水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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紅葉を訪ねて 2

長野県の旅 

 糸魚川から松本に向けて、国道一四八号線を走ります。道は、姫川に 沿って上流へ上流へと上っていきます。険しい断崖が続き、長いトンネルが連続しています。何年か前に糸魚川から松本まで大糸線で旅したこ とがありますが、白馬の紅葉は本当に美しかったです。このトンネルを抜けると、美しい北アルプスが行く手に見えてくるのでしょう。

その1 小谷温泉 

 トンネルの出口に、「小谷(おたり)温泉」という看板が見えます。国 道から少し山を上った所にある温泉です。途中下車して寄っていくことにしました。  細く険しい道の奥に小谷温泉はありました。幾つも温泉宿があるようですが、「村営雨飾荘」にしました。村営雨飾荘は立派なバンガロー 風の建物でした。広い駐車場には車がたくさん止まっています。木々は赤や黄色に色付き紅葉真っ盛りと言う感じです。美しい紅葉を見な がらのんびり温泉に入るなんて本当に豪華な旅行です。

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  山の上の方から、手ぬぐいをぶら下げた夫婦連れが駐車場へ歩いて 来ます。「この上にも温泉があるのですか」と尋ねると、「この上には村営の露天風呂があるよ。自然そのものだから、そちらがいいよ」と 親父さんが教えてくれました。本当に紅葉の下での温泉になりそうです。

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  露天風呂は、ブナ林の中にありました。囲いがほとんどなく、少し遠く から、裸の人間が歩いているのが見えますが、素朴でとてもいい感じでした。入浴料は、寸志ということで入口の木箱に寸志を入れればよいのです。 脱衣場で裸になり、タオル一枚を持って露天風呂へ入りました。四人ほど人が入っていました。女性用の露天風呂は、この風呂の奥にあり、ちゃんと 囲いで囲まれていました。楽しげな女性の話し声が、聞こえてきました。黄色く色付いたブナの葉っぱを見ながら温泉に浸かる気分は最高でした。

  村営雨飾荘へは結局入浴することはありませんでしたが、入浴料は 200円と格安でした。秘湯の温泉をお探しの人は、小谷温泉へ行かれるといいでしょう。  
 
小谷温泉と一つ谷を隔てた所に、「奉納(ぶのう)温泉」があります。 今年の春に行きましたが、小谷温泉よりさらに山深い所にある温泉という感じで、ここも秘湯です。



[ 2012/09/30 06:56 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉を尋ねて 1   

プロローグ 

 まだ、当地では紅葉は始まっていませんが、北からは紅葉の便りが届 き始めました。仕事も一段落したこともあり、旅人は、一年ぶりに長期のスケッチ旅行に出掛けることにしました。昨年のちょうど今ごろ、東 北地方を旅していたのですが、その時出合った「奥入瀬(おいらせ)の紅葉」をもう一度見たいと、目的地は奥入瀬と決めました。

kami5.jpg 神通峡の風景

  旅のスタイルは、いつものように、寝袋、食料品、調理道具、スケッ チブックを軽ワゴン車に積み込みました。これから十日間ほどは軽ワゴン車が旅人の家となります。これも気楽な一人旅だからできるのです。

 奥入瀬は、細入から1000キロメートルほど彼方にあります。途中、 紅葉で有名な景勝地も見ていけそうです。いいスケッチがたくさん描けることを願いながら、旅人の気ままな旅は始まりました。


[ 2012/09/29 14:47 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

秋の大名街道を歩く

野井から岩村
 
 2日間の休みの内,土曜日はワープロ打ちで1日が終わってしまい,おまけにコンピュータの印刷機の調子が悪くて仕事を終了できずに,日曜日の早朝から悪戦苦闘。やっと印刷機の調子が戻り,9時過ぎになって予定していた仕事は終わった。考えてみれば12時間以上コンピュータに向かっていたことになる。
 
 「どこかへ行って気分転換したら」という妻の声に,悶々とした気分を一掃するために街道歩きに出かけることにした。とは言っても,もうすぐ10時。この時間ではあまり歩くことはできない。とにかく中央線沿いのどこかの駅で降りて,そこから3時間くらいの道のりを歩くことにした。リュックにカメラと水筒と中山道の地図を入れて出発した。JR金山駅までの道を急ぐ。

