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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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北海道スケッチ旅行 第1日目

第1日目(5月16日) 富山~直江津 

 北海道の新緑が見たくなり、旅に出ました。軽自動車を走らせて、北海道の海岸沿いを巡る予定です。今回の旅は、新緑の北海道をスケッチしてくることが目的です。いい絵が描けるといいのですが・・・。
  富山から国道8号線を走りました。富山県と新潟県の県境に「親不知海岸」があります。立山連峰が海に迫り、険しい断崖が続き、昔は難所だった所です。昔の人は荒波に浚われる危険を冒して、海岸を歩いて行ったということです。

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 国道8号線は長いトンネルが幾つも続いています。大きなトラックが激しく行き交い、トラックに追い立てられながら、私は、ハンドルを握っていました。今も難所に変わりないと思いました。
 見晴らしの利く駐車場でスケッチをしました。海は穏やかで、新緑の山がコバルトブルーの海に突き出していました。この辺りの海岸を歩けば、ヒスイが拾えるという話です。海岸に下りてみました。丸い形した石ころが、波に洗われてキラキラ光っていました。私には、どの石もヒスイに見えました。記念にキラキラ光る石ころを1つ拾いました。車へ戻り、拾った石ころを見ると、もうあの光は見えなくなっていました。子どもの頃によく似た体験をしたことがあるように思いました。それが何だったのかもちろん思い出すことはできませんが・・・・。
 
 車で出掛けようと思ったのには、いろいろ理由があります。
 とにかく、車は好きな所へ行けることです。対馬を旅した時に、レンタカーを借りましたが、短時間で島内のほとんどを見学することができました。広い北海道を旅するのですから、車は便利です。
また、車ならスケッチブックや絵の具など重い画材も持ち運びできますし、今回は、車の中で宿泊することも考えまして、ガスコンロや簡単な調理道具、それに寝袋やテント等も積み込みました。

 私の車が、軽自動車だというのが少し難点ですが、狭いのを我慢すれば何とかなるのではと安易に考えました。
北海道を車で旅するのは今回で2度目になります。高速道路並のスピードで飛ばす北海道の車に混じって、上手く走ることができるのか少々不安な気持ちもありますが、とにかく私の車の旅が始まりました。
まずは、フェリーが出航する直江津港を目指して走りました。

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 午後3時過ぎ、直江津港に到着しました。フェリーの予約はしていませんでしたが、無事乗船手続き終えることが出来ました。北海道室蘭まで15,200円でした。この値段は安いと思いました。軽自動車だからでしょうか。フェリーの出航時刻は23時30分。まだしっかり時間があります。直江津港でのんびり過ごすことにしました。フェリー埠頭から大きな風車が見えました。北海道苫牧の風車を思い出しました。旅の終わりには、風車の風景がたくさんスケッチブックに収まっているのでしょうか。埠頭の横で釣り人が竿を伸ばして、イワシを狙っていました。「今日はさっぱり釣れんわ」釣り人はしばらくして皆帰って行きました。

 車の中で、コンビニ弁当の夕飯を食べ、ラジオでプロ野球を聞き、午後11時過ぎ、室蘭行フェリーに乗船しました。明日の夕方に室蘭到着です。
[ 2012/05/20 16:51 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(1)

奈良「山辺の道」を歩く その2

大神神社~天理 

 山辺の道はこの辺りから、東側に連なる三輪山、龍王山の裾を巻くように伸びている。道の両側には畑が広がり、黄色い菜の花があちらこちらに咲き、のどかな里山の道である。穏やかな春の日差しを受けて、気持ちよく歩いて行ける。所々に植えてある梅の木はかわいい白い花を付けていた。道はよく整備されていて、とても歩きやすい。何よりも感心するのは、トイレの設置が多いことである。今までいろいろな道を歩いてきたが、ここほどトイレが設置されている道は初めてである。しかも、そのトイレはよく整備されていて、たいへん清潔で使いやすいものであった。きっと行楽時期には本当にたくさんの人が歩いているのではないだろうか。今日も、時々リュック背負った人とすれ違っている。

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 道の所々に無人の販売所が設けられていて、土地で採れる野菜が一袋百円で売られている。菜の花やわらび、ぜんまい、みかんなどが袋に入っている。無人販売所の数がとても多いのにも驚いた。歩く人がたくさんいるのでこういう商売も成り立つのだろう。


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 遠くに小高い森が見えてきた。景行天皇陵である。全長三百メートルの大きな前方後円墳で、周りは堀で囲まれている。この古墳から五百メートルほど離れたところにも崇神天皇陵、櫛山古墳がある。桜井から天理に至るこの辺りにはこうした古墳が幾つもある。昔、この地方が文化の中心地であったことを伺わせる証しである。時計は十二時を過ぎ、お腹の方も空いてきた。崇神天皇陵の堀の堤に芝生が植わっていたので、そこで昼ご飯にした。

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 崇神天皇陵から少し町中の道を歩いて行った所に長岳寺がある。日本最古の鐘楼門へ続く参道の両側に植えられた平戸つつじが花を開く五月の景色はとても美しいとパンフレットに説明がある。長岳寺を過ぎ、町中の細い道を、道標に従って歩いて行くと、たくさんのかわいらしいお地蔵さんが並ぶところに出た。赤い前掛けをつけ、道の方を向いて並んでいる。春の花がびっしりと飾られている。この土地の守り神になっているのだろうか。このお地蔵さんのすぐ横が中山廃寺であったことから、お寺にあったお地蔵さんをここへ移動して奉ってあるのかもしれないなと思った。

 念仏寺を過ぎると道は墓地の真中に出る。両側にたくさんのお墓が並んでいる。今は昼なのでさほどでもないが、夜にこの道を通るのはあまり気分はよくないだろうなと思う。以前熊野古道を歩いていた時にも、お墓の真中を道が通り抜けているところを歩いたことがあった。なかなか常識では考えられない道があるものだ。ひょっとしたらこういう道は、夏の盛りに肝試しをする子どもたちで賑わっているのかもしれないなと思った。

