第3日 礼文島 朝5時、起床。今日も快晴である。洗面を終わり、荷物を整理する。昨日歩いた足の痛みが、少し残っている。
午前七時、支払いを済ませ、宿を出発。

「礼文島行」フェリーは、午前七時三十分発。港に着くと、すでにたくさんの人が、フェリーの乗船手続きをとっていた。自分の名前を記入し、乗船手続きを済ませ、フェリーに乗る。船内は満員で、二等船室は空いていなかった。それで、荷物を持って、ブリッジへ上って行った。しかし、そこの座席も全て埋まっていて、座るのはあきらめた。ブリッジに荷物を置いて、船内を見物する。売店があるが、パンと飲み物、お菓子などしか置いてない。菓子パンを買って食べることにした。

午前七時三十分、フェリーが出港した。稚内の町が、次第に遠くなって行く。フェリーは、野寒布岬を大きく回って、半島の反対側にある、礼文島に行く。丘の上には、風力発電の大きな風車が回っていた。反対方向を見ると、昨日歩いて来た宗谷岬が、ずっと遠くにかすんでいた。自分が歩いた距離の長さにびっくりした。一歩一歩の積み重ねは、すごいものだ。空は、雲一つない青空である。今日も暑い日になりそうだ。
利尻富士が見えるようになった。麓の方は、靄が薄っすらとかかっているが、全体の姿がはっきりと見える。高さは、一七二一メートルとパンフレットにある。美しい山で、その姿は富士山に似ていた。
フェリーの横を、カモメが何羽も飛んでいる。このカモメは、稚内からフェリーにずっと付いて来ている。フェリーのスピードは結構速いように思うのだが、カモメは平気だ。どうやら、フェリーの客が差し出すお菓子を、お目当てにしているようだ。手に持ったお菓子を、実に上手にくわえて持っていく。空中に投げられたお菓子を、みごとにキャッチして、拍手が起きた。フェリーの旅には、こんな楽しみもあるのだ。
フェリーは、穏やかな海を進み、九時三十分、礼文島香深港に入港した。フェリーを降りると、民宿や旅館の旗を持った人が、たくさんいる。一瞬、旗を持っていた人と目が合ったが、私の今日の宿は、港のサービスセンターで決めてもらおうと思っていた。
「とにかく、朝食が先、駅前の食堂に行こう」と歩き出すと、「今日の宿は、決まっていますか。決まっていなかったら、ぜひ泊まってください。料理は保証します。相部屋になるかと思いますが、どうですか」と、後ろから声を掛けられた。それが「民宿なぎさ」の従業員、竹ちゃんだった。「うーぬ」と、躊躇しているところに、もう一人やって来た。その人が「民宿なぎさ」のご主人、伊藤文夫さんだ。泊まる気は、全くなかったのだが、二人の熱心で強い誘いを、断わることができず、「今日は、この民宿に泊まろう」と決めた。
「これから、礼文島は、どこへ見学に行くつもりですか」と聞かれたが、何も考えていない行き当たりばったりの旅。とりあえず、民宿へ行くことになった。
「民宿なぎさ」は、礼文島の西の外れにあって、真正面に、利尻富士が望めた。中に入ると、居間で、何人かの泊り客が、本を読んでいた。
荷物を部屋の隅に置き、これから見学するところを、調べ始めた。パンフレットを見ると、礼文島には、いろいろな観光スポットがあるようだ。その中から、香深から林道コースを通り、礼文滝から、海岸の岩場を渡って地蔵岩へ、さらにそこから、元地海岸・桃岩・元地灯台を通って民宿へ戻る、六時間コースを選んだ。「これを使ってください」と、文夫さんが、小さなリュックを貸してくれた。その親切にはびっくりした。とにかく、必要なものだけを入れて身支度した。
車で、再び香深まで送ってもらう。港の前にある店で、遅い朝食をとり、昼の弁当も作ってもらい、午前十時三十分、出発。急な上り坂を歩いて行くと、下の方に、港の景色が見え出した。青い海と、遠くには利尻富士、すぐ手前は緑の山と、景色が美しい。

林道コースに入ると、木陰が所々にあって、涼しくなった。林道をぐんぐん上って行くと、視界が急に開けて、美しい緑の山の姿が前面に広がった。今までに見たことのない、素晴らしい風景だった。「礼文島にやって来て本当によかった」と、その時初めて思った。

それから続く景色は、どこも最高であった。山頂近くでは、高山植物が花を開いていた。

礼文滝の近くでは、カモメやウミウが、何百と飛び交っていた。

地蔵岩までの海岸歩きは、スリル満点だったし、地蔵岩の切り立った岩肌は、すごかった。

桃岩から元地灯台へ向かう道の景色も、草原の山を歩いているという雰囲気がした。

午後三時三十分、民宿にもどる。民宿にはたくさんのお客がいた。皆、私よりはるかに若い青年たちだ。今日は相部屋だという。一体、だれと一緒に、泊まるのだろうか。「お客さんの部屋は、この隣ですが、今は、食堂になっていますので、それまではありません」と、竹ちゃんが言った。「えっ!」とびっくりしたが、それからも、寝るまで、びっくりすることが、連続して起こったのだ。「民宿なぎさ」は、本当に不思議な宿だった。
まずは、風呂に入る時刻が、決まっていたことである。この宿には、小さな風呂が、一つしかない。そこにたくさんの人(今日はおよそ三十人とのこと)が、宿泊するのだから、時刻をきちんと決めて入ってもらうのだという。当然といえば当然だが、「五時になったら呼びますので、お客さんはそこで入ってください」と言われた。泊まり客の中には、入る時刻を忘れてしまい、寝る時になって、「まだ風呂に入ってないのですが」と申し出た人がいた。その時の竹ちゃんの困った顔を、今でも記憶している。果たして、その人は、風呂に入れたのだろうか。

