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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ 5-1

5 韮崎市から甲府市へ その1

 午前6時起床。疲れはない。荷物を整理し、7時過ぎ1階の食堂へ行く。作業服を来た人たちが食べ始めていた。日曜日なのに仕事に出掛けるようだ。バイキング方式だが、品数が少ないと思った。朝食を終え、熱いコーヒーを飲んだ。コーヒーが美味しかった。
 
 部屋へ戻り今日歩く道を、昨日貰った地図で調べた。韮崎からは旧甲州街道を歩いて甲府まで行けるようだった。道のりは20kmほどだ。天気もよいし、のんびり歩いても昼過ぎには着けそうだ。
 
 午前8時ホテルを出発した。旧道は韮崎市内を中央本線に沿うように伸びていた。繁華街も人通りはほとんどなかった。交差点に「ミニバスケット会場」というプラカードを持って立っているおばさんがいた。今日はどこかこの近くで大会があるようだ。旧道を歩いて行くと、ほとんどの交差点に同じプラカードを持ったおばさんが立っていた。ミニバスケットの会場はよほど分かりにくい場所で開かれるのだろう。朝早くから親たちが子どものために頑張っているのだと思った。
 
 40分ほど歩いた所で富士川の河川敷が見えて来た。遠くには南アルプスの白い峰も見える。今日はどこかで富士山が見えるのかも知れない。それを期待しながら富士川に架かる大きな橋を渡った。
 
 塩崎駅を過ぎた辺りから旧道の雰囲気が漂う街並みが続き始めた。立派な土蔵が建つ旧家がある。あまりの立派さにしばらく見とれていたら、黒塗りの車が2台その家へ入って行った。「こんな朝早くから何かあるのだろうか」と思い、少し前へ進んで家の中を覗くと、着物を来た若者が箒を持って庭を掃いているのが見えた。黒塗りの車からは黒い背広を来た男たちが下りて来た。不思議な光景を見ている感じがした。じろじろ見ていたら、着物の若者が睨んだので恐くなってその場を離れた。私の知らない世界がしっかりと存在していた。

 しばらく歩くと道が2つに分かれていた。左に曲がるのだろうか、それとも真直ぐ進むのだろうか。表示がないのでよく分からない。しばらく交差点でうろうろしていた。少し離れた所で工事をしている親父さんがいたので、聞いてみることにした。「旧甲州街道を歩いているのですが、どちらへ行ったらいいでしょうか」「旧甲州街道は、左の道だよ。中央線のガードを潜ってから、道を上って行くと1時間程で竜王町へ着くよ」鉢巻を巻いた親父さんは親切に教えてくれた。びっくりしたのは、その親父さんの乗っているトラックだった。フロントガラスに大きなひび割れがあるのだ。頭がぶつかってできたひび割れのようだった。「これ衝突したのですか」「ああ、昨日ね」親父さんはニヤニヤしながら答えた。「怪我はなかったのですか」と聞くと、「いやこの通りピンピンしているよ」と鉢巻を巻いた頭を撫でていた。「フロントガラスがひび割れたトラックが走って来たら、みんなビックリして振りかえるだろうな」と思った。

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 ガードを潜り、道を進んで行くと古い家並みがずっと続いていた。土蔵やナマコ壁のある家が連なり落ち着いた感じの街並みだった。

 緩やかな上り道からやがて平坦な道に変わった。小高い丘の上を道は通っているようだ。歩道がなくなり、路側帯を、車を気にしながら歩くことになった。平日ならトラックがたくさん通るのではないだろうか。路側帯には太い轍がたくさん付いていた。
 
[ 2012/04/20 11:45 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ4-3

4 富士見町から韮崎市へ その3 

 再び国道を歩き始めた。富士川に沿って道は真直ぐに伸びていた。「スピード注意」という警告板が立っている。猛スピードで飛ばしたくなりそうな直線道路だった。やはり、どの車も猛スピードで通り過ぎて行った。韮崎まで9kmという表示がある。2時間くらいで到着できそうだ。
 
 国道のすぐ横に自転車専用道路があることに気付いた。富士川の堤防に設置されているようだ。面白みのない国道を止め、韮崎まで自転車道を歩くことにした。サイクリングが楽しめるようにと作られたようだ。韮崎の町まで続いているとすれば相当に長いサイクリングロードだ。川原に生えたススキを見ながら歩いて行った。
 
 前方で犬が吠え出した。リュックを背負った私に向って吠えている。見掛けない怪しい格好をしているのだから、犬に吠えられても仕方がない。てっきり鎖で繋がれていると思ったら、そうではなかった。サイクリングロードの真中へ犬がのそのそと出て来た。中くらいの大きさの犬だ。もう後ろへ戻ることはできない。後ろに戻ればきっと犬は襲ってくるように思えた。覚悟を決め、杖変わりにしている写真のスタンドをしっかり握り締めて、犬に向かって行った。「噛みつくなら噛みついてみろ。その時はお前もタダじゃあ済まないぞ」犬を睨みつけながら進んで行くと、犬はサイクリングロードから退いた。「ワンワン」と鳴き声は一層激しくなったが、私は無事、犬の横を通り過ぎることが出来た。飼い犬なのだろうが、マナーの悪い飼い主がいるようだ。
 