 竹之内町に入る。ここは環濠集落が残るところとして有名である。環濠集落とは、防衛のために堀で囲んだの村落をいい、室町時代初期から増え始め戦国時代に完成をみたという。大和地方の村はほとんどが堀で囲まれていて、中でも竹之内町は海抜百メートルに位置し、大和最高所の環濠集落とのことである。

 この辺りから再び道の両側に畑が広がり、畑にはみかんや梅の木が植えられている。ビニールハウスなども目立つようになり、中を覗くとイチゴが栽培されていた。真っ直ぐに続く緩い上り道を進んで行く。無人の販売所も所々に設置されて、時々道を歩く人ともすれ違う。夜伽伎神社前を通り、きつい上り道になる。この峠を越えると天理市である。坂を上りきった所で道標の矢印を見間違え、違う方向に歩いてしまう。途中で農作業をしているおじいさんに「この道は行き止まりだよ」と教えられ、あわてて引き返した。ここは幾つも道が交差し、少し迷いそうな場所のように感じた。もう一本道標があるとよいのではないかと思った。

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 峠を越え、道を一気に下り、午後二時、小さな池の前に着いた。内山永久寺跡である。桜がもうすぐ満開を迎えるところで、池に桜の花が映り、美しい。たくさんの人が見物に来ている。池では釣りを楽しむ人もたくさんいる。立て札には「この池では会員以外の人の釣りを禁ずる」と書かれている。何が釣れるのか、釣り人に尋ねるとヘラブナだと教えてくれた。釣り堀が変形したものなのだろが、会員制の池を見たのは今回が初めてである。自分たちで魚を放流し、それを釣って楽しむという新しい釣りの方法に時代の流れを感じた。


 大きな道路の下をくぐり、暫らく歩くと、右手の森の中に大きな池が見えてきた。今日の最終目的地の石上神宮である。大きな神社である。たくさんの人が参拝にやって来ている。境内には、屋台も並び、花見の客もいる。桜の名所としても有名のようだ。十六キロを歩いた祝杯にと缶ビールを買って飲む。天理市にやって来たのは初めてである。缶ビールを飲みながら、すぐ前に見えるとてつもなく大きい建物を見ていた。屋根の両側に拝殿のようなものが付いていて、不思議な形をしている。天理教の教会か宿泊施設なのだろうか。

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 この後、天理駅まで歩いて行ったのだが、そこで見たものは私にとっては驚くべき光景であった。天理市に天理教の総本部があることは聞いていたが、石神神宮から天理駅までの道は天理教の町そのものであった。全国からの信者が宿泊する巨大な施設がいくつも建ち並び、町を行くほとんどの人たちは天理教と染め抜かれた黒い半天を身に着けていた。半天にはどこからやって来たのかが分かる支部名が染め抜かれている。練馬、大分、和歌山・・と全国からやって来ていることがわかる。私のように色の服をそのまま着て歩いている人はほとんどいない。あの人は天理教の信者ではないということが服装からすぐ分かってしまうのである。大きなお寺が見えてきた。天理教本部である。それは実に堂々たる建物で、私設の消防団もあり、消防自動車が何台も待機していた。商店街もずっと続き、みやげ物を売っている。全国から来た信者の人が買って行くのだろうが、どの店も商品が溢れ、繁盛しているように見えた。天理市が天理教の町であることを思い知らされた。

 今日の街道歩きは天理駅で終点を迎えたが、今までにない体験を得ることができ満足だった。帰りの近鉄電車の窓から遠くに見える三輪山を眺めながら、職場の友人たちにもこの道を紹介しようと思った。







[ 2012/05/19 11:18 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

奈良「山辺の道」を歩く その1

名古屋~大和朝倉~大神神社

 私は久しぶりの休暇を取り、街道歩きに出かけた。今日の目的地は奈良「山辺の道」。服装はいつもの履き古したスニーカーにジャンパー姿である。リュックを背負い、野暮ったい格好で高蔵寺から快速列車に乗車した。いつもだったらこの列車に通勤客として乗るのだが、今日は旅行客として乗っていることに、気分は少しウキウキしている。列車の中に、いつものくたびれた背広姿のサラリーマンに混じって、真新しい背広やスーツに着飾った若者たちの姿がある。四月一日は、各企業で入社式が行われる日でもある。社会人としてスタートするその若者たちの顔は、きりりと引き締まっていた。

 七時二十分に列車は名古屋駅に到着。名古屋駅で近鉄に乗り換える。近鉄特急難波行きの発車は七時三十分。僅か十分間しかない。近鉄の改札口へ急ぐ。「八木まで」と駅員に告げると「近鉄特急は全車指定席になっています。喫煙しますか」と尋ねられた。「禁煙席を」と答えると、平日なので座席に余裕があるのか、切符が機械から出てきた。

 車内はほぼ満席である。この列車でもスーツ姿に少し大きめのカバンを持った若者の姿が目につく。この若者たちも今日、社会人としてスタートするようだ。列車は定刻通り発車。通勤列車として利用されているようで、四日市、津では乗客の乗り降りが激しい。しかし、常に車内は満席状態である。十時二十分、近鉄八木駅に到着。昼食のおにぎりを駅の売店で購入する。十時四十分、名張行きの普通電車に乗り換え、大和朝倉に到着した。

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 朝倉駅から北に向かって歩き始める。目的の山辺の道は朝倉駅のすぐ近くを通り、天理市まで東海自然歩道として整備されている。道標が所々に立っているので、それに従って歩いて行けばよい。自然歩道をしばらく歩くと交通量の多い一般道路と重なってしまい、少し危険を感じながらの道歩きになった。左手に大きな川が迫ってきた。初瀬川で、堤には「遠い昔、難波津から大和川を経てきた舟運の終着地しての港がここにあった」との説明があり、記念碑も立てられていた。また、「奈良時代に百済から仏教を伝来する使者が降り立った地である」との説明もある。現在、川原を大きな公園にする計画があるようで、工事中であった。

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 ここから東海自然歩道は、一般道と分かれ、細い旧道になった。道は緩くカーブし古い町並みが続く。海拓榴市の案内板が立っている。「このあたりは古代、東西南北の陸路や難波への水路が集まる場所で、市があり、大いに賑わった」と説明がある。この道標のすぐ近くに海拓榴市観音が奉られていて、この日も五、六人がお参りに訪れていた。