 10時5分金山駅に到着。構内の売店でおにぎり3個を買い,駅の時刻表を見ると,10時22分発快速中津川行きがある。中津川で下車し,中津川から落合宿まで歩き,時間があれば,そのまま馬篭宿まで行ってみてはどうかと行き先が頭に浮かんだ。

列車がホームに入って来た。車内はほぼ満席状態である。名古屋市内を抜けると緑が多くなってきた。緑の色を見て,疲れがスーと抜けて行くように感じた。遠くに山も見え始めた。心が何だか惑々してきた。定光寺駅に近づく辺りで窓の外はすっかり緑に囲まれた。所々に黄や赤に薄く色づいた木々が見える。多治見を過ぎ釜戸に近づく辺りでは黄や赤に色づいた木々が一面に広がっている山が見えた。

 どの駅で降りるのか迷う。冬に歩いた中津川から落合までの中山道をもう一度歩いてみるのもいいのではないだろうか。そう言えばあの時にカメラで撮った落合宿を望む風景は,それまでに私が写したことのない素晴らしい写真であった。その場所にこの秋に立ってみるのもおもしろいのでないか。そんなことを考えながら窓の外を見ていた。列車は恵那に近づいた。山の紅葉は一層すすんでいる。ふと,夏に歩いた野井から岩村までの大名街道のことが頭に浮かんで来た。あの時は途中で道に迷ってしまい,完全に大名街道を歩くことができなかった。今日歩いてみてもおもしろいのではないか。列車は恵那に到着。急きょ予定変更。今日は野井から岩村までを歩くことに変更し,列車を降りた。    

  時計を見ると11時25分,駅前のバス停の時刻表を見に行った。野井までは三郷行きのバスに乗ればよい。時刻表を見ると11時55分発三郷行きがある。少し時間があるが,そのバスに乗ることにした。考えてみると今日歩く大名街道の地図を持って来ていなかったので,駅前の観光案内所に行った。案内係の婦人に「東海自然歩道を歩きたいのだか地図はないか」と尋ねると恵那市の詳しい地図を渡してくれた。

11時55分,バスは発車した。乗客は私一人。日曜日ということでバスに乗る乗客はほとんどいない。このバスは2時間に1本しか走っていないので利用するにもなかなか利用できないようになっている。自家用車があればまず乗らない。利用するのは老人と子どもだけになっている。いずれこのバス路線も廃線になるのではないだろうか。そんなことを考えていたら,途中から3人の乗客が乗ってきた。やはり老人と子どもであった。バスはそれでもほぼ貸切り状態であつた。12時20分野井着。降りたのは私一人であった。バス停のすぐ横に武並神社がある。この神社は歴史的にはかなり古いようだ。案内の立て札には由来が説明されていた。

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 12時30分,東海自然歩道の道標を見つけて歩き始めた。しばらく歩くとトイレが設置してある場所に着いた。夏,来た時に赤い花を付けていたカンナの花が同じように赤い花を付けていた。カンナの花の時期が長いのには驚いてしまった。小さな橋を渡った。夏にこの辺りで道を間違えたので慎重に歩く。道を右に曲がって数10メートル位の行った所に山へ上って行く自然歩道を見つけた。その右角に東海自然歩道の道標が立っていた。どうやら夏には,この道標を見落としてそのまま先に進んでしまったようだ。しかし,この道標は木の陰になっていて,見落とし易いのではないだろうか,道の向かい側に立っていればそのようなことはないだろうにと思った。

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ヒノキ林の中を自然歩道はぐんぐん上って行く。曇り空であるためか光はあまり届かず薄暗くなっている。大きな石がごろごろしている道を上り詰めると,林が途切れ道の両側が開けて明るくなっていた。その坂道を上り詰めると大きな池があった。

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 ここが小ケ沢池だ。灌漑用に作られた溜め池である。池の周りの紅葉が美しい。曇り空なのが残念であった。見晴らしもよく遠く恵那の町が見えた。その池の土手にマウンテンバイクを横に置いて夫婦連れが昼食を取っていた。この道の上から降りて来て,道を下って行くのだろうか。それともここからこの道を上って行くのだろうか。よく分からないが,この道を自転車に乗ってやって来たとは少し信じられない。「こんにちは」と挨拶だけをして,私は再び道を歩き始めた。道はその池からも,上りになっていた。階段が作ってあったが,かなり壊れていて,大きな石がごろごろしていた。とても自転車では走れない道であった。なぜか先ほどの二人連れのことが頭から離れなかった。