 遠くから「ドーン」という音が聞こえて来た。花火を打ち上げているような音だった。「山でよく聞く動物避けの爆発音だろうか」そう思っていた。だんだんその音は近くなり、間隔も短くなってきた。対岸には大きな町が見えて来た。「対岸の町でお祭りの花火でも打ち上げているのだろうか」と思った。突然、「韮崎射撃場」という文字が目に飛びこんで来た。「危険!ここから中へ入ってはいけません」という看板も掛っている。大きな音は鉄砲の発車音だったのだ。射撃場は川原の中にあるようだが、草叢があってその建物は見ることができなかった。サイクリングロードのすぐ横には鉄条網が張り巡らされていた。

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 発射音はさらに大きくなった。間違えて鉄砲の弾が飛んできそうな雰囲気である。どうしてこんな射撃場のすぐ近くにサイクリングロードを通したのだろうか。これではのんびり自転車を漕いではいられない。発射音はますます大きくなり、ついには「ドヒューン」だけではなく「ヒュッ」という弾丸が飛ぶ音まで聞こえてくるようになった。私は頭をかがめ駆け足になっていた。

 午後4時を過ぎ、辺りは少し薄暗くなって来た。韮崎の町まではまだ遠いのだろうか。前方に駐車場がある。おじいさんが軽トラに乗ろうとしている所だった。「すいません。韮崎の町まで行きたいのですが、まだ遠いでしょうか」と声を掛けた。「歩いているのかい。後4km程だよ」と返事が返って来た。おじいさんは、車から離れて私の所へやって来た。「どこから歩いて来たのかい」と聞かれた。「下諏訪から東京を目指して歩いています。今日は富士見町から歩いて来ました。このすぐ近くに射撃場があって少し恐かったです」と話した。「あそこは、恐いねえ。今年も散弾が飛んで来て、民家の壁が壊れたという被害があったよ。近々撤去するという話も出ているよ」おじいさんは力を込めて話した。「この先ずっと歩いて行くと大きな広場に出る。そこから堤防を上がれば韮崎の町はすぐだよ。気を付けて行きなさい」おじいさんに励まされ、サイクリングロードを再び歩き始めた。
 
 韮崎の町へ近付くに連れて、サイクリングロードを歩いている人や自転車で走っている人が増えて来た。家族連れでサイクリングをしている姿も見える。この道は市民の憩いの道になっているようだ。やはりこの道に射撃場は相応しくない。
 
 午後5時過ぎ、おじいさんが言っていた大きな広場に到着した。河川敷が大きな公園になっていた。堤防を上ると、韮崎の街並みが広がっていた。すぐにも宿を見つけて横になりたい気分だ。遠くに大きなビルが見える。屋上のネオンが光っていて「ルートイン韮崎」と読めた。「今夜はあのホテルで泊れるといいなあ」そう思いながら堤防道路を歩いて行った。
 
 「お一人様ですね。1泊6500円、朝食が付いて7500円です。よろしいでしょうか」フロントの男性から快い返事を貰った。今日は土曜日なのに満室ではなかった。こういうホテルは土日よりも平日の方が部屋の確保が難しいのかも知れないと思った。

  夕飯はすぐ隣にあるラーメン屋で食べた。ビールを注文した。驚いたことに、ビールに奴どうふとダイコンの漬物が付いて来た。ビールの突出しにしては量が多いのに驚いた。ビールを追加し、ヤキソバを食べた。ヤキソバも量が多かった。その後、近くのカラオケスナックへ行った。飲み物と歌が付いて2000円だった。コーヒーを飲みながら、カラオケを歌った。
 
 午後9時過ぎ、飲み過ぎることもなく、しっかりした足取りでホテルへ帰る。この分なら旅を続けられそうだと思った。明日は甲府まで歩くことにした。
[ 2012/04/19 18:18 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ4-2


4 富士見町から韮崎市へ その2

 再び一人だけが歩く道になった。しばらく行くと道の駅「信州蔦木宿」に到着した。長野県と山梨県の県境にある。釜無川の渕に建てられ、景色もよく、温泉施設も併設されている。今日は土曜日。しかも紅葉が最高潮を迎えていることもあり、道の駅は賑わっていた。
  
 再び国道を歩き始めた。手に入れた地図で大まかなルートは分かったが、細かい所はやはり土地の人に聞きながら進まなくてはいけないようだ。
 
「山梨県」という表示が見える。いよいよ長野県から山梨県に入る。甲州街道という名前からして、この道は山梨県がメインの道だ。山梨県の中央部を東西に横断して東京へ続いている。これから何日間か山梨県を歩くのだが、どんな県なのだろう。人との出会いを楽しみにしながら山梨県へ入った。
 
 「旧道を歩いているのですが、この先に古い道は残っていますか」向こうから自転車に乗ってきたおじいさんに声を掛けた。「この先にコンビニがある。そこから左に下って行く道が旧道だよ」おじいさんは親切に教えてくれた。

 しばらく歩くとコンビニが見えて来た。国道の左に少し細い道が遠くの家並みに向って伸びていた。細い道は昔の国道のようだった。「制限時速30km」という交通標識が立ち、今は安全な村の生活道路となっているようだが、しばらく前までは、車がこの道を激しく行き交っていたように思えた。バイパスが出来たので、今は車がほとんど走っていないのだ。高速道路よりも、こういう道路建設が優先されるべきでないかと思うのだが、その声は政治家にはなかなか届かないようだ。
 
