水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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柿其渓谷を歩く

その5

 
 道を下った所に小さなつり橋があった。恋路のつり橋という観光用に作られたものである。

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 つり橋を渡り、細い道を川に沿って上って行くと、大きな滝の前に出た。牛ケ滝という高さ数十メートルの勇壮な滝で、らせん状になった崖の上部から滝つぼに向って水が勢いよく落下していた。滝の途中には、休憩所が設けられ、滝の全景が眺められるようになっている。今日は、私一人だが、これから先、天気のよい日曜日にはたくさんの人がここからこの勇壮な滝を見るのだろうか。

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 牛ケ滝から急な山道を十五分ほど上り切った所が、恋路峠である。そこで再び雪道になった。小さな乗用車ではとても走ることができないくらい雪が積もっている。道を上がって来た乗用車もあきらめて引き返して行った。峠を越えて、下り坂が急になり、雪に足を取られて滑る回数も増えて来た。気を付けながら、坂道を下って行くと、目の前の視界がしだいに開け、遠くに白い雪を被った高い山が見えてきた。駒ケ岳連峰である。少し雲がかかっているのが残念だったが、美しい山である。天気が良ければもっと美しいのだろう。

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 山を下るに連れて、ますます視界が開け、駒ケ岳が全面に広がってきた。気分良く一気に坂道を下った。眼下に木曽川の川面が見えてきた。ダムが近くにあるようで、湖のようになっていて、その岸辺にモダンな六角形をした建物が建っていた。フォレストパレ木曽という、今、流行りの温泉施設である。駐車場にはたくさんの車が停まっている。きっと建物の中は、人でごった返しているのだろう。

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 阿寺川橋を渡り、阿寺渓谷への標識を横に見ながら、川の土手の道をゴールの野尻駅に急ぐ。野尻駅まで一キロだ。今日の旅は、予想もしていなかった雪との出会いで、途中何度も滑ったが、いろんな人や美しい自然との出会いがあり、満足のいく旅になった。このコースを、今度は、職場のみんなと一緒に歩きに来たいと思った。その時は、満開の枝垂れ桜を見物し、そして、今日入らなかった温泉にもしっかり入り、美味しい物もしっかり食べよう。そんなことを考えているうちに、ゴールの野尻駅に到着した。ここは、無人駅なのに、なぜか駅長室のテレビがついていて、駅員の老人がテレビを見ていた。ちょうど女子マラソンの高橋選手がゴールする寸前だった。彼女は、目標記録を突破できそうだとアナウンサーが絶叫していた。そして、数分後、高橋選手は、じつに素晴らしい笑顔でゴールテープを切っていた。暖かく燃えるストーブの横に座って、高橋選手の頑張りを祝しながら、缶ビールを一気に飲み干した。

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[ 2012/06/29 08:41 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

柿其渓谷を歩く

その4

 道の雪は深くなり、車の轍も林道に入ってからはすっかりなくなり、何一つ踏み跡のない雪道を少々心細い気持ちになりながら進んで行った。林道からは、白く雪を被った山々が遠くに望め、眺めは素晴らしいものであった。雪道を歩いて行くと、雪の中に小さな足跡が付いていた。どうやら野ウサギの足跡のようだ。時々、大きな足跡も見える。カモシカかイノシシのものだろうか。結構いろいろな動物がこの山に住んでいることが分かる。この先、カモシカやイノシシに遭遇しないことを願いながら歩いて行った。

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 一時間ほど歩いた所で、再び人家が見え始めた。道の雪も溶けてなくなり、歩き易くなった。ここには民宿が何軒もあると地図に表示がある。ひょっとするとどこかの民宿で昼ご飯が食べられるかもしれない。そんなことを期待しながら道を歩いて行くと、道端の少し小高くなった所に何か黄色い花が咲いている。近くに寄って見ると、何と福寿草が可憐な黄色い花をつけていた。花は全部で四つだったが、今日始めて見た春の花だった。春を告げる福寿草が見られたことで、気分は壮快になっていた。

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 道を少し進むと「おいしいラーメンがあります」の幟が立っている。さっそくその店に入ることにして、坂道を下りていくと、広い駐車場があり、「いち川」という民宿の前に出た。ここは、日帰り入浴もできるという案内が出ている。持っていた地図にもそのことが紹介されていた。中に入ると、広間に店の主人らしいおじさんがコタツに入ってテレビを見ている。「食事はできますか」と言うと「できますよ。どうぞ入ってください」と返事あった。靴を脱ぎ、広間の隣にある食堂のテーブルの前に座った。食堂には一人の客がすでに食事をしていた。奥からおかみさんがお茶を持ってやって来た。ラーメンと冷酒を注文する。店の主人は相変らず、テレビを見ている。テレビからは名古屋女子国際マラソンの実況中継が流れていた。高橋選手を先頭にして七、八人の集団が走っているのが見えた。