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 次の目的地は、ここから、五百メートルほど行った所にある金屋の石仏である。パンフレットには、「コンクリート製の御堂の中に、二体の石仏が納められている。高さ二メートル余りの岩に掘り込まれた石仏で、右が釈迦如来、左が弥勒如来で、日本でも指折りの石仏である。」と書いてある。ところが、この日、私は石仏への道標を見落として、そのまま旧道を進み、三輪駅のすぐ近くまで行って、道を間違えたことにやっと気づくという失敗をした。山辺の道を人に聞いてやっと道に戻ることはできたのだが、すでに金屋の石仏前は通り過ぎていた。ここから引き返そうかとも考えたが、今日歩く距離を考えると、石仏を見る時間は取れそうにもないので、見ることは諦めることにした。今度来た時にはぜひ見なくてはと思った。

 平等寺というお寺の前に着く。たくさんの人がお参りに来ている。平日にもかかわらず、二十人近い参拝者がいるのには少し驚いたが、「きっとこのお寺はこの地域では有名なのだろう」と私はその程度に思っていた。そこから、細い道を歩き出すと、やたら人が多くなってきた。地図で見ると、次の目的地は大神神社(三輪明神)である。

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 細い道は、だんだん進むのが難しくなってきた。そのくらいたくさんの人が歩いているのである。今日は何か催しでもあるのだろうかと不思議に思いながら大神神社の境内に到着した。そこで見た光景は本当に度肝が抜けそうで、今でもあの時の驚きを忘れることができない。参道は何千という人でびっしり埋まっていて、私のいる境内に向かって歩いているのだ。初詣の風景そのものがそこにあった。「一体ここは何なのだ!この人たちは何のためにここへやって来ているのか!」予期せぬ出来事で、暫らくは呆然としてしまったが、おそるおそる参拝者に尋ねて見ると、「今日は春の大神祭の日で、参拝に来ました。」と教えてくれた。

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 参道を少し下ると左手に用水があり、たくさんの人がその中を覗き込んでいる。中には手を合わせて拝んでいる人もいる。「巳さんが目を覚ませはった。あそこやで」とおばあさんが叫んでいる。石垣の間に蛇がいる。用水に賽銭を投げ入れている人もいる。今の世の中に、こんなに信仰のあつい神社がこの奈良の山辺の道にあることに、この土地の歴史の古さを感じさせられた。大神大社について、パンフレットで調べると「大和の一の宮で、背後にある三輪山を御神体とする式内社で、日本で最も古い神社の一つといわれている。境内の大きな杉の木には『巳さん』と呼ばれる神の使いの蛇が棲むといわれ、お供えの御神酒と卵が途切れることがないという。ここはまた酒の神としても有名で全国の酒造業者の信仰を集めていて、造り酒屋の軒先にゆれる杉玉はこの神社で授けられているものである。」と説明されていた。人々の流れは、この神社のすぐ隣にある狭井神社の辺りでやっと途切れるようになった。とにかく思いがけない出来事に暫らくは興奮を押さえることができないでいた。
[ 2012/05/18 07:00 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(1)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く 4

第4日目  高鷲村 

 チャレンジ四日目。朝四時起床。洗面を終え、五時三十分出発。「蛭ヶ野まで行けば、ドライブインもたくさんあるから、朝食がとれるよ」と前の晩聞いたので、水だけを補給した。宿から出発してまもなく、歩道はなくなり、白い路側帯だけになった。その幅は三十センチ、大きなダンプが来たら、ちょっと不安になる幅である。こんな道をまず歩いている人間はいない。行く手に最初のトンネルが見えてきた。路側帯の幅は相変らず三十センチ。とても歩けない。止めようかと思ったが、よく見ると自転車が通ったわだちが残っている。歩けないこともないと確信し歩いて行った。後ろからトラックがやって来て。追い抜いて行った。心臓が止まるほど怖かった。やっとのことでトンネルを通過した。腕を見たら、腕時計のねじの跡に血が滲んでいた。

 「この上り道はまだ続くのだろうか」と、とても不安な気持ちで歩いて行く。坂をかなり上った所で道が二股に分かれていた。新しい道を付ける工事のようだ。この先通行禁止の立て札があるが、車の通らない新しく作っている道の方を歩くことにした。どうやらバイパス道路のようだ。その道は、広くて、歩道もしっかり付いている。どんどん上って行くと、遠くからラジオ体操の音楽が聞こえてくる。どうやら次の町がすぐ近くにあるようだ。

 道はとううと行き止まりになったが、そこは大日岳スキー場がある西洞という町だった。ラジオ体操の音楽は小学校から聞こえて来るようだった。再び国道に出ると、子どもたちがぞろぞろ道を歩いてくる。ラジオ体操からの帰りのようだ。道には、辛うじて白線が見えるが、幅は十センチもない。子どもたちはほとんど車道を歩いている。時々ダンプが走って行くが、子どもたちは全く気にしていないように見える。今、この町は、事故の不安から、バイパスを作っているのだろうが、今までにもっとやるべきことがあったのではないだろうか。せめて、人が歩く歩道を確保することが、なぜできなかったのだろうか。全く不思議な光景である。

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 とうとう今回の街道歩きを終了する時が来た。この大日岳スキー場入り口から蛭ヶ野に向かう所で、私は一歩も前へ進むことができなくなってしまった。道に路側帯はあるが、歩道は一センチもなくなってしまったからだ。地図で見ると、この先、道は急カーブの連続である。ダンプがひっきりなしに通過して行くこの道を、歩き続ける勇気も冒険心も今の私には不足しているようだ。さらに先には、もっと危険なトンネルが幾つもあるという。アラン・ブースは、ここから先も歩き続け、白川郷まで行き着いた。改めて、彼の目標に対する強い信念とそれをやり遂げた不屈の精神力を認識した。

 大日岳スキー場口からバスに乗り、北濃駅で長良川鉄道に乗り換え岐路に着いた。アラン・ブースの本に出会い、彼と同じように白川郷に行ってみたいと思った旅は、やり遂げることができなかったが、リュックに結ばれた光るたすきを見ながら、この旅で出会った人たちのことを思い出していた。そして、アラン・ブースの最終目的地白川郷へも行ってみようと思った。(完)
[ 2012/05/17 09:54 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く 3