 古い家並みが並んでいる。地図にある「教来石宿」を歩いているようだ。庭を構えた大きな家が多い。畑にはカブ、ダイコン、ハクサイなどが収獲時を迎え、取れ入れをしている人の姿も見える。家の前でズキイモの茎を干しているおばあさんがいた。冬支度が始まっているようだった。「こんにちは」と挨拶をすると「こんにちは」と優しい声が返って来た。
 
 立派な家なのに、玄関戸には埃が溜まり、少し荒れた感じのする家も目に付いた。やがて廃屋になってしまうのだろうか。山間の村の過疎化が急速に進んでいるように思った。それにしても、車の心配をしないで、のんびりと旧道を歩くのはいい気持ちだった。

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 旧道は再び国道と合流したが、しばらくして、制限時速30kmの道路標識が立つ旧道が再び現れた。台ケ原宿のあった所だ。立派な旧家が見える。「七賢」と屋号が飾られ、大きな杉の珠が軒に下がっている。「名水を醸して250年。酒の王者七賢」という垂幕が掛っていた。山梨県では有名な酒屋らしい。時刻は12時を過ぎている。食堂があればそこで昼食にしようと思った。
 
 幸運にも、白州町役場の前に食堂があるので中へ入った。店は結構混んでいた。カウンターの席に座ってランチを注文した。隣の席の親父さんがいい気分で酒を飲んでいた。「大きなリュックを背負って旅しているのかい」と親父さんに話し掛けられた。「ええ、甲州街道を歩きに来ました。昨日下諏訪を出発しました」と答えた。「すごいね。今日はどこまで行くのかい」と聞かれた。「まだ、はっきり決めてはいないのですが、この先に宿がありそうな所がありますか」と言うと、親父さんは乗り気になっていろいろ教えてくれた。「須玉町まで行けば宿は見つかると思うけど、上り道がきついよ。このまま韮崎まで歩いて行けば宿がたくさんあるから、そうしたら。ここから15kmくらいだから、十分夕方には着けるよ」と勧められた。今日は親父さんの助言に従って、韮崎を目指すことにした。

 国道をどんどん歩いて行った。この近くに「万休院の舞鶴松」という樹齢400年の松があるようだが、国道から2kmほど奥へ入った所なので寄ることはあきらめた。山肌の紅葉を眺めながら早足で歩いた。道が下っているので、自然と足が前へ出る。この分なら4時過ぎには韮崎へ到着できそうだ。
 
 山を下るに連れて紅葉の様子に変化が現れた。まだ紅葉していない青い葉を付けた木々が見える。今日はずっと道を下り続けている。長野県と比べるとこの辺りは、高度がかなり低くなり、気温が高いのだろう。紅葉はこれからのようだ。
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 午後3時過ぎ、大きな橋が見えて来た。橋の下を大きな川が流れていた。「富士川」と表示がある。「どうして富士川なの?」不思議に思って地図で調べた。この辺りは釜無川と呼ばれているが、下流に行くと富士川と名前を変え、駿河湾に注いでいる。富士見町からずっと富士川を下って来ていたのだ。「旧東海道富士川の渡し」は、難所だったが、長野県を水源に、山梨県、静岡県を縦断している川なのだから至極当然のことなのだ。今まで、富士川は富士山から流れて出いる川だとばかり思っていた。また少し賢くなったようだ。休憩を兼ねてスケッチをした。やはり、紅葉は上手く表現できなかった。
 
[ 2012/04/16 14:32 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに 富士見町から韮崎市へ4-1

4 富士見町から韮崎市へ その1

 午前6時起床。外は小雨が降っていた。今日は雨の中を歩かなくてはいけないようだ。地下にある大浴場へ行くと、青年が1人風呂に入っていた。昨日歩いた疲れはなかった。まだ体力は十分残っているようだ。
 
  午前7時、1階のレストランで朝食を取る。旅館の料金に朝食がセットされているのだ。もう数人がテーブルに着いて食事を始めていた。昨日宴会をやった人たちのようだった。会話が聞こえて来る。「今日もよろしくお願いします」「総合学習のカリキュラムは難しいですね…」そこへリュックを背負った女性が入って来た。「おはようございます」「どこへ行っていたの?」「学校へ行ってきました」「仕事熱心だね。今日の研修よろしくね」と年輩の男性が声を掛けていた。研修で宿泊している先生たちのようだった。
 
  午前8時、旅館を出発した。カッパを着て歩くことにした。いろんな所へ歩きに行ったが、雨の中を歩いた経験がほとんどなかった。今回は少し長期間の旅行になりそうだ。雨の中を歩くことが何度かあるかもしれない。不思議と私は天候には恵まれている。今日はいい体験になると思って歩き始めた。
 
  富士見町の街中から坂道を下って国道へ出た。国道もずっと下り坂だった。30分ほど歩いた所で人家が見えて来た。峠道を一気に下りてしまったようだ。国道の脇に細い道があるので、そこを歩くことにした。古い家並みが続き、この道は旧道のようだった。

