第3日目 郡上八幡から高鷲村
チャレンジ三日目。起床は午前五時。洗面を終わり、午前六時お寺を出発。天気は快晴で、今日も暑い一日になりそうである。朝早い郡上八幡の町を歩く。宗祇水には観光客が早くも訪れている。吉田川は朝日を反射して眩しく光っていた。吉田川沿いの遊歩道を歩いて行くと、川原にテントがたくさん張られている。釣り人たちのテントのようだ。川には鮎を釣る人がたくさん竿を伸ばしている。昨日は水が多くて、長良川には一人の釣り人も見ることができなかったのに、今日は本当にたくさんの釣り人がいる。町外れのコンビニでおにぎりとお茶を買い、長良川に架かる大きな橋の上で川を眺めながら食べた。

交通量の多い国道を避け、県道六十一号線を歩いて行く。県道は長良川の右岸に沿って延びていて、美しい川の流れを見ながら気持ちよく歩いて行ける。それにしてもたくさんの釣り人が竿を伸ばしている。釣り人の姿はほとんど一緒で、ゴムの防水服をしっかり着こみ、帽子をかぶって、水の中に入っている。足元には鮎を入れる籠があり、腰には網を差している。服装だけでもかなりお金がつぎ込まれているようだ。しかし、鮎を釣り上げるところはなかなか見ることができない。鮎を釣るのは相当難しいようだ。
大和町に入って、川幅が狭まり、景色が一層美しくなる。鮎つりに出かける車が多くなってきた。岐阜についで尾張小牧のナンバープレートが多い。高速道路の開通により、愛知県から短時間で来られるようになったからだろう。川の中を覗くと小さな魚に交じって大きな魚の姿が見える。形からすると鯉のようだ。この川にはサツキマスも上ってきているという。とにかく美しい川だ。
午前九時、大きな橋のたもとの釣具店で休憩する。おじいさんが一人で店番をしている。「コーヒーをもらえますか」というと店の中から冷えた缶コーヒーを持ってきてくれた。店先には「おとり鮎あり」と紙が貼ってある。おとり鮎は一匹五百円とのこと。「最近、鮎が釣れなくなった」とおじいさんは言った。「これだけ釣り客がいれば釣れなくてもしかたがないのでは」と言うと、「今、川に泳いでいる鮎には三種類いるんだよ。一番多いのが養殖鮎、次に多いのが放流鮎。一番少ないのが天然鮎。友釣りでおとり鮎を入れても、養殖もんや放流もんはおとり鮎と一緒に仲良く泳いでいて、なかなか針に引っかからないんだよ。自分の縄張りをしっかり作る天然鮎は少ないし、一日頑張っても五・六匹釣れればいい方だよ」とおじいさんは教えてくれた。休憩している間にも、お客さんが次々とやって来て、飲み物やおとり鮎などを買って行った。お店は繁盛しているようだった。

午前十一時過ぎ、白鳥町に入る。県道六十一号線のバイパス工事で新設中の大きな橋を渡る。頭上を見上げると工事中の大きな橋げたが白鳥町の方向に延びている。新たな高速道路を建設しているのだろう。
十二時少し前に白鳥の町中に入る。県道も国道百五十六号線に吸収され、交通量がとても多い。トラックやバスも頻繁に走っている。これからはこの国道を歩いて行くことになるのだ。大きな中華料理店に入り、ランチとビールを注文する。なかなかボリュウムがあって美味しかった。
十二時三十分出発。国道なのに歩道が時々なくなり、白い路側線の内側を歩かなければならなくなる。道路は町と町を結ぶものだが、今この道を歩く人はいない。ほとんどの人が車に乗って移動している。車に乗れない子どもは、バスかスクールバスに乗って移動している。この道は、昔あった旧道がそのまま拡張され、国道になったようだ。拡張された当時は車も少なく、歩道を付ける必要がなかったのだろうが、車が増え、道が危険になり、歩道を付けなければと思った時には、町に住む子どもの数が少なくなり、経済的な理由から歩道が付けられないでいるのだろう。自転車で走る中学生や高校生もいると思うのだが、危険な道を安全な道に代えようという発想は行政サイドにはないようだ。