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 厳しい上り道を20分程歩いて,お茶場という休憩地に到着した。ベンチも作ってあり,辺りはなだらかな丘陵になっていた。ベンチに座ってお茶を飲んだ。時間は13時をとっくに過ぎていたが,食事は夕立園地についてから取ることにした。少し休憩してから道を歩き始めた。しばらく行くと右手に牧場が広がっていた。この辺りはなだらかな丘陵になっているので牧場として利用されているようだ。ススキが風に穂をなびかせていた。写真を撮ろうと思ったが,有刺鉄線で柵がしてあり,中に入ることはできなかった。あきらめて背伸びをして写真を撮った。

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 曇っていた空から明るい日の光が差し込み出した。青い空も見える。道の先を見ると,黄色い木の葉が日の光を浴びて,キラキラ光っているのが見えた。あまりの美しさにカメラを取り出してシャターを切った。近づくとその木はポプラであった。まだ名古屋では黄色に色づいてはいない。ここでポプラの美しい紅葉を見ることができて今日の旅行に来て本当によかったと満足感を覚えた。

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右手に牧場を見ながら緩い上り道を歩いて行くと,人の話し声が聞こえてきた。夕立園地に到着したようだ。見上げると赤と白に塗り分けられた美しい鉄塔がそびえていた。夏に読んだ「鉄塔武蔵野線」の内容を思い出した。あの作者は鉄塔を探し求めて冒険旅行をしていた。きっとこのような鉄塔もたくさんあったのだろう。

前を見ると向こうから家族連れがこちらに歩いて来るのが見えた。岩村から自然歩道を歩いて来たのではないだろうか。「こんにちは」と挨拶をすると,女の子が「こんにちは」と挨拶をしてくれた。

 13時20分,休憩場所を見つけ昼食とした。金山駅構内で買ったおにぎりを食べた。椅子の上に雑記帳が置いてある。中を見るとここを歩いた人がいろいろ書いていた。横浜からこの道を歩きに来たという人のサインがあった。この道はかなり有名な道のようだ。夕立山への上り口が分かりにくかったということを書いている人がいた。きっとその人も私と同じ様な体験をしたのではないかなと思った。私もその雑記帳に野井の上り口で道に迷ったことと,改善してほしいことを記入した。

 30分程休憩して,夕立園地を出発した。なだらかで舗装された下り道が続く。歩き易く,足が自然と前へ進む。しばらく歩いて夜泣き松跡に着いた。夜泣き松とは名ばかりで松はもう枯れてなくなっていた。道標があり,「左 恵那 右 山田村」と刻まれていた。そこからしばらく歩くと道の両サイドに別荘が建っていた。この別荘は山が低いので水の確保が大変なのではないだろうか。

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下り道を急ぐ。途中からは自然歩道を歩いて上平の集落を過ぎ,根ノ上の集落に到着した。田圃の向こうに紅葉した山が見え,本当に美しい農村の風景である。神明神社の横に作られた休憩所で休憩した。夏には田圃の緑がこの神社の前に広がっていたが,今日は,稲刈りが終わり,地面がむき出しになった田圃と遠くに見える紅葉した木と山が不思議にマッチして,うら淋しい農村の風景を作り出していた。

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  そこから10分程のところに希庵塚の五輪石塔がある。その昔,高僧希庵善師が武田信玄の命に背いて刺客に殺されたのを偲んで立てられた物であるという。その塚の近くに不思議な石碑が立っている。三十三体の仏像が彫られている石碑である。いろんなパンフレットに紹介されている。夏に撮した写真を大きくして職場で見せたら,同僚に「一度見てみたい。場所を紹介してほしい」と言われたことがある。今日もこの仏像を見るのを楽しみの一つにして歩いていた。やはり,周りの風景が晩秋になり,また違った雰囲気になっていた。夏よりもよい写真をと念じながらカメラを向けた。写真を撮っていたら,自転車に乗った二人連れが通り過ぎて行った。よく見ると,あの小ケ沢池で会った夫婦連れであった。やはりこの人たちは自然歩道を自転車に乗って旅をしていたようだ。しかし,あのデコボコ道を自転車に乗って進んでいるとは,凄い趣味を持った人たちだなあと感心してしまった。