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  道のすぐ横を川が流れ、遠くの山肌が黄色や橙色に紅葉していた。紅葉は最盛期を迎えているようだった。空家になった家の軒先を借りて、絵を描くことにした。「昨日描けなかった紅葉が描けるといいなあ」と思いながら、スケッチを終え、絵の具を取り出して塗り始めたが、平凡な紅葉になってしまった。紅葉を表現するのは本当に難しい。しかし、そんなことより素晴らしい景色を目の当たりにできたことが最高だった。

雨が止み、空が明るくなり始めた。「ついているな」と思った。リュックを背負って歩き始めた。旧道だと思っていた道は少し行った所で国道と合流した。そこからは再び国道を歩くことになった。

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向こうからリュックを背負った人がやって来た。「私のように道を歩いている人がいるのだ」と嬉しくなる。「こんにちは」と声を掛ける。「こんにちは」その人は挨拶しながら、あっという間に通り過ぎて行った。すごい早足で歩いて行ったのにはびっくりした。さらに、向こうから何人も道を歩いて来る。その集団は30人を超えている。「どういうことなの?グループで歩きに来たのだろうか」と不思議に思った。さらにその先を見ると歩道が人で溢れていた。「甲州夢街道2001年の取り組みが土、日にかけてあります。富士見町辺りで会うかもしれませんね」という話を思い出した。街道ウオークの人たちと遭遇したのだ。「これは大変なことになったなあ」と思いながら狭い歩道を歩いて行った。

 擦れ違った人の数はどのくらいだったろうか。1000人を裕に超えていた。大都会の人並みを掻き分けながら進んで行くようだった。「この人どうして反対に向って歩いているの」と怪訝な顔で私を見る人もいた。少し恥ずかしい気持ちも湧いてきたが、私は集団とは正反対の方向へ足を進めた。

 30分近く行った蔦木の町に関係者の車が止まっていた。「今日の出発点は、信濃境駅です」と係の女性が教えてくれた。信濃境駅は国道から少し山へ入った所にあるということだった。「甲州街道を歩いているのですが、甲州街道に関する資料とか地図を持っていませんか」その女性に尋ねた。「資料が幾つか車に積んであるからちょっと待ってください」女性は車の中にいた男性に箱の中を探すように頼んでいた。しばらくして、男性がパンフレットを持ってやって来た。「甲州夢街道2001 ROAD MAP」と表題のあるパンフレットで、甲州街道の全コースの地図が印刷されていた。最高のプレゼントだった。「甲州街道を最後まで歩いて東京へ到着してください。気を付けて」と2人から激励された。

 
[ 2012/04/15 06:31 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ3-4

3 下諏訪町から富士見町へ その4 

 再び歩き始めた。重いリュックを背負って歩けるのだろうかと思っていたが、まだ十分歩けるようだ。
 「木船」と表示のある村に着いたところで旧道がなくなり、再び国道20号線を歩くことになった。しばらく歩くと古い家並みが続くようになった。「金沢宿」と表示がある。今はだれも住んでいなくて廃屋のようになってしまった家もある。時代の流れに取り残されてしまったという感じが町全体に漂っていた。
 
腹の調子が変だ。何処かでトイレを借りなくてはいけないと思うが、国道が続いているだけで家は見えなかった。大きなカーブを曲がった所で、コンビニが見えて来た。「助かった」と思った。コンビニへ駆け込んだ。最近のコンビニはトイレが設置してあることが多い。特に国道に面しているコンビニには立派なトイレが設置してある。今年の夏、北海道を旅行していて何度もコンビニのトイレを利用した。この店にも清潔なトイレが設置してあった。最近の旅行では、コンビニはなくてはならない施設になっているようだ。

 再び国道20号線を歩き始めた。本当に旧道は残っていないのだろうか。人家が何軒か建っている。「人がいたら聞いてみよう」と思いながら歩いて行くと、家の前の畑で草取りをしているおばあさんがいた。「こんにちは。旧甲州街道を歩いているのですが、この辺りに旧道は残っていないのでしょうか」と尋ねた。「どこから歩いて来たの。旧道はこの家の裏山の上を通っていますよ」とおばあさんは裏山を見上げながら答えた。ずっと国道を歩いていて、家が全くないので変だなあと思っていたのだが、やはり旧道があったのだ。「この庭から崖を上って行きなさい。すぐそこに一里塚があるから見て行かれるといい。立派な一里塚ですよ」おばあさんは庭の横にある道まで私を案内してくれた。

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 急な崖を上って行くと舗装された道へ出た。山の下の方を国道が走っているのが見えた。金沢宿からずっとこの旧道は続いていたのだろうか。 
 少し行くと大きなケヤキが見えて来た。今朝、上諏訪の神社で見たケヤキと同じくらいの大木だった。それがおばあさんの話していた一里塚だった。「富士見町御射山神戸の一里塚で江戸から48里のところにある。ケヤキの樹齢は約380年」と表示されていた。歴史を感じさせる立派な一里塚だった。

 道は緩やかに下り始め、再び国道20号線と合流した。時刻は3時を過ぎていた。今日は富士見町で宿を見つけることにした。富士見町の街中までは後4kmほどだ。もうひと頑張りという気持ちで国道を歩いて行った。