午後一時三十分、長良川鉄道の終点北濃駅に到着。駅前は公園になっていて、店屋もあるが、終点駅に駅員はいない。昔は列車に乗る人で賑わっていたのだろうが、乗り物が車になり、寂れる一方のようだ。この駅もやがて廃止されてしまうのではないだろうか。駅の中に貼ってある古びたポスターからそれを感じた。

午後二時北濃駅を出発。長良川は川幅が狭くなり、かなり上流まで来たことが分かる。今日はどこまで歩いて行けるのだろうか。地図で調べるとこの先で高鷲村に入る。高鷲村総合案内所という表示もあるので、まずはそこまで行くことにした。危険を感じながら道を歩いて行く。しばらく歩くと、道がカーブし、険しくなってきた。左側が崖になり、路側帯の幅もかなり狭まり、大きなダンプが通過すると風圧を感じる。こんな道はもう歩きたくないと思いながら、歩いて行くと町並みが見えてきた。鮎走という地名が見える。長良川を渡ると、川の水か透き通っていて魚がたくさん泳いでいるのが見えた。「鮎走」とは鮎がたくさんいることから付いた地名なのだろう。自然豊かな村なのだ。
午後三時、高鷲村総合案内所の表示のある建物に到着。宿屋を紹介してもらおうと思っていたのだか、今日は日曜で扉が閉まっていた。仕方なく、道を進んで行くと、前方に民宿の看板が出ていた。レストランを兼ねた店である。さっそく中に入って「宿はありますか」と聞くと、「残念ですが、今日は満室です」と冷たい返事が返ってきた。困ったなあという顔をしていると、たまたま居合わせた老人客が「どこか泊まるとこないか。迎えの喫茶店もたしか民宿やっとったな。電話したる」と、携帯電話を出して、電話をしてくれた。その親切な老人の紹介で今日の宿は無事確保された。老人は元学校の先生で、現在は村の教育委員会の仕事をしているとのことだった。自分の考えをずばり主張する人でもあった。私が歩き旅をしていることにも興味を持ってくれ、この先、白川郷まで歩くつもりでいるというと、「頑張れば明日夕方には着けるよ」と激励してくれた。
紹介された民宿には数人の泊り客がいた。皆、この辺りの高速道路建設に関係する人だった。いつもは一杯だが、今日は帰っているので空きがあるという。
午後六時、食堂でみんなそろっての食事になった。宿のおかみさんがいろいろ世話をしてくれる。ビールを飲みながら、私の街道歩きの旅を聞いてくれる。「この辺りの長良川も以前と比べるとかなり水が汚れてきている。川の底に泥が溜まるようになった。以前は砂ばかりで泥はなかった」という。こんなに水がきれいだと感心していたのに、地域に住む人の目はごまかせないようだ。
これから先、白川郷まで歩いて行くという話には、「ちょっと危険な所があるから、気を付けないといけないよ」と注意される。急カーブが続くし、特に庄川村に入ってから続くトンネルは、危険だという。「自家用車に乗っていても、暗くて狭くて、向こうからダンプが来たらとても怖いよ」と真顔で話してくれた。この国道は、春の桜が咲く頃に、名古屋から富山までを走り抜けるマラソン大会が開かれている。そのことを話題にすると「町の人や自衛隊まで出て、警備体制もしっかりして、走って行くんだよ」と教えてくれた。そして、「安全のためにこれをどうぞ」と、光るたすきを一本進呈してくれた。寝る前にもらったたすきをしっかりリュックに縛り付け、明日はどこまで歩けのだろうかと不安な気持ちを擁きながら、床についた。