時刻は午後六時に近づき、泊り客が続々到着し、宿は、人で一杯になってきた。夕食は、六時三十分頃から始まるそうだ。「夕日が沈む時には、利尻富士が赤く染まり、とても美しいですよ」と教えてもらい、私は、カメラを構えて外にいた。だんだん、日が西の空に沈むにしたがって、日の光を真正面から受け、利尻富士が、薄っすらと、赤く染まり出した。決定的チャンスを逃すまいと、数人の泊り客も、カメラを構えて、シャッターを切っていた。今日の日没時刻は、午後六時四十分頃である。ますます、利尻富士が赤くなりだし、もう少しで、最高潮を迎えようとしていた時である。

「夕食が始まります。中へ入ってください」と宿の中から声がした。「えっ! どういうこと?」「なぎさでは、みんなが揃ったところで、夕食を始めることになっているのです」と、何日も泊まっている若者が教えてくれた。「ちょっと、待ってよ!」と思ったが、他の客は、宿の中へ入ってしまった。自分だけが取り残されてしまい、私は、しぶしぶ宿へ戻った。「宿に泊まるお客全員が揃わないと、夕食が食べられない!」、これもびっくりしたことだった。
広間二つに並ぶテーブルの上に、料理がびっしり並べられていた。全員が揃った所で、「今から夕飯を始めます」と、主人の文夫さんが言った。そして、今日の料理メニューを紹介していった。
「イカの刺身、生のバフンウニ、ソイの煮付け、タラバガニの足のフライ…」美味しそうな料理が、本当にたくさん並んでいた。ビールを飲み、一口一口、しっかり味わいながら食べていった。どれも最高の味であった。
ただ、いつまでも、ビールを飲んでいるという訳には、いかなかった。「民宿なぎさ」では、夕食の時間は、一時間と決められていたからだ。まだ、これから、いろいろとスケジュールがあるようだ。食事が終わらなければ、私の泊まる部屋だって、いつまでたっても、確保できないのだから、当然かも知れないが、「夕食時間は一時間」、これもびっくりしたことだった。
夕食が終わり、広間の食器も片付けられ、「そろそろ、自分の部屋ができるのではないか」と、待っていたのだか、一向にその様子はない。「今晩は、港で花火大会があります。見に行きたい人は、車を出します。乗ってください」と文夫さんが言った。花火は稚内で見てきたので、私は見ないことにして、居間で、本を読んで過ごすことにした。
午後八時半、花火大会も終わり、みんなが帰って来た。「今度こそ、自分の部屋ができるのではないだろうか」と思っていると、「九時からミーティングがありますので、それから布団を敷きます」と竹ちゃんが言った。「ミーティングって何だ」と、またまた不思議な言葉にびっくり。
午後九時になり、再び、宿泊客全員が広間に集まって来た。いよいよ、ミーティングなるものの、始まりである。「今から、この宿に泊まった方一人一人に、自己紹介と、この宿に泊まったきっかけは何かを、語っていただきます。まずは、焼酎で乾杯しましょう」と、文夫さんから、お酒が振舞われた。そして、自己紹介が始まった。ミーティングとは、このことだったのだ。そして、「民宿なぎさ」には、ユニークな人が、たくさん宿泊していることを、知ることになった。
東京に住む男性は、「一年のうち、何回もこの民宿へやって来て、過ごしています。ここへ来ると、ほっとして、ストレスが全部飛んでいくのです」と語った。ある夫婦は、「百名山に登る挑戦をしています。今日、利尻富士に登頂して、その目的を達成し、山頂で、仲間たちと祝杯を上げてきました」と嬉しそうに語った。朝、この宿へ来た時から、エプロンを着けて、一生懸命働いていた若者を見てきたが、実は、彼は従業員ではなくて、泊まり客だったということを、その時知った。「自転車で道内を周っていて、この宿に泊まり、ここが気に入り、しばらく手伝いをさせてもらっているのです」と、彼は恥ずかしそうに話した。今、働いている従業員の女性も、「今まで、何回もここへお客としてやって来たのですが、とうとう、今年は、この店の従業員になってしまいました」と話していた。私と同じように、港で声を掛けられて、やって来た人も何人かはいたが、多くの人は、この民宿の温かさを実際に体験したり、人から紹介されたりして、ここに泊まっていることが分かった。「民宿なぎさ」は、礼文島にしかない、特別の宿だった。次の日に、知ったのだが、この宿に泊まり、この宿の温かさを体験した人たちが、本でそのことを紹介していた。
一人一人の自己紹介が終わり、記念撮影をした。文夫さんが、みんなから預かったカメラのシャッターを、順番に押して行く。カメラのシャッター音を聞きながら、「私はなんて幸運なのだろう」と、今日声を掛けてくれた竹ちゃんに、感謝したい気持ちで一杯になった。「明日の朝食は、八時間コースを歩く人は午前五時半です。後の人は、六時半です」と文夫さんが言った。あまりに早い朝食の時刻にびっくりしたが、お客さんの日程に合わせて、朝食を準備するこの民宿は、本当にすごいと思った。