4時過ぎ、「富士見町市街」という表示が見えた。「今日の旅はもうすぐ終了できそうだ」と、その時は思っていた。
 交差点の前方に民宿らしい建物が見える。「宿泊できます」と大きな案内板も出ている。近付いて見ると、その旅館は、壁も窓も薄汚れていて、壊れているところもある。とても、営業しているとは思えない建物だった。しかし、私の方は「とにかく、早く横になって休みたい」という気持ちだったので、だめで元々と、入口の戸を開けて「ごめんください」と声を掛けた。何度か呼んでいると、奥の戸が開いた。老人が10人ほど奥の部屋で宴会をしている雰囲気だった。その中の1人が酔っ払った雰囲気で出て来た。この民宿の主人のようだった。「今晩泊れるでしょうか」と私が言うと、老人は「いや、泊れないことはないけど、見た通り、食事は作れないよ」と台所を指差した。台所のテーブルの上には鍋やゴミが散乱し、とても台所という雰囲気ではなかった。「食事はすぐ近くのコンビニで買って来て、食べてもらわないかんな」と老人は面度臭いそうに付け加えた。とてもここで宿泊する気にはなれなかった。「富士見駅の近くに何軒か旅館があるよ」と老人に教えてもらい、その民宿を後にした。値段は聞かなかったが、きっと安さだけが売り物の民宿なのだろう。

国道から富士見町の街中まではきつい上り坂が続いていた。ちょうど下校する小学生と一緒になり、足取りが少し軽くなった気がした。「富士見町というから、富士山は見えるのかな」と女の子に聞いくと「ずっと向こうの高い所へ行けば見えるよ」と笑顔で教えてくれた。

 駅前には旅館が3軒あった。最初に入った旅館は「残念ですが、廃業しました」と断わられた。2番目に入った旅館は「残念ですが、今晩夜中に家の前の道で下水道工事をします。騒音が激しいので今日は営業を休みにしました」と断わられた。3番目に入った旅館も、同じ理由で断わられてしまったのだ。宿を見つけるのは本当に難しい。
 駅の裏にも旅館があるということで、そこへ行くことにした。時刻は5時半を過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。

 へとへとに疲れた身体で、ニュー富士見のフロントに立っていた。建物が新しくて申し分ない旅館だった。「今晩宿泊できるでしょうか」と受付の女性に声を掛けた。「少しお待ちください」しばらく女性は書類を眺めていたが、「残念ですが、空きがないようです」と冷たい返事が返って来た。「ここで5軒目なのですが、泊れる部屋はありませんか」と泣き付いた。私の困っている様子を傍で見ていた支配人らしい男性が「大部屋なら空いていますから、そこでよかったら泊めることができます。ただし、その部屋は宴会場の真ん前だから喧しいかもしれませんが、いいですか」と助け船を出してくれた。やっとのことで宿を見つけることが出来たのだが、行き当りばったりの旅での宿探しはつくづく難しいものだと思った。これから先もこのようなことがしばしば起るのであるが…。

 風呂に入った後、駅前の飲み屋で夕飯を食べた。焼き魚と湯豆腐の定食を食べた。1日中歩いた疲れがどっと出て来て、8時過ぎには旅館へ戻り、床に着いた。「宴会場が喧しいですから」と聞いていたが、宴会場の騒ぎを私は、何も知らない。

 
[ 2012/04/14 06:07 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

ふらりききまに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ3-3

3 下諏訪町から富士見町へ その3 

 茅野市に入った。この町は八ヶ岳連峰や蓼科高原、蓼科温泉郷がある高原都市である。高原を結ぶビーナスラインが走り毎年たくさんの観光客で賑わっているという。茅野駅前に到着した。大都会にあるような大きな駅だった。ひょっとしたらここで旧甲州街道の地図が手に入るかもしれないと思い、立ち寄ることにした。
 
 駅の案内所へ行ったが、パンフレットが置いてあるだけだった。仕方なく、ビルの中をうろうろしていたら、「茅野市観光案内所」という表示が目に入った。事務所は1階にあった。中へ入ると若い女性がカウンターの所で仕事をしていた。「すいません。旧甲州街道を歩いているのですが、何か甲州街道に関する資料とか地図とかないでしょうか」と若い女性に尋ねた。
 「旧甲州街道ですね」と女性は戸棚を開けたりしていろいろ調べ始めた。「地図はないみたいですね。そうそう明日、街道ウォークがあるから、係の人なら知っているかもしれませんね。聞いてみましょう」と電話を掛けてくれた。「残念ですが、資料はないそうです」と女性は済まなさそうな顔で答えた。「この先の山室から旧道があるそうです」と女性は付け加えた。「その道でしたら、先ほど教えてもらいました。ありがとうございました」私は礼をいって事務所を出た。「甲州街道沿いには親切な人がたくさん住んでいるのだ」と思った。
 
 国道20号線を歩いて行く。歩道はあるが、大型トラックの風圧を感じる。茅野の町を出た。上諏訪から旧道の雰囲気が全くない道をひたすら歩き続けている。早く旧道を歩きたいものだ。
 「宮川坂室」という表示のある交差点に差し掛かった。ここから旧道を歩けるのだ。一つ目の橋を渡った。すぐ先に二つ目の橋が見える。どうやらその間にある道を進むようだ。分岐点には道祖神や記念碑などがたくさん立っていた。橋の袂に酒屋がある。聞いてみることにした。
 