 注文した冷酒とラーメンを持っておかみさんがやって来た。「十二兼から歩いてきましたが、途中雪道で大変でした」と話すと「道を歩いて来たのですか。じゃあ、これをあげなくては」と、おかみさんは、さわやかウオーキングの参加券と参加賞のヒノキの箸を渡してくれた。この民宿は、JRと提携してこの地域のさわやかウオーキングの企画を支援しているとのことだった。

  運ばれて来たラーメンのスープは色が濃くて、くどそうな感じだったが、飲んでみると、意外に薄味で、美味しかった。「どうですか。スープは見た目と違って、さっぱりしているでしょう」と、それまで、テレビを見ていた主人が話掛けたきた。「このスープは、焼いた岩魚を出汁にしているので、色は濃く見えますが、さっぱりしているのです。この宿自慢の料理です」と自信ありげに話してくれる。冷酒は、白いにごり酒だ。ラーメンを肴に飲むにごり酒も美味しい味だった。温泉付きのこの宿は、一泊一万円で宿泊できるとのことだった。代金千二百円を払い、宿を出発した。

[ 2012/06/27 06:41 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

柿其渓谷を歩く

その3

 道端の小川からは軽やかな水の音が聞こえ、春はもうそこまで来ているようだ。この辺りから道は急な上り道になった。息を弾ませながら、ぐんぐん道を上って行くと、道端の雪がだんだん深くなってきた。そして、日陰になったカーブの所からいきなり雪道になった。十センチ近く雪が積もっている。滑らないように注意しながら、車の轍の中を進んで行った。

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 カーブを曲がった所に「むらおこし加工施設」という看板がかかった建物があった。地図には「岩倉村おこし組合」と表示がある。中を覗くと、四人の人が白い服を着て働いていた。「何を作っているのですか」と、声を掛けると、一人のおばあさんが手を休め「味噌を仕込んでいるんです」と答えてくれた。「ちょっと見学させてください」と言うと、おばあさんは、施設の中を親切に案内してくれた。
 
 「味噌は、百%県内産の大豆と地元産こしひかりの米こうじを使って作っています。この味噌はここだけで販売しているのですが、結構評判がいいですよ」と教えてくれる。「ちょっと食べてみますか」と、わざわざ倉庫から残っていた味噌を持ってきてくれた。「塩が強いから濃いかもしれないよ」と渡された小さな味噌玉を口に入れると、大豆の香りがふわっと口の中に広がった。食べ終わった後も、大豆の香りがいつまでも口に残っていた。「この味噌を分けてください」というと、「いいですよ」と、おばあさんは、主任のおじいさんを呼びに行った。「一番小さいのでいいのですが」と言うと「一番小さいので五キロしかありませんが、いいですか」と言う。五キロでは、リュックに入れて担いでいくには荷物なので、宅急便で自宅まで送って貰うことにした。郵送代を含めて四千二百円を支払う。満足のいく買い物ができたことで心はウキウキしていた。「JRのウオーキングが始まったのですね。昨日も二人連れが道を歩いて行きましたが、今朝の雪で峠はだいぶ雪が積もっているから気をつけて行きなさい」と、おじいさんとおばさんに見送られて、村おこし組合を出発した。




[ 2012/06/26 06:21 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

柿其渓谷を歩く

その2

 三角形のシャレタ駅舎を後に、舗装された道を柿其橋に向って歩き始めた。心配していた雪も道路にほとんどなく、歩き易い。道路の温度が高いので溶けてしまったようだ。

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 車一台通らない道を、しばらく歩いた所に柿其橋があった。木曽川に架かる橋から見た渓谷は、水が少なく、ごつごつした白い岩が谷を埋め尽くしていた。まだ春が遠い冬景色である。

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 橋のすぐ脇に八剣神社があり、境内には樹齢530年という大杉が生えていた。昔は、四本の杉が一体になっていたというのだが、二本は枯れてしまい、今は二本だけになってしまった。十メートルはあるという幹の太さには驚いた。
 そこから揺るかな上りになった道を二十分ほど歩いた所に水路橋があった。国の重要文化財になっているもので、現存する戦前の水路橋の中では最大級のものだ。こんな貴重な建物がこの村にあることに驚きを感じる。
 そこから、少し上った所に小さなお堂が見えた。道からは少し下った所なので、そこまで行く気はないが、よく見ると、大きな枝垂れ桜が二本植わっているようだ。中山道、中津川の子野にも大きな枝垂れ桜が植わっていたが、ここの枝垂れ桜はそれとは比べものにならないくらい大きくて見事な木である。地図で調べると、柿其観音の枝垂れ桜と表示があった。