第3日目  郡上八幡から高鷲村

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 チャレンジ三日目。起床は午前五時。洗面を終わり、午前六時お寺を出発。天気は快晴で、今日も暑い一日になりそうである。朝早い郡上八幡の町を歩く。宗祇水には観光客が早くも訪れている。吉田川は朝日を反射して眩しく光っていた。吉田川沿いの遊歩道を歩いて行くと、川原にテントがたくさん張られている。釣り人たちのテントのようだ。川には鮎を釣る人がたくさん竿を伸ばしている。昨日は水が多くて、長良川には一人の釣り人も見ることができなかったのに、今日は本当にたくさんの釣り人がいる。町外れのコンビニでおにぎりとお茶を買い、長良川に架かる大きな橋の上で川を眺めながら食べた。

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 交通量の多い国道を避け、県道六十一号線を歩いて行く。県道は長良川の右岸に沿って延びていて、美しい川の流れを見ながら気持ちよく歩いて行ける。それにしてもたくさんの釣り人が竿を伸ばしている。釣り人の姿はほとんど一緒で、ゴムの防水服をしっかり着こみ、帽子をかぶって、水の中に入っている。足元には鮎を入れる籠があり、腰には網を差している。服装だけでもかなりお金がつぎ込まれているようだ。しかし、鮎を釣り上げるところはなかなか見ることができない。鮎を釣るのは相当難しいようだ。

 大和町に入って、川幅が狭まり、景色が一層美しくなる。鮎つりに出かける車が多くなってきた。岐阜についで尾張小牧のナンバープレートが多い。高速道路の開通により、愛知県から短時間で来られるようになったからだろう。川の中を覗くと小さな魚に交じって大きな魚の姿が見える。形からすると鯉のようだ。この川にはサツキマスも上ってきているという。とにかく美しい川だ。

 午前九時、大きな橋のたもとの釣具店で休憩する。おじいさんが一人で店番をしている。「コーヒーをもらえますか」というと店の中から冷えた缶コーヒーを持ってきてくれた。店先には「おとり鮎あり」と紙が貼ってある。おとり鮎は一匹五百円とのこと。「最近、鮎が釣れなくなった」とおじいさんは言った。「これだけ釣り客がいれば釣れなくてもしかたがないのでは」と言うと、「今、川に泳いでいる鮎には三種類いるんだよ。一番多いのが養殖鮎、次に多いのが放流鮎。一番少ないのが天然鮎。友釣りでおとり鮎を入れても、養殖もんや放流もんはおとり鮎と一緒に仲良く泳いでいて、なかなか針に引っかからないんだよ。自分の縄張りをしっかり作る天然鮎は少ないし、一日頑張っても五・六匹釣れればいい方だよ」とおじいさんは教えてくれた。休憩している間にも、お客さんが次々とやって来て、飲み物やおとり鮎などを買って行った。お店は繁盛しているようだった。

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 午前十一時過ぎ、白鳥町に入る。県道六十一号線のバイパス工事で新設中の大きな橋を渡る。頭上を見上げると工事中の大きな橋げたが白鳥町の方向に延びている。新たな高速道路を建設しているのだろう。

 十二時少し前に白鳥の町中に入る。県道も国道百五十六号線に吸収され、交通量がとても多い。トラックやバスも頻繁に走っている。これからはこの国道を歩いて行くことになるのだ。大きな中華料理店に入り、ランチとビールを注文する。なかなかボリュウムがあって美味しかった。

 十二時三十分出発。国道なのに歩道が時々なくなり、白い路側線の内側を歩かなければならなくなる。道路は町と町を結ぶものだが、今この道を歩く人はいない。ほとんどの人が車に乗って移動している。車に乗れない子どもは、バスかスクールバスに乗って移動している。この道は、昔あった旧道がそのまま拡張され、国道になったようだ。拡張された当時は車も少なく、歩道を付ける必要がなかったのだろうが、車が増え、道が危険になり、歩道を付けなければと思った時には、町に住む子どもの数が少なくなり、経済的な理由から歩道が付けられないでいるのだろう。自転車で走る中学生や高校生もいると思うのだが、危険な道を安全な道に代えようという発想は行政サイドにはないようだ。

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 午後一時三十分、長良川鉄道の終点北濃駅に到着。駅前は公園になっていて、店屋もあるが、終点駅に駅員はいない。昔は列車に乗る人で賑わっていたのだろうが、乗り物が車になり、寂れる一方のようだ。この駅もやがて廃止されてしまうのではないだろうか。駅の中に貼ってある古びたポスターからそれを感じた。

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 午後二時北濃駅を出発。長良川は川幅が狭くなり、かなり上流まで来たことが分かる。今日はどこまで歩いて行けるのだろうか。地図で調べるとこの先で高鷲村に入る。高鷲村総合案内所という表示もあるので、まずはそこまで行くことにした。危険を感じながら道を歩いて行く。しばらく歩くと、道がカーブし、険しくなってきた。左側が崖になり、路側帯の幅もかなり狭まり、大きなダンプが通過すると風圧を感じる。こんな道はもう歩きたくないと思いながら、歩いて行くと町並みが見えてきた。鮎走という地名が見える。長良川を渡ると、川の水か透き通っていて魚がたくさん泳いでいるのが見えた。「鮎走」とは鮎がたくさんいることから付いた地名なのだろう。自然豊かな村なのだ。

 午後三時、高鷲村総合案内所の表示のある建物に到着。宿屋を紹介してもらおうと思っていたのだか、今日は日曜で扉が閉まっていた。仕方なく、道を進んで行くと、前方に民宿の看板が出ていた。レストランを兼ねた店である。さっそく中に入って「宿はありますか」と聞くと、「残念ですが、今日は満室です」と冷たい返事が返ってきた。困ったなあという顔をしていると、たまたま居合わせた老人客が「どこか泊まるとこないか。迎えの喫茶店もたしか民宿やっとったな。電話したる」と、携帯電話を出して、電話をしてくれた。その親切な老人の紹介で今日の宿は無事確保された。老人は元学校の先生で、現在は村の教育委員会の仕事をしているとのことだった。自分の考えをずばり主張する人でもあった。私が歩き旅をしていることにも興味を持ってくれ、この先、白川郷まで歩くつもりでいるというと、「頑張れば明日夕方には着けるよ」と激励してくれた。