 「ごめんください」声を掛けると、中からおばさんが出て来た。「旧甲州街道はその道のことでしょうか」と尋ねると、「ええそうです。あの道が旧甲州街道です。そのまま川沿いに歩いて行ってください。生コン会社が見えますから、そこへ続く道を歩いて行くと、木船という村に出ます」と親切に教えてくれた。時刻は午後1時近くになっていた。パンとお茶を買って店を出た。

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 旧道だという川沿いの道を歩いて、中央本線のガードをくぐると、生コン会社が見えた。教えられたように、そこへ続く細い道を進んで行った。振り返ると、橙色に紅葉した山があり、その手前の田んぼには稲穂が干してあった。その境を特急列車が走って行った。絵になる風景だなと思った。冷たい風が吹いていたが、しばらくここで絵を描いていくことにした。さっき買ったパンを齧りながら、絵を描き始めたが、紅葉の山を表現するのがとても難しかった。旅をする中で紅葉が描けるようになるといいのだが…。
 
[ 2012/04/13 06:05 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ 3-2

3 下諏訪町から富士見町へ その2

 小高い丘の道をしばらく歩くと上諏訪の町へ入った。旧道はなくなり国道20号線を歩くようになった。上諏訪駅前を過ぎ、少し行った所に大きな鳥居が見えた。急な石段が山の上に向って伸びている。この上に神社があるようだ。下諏訪を出発して1時間。石段の上にある神社で休憩することにした。
 
 百段近くある石段を上り詰めた所に神社の本殿が建っていた。「手長神社」と案内板があった。神社のすぐ隣が上諏訪中学校だった。中学生たちは毎日この長い石段を上って通学しているのだろう。自然と足腰が鍛えられるに違いないと思った。

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 本殿のすぐ脇にりっぱなケヤキが生えていた。こんなに太いケヤキを見たのは初めてのように思った。そこへ宮司さんが掃除にやって来た。「すごい大木ですね」と話し掛けると、「この神社のご神木になっているケヤキです。樹齢400年と云われていますが、それより古いかも知れません」と丁寧に説明してくれた。

 手元に甲州街道を示す地図がないことが一番困った。上諏訪からは国道20号線の歩道を歩き続けているが、車道を大型トラックが引切り無し走って行く。こんな道をこれからも歩き続けるのかと思うと気が滅入って来る。「何て馬鹿なことをやっているのだろう」「いや、歩き始めたばかりだからそう思うのだろう。そのうちそんなことは考えなくなる。我慢して歩きな」と自問自答を繰り返した。
 
 前の方をおばさんが歩いていた。「旧甲州街道のことを聞いてみよう」と思った。「すいません。旧甲州街道はこの道ですか」と声を掛けた。「旧甲州街道?ちょっと待って。私の家がすぐ先にあるから着いて来なさい。旦那が何か知っていると思うから聞いてみるといいよ」声を掛けたおばさんから思い掛けない返事を貰ったのだ。私は、親切なおばさんに招かれておばさんの家まで行くことになった。

 親切なおばさんの家は自動車修理工場を経営していた。旦那さんという人は電話を掛けていた。電話が終って、おばさんが私のことを説明しているようだった。やがて、旦那さんはにこにこしながら私の所へやって来た。「旧甲州街道を歩いているのだって。ここまではどこを歩いて来たのかね」と質問された。「上諏訪の元町からずっと国道20号線を歩いて来ました」と答えた。「旧甲州街道は国道より山手を通っているのだよ。そこを歩かれるとよかったのにね。これから茅野までは国道が旧甲州街道だよ。その先へ行くと古い道が残っているよ」と地図を開いて教えてくれた。「いいかい。茅野を過ぎてしばらく行くと坂室という村に入る。橋が二つあるから、最初の橋は渡っていいが、二つ目の橋は渡っちゃいけない。間にある道を左に行くんだ。それが旧甲州街道だ。なかなかいい道だよ。明日、甲州夢街道2001のイベントでたくさんの人が歩くよ。私もその手伝いをしているのだが、ひょっとすると明日、富士見辺りでその人たちとすれ違うかも知れないね。頑張って東京まで行ってください」と仕事の手を休めて親切に教えてくれた。
 