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 しばらくその木を眺めていると、そこへおじいさんが、鍬を持って通りかかった。「みごとな枝垂れ桜ですね」と声を掛けると「何百年も経っているもので、毎年花が咲く頃にはたくさんの人が写真を撮りにやって来るよ」と話してくれた。「少し前までもっと大きかったのだが、じゃまだというので、枝を切ってしまったんだよ。切った所の少し上の方が、枯れてきているのが心配だ。例年、四月の中ごろには満開を迎えるよ。その頃来るといいよ」と詳しく説明してくれる。「まだ、雪があるのでびっくりしました」と言うと「この雪は、昨夜から今朝にかけて降ったんだよ。もう、雪は降らんと思っていたのに、思いがけない雪で私も驚いているよ。これから先の峠は雪が積もっていて大変だよ。気をつけて歩いて行きなさい」と親切に道を教えてくれた。
[ 2012/06/21 09:10 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

柿其渓谷を歩く

その1

 三月十二日(日)、前々から歩いてみたいと思っていた柿其渓谷へ出掛けることにした。高蔵寺八時四十二分発の「ナイスホリデー木曽路号」塩尻行に乗車した。列車は四両編成、そのうち三両が自由席だ。この列車は、土、日に限って中央本線を走る臨時列車だが、昨日から運転を始めたばかりである。車内は、席がほぼ埋まっているが、歩くかっこうをした客はちらほら見えるくらいだ。春がやって来たといっても、朝の冷え込みは厳しく、木曽の山を歩くには、まだ少し時期が早いようだ。
 列車は、スピードを上げ、古虎渓の渓谷を走っていく。車窓から見える冬枯れした山の景色からは、まだ春を感じることができなかった。多治見を過ぎ、車窓は、田畑が広がるのどかな里山の風景に変わった。線路近くに広がる田や畑は、耕運機で耕され、作物を植える準備がすすめられていた。春は着実にやって来ているようだ。
 向い側に、七、八人の婦人のグループが座って楽しそうに話をしている。服装から見ると、どこかの温泉に出掛けるようである。話が盛り上がり、時々大きな笑い声が起こる。車内は、賑やかな話し声で春満開の様子だ。
 中津川に到着した。大半の乗客が列車を降り、車内はがら空きになってしまった。向い側の婦人たちも、大きなカバンを下げて降りて行った。
 静かになった列車は、中津川を発車した。トンネルを幾つかを抜けると、風景は一変して雪景色になった。目の前に見える山は白い雪で覆われている。まさか、雪が積もっていようとは予想だにしてなかったので、驚いてしまった。ズックで来たことを悔やんだが、今さらどうにもならない。今日歩く柿其渓谷はここからあと少しの所だが、どうやら雪の中を歩くことになりそうだ。気分が少々重くなる。

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列車は南木曽を過ぎ、十時八分、十二兼に停車した。柿其渓谷はこの駅がスタート地点である。昨日から始まったJRの「さわやかウオーキング」の催しに、何人かは参加するのだろうと思っていたのだが、何と、雪が降り積もったホームに降りたのは私一人であった。
 
[ 2012/06/19 06:58 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

春の小豆島を歩くふしぎな旅 4

第4日 安田~池田港へ

 朝5時起床。すでに他の部屋の老人たちは起きているようだ。私も洗面を終え、荷物を整理した。6時30分館内放送が入る。今までよりも早い時刻である。食堂へ移動する。すでに食堂は満員であった。般若心経の流れる中で私は食事を始めた。お経が終り、お遍路たちの食事も始まった。

「どこから見えたのですか」隣のテーブルのおばあさんに聞いた。「岡山県村上からです。毎年春と秋にここへやって来ています」と返事が返って来た。この団体も女性が圧倒的に多いようだ。女性は長生きして元気だということを証明していた。

 食事を終え、宿代の精算を終えた。1泊6600円。安い料金で3泊したことになる。「これ、おみやげに持って行ってください」女将さんが店の棚に並べてあった素麺の箱をくれた。「荷物もあるし、いいですわ」と断わったが、「小豆島の味を家で味わってほしい」と強く言われ、頂戴することにした。お礼に下手なスケッチを渡すことにした。自分でも少しうまく描けたと思った「オリーブ公園のモチーフ」を贈った。