 紹介された民宿には数人の泊り客がいた。皆、この辺りの高速道路建設に関係する人だった。いつもは一杯だが、今日は帰っているので空きがあるという。

 午後六時、食堂でみんなそろっての食事になった。宿のおかみさんがいろいろ世話をしてくれる。ビールを飲みながら、私の街道歩きの旅を聞いてくれる。「この辺りの長良川も以前と比べるとかなり水が汚れてきている。川の底に泥が溜まるようになった。以前は砂ばかりで泥はなかった」という。こんなに水がきれいだと感心していたのに、地域に住む人の目はごまかせないようだ。

 これから先、白川郷まで歩いて行くという話には、「ちょっと危険な所があるから、気を付けないといけないよ」と注意される。急カーブが続くし、特に庄川村に入ってから続くトンネルは、危険だという。「自家用車に乗っていても、暗くて狭くて、向こうからダンプが来たらとても怖いよ」と真顔で話してくれた。この国道は、春の桜が咲く頃に、名古屋から富山までを走り抜けるマラソン大会が開かれている。そのことを話題にすると「町の人や自衛隊まで出て、警備体制もしっかりして、走って行くんだよ」と教えてくれた。そして、「安全のためにこれをどうぞ」と、光るたすきを一本進呈してくれた。寝る前にもらったたすきをしっかりリュックに縛り付け、明日はどこまで歩けのだろうかと不安な気持ちを擁きながら、床についた。
[ 2012/05/16 09:30 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く2-2

第2日目 湯之洞温泉から郡上八幡 その2 

 ここから郡上八幡までは、まだ、二十キロ近くある。今までかなりゆっくりしたペースでしか歩いて来なかったから、相当ペースを上げなければいけないと覚悟した。

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 子宝の湯からしばらく行った所で長良川を望める場所に出た。大きな岩が幾つもあり、水が激しく渦巻いて流れているのが見える。遠くを見ると、何かボートらしきものが幾つもこちらに向かって流れてくるようだ。川下りを楽しんでいるのだろうか。その一団がだんだん近づいて来た。五・六人が乗りこんだ大きなゴムボートが八隻いる。スリルがあってなかなか面白そうである。大きな岩をカーブした所が難所のようである。岩にぶつかりながらも上手に下って行く。三番目のボートが何と岩に衝突し転覆してしまった。乗っていた人たちは、川の中に投げ出され、流されて行く。「わっ大変だ」と思ったのはどうやら私だけだったようで、流されている人も、周りのボートに乗っている人も落ち着いている。どうやらわざと転覆させて、スリルを楽しんでいるようだ。流されていく人たちは、みな周りのボートから投げられたロープに捉まって引き上げられて行く。転覆したボートも引き起こされ、何事もなかったかのように再び川の流れに乗って下って行った。

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 福野駅手前で長良川に架かる橋を渡り、対岸の上田から県道六十一号線を歩く。こちらの方が車の量が少なく、長良川のすぐ横に道路があり、景色もよい。おばあさんが二人腰を下ろして話をしている。「景色がいいですね」と挨拶する。「川下りのカヌーやボートがたくさん通りますね」と話しかけると、「あのボートのほとんどは、相生から出てるんだよ。バスでお客を運んで行ってそこからスタートしている。あの人たちは村のためには何もいいことがないよ。お金を落として行くわけでもないし、この通りごみを一杯落としていくだけだよ」と川原に捨ててある空き缶やプラスチックのごみを指差して怒っていた。

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 県道六十一号線は途中崖崩れで車の通行は禁止されていたが、歩くには支障がないようなのでそのまま歩いて行った。道が険しくなり、所々に右側の崖から崩れてきた石ころが落ちている。直撃を受ければ、車でも危ないかもしれないと思った。崖を見上げながら道を急いだ。相生を通過する時に、カヌーの川下りを宣伝する大きな看板と、建物が目に付いた。ここから先ほど見たボートは下って行ったのだろう。

 時刻は五時。観光ヤナの横を過ぎると対岸に郡上八幡の町並みが見えてきた。アラン・ブースも今日私が歩いた道を、通ってきたことが紀行文に書かれていた。そして、彼は、この郡上八幡で江戸時代のセットのような町並みを見つけたとある。私も彼と同じような発見が出来るのではないかと期待しながら、長良川に架かる稲成橋を渡り、五時二十分、郡上八幡駅に到着した。

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 まずは、宿泊場所を見つけなくてはならない。駅前の観光案内所に行くが、「自分で電話して探してください」とつれない返事である。タクシーが停まっているので、運転手に相談すると親切に教えてくれる。「今晩は土曜日で、郡上踊りも始まっているから、宿は空いていないかもしれないが、とにかく電話して見なさい」と何軒かの宿を紹介してくれた。紹介してくれた所はすべて断られた。どうしたらよいか再度相談すると、「ひょとしたらユースホステルなら空いているかもしれないよ」というので電話すると、「いいですよ」という返事をもらった。旅先で、ユースホステルに泊まるのは初めての体験である。きょうはいろいろハプニングがある。

 さっそく、タクシーでユースホステルに向かう。そこは何と洞泉寺というお寺だった。お寺とユ―スホステルという不思議な関係がおもしろい。ベルを押すと奥さんが出てきた。「部屋は二階です。食事は出していません。風呂もありませんので、このすぐ近くにある天徳湯という銭湯を使ってください。これは、その入浴券です。」と紙切れを渡された。ユースホステルというと、きまりがいろいろあって、夜のミーティングもあって大変だと思っていたのが、宿泊名簿もなく、実にあっさりしている。認識を変えなくてはいけないなあと思った。しかし、銭湯の風呂とはびっくり仰天である。