[ 2012/04/12 06:35 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ3-1

3 下諏訪町から富士見町へ その1
 
 午前6時頃目が覚めた。霧がかかっているが、空は晴れているようだ。昨夜飲んだ酒が少し残っている感じだ。
洗面を終え、荷物を整理していると、部屋の電話が鳴った。「お食事の用意ができています」と丁寧な案内だった。指定された部屋へ行くと、年輩の夫婦が食事を始めていた。挨拶をして用意された膳の前に座った。「ご飯をよそいましょう」と奥さんが、親切に私の茶碗にご飯をよそってくれた。宿の人ならともかく、お客さんにご飯をよそってもらったのは、今回が初めてのような気がした。それが切っ掛けになり、年輩夫婦との会話が弾んだ。旅には人との出会いがあるというが、本当にその通りだった。
 老夫婦は丹波の人だった。今回はのんびりと信州を旅行しているという。息子さんが輪島に住んでいて、話題がその息子さんの結婚式の話になった。
「輪島の結婚式の引き出物はすごくて、大きな手提げ袋が出て来た。何が入っているのかと中を見たら、輪島塗りのお盆や花瓶が入っていて驚いた。今は引き出物はできるだけ軽くしようというのが普通になってきたのに、大きな引き出物を持たせる地域があるのだね」と本当に驚いたという表情で旦那さんが話した。「富山の結婚式の引き出物も大きいです。大きな蒲鉾が幾つもつくのです。あまりにも重くて、遠くから来た人は、富山空港にそのまま置いて行くという話も聞きます」と私は話した。「富山には、嫁に出した在所から新郎の家へ寒ブリを送るという慣わしもあります。寒ブリがそろそろ獲れる時期になりましたが、10kgで5万円くらいでしょうか」と話すと、老夫婦は目を丸くしていた。
 「登山でもしているのですか」と聞かれ、「甲州街道を歩いて東京まで行くつもりです」と答えると「頑張って東京まで行ってください。お気を付けて」と励まされた。お茶も入れてもらい楽しいひと時を過ごした。
 
 午前八時、宿を出発した。背中のリュックがずしりと身体に堪える。着替えの衣類もできるだけ少なくして2日分にした。しかし、デジカメや絵の具、雨具など入れたら10kgを超えてしまった。果たしてトラブルなしで歩けるのだろうか。少し不安があるが、とにかく進むことにした。
 諏訪大社秋宮は閑散としていたが、観光客らしい4人連れが、しめ縄の前で写真を撮っていた。やはり本殿の巨大なしめ縄が印象的だった。
 道の表示はないが、旧道らしい雰囲気のする道を歩いて行くことにした。今回は大きな地図しか手元になく、どれが甲州街道なのかよく分からない。出会った人に道を聞きながら進むことにしている。

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 緩やかな上り坂を進んで行くと、道の右側の視界が開け諏訪湖が見えて来た。朝霧が湖面を流れている。対岸に建っている高いビルの影が水面に映り幻想的な景色だった。道の左側は小高い丘になっていて、ペンション風の家が並んでいた。諏訪湖の景色が季節や時間によって変化して行くのを眺めながら生活できたらどんなに素晴らしいだろう。そう思っていたら、突然扉が開いて、若いおばさんが走って出て来た。おばさんは駐車してあった車のドアを手早く開け、運転席に座ってエンジンをかけるとあわてて出て行った。働きに出掛けたのだろう。忙しい生活の中では、美しい景色を見ている暇はないようだ。私のような暇なものにしかこの美しい景色を味わうことはできないのかもしれないと思った。
 
[ 2012/04/11 06:37 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

ふらりきままに 甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ2

2 下諏訪町

 11月8日(木)午後3時過ぎ、列車を乗り継ぎ、下諏訪駅に着いた。この駅に下りるのは今回が四度目だ。4年ほど前の5月の連休に、「和田峠を越えよう」とやって来たことがある。その時は、どの旅館も満員で、休業している旅館に頼み込んで泊めてもらった。そして、その夜、飲みに行った店で、諏訪大社の御柱を切り出す仕事をしてきた親父さんと出会い、面白い話をいろいろ聞かせてもらった。次の日は、切り出した御柱を崖から転がり落とす神事が行なわれ、下諏訪の町は、たくさんの人で賑わっていた。

 今日は、どこに宿泊しようか。旅をしていて困ることの一つが宿を見つけることである。前もって予約しておけばよいのだが、私の旅は、気ままな歩き旅。何処まで歩くのか、その日が終わらないと分からない。行き着いた所で宿探しを始めるのだから、悪戦苦闘することはいつものことなのだ。
 
 下諏訪駅のすぐ横に、旅行代理店があったことを思い出した。旅行代理店の扉を開けて中へ入った。何と、そこはJR下諏訪駅の事務室だった。JR下諏訪駅は、旅行代理店も兼ねていたのだ。
「すいませんが、今晩宿泊できる宿を紹介してもらえませんか」と切符を売っていた駅員に話し掛けた。「はい」とその駅員は私の所へやって来た。「1泊2食付きでいいですね」駅員は、名簿から一つの旅館を選んで電話した。「男性1名。1泊2食付きでお願いできますか」と話している。「お客さん、取れました。うらかめやといいます。1泊2食付きで1万円です」と、にこにこしながら0Kのサインを私に送ってくれた。今までJRの駅で「宿を紹介してほしい」と相談したことはあるが、クーポンまで切ってくれたのは、この駅が初めてだと思った。 
 
「うらかめや」は、諏訪大社秋宮のすぐ横にあった。創業130年という老舗の旅館だった。諏訪大社秋宮の森や諏訪湖を眺めながら温泉に入れるというおまけまで付いていた。「食事は何時にしましょうか」と仲居さんがやって来た。「7時頃にお願いします」と言うと、「時刻になりましたら、この部屋へ食事をお持ちします」と丁寧な言葉が返って来た。「さすがにここは、一流旅館だ」と思った。

 夕食まで時間があるので、スケッチブックを持って散歩に出掛けた。「下諏訪の町は歴史が古い。諏訪大社の門前町として開けたが、江戸時代には、甲州街道と中山道の分岐点という交通の要の宿場町として発展した。明治に入ってからは製糸工業や精密機械工業も盛んになり、豊富な温泉もあり、工業地域・観光地として現在に至っている」とパンフレットに説明がある。