 午前8時旅館を出発した。久しぶりに重いリュックを担いだが、毎日20km近く歩いていたので、体力もかなり付き、足取りも軽く歩いて行くことが出来た。フィルムがなくなり、写真屋に寄る。「これ、小豆島の宣伝の載ったパンフレットだよ。あげるわ」とコンパクトなパンフレットをくれた。小豆島で会った人はみな親切だなあと思った。

 30分ほど歩き、草壁港に着いた。高松へ向けてフェリーが出航している港である。港で釣をしているおやじさんがいた。「何か釣れますか」と聞くと「何も釣れやせんけど、暇つぶしに釣をやっとるんだ」と愛想ない返事が返って来た。

 国道をどんどん西に歩いて行けば目的の土庄町に着く。少し寄り道になるが、「へんろ道」という石の道標が出ていたので、歩いて行くことにした。へんろ道は車が通らず、旧道を歩いて行く気分だ。第24番安養寺の標識が見える。お遍路道はその先へ続いているようだった。お寺の入口でお坊さんが掃除をしていた。「お参りですか」と聞かれ「いや、ただお遍路道を歩いているのですが」と答えた。お坊さんは「拝んでいかないのですか」と少し起こったような口調に変わった。やはりお寺へ行って参らないのは失礼そのものであった。

 再び、「へんろ道」の道標に従って歩き出した。第25番誓顔寺が見えてきた。お寺に入らずにお遍路道を歩き始めたら、道端で草むしりをしている老人に「拝みにきたのじゃないのか」と呼びとめられた。「いや、道を歩いているだけですが」と言ったが、納得できないという表情だった。小豆島でお遍路道を歩く人は、「お遍路さん」という形が普通になっているのだと思った。お遍路道を歩くのはそこで止めて国道へ戻った。

 オリーブ公園、オリーブ園の前を過ぎる。広い歩道があり歩き易い。峠を越えた所から道を左に折れ、小豆島ふるさと村へ向かう。手延べ素麺を作っている所が見られるというので寄り道することにした。小豆島ふるさと村は海岸に面した所にあり、広大な敷地にプールやキャンプ場などが作られ、その中にそうめん館の建物があった。手延べ素麺作りを見ようとちいさなプレハブの建物へ行ったが、乾燥段階に入っていてよく分からなかった。食堂に置いてあったビデオを見て作り方を理解した。寄り道したのに残念だった。

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 池田港へ向かって歩き始めた。緩やかな坂を上り、トンネルを抜けると池田港が見えて来た。下り道は海岸線を歩いて行くことにした。満開の桜の花が目に飛び込んで来た。寒椿桜という名札が下げてあった。隣にある椿の花も満開で、がっかりしていた気持ちがどこかへ飛んで行ってしまった。美しいものには不思議な力があるものだ。

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 海岸線を歩いて行くと、不思議な形をした石垣が見えて来た。横には神社が建てられている。「池田の桟敷といい、江戸時代に築かれた天上桟敷で、秋祭りの太鼓や神輿の大練りを見るために使われた」と説明があった。今でも野外舞台として使っているのかもしれないと思った。

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 池田港から少し行った所に大孔雀園がある。ここも寄って行くことにした。丘の上に孔雀園はあった。「ニャーウォー」大きな鳴き声が聞こえる。最初は猫が鳴いているのかと思っていたが、それは孔雀の鳴き声だった。入口で入場料420円を払って中へ入った。時刻は丁度12時だった。「孔雀は12時になると羽を広げるのだよ」と子どもの頃聞いたことがあった。ひょっとしたらその姿が見られるかも知れないと期待しながら園の中を歩いて行った。孔雀が道の両サイドや広場をうろうろしている。一体何羽いるのだろう。驚きながら歩いて行くと、しっかり羽を広げた孔雀が1羽、広場の陰にいた。羽の開いた孔雀を実際に見たのは初めてだった。園のおばさんが「サカリのついたオスがメスに愛情を贈る時に羽を広げるのです」と科学的な話をしてくれた。孔雀園には3000羽近い孔雀がいるとのことだったが、この時間に園にいた客は私一人だった。1羽の餌代にもならないなあと思った。

 土庄町は目の前だった。小豆島の歩き旅ももうすぐ終る。土庄町の入口に小高い丘があったので、上ってみた。丘の上は双子浦を展望できるお勧めのポイントだった。行き止まりだと思っていた神社から町に向かって石段の道が続いていた。桜が咲く頃にはたくさんの花見客が訪れて賑わっているのだろう。

