なくなった。平成十五年、猪谷小学校は、楡原小学校と統合し、廃校となった。小学校跡地には、地区センターが建てられ、住民の憩いの場となっている。
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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