 秋宮の周りは古い家並みが続き、本陣跡・民族資料館・オルゴール博物館・時の科学館などの観光施設あった。歩道のない狭い道を、大きなトラックが引切り無しに通っている。この道は、和田峠を越えて小諸へ抜ける国道142号線なのだ。以前よりも、トラックの量が増えているように思った。道を広げるか、バイパスを作る必要があるのだろうが、狭い町では、土地の確保が思うようにいかないのだろう。安心して生活できる環境作りが、この町の重要な課題のように思った。
 
 秋宮の境内でスケッチをすることにした。最近、私は旅に出る時にはカメラと一緒に、絵の具も持ち歩くようになった。今回の旅でも、印象に残った風景をスケッチしようと水彩絵の具を持って来た。今回は、少し本腰を入れて絵を描こうと思っている。

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 夕暮れ時が迫った秋宮の本殿の前に座って、絵を描き始めた。巨大なしめ縄が梁から下がっている。時々お参りする人が訪れてしめ縄の下で手を合わせていた。この巨大なしめ縄なら何でも願いを叶えてくれそうな気がした。
 トラックが激しく行き交う道を歩いて旅館へ戻った。今日描いたスケッチに手を加えていたら、仲居さんが料理を運んで来た。ビールを注文し、食事を始めた。信州の宿の刺身は、きっと鯉のアライが出て来ると思っていたのだが、やはりその通りだった。鯉のアライは美味しかった。 

 食事を終り、風呂に入った。寝るにはまだ早い。いつものお決まりのように、飲みに出た。すぐ近くにあるスナックに入ったが、客はだれもいなかった。この所の不況は、観光地には相当影響があるようだ。カラオケを何曲か唄い、旅の話で盛り上がり、少々飲み過ぎてしまったようだ。旅の最初の晩がこれでは、これから先、歩き続けられるのだろうか。少々心配になスタートとなった。10時過ぎ、宿へ戻ったが、その夜は、大イビキをかいていたのだろう。
[ 2012/04/10 06:38 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに  甲州街道を歩いて下諏訪から新宿へ1

1 プロローグ

 「甲州街道を歩いてみよう」という思いがむらむらと沸き起こって来た。これにはそれなりの理由がある。
 去年の暮れ、私は富山の細入村に引っ越した。田舎暮らしには絶対に必要だと考えて、その時に車の免許を取得した。それ以来、車に乗る生活が続くようになった。隣町へ何かを買いに行く時には、必ず車で出掛ける。10分も走れば大きなスーパーへ到着し、食料品やら日用品やら、ほとんどの品物が手に入る。車の免許を取得して本当によかったと思った。
 夏には初心者マークを付けた車で北海道も回って来た。その時のことを、今までと同じように旅日記にした。そして、私の旅日記を愛読してくれている友人たちに「初心者マークを付けて走った北海道の旅」と題して旅日記を送った。車に乗る生活が、今までの自分のスタイルを大きく変えてしまったことに、私はまだ気が付かないでいた。
 
 しばらくして、私の友人たちから旅日記の感想が届いた。
「何だか、今ごろになって車の便利さに気づいたことにびっくりしたよ。初めて車を運転したのだから分からないこともないけれど…」「貴方に期待していたのは、私たちが日頃やれない旅行だった。自分もやってみたいと思っていた。今回のは、自分たちがいつもやっている旅と同じで、新鮮さがなかった」「やっぱり、今までのように、歩いたり、列車に乗ったりした旅日記を書いてよ」と厳しい感想ばかりだった。
 何時の間にか、自分の築いてきた旅のスタイルまで変化させてしまったことにやっと気付いた。そして、「今度は、今まで自分がやってきた旅をしよう」と思うようになった。

 しかし、旅に出るチャンスは、なかなかやって来なかった。畑の仕事があるからだ。2、3日なら何とかなるのだが、1週間も休みを取ることはできなかった。畑を耕して作物を作ることは、本当に大変なことだということを痛感していた。 
そうこうしている内に、もう季節は晩秋を迎えていた。ようやく、秋野菜の世話も終り、後は収獲するだけになった。「今なら旅に出られる」と思った。

 どこへ行こうか。東海道や中山道を歩き通した時のような達成感の得られる所がいい。五街道では奥州街道、甲州街道、日光街道をまだ歩いていなかった。
インターネットで調べると、幸運にも、「甲州夢街道2001」という企画が組まれている。「甲州街道は、イベントに組まれるのだから、旧道がありそうだ」と思った。距離的には210kmと長距離ではあるが、まだ自分の体力なら大丈夫という自信もある。それで「甲州街道を歩いてみよう」と決めた。イベントとは逆コースで、下諏訪から出発し、新宿をゴールとした。(甲州街道は日本橋と下諏訪を結んでいる。新宿は一番目の宿場)
 
 久しぶりに、大きなリュックを押し入れから引っ張り出し、着替えや雨具等を詰め始めた。そこへ上さんがやって来た。
「何処かへ旅行にでも行くのけ。顔を見ると喧嘩ばかりしているから、しばらく休戦やね。ゆっくり旅行して来られ」という上さんの声に送られて、出発した。
[ 2012/04/09 06:45 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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