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 小さな川を渡った。地図で見るとこれが土渕海峡のように思えるが、川のようにも見えた。「これが土渕海峡ですか」と道を行く男性に聞いた。「世界で一番狭い海峡はもう少し右に行った所ですよ」と親切に教えてくれた。
川沿いの道を歩いて行くとパンフレットに出ていたアーチ型の橋が見えて来た。世界で一番狭いという海峡である。橋の欄干にギネスブック認定というプレートが掛けてあった。こんな川みたいな所が海峡になっているとは信じられなかった。

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 昼飯をどこかで食べようと思ったが、一気に港まで行くことにした。港は15分ほどで港に着いた。どうしても見たいと思っていた「二十四の瞳 平和の群像」はフェリー乗り場の横にあった。先生と12人の子どもたちが舞台の上で楽しそうに話をしている様子が伝わってきた。

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 港を出航する岡山行フェリーの時刻には間に合いそうだった。小豆島で出会った人たちやお遍路さんたちとの出会い、美しい自然などのことが頭の中を駆け巡っていた。今度来るときは、真剣にお遍路道に挑戦してみようと思った。 (完)

     
[ 2012/06/12 06:16 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

春の小豆島を歩くふしぎな旅 3

第3日 寒霞渓谷

 午前6時45分に「朝食の準備ができました。食堂へお来しください」と館内放送が入る。荷物の準備を終えて食堂へ移動した。途中で女将さんに会ったので、「今日もう1泊したいのですが」と告げる。「いいですが、新しい団体さんが今日から泊りますから、部屋を変更させていただきますよ」と女将さんから返事が返って来た。お遍路宿は繁盛しているようだ。

 食堂は老人たちで満員だった。昨日、風呂で会ったおじいさんがみんなの世話をして頑張っていた。係りの人から話があり、般若心経の唱和が始まった。私とバスの運転手さんの3人は昨日の朝と同じように般若心経の流れる中で食事を始めた。運転手さんは別にしても、信心のない私のような者が、お経を無視して食事をしているという無礼な行為に対して老人たちも宿の人たちも寛容だった。不思議な雰囲気の中で食事は終わった。

 午前7時半に旅館を出発した。今日のウオ‐キングは寒霞渓谷周遊コースだ。旅館のご主人が出掛けに道を詳しく教えてくれたので、その道を歩いて行く。国道から一つ中にある細い道だ。途中、極楽寺、一の谷庵、清見寺とお遍路さんの霊場になっているお寺の近くを通る。お寺へ向かうバスを何台も見た。小豆島はお遍路さんによって経済の一部が支えられているように思った。

 寒霞渓谷へ向かう道に出た。丸島醤油という工場がある。ここへ来る途中にも醤油工場があった。小豆島は醤油の生産が本当に盛んなようだ。寒霞渓谷への道は歩道のある立派な道だ。最近整備されたばかりのように感じた。ブルーラインと呼ばれるドライブコースに繋がっていて、小豆島を代表する観光コースになっていると説明がある。行く手に高く聳える山が見える。寒霞渓谷をつくる山々である。頂上を目指して上って行く。

 家が次第に少なくなり、やがて、のどかな田園風景に変わった。椿の赤い花が咲き乱れている。桜の季節にはまだ早いようだ。道が次第に急坂になって行く。高度がぐんぐん高くなり、振り返ると瀬戸内海がかなり下の方に見えていた。

 道路の右端に遍路道という石の道標を見つけた。そこからは遍路道を歩いて行く。静かな山道をゆっくり上って行く。木々からは新芽が吹き出し、竹は新緑の光を放っていた。その中で、ウグイスが鳴き始めた。「ホーケキョケキョケキョ…」美しい鳴き声である。遍路道を歩けば素晴らしい自然と巡り合えることを発見した。大勢の人に紹介したい道である。

 遍路道を上り詰めた所に池があった。猪谷池で、徳川吉宗の時代に作られたもので、小豆島内海町の人たちの大切な水源になっていると説明がある。ここから石門洞へさらに急な坂道を上って行く。石門洞は第十八番霊場になっている。バスが狭い道を下って来た。お遍路さんがたくさん乗っていた。

 坂道を上って行くと所々に立札がある。そこからはおもしろい形をした岩が見え、螺貝岩、大亀岩などと名前が付いていた。石門洞から上る道を裏8景といい、ロープウエーを周るコースが表12景というのだそうだ。この景色もやはり歩かないと見られない。お遍路さんたちにはそんな余裕はないのだろう。

 池から15分ほど上った所に石門洞があった。お寺は洞の中に作られていて名前の通りのお寺だった。ここから頂上へどう行けばよいか分からなくなってしまった。困ったなあと思っていたら、お寺から奥さんが出てきて、「頂上へは石門の間を抜けて行ってください」と教えてくれた。