 着替えを済ませ、夜の郡上八幡の町へ出掛けた。まずは、銭湯である。入浴料は大人、三百八十円と入口に紙が貼ってある。私は入浴券で中に入る。さっそく裸になって、中に入ったが、石鹸もシャンプーも持ってきていないことに気がついた。旅館での入浴では、石鹸もシャンプーも風呂場に置いてある。何も考えずに風呂に入ってしまったことを後悔したが、時すでに遅し。シャワーを浴び風呂に入ってそそくさと退散した。きっと周りの人は「変な奴だなあ」と思ったのではないだろうか。

 食事は、銭湯のすぐ近くにある飲み屋でとることにした。中に入ると、客は一人しかいなかった。ビールとつまみを注文した。つまみにはゴリが出てきた。歩いた後のビールの味は格別だった。あっという間に一本がなくなり、もう一本注文する。天然鮎が食べたかったが、カウンターに並んでいたのは、養殖の鮎だったのであきらめた。親子丼を注文し、腹もふくれたので店を出た。この店も味はイマイチ。安くて美味い店を見つけるのは難しい。

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 橋を渡った所に、全国名水百選に選ばれている宗祇水があった。夜というのに観光客が続々押し寄せて満員である。水を飲むのに行列ができている。郡上踊りの曲が聞こえてくるので、そちらへ歩いて行った。郡上踊りは新橋の横の広場で踊られていた。大きな踊りの輪が幾重にもでき、たくさんの人が楽しそうに踊っている。見たところ千人はいそうである。そろいの浴衣を着て上手に踊っているグループや見よう見真似で踊っている人など様々である。聞くところによると地元の人は舞台に上がっている人だけで、周りで踊っている人はほとんどが観光客だそうだ。郡上踊りもいろいろ曲があり、曲が変わると全く踊る方向が反対になった。「今晩は十一時までです」と放送が入る。

一時間ほど、踊りを見物した後、夜の郡上の町を散策した。賑やかなのは、踊りが踊られている左京町辺りと古い町並みとみやげ物店が並ぶ本町辺りであった。遠くにある郡上八幡城がライトアップされて明るく光っていた。

 歩きつかれたので、もう少しビールを飲んでから帰ることにした。みどり屋とのれんがかかった飲み屋に入った。年配のおばさんがカウンターの中で、一人の客を相手に話をしていた。ビールを注文する。「なかなかいい町ですね」と話しかけると、一人の客も乗ってきて、話が盛り上がって行った。「郡上踊りも、川崎ばかりで、私ら地元のもんは川崎は踊りたくないから踊りの輪に入らんのや」と少し怒った口調で女主人は言った。私が歩いて旅をしている話にも興味を持ってくれたようである。「明日は白鳥町まで歩いて行く」と言うといろいろ道を教えてくれた。そこへ年配の五・六人のグループが入ってきた。この店のなじみ客のようだ。その中の一人が私の歩き旅に感心したのか、ビールを一本差し入れてくれた。後で知ったのだが、その人はこの郡上八幡の助役をしているという。今日は朝からいろいろハプニングがあり、楽しい一日になった。明日もいろんな出会いがあることを期待して、お寺へ帰った。
[ 2012/05/15 06:35 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く2-1

第2日目 湯之洞温泉から郡上八幡 その1

 それから半月ほど過ぎ、第2回目のチャレンジがやって来た。今回は、休暇を含めて五日間をこの旅のために用意した。「白川郷まで歩ききって、アラン・ブースと同じように合掌造りの建物を眺めて見よう」ということを目標にした。

 まずは前回歩くことを終了した湯之洞温泉まで行くため、美濃太田駅から長良川鉄道に乗車した。学校が夏休みに入っているのと、土曜日が重なり、列車の中は家族連れが何組も乗車していて、満席だった。こういう時は、車両を増結して二両にしてはどうかと思うのだが、ワンマンカーなので簡単には増結できないようだ。関駅でさらに乗客が増え、車内は超満員の状態になった。「美濃駅でトロッコ列車に乗り換えるからしばらくの辛抱だよ」と、家族連れの会話が聞こえてくる。車内が満員なのはそのためなのかと納得した。ゆかたを着た女性客も七・八人いる。郡上八幡へ踊りに出掛けるのだろうか。緑の山中を列車は走り、やがて美濃駅に到着した。トロッコ列車に乗り換える客が降りて、車内は少しゆったりできる雰囲気になった。列車は出発し、左手に長良川が見えてきた。乗客の多くも窓から川の景色を眺めている。水の色がコバルトブルーで美しい。前回夕日が美しかった堤防沿いを通過し、湯之洞温泉口駅に到着した。

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 天気は快晴。まずは国道を歩き、途中から長良川左岸にある旧道に入る予定である。駅の近くにあるコンビニで昼食のおにぎりを買い、歩き出した。前を見るとリュックを背負った男性が歩いている。湯之洞温泉口で私と一緒に下車した人のようだ。私がコンビニで買い物をしている間に抜かされてしまったようだ。歩くペースは私の方が速く、しばらく行ったところで追い着いた。そのまま追い抜くのも失礼なので、「どこへ行くのですか」と声を掛けた。「温泉に入ろうかとぶらっとやって来たのですが、どうも温泉は駅から遠そうなので、行くあてもなく歩いているのです。」と、中年男性からは、思いがけない返事が返ってきた。「私は今から郡上八幡まで行く予定なのですが、しばらく一緒に歩きますか」と、誘うと、「じゃあしばらく付き合わせてください」と快い返事が返ってきた。今までいろいろ道を歩いて来たが、知らない人と一緒に歩く経験は今回が初めてである。今日はいろいろハプニングがありそうだ。

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 「今日は、親戚から名鉄電車の家族切符をもらい、それを使って名鉄電車の終点までやって来たのです。長良川鉄道にも初めて乗りました。私は便器を作るTOTOでコンピュータ相手に仕事をしています。」と、いろいろ話してくれる。旧道に入ってからは、左側に長良川を見ながら歩いて行く。車もほとんど通らなくて、なかなか気分よく歩いて行ける道である。「日頃は車ばかり乗っていますが、こういう美しい景色を見ながらのんびり歩くのもなかなかいいもんですね」と、私の街道を歩く話に共感してくれた。