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 石門を抜けると道標が立っていた。道標が石門の入口にあれば迷わないのにと思った。急な坂道をゆっくり上って行くと、見晴らしのよい場所に出た。松茸岩という表示がある。おもしろい形をした岩が正面にあった。かなり高く上ってきたようだ。遥か彼方に海が見えた。展望台まで後500mという表示がある。息を切らしながら上ってロープウエーのある展望台に到着した。時刻は10時を過ぎていた。

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 時間に余裕があるので、もう少し上ってみることにした。展望台から広い歩道を歩いて10分ほどで標高671mの三笠山山頂に着いた。そこからさらに奥に星ケ城がある。小豆島の最高峰で標高817m、南北朝のころ佐々木信胤が築いた城跡があると説明がある。そこへも行ってみることにした。急な上り道を30分ほど歩き、小さな社の前を通り過ぎた。しばらく行くと見晴らしのよい場所に出た。大きな岩の上に立ち、遠くの山々や海を眺めた気分は最高であった。日本三大渓谷美の一つとも賞されるだけあり、険しい崖と岩がつくる景色は素晴らしかった。スケッチブックを出して絵を描き始めたが、山肌の崖を思うように表現できなかったのが残念だった。

 時刻は12時近くになっていた。展望台に戻る。下り道なのであっという間に着いてしまった。展望台の食堂でうどんを食べた。讃岐うどんは腰があり美味しかった。

 展望台から表12景を下る。皿投げをする所があった。大きなリングの中を通ると願い事が叶うのだろうか。10枚で200円。若者と老夫婦が皿を投げていた。

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 険しい岩や崖をすぐ目の前に見ながら道を下って行く。展望所も所々に作られ、本格的な観光の季節になればたくさんの人で賑わっているのではないかと思った。見晴らしのよい場所では、スケッチをしながら下って行った。緩やかな遊歩道も整備されとても歩き易かった。途中で道に動物の糞が目立つようになってきた。何の糞なのだろかと思って歩いているといきなり、「キャー」と甲高い鳴き声が聞こえ、すぐ目の前にサルの群れが現れた。突然のことでびっくりしたが、睨んでいたらすごすごと立ち去って行った。

 ロープウエーの乗り場から広い道路を歩き、トンネルを通って猪谷池に戻った。その後はお遍路道を歩き、寒霞渓谷を一周した。今日歩いた道も、自然あり、景色あり、歴史との触合いありの素晴らしい道だった。たくさんの人に薦めたい道である。

午後4時半過ぎ、旅館に戻った。入口でおばあさんが忙しそうにスリッパを拭いていた。「大変ですね」と声を掛けると「明後日からお客が増えて、100人になるんですわ。風呂のある別館も満員になってしまいます。お遍路さんの季節が本格的に始まるのです」と話してくれた。

「歩いている人はいませんか」「歩き遍路さんもたまにいますよ。そうそう、4月24日に全国からこの小豆島へ歩き遍路さんがやって来ます。その時は町々でお接待をするのですよ。貴方も歩きに見えたらどうですか」おばあさんは、にこにこしながら私を見つめた。

 部屋が変わり3階の一番奥の部屋になった。昨日よりもたくさんの人が今日は泊るようだ。風呂に入り、6時の食事時間になったので食堂へ移動した。食堂にはたくさんのお膳が並んでいたが、誰もいなかった。広い食堂で1人で食事を始めた。食事が半分ほど終った頃、お遍路さんたちが入って来た。食堂は満員になった。昨日よりもたくさんの人たちだった。お坊さんの話があり、やがて般若心経の唱和が始まった。少し慣れた感じで食事を進めた。しかし、やはり不思議な雰囲気での夕食だった。

 明日は土庄町まで歩き、「二十四の瞳 平和の群像」を見て小豆島の最終日とすることにした。午後9時消灯。明日も天気はよさそうである。




[ 2012/06/10 08:04 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

春の小豆島を歩くふしぎな旅 2-3

 
第2日 オリーブ公園~宿

 1時過ぎ、映画村の受付で渡し船を呼んでもらった。岬の映画村から向かいにあるオリーブ公園を不定期だが渡し船が結んでいる。桟橋で待っていると、小さな船がやって来た。たった1人の客でも呼べば迎えに来てくれて、しかも料金500円。今時、タクシーだって基本料金は630円だ。格安である。
「対岸までどのくらいの距離ですか」と船長に話し掛けた。
「およそ3kmだね。10分ほどで着きますよ」船長はハンドルを操作しながら答えてくれた。
「1年中営業しているのですか」
「3月から11月までですが、土、日が主で後は休んでいる日が多いね。最近は車で映画村へ行く人ばかりが増えて、この渡し船を利用する人が少なくなってしまいましたよ」船長は商売あがったりという表情だった。10分ほどで対岸のオリーブ公園前に到着した。礼を言って船を下りた。