 歩き始めて二時間近くが経ち、そろそろ昼ご飯の時間である。男性は昼食の用意を持っていない。私のおにぎりを上げるわけにもいかないので、どこかで店屋か食堂を見つけなくてはならなくなった。地図で調べると今歩いているのは、河和という所のようだ。小さな村だが、どこかに店屋はありそうだ。しばらく行ったところに民家があり、中を覗くとおばあさんがいる。「この近くに食堂はありませんか」と尋ねると、「ここから十軒ほど向こうに喫茶店がある。そこは、食事もできるから」と親切に教えてくれた。

 教えてもらった喫茶店は、そこから五分ほど行った所にあった。なかなか感じのよい店である。ランチを注文する。コーヒーが付いて八百円。いろいろおかずもあっておいしい。店のマスターにどこから歩いて来たのか聞かれる。「湯之洞温泉から来た」と答えると、店にいた客も含めて、「この近くに村が運営している温泉があるから、ぜひ入っていくといいよ」と紹介された。道連れになった男性に、「温泉に入ろうと思って出掛けてきたのだから、ぜひ入ったら」と勧めると、その気になったようだ。温泉はこの先の、大屋駅の近くにある。

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 美並村村営の温泉は、つい最近作られたようで、粗末な囲いの建物であった。入り口には「子宝の湯」と看板が掛っていた。車もたくさん停まっていて、大勢の人がやって来ているようだ。入浴料が無料なのにはびっくりした。ここで、三時間近く一緒に歩いた男性とビールで乾杯した。美味しいビールだった。彼とはここで別れた。

[ 2012/05/14 06:10 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く1-3

第1日目 美濃太田から湯之洞温泉まで その3

 急遽予定を変更して、湯之洞温泉に向けて歩き始めた。美濃の古い町並みの残る通りでは、この日夏祭りをしていた。赤い提灯が家々の軒先に吊り下げられ、通りには屋台も並んでいた。アラン・ブースはこの美濃市である造り酒屋を訪ねている。きっとこの古い町並みの中にその酒屋はあるのかも知れない。

 古い道は町の外れで国道一五六線と合流した。国道一五六号線の交通量は多いが、立派な歩道が付いていて、歩き易い。美しい水が流れる大きな川が見えてきた。長良川である。これから先、ずっとこの長良川に沿って道を上って行くことになる。

 夕暮れが迫っている。もう一時間もすれば、素晴らしい夕焼けが見られるのではないかと気持ちが高ぶってくる。食堂の客に湯之洞温泉まで歩くように勧められたことを感謝したい気持ちになった。川原に下りて、写真を何枚も撮る。遠くに霞む墨絵のような山々の姿と川原の白い石と水の美しさがみごとに調和して本当に美しかった。

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 長良川の美しい風景を見ながら、湯之洞温泉に向かって歩いて行く。さわやかな風も吹いて、疲れが吹き飛んで行くようだ。山々が川に迫ってきて、辺りは渓谷になっていく。夕日が沈むところは、すぐ近くに山があって見ることが出来なかったが、空が赤く染まっていく景色は美しかった。川幅が更に狭まり、水の流れは勢いを増し、水の流れる音が大きくなってきた。大きな淵になっているところに一艘の川舟が浮かんでいる。昔どこかで見た絵に似た風景が広がっていた。

 午後七時過ぎ、薄暗くなった湯之洞温泉に到着した。旅館は、川を渡った向い側にあるようだ。橋の所にある店で電話を借り、旅館に問い合わせた。「泊まれますか」と聞くと、「何人ですか。」と人数を聞かれ、「一人ですが」と答えると、「残念ですが」と断られてしまった。もう一軒にも電話したがここも同じように断られた。土曜日の夜ということがいけなかったのか、一人旅がいけなかったのか、泊まる場所は確保できなかった。湯之洞温泉まで足を延ばしたことが、失敗だったが、最初のチャレンジは湯之洞温泉まで歩いたという結果をもって終了することにした。アラン・ブースは、私が今晩断られた湯之洞温泉にある湯本館で厚いもてなしを受けたと記述している。皮肉な結果であったが、その当時と比べると、この温泉は繁盛しているのだろう。

 すっかり暗くなった湯之洞温泉口駅の待合室で美濃太田行の列車を待つ。駅の蛍光灯が待合室を明るく照らしている。時刻表を見ると、美濃太田行の列車は発車したばかりで、次の列車は八時三七分までなかった。待合室のベンチに一人の高校生が腰掛けていた。「こんばんは」と挨拶をして、話し掛けると「今日、高校野球の練習試合があって、自分たちのチームが勝った」と嬉しそうに話してくれた。彼はまだ二年生なのでレギュラーではないが、応援でがんばっているという話だった。しばらくして彼は迎えに来た家族の車で帰って行った。だれもいない田舎の駅の待合室に、たった一人で、列車を待つ気分はあまりよくなかったが、次回はこの湯之洞温泉からスタートして、アラン・ブースの歩いた白川郷を目指そうと思った。

 
[ 2012/05/13 06:02 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く 1-2

第1日目 美濃太田から湯之洞温泉まで その2

 午後二時過ぎ、関駅前に向かう道で、赤い色をした名鉄電車に出会った。軽便鉄道という狭い線路を走るように作られた電車で、マッチ箱のようにかわいい。関市と岐阜市とを結んでいる。機会があればぜひ乗ってみたい電車である。

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 関駅の長良川鉄道のプラットホームでしばらく休憩を取る。休憩中にカラフルな長良川鉄道のディーゼル列車が美濃太田に向かって発車して行った。

 時刻はまだ午後二時半。まだ歩けそうなので、これから美濃市まで、行くことにした。関駅前から美濃市までは約七キロ。一時間半くらいで歩けそうだ。

 関駅から少し行った所で、思わぬ発見をした。電車の線路をおばあさんが歩いているのだ。危なくないのかなと思い、おばあさんに尋ねると、「四月一日に関市と美濃市を結んでいた名鉄電車が廃線になってしまい、線路がまだ撤去されないで残っているのですよ。」と教えてくれる。これから美濃市までは廃線路を歩いて行けるそうだ。

 廃線路を歩くのは初めての体験なので気持ちがウキウキする。廃線路は枕木も所々あって多少歩きにくいけれど、交通量の激しい県道に比べたら安全な道である。所々に駅跡もそのまま残っていて、今はバスの停留所として利用されていた。「九月二十日を期限に線路の撤去作業が終了する」と立て看板には説明があった。撤去作業の後、この廃線路はどうなるのだろうか。歩道やサイクリング道路に利用できたら最高だろうなと思った。

 旧真光寺駅を過ぎた辺りで、周りに田んぼが広がり始め、見晴らしがよくなり、遠くの緑の山も望めるようになった。線路脇には透き通った用水も流れ、とても気持ちよく歩けるようになった。

 しかし、それもつかの間、美濃市に入ってからは、廃線路の撤去作業が急ピッチで進んでいて、とうとう撤去作業中のために廃線路を歩くことができなくなってしまった。しかたなく廃線路を歩くことを断念し、交通量の多い国道一五六線を歩く。午後四時半、美濃駅前に到着した。美濃太田から美濃市までのおよそ十七キロを歩き終わった。

 明日はここから歩き始める予定にして、今日はここで晩御飯を食べて、美濃市内の旅館に泊まる予定にした。

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 「鮎あり」のちらしが戸に貼ってある駅前の食堂に入る。「鮎を焼いてください」と注文すると、「あいにく、今日は鮎がないのです」と、つれない返事が返ってきた。仕方なく、鮎はあきらめ、漬物とイカを注文する。ビールを飲みながら、美濃の町について店の人にいろいろ質問する。古い町並みが残り、長良川沿いには大きな旅館もあるとのことだった。店にいた客が、美濃太田から歩いて来たと聞いてびっくりしていた。「どうせ泊まるならこの先の湯之洞温泉で泊まってはどうか」とその客に勧められる。湯之洞温泉はここから六キロぐらいの所にある。まだ時刻は五時過ぎなので、今から歩けば七時には到着できそうである。

[ 2012/05/12 05:59 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く  1-1

プロローグ 

 今、私の手元に一冊の本がある。イギリス人作家、アラン・ブースが書いた「飛騨白川郷へ」という徒歩旅行の思い出を綴った紀行文である。今年の二月、鶴舞の古本屋で見つけたものだ。

 読んで見ると、今から十年前、デザイン博が名古屋で開かれた年に、そのデザイン博会場から白川郷までを歩き通した時の紀行文であった。さらに衝撃的だったのは、それを書いたアラン・ブースは、一九九三年、四十六才という若さで、癌のためにこの世を去っていた。この本は彼の最後の作品だった。彼が歩いた名古屋から白川郷までを私も歩いてみたいと、その時から思うようになった。

 
第1日目 美濃太田から湯之洞温泉まで その1

 最初のチャレンジの日がやって来た。名古屋から美濃太田までは、今までに二回ほど歩いていたので、美濃太田から先を歩いてみることにした。一泊二日の計画で、今日は、美濃市の辺りまで歩ければよしと目標を決め、午前十時、美濃太田駅前を出発した。

 天気は快晴。真夏の暑い日差しが照りつける国道二四八号線は、車は激しく行き交っているが、歩道があり比較的歩きやすい道だった。この国道のすぐ横を長良川鉄道が走っている。時折、ボディーがカラフルに塗られた列車が走って行くのが見える。アラン・ブースは鵜沼から日本ラインの舟が下る木曽川沿いを通り、坂祝町で国道十九号線と分かれ、関へ通じる道を歩いて行ったようだ。「右 坂祝」という道標が見える。坂祝から歩いて来たアラン・ブースはここで、この国道に合流したのだろうか。 

 時刻はそろそろ十二時。どこかで昼食をとらなくてはと、店を探しながら歩いて行く。店がたくさんある所では、「今日は、中華にしようか、和食にしようか」などといろいろ考えられて、結構楽しいものである。しかし、店が一軒もない所では、「どこかにコンビにでもいいからないかなあ」ととても心細い気持ちで歩いているのである。今、歩いている道は、関の近くなので、所々に食堂やレストランがある。今日の場合は「中華にしようか、和食にしようか」である。

 大きな看板がみえる。「そば、うどん」と書いてあり、駐車場には車もたくさん並んでいる。迷わずにそこに入ればよかったのに、なぜか私は、「満員はやめよう」と、その店に入るのを躊躇し、すぐ隣にあった大きな中華料理店の方に入ることにした。入る時に「うぬー、駐車場に車がほとんど止まっていないぞ」と不思議には思ったのだが、ドアの豪華さにひかれて中に入ってしまった。昼時というのにだだっ広い店の中には、客が一人もいなかった。

 「しまった。たいへんな店に入ったぞ」と、気づいた時には、暇そうに座敷に座っていたおばあさんが、「注文は何にしましょう」と水の入ったコップとお絞りを持って、私の所にやって来た。もう引き返すことはできない。覚悟は決めたが、「ちょっと待って」と、店内を見まわした。壁にいろいろお品書きが貼ってある。いろいろメニューはありそうだが、この店で一番安い五百円のラーメンを注文した。よく見ると、店のテーブルの下に冬に使う石油ストーブがそのままの状態で置いてある。流行らない店であることを確信した。

 冷たい水を飲んでしまい、お代わりをと思って、カウンターを見ると、水の出るクーラーが置いてある。コップを持ってそこへ行こうとすると、おばあさんが、「それは故障しています」と、別のところからポットを持ってやって来て、冷たい水をついでくれた。何から何まで最悪の状態である。

 いよいよラーメンが出来あがった。どこにでもありそうなラーメンに見えたが、一口食べて、びっくり。スープは砂糖でも入っているのかと思えるほど甘くてとても飲めるものではなかった。最悪のラーメンをとにかく口に入れて、早々の体でその店から退散した。私がいた昼時の二十分間にこの店へやって来た客は一人としていなかった。やはり、国道沿いでも、この店の味をこの辺りの人はよく知っているようだ。

 再び、単調な国道を歩き、一時過ぎ関刃物会館に到着。中に入ってしばらく休憩をとる。クーラーがよくきいている。陳列ケースには関名産の刃物が並び、品物にはほとんど値札が付いている。みごとな飾りの付いたナイフには、一万五千円の値札が付いていた。会館の前は広い駐車場になっていて、関へ観光でやって来た人たちがここでみやげを買っていくのだろう。
[ 2012/05/11 09:09 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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