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 小豆島民族資料館の横を通り、国道を渡って坂道を上って行った所がオリーブ公園である。瀬戸内海を見下ろす美しい景色の中に公園は作られている。中心になる建物がオリーブ記念館で、ステンドグラスの窓やアテナ像などが飾られ、オリーブからできる製品もたくさん並べられていた。記念館の前にはモニュメントが飾られ、その周りにはオリーブの木が植えられていて、子どもたちが芝生の斜面を楽しそうに滑っていた。

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 公園にはおもしろい形のギリシア風車も建てられていた。スケッチに描けそうな感じがしたので、場所をいろいろ替えてスケッチに没頭した。気が付いたら時刻は4時を過ぎていた。2時間近く公園で絵を描いていたようだ。スケッチをしながら旅をするというのも案外楽しいのだなあと思った。

 
 オリーブ公園から旅館のある安田まで国道を歩く。およそ5km、5時過ぎには旅館に着けそうだ。道は海岸線に沿っている。車が多く、路側帯の幅が狭い所もあり、少し危険を感じた。海岸の波打際で老人たちがくまでを使って何かを掘っているのが見えた。貝を採っているように思えた。
 午後5時過ぎ、旅館に戻った。今日のウオ‐キング周遊コースは、歩いた距離は18kmくらいだろうか。見学場所も多く、渡し船もよかった。スケッチも何枚かでき、満足した1日だった。お勧めのコースになりそうだ。

 「お帰りなさい。夕食は別室に用意してありますから、そちらで食べてください」と女将さんに言われた。お遍路さんでない私を気遣ってくれたのだろうか。夕飯の前に風呂へ行った。先客が3人いた。もちろんおじいさんばかりだ。
「どこから見えたのですか」一人のおじいさんに話し掛けた。
「岡山県の新見です。毎年春と秋に、この宿に泊ってお遍路をしているのです」おじいさんは気さくに答えてくれた。
「今回は3泊4日で八十八ヶ所を廻ります。明日が最終日です。毎年ここへ来られる事が元気な証拠です。ここへ来ることを目標にして毎日を生きているようなものですよ」おじいさんの話から、お遍路さんの気持ちが少し分かったような気がした。よく見ると、おじいさんの左胸に丸いものが埋められていることに気付いた。心臓のペースメーカーだ。おじいさんの言葉に一層の重みを感じた。「秋にも元気で、お遍路さんに来てください」と思わずにはいられなかった。

 夕食は別室で、1人で食べた。遠くから般若心経が聞こえて来た。不思議な雰囲気で食べた朝食の時のことを思い出していた。夕食を終え、部屋に戻る途中におみやげ品を並べた棚がある。その中に「讃岐うどん」が目に付いた。3人分入って240円。地元の名産品が格安の値段である。自宅に宅急便で送ることにした。10袋送料混みで3000円也。受け取ったかみさんは何と言うのかな。

 明日はどうしようか。まだ計画は何も立っていなかった。朝、女将さんに勧められた寒霞渓谷を歩いてみようかと地図で調べた。遊歩道が付いていてぐるりと1周りできそうだ。この旅館でもう1泊することにした。賑やかなお遍路さんたちの話し声も9時前には聞こえなくなった。私も電気を消して床に入った。明日も天気はよさそうである。

 
[ 2012/06/09 06:18 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

春の小豆島を歩くふしぎな旅 2-2

第2日 岬の分教場 
 
 午前10時過ぎ、田の浦港に着いた。岬の分教場は港のすぐ前にあった。苗羽小学校田の浦分校。壷井栄「二十四の瞳」の小説の舞台になった小学校だ。高峰秀子の映画はここで撮影されたと受付の人が説明してくれた。昭和46年に廃校になったが、記念館として当時の子どもたちの作品も含めてそのまま保存されていた。

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 低学年の教室に入った瞬間、どこかで出会った風景に見えた。小さな2人用机。剥げかかった黒板。くすんだ床板。そうそう、今から30年前、私が初めて教員になって教えていた金沢市立上平小学校の教室とそっくり同じなのだ。あの時の思い出が鮮やかに蘇ってきた。

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「全校児童数十七人。複々式の教室。私は高学年4・5・6年の10人の担任。がむしゃらに子どもたちに教えていた。『先生の教え方が分からん』と言って駄々をこねた4人の5年生。理科の授業はいつも山へ行って自然の中で遊んでいた。子どもたちの方が草や鳥についてよく知っていた。厳しい冬、雪をラッセルして子どもたちを迎えに行った…・」懐かしい思い出が次から次へと蘇って来た。しばらくその教室を動けなかった。

 岬の分教場から歩いて10分ほど離れた所に「二十四の瞳映画村」がある。1987年に田中裕子主演で再映画化することになったが、分教場の周りの住宅環境がすっかり変わってしまい、分教場では撮影できないので、松竹がここに分教場や昭和初期の民家や商店などを再建したのが映画村である。時刻も11時近くになり、祝日でもあり、映画村は混んでいた。本物そっくりの分教場や映画に使用した乗合バス、粗末な民家などまた映画化されればすぐ使用できそうに思った。映画村の中に壷井栄文学館も併設されていた。特に目を引いたのが壷井栄の小説「二十四の瞳」の直筆原稿だった。涙を流して読んだ、教員に成り立ての頃のことをまた思い出した。

 映画村の映画館で「二十四の瞳」を上映していた。1時間半を超える映画を最初から最後まで見てしまった。途中涙が止まらなくなり、どうしようもなかった。教員を辞めたばかりの私には刺激が強過ぎた映画だった。 

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 映画村の中に用水があり、鯛やカワハギなどの魚が泳いでいた。その中に大きなコブ鯛がいた。茶目っ気のあるコブ鯛で、餌をよこせとねだっているようで、手だけ差し出すと口から水を吐き出して怒っていた。「へんてこりんな魚だ」と観光客もあきれた顔で見ていた。こんなおもしろい魚を見たのは初めてだ。この映画村を代表するキャラクターかも知れないと思った。





[ 2012/06/08 16:18 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

春の小豆島を歩くふしぎな旅 2-1

 
第2日 岬の分教場へ その1

 朝5時半起床。向かいのお遍路さんたちの部屋から話し声が聞こえてくる。洗面を始めたようだ。6時を過ぎて窓の外が明るくなって来た。今日も天気はよさそうである。洗面を終え、荷物の整理をしていると食事を知らせる放送が入った。時刻は6時45分。あわてて食堂へ行くと部屋は白装束の老人たちで満員であった。昨日の夕食と同じように係りの人から挨拶があり、般若心経の唱和が始まった。今日は白装束でない客が私以外に2人いた。バスの運転手さんたちだった。お経を唱えていないのは3人だけだった。お経が流れる中で私は運転手さんたちと食事を始めた。不思議な雰囲気の中での食事だった。

 女将さんが用意してくれた昼の弁当を持って7時半に旅館を出発した。国道を安田の中心街まで行ったが、今日は春分の日で町の中はひっそりとしている。大きな交差点を左に折れ、坂手港という表示が出ている方向へ歩いて行く。ここから岬の分教場まではおよそ9km、10時ごろには到着できそうである。

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 町中を出る辺りで高い煙突のある大きな黒い建物が見えてきた。マルキン醤油と表示がある。安田の交差店の所にも佃煮の店があったが、小豆島は大豆を加工して作る醤油が特産品のようだ。木造建築の醤油工場からは歴史が感じられる。醤油記念館は残念ながら早朝なので開いていなかった。

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 醤油工場から少し行った所の小高い丘の上に黒島伝治文学碑が立てられていた。「小豆島出身の作家で『二銭銅貨』が貴重な日本の文学遺産になっている。」と説明がある。「一粒の砂の 千分の一の大きさが 世界の大きさである」という文字が石碑に刻まれていた。丘の上からは、マルキン醤油工場の黒い屋根と静かな瀬戸内海が見えていた。

 古江に到着した。左「坂手港」、右「二十四の瞳映画村」と道路標識が出でいる。右に向かって歩いて行く。道路は海岸線に沿って続いているようだ。車がほとんど通らない道を静かな海を見ながらのんびり歩いて行く。ウグイスの鳴き声も聞こえるようになった。今日設定したウオ‐キングの道は安田から安田に戻る周遊コースになっている。まだ歩き始めたばかりだが、見学地もたくさんあり、お薦めのコースになりそうだ。

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 大きな別荘が海岸に建てられている。その上の斜面にも別荘が建っている。しかし、よく見ると廃屋のような感じである。ここへ来る途中にも倒産して荒れ果てた大きなホテルがあった。バブルが弾け、そして今、大不況の真っ只中、こうした光景は普通のものになってしまった。地域から遊離したものは結局潰れてしまうということなのだろう。

自転車に乗った若者が私を追い越して行った。自転車で観光巡りをしているようだ。あの若者の行く先も映画村だ。映画村のある島影が見えてきた。後2キロぐらいだ。




 
[ 2012/06/07 05:23 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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