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いよいよ今日の街道 歩きももうすぐ終わり。 緩やかな上りになった山上集落を越えれば岩村駅である。その道を上って行った所で, 赤く色付いた柿の木見つけた。葉の色といい,実の色といい本当に美しい。夕立牧場で見たポプラの木に続いて,今日二番目に見た素晴らしい紅葉の木であった。あまりの美しさに,しばらくその木を眺めていた。再び歩き出し,20分程かかって,14時50分岩村駅に到着した。列車の時刻表を見ると15時5分発恵那行きがある。実にタイミングの良い時間に駅に到着したものである。この分なら17時には名古屋に着けそうである。

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今日はフラッと列車に乗り,目的地を定めないで出かけた街道歩きの旅であったが,無事岩村駅に到着し,今は明智線恵那行きの列車に乗っている。

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 車窓の紅葉した山々は後1週間もすればもっと色づき,美しさを増すのではないだろうか。電車は「日本で一番美しい農村風景」という飯沼田駅の辺りを走っていた。今度はその景色の中を走るこの電車を見てみたいなあと思った。




[ 2012/09/28 06:09 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

南木曾から野尻

中山道脇街道 与川道を歩く 

 9月21日快晴。久しぶりに街道歩きに出かける。午前7時34分JR金山駅発,臨時快速列車ウオーキングさわやか号に乗車。この列車はJR主催のイベント行事がある時だけ走る列車であるという。いつもはこの列車より1時間後の金山8時50分発のナイスホリディ木曾路号という列車に乗って出かけることが多い。こんな列車が走っていることを今まで知らなかったのだが,昨日,通勤途中で偶然にもこの列車が走っていることを知って,今日の街道歩きを決めた。

 列車に乗り込むと車内は半分くらいの混み具合いであった。とは言っても,この列車は9両編成である。前6両は指定席で,510円の指定席券が必要である。もちろんほとんどの客は自由席車両に乗っている。私は,老人二人が座っている座席の隣に席をとった。この列車は今日は木曾福島まで行く。毎回行く先が変わるようだ。今日はどんなイベントが計画されているのだろか。隣の老人二人がパンフレットを開いて話している。横からパンフレットを覗き込むと,上松から駒ヶ岳・寝覚めの床のウオーキング10km,3時間の旅という文字が見える。どうやら今日は上松でイベントが企画されているようだ。

車内を見回すとほとんどが中高年である。若い人の姿はなかった。朝早い列車がほぼ満席に近い状態を(指定席を除けばではあるが)考えると,今日の企画は成功しているように思えた。

列車は千種,大曽根,高蔵寺,多治見といつも走っている快速電車以上に止まる駅が少なく,急行並のスピードで走って行く。検札に車掌がやって来た。私は南木曾行きの切符を差し出したが,他の客は,フリー切符のようなものを2枚見せている。ほとんどの客が同じ切符を見せていた。やはり,上松からのウオーキングに参加する客ばかりであるようだ。車窓に田園風景が広がっている。黄色く色づいた田圃の稲と畦道に真っ赤に咲くヒガンバナが目に飛び込んでくる。今日の街道歩きでは間近にそれを見ながら歩けると思うと気分がわくわくしてくる。中津川で客がいっぱい乗ってきた。やはり上松でのイベントに参加する客のようだ。中津川まで先の普通列車で来ていて,この列車に乗ってきたようである。自由席は立っている人もいる。指定席も座っている客が増えているのではないだろうか。秋の行楽日和も手伝い今日のJRの企画は大成功のようだ。

9時1分南木曾到着。降りた客は私を含めて4名。まだ,時間も早く,南木曾から妻篭,馬篭へ行く客はほとんどいないようである。駅前の道を旧中山道に向けて歩いて行く。

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 先ほど列車を降りた人も同じ道を歩いて行く。10分程でSLの蒸気機関車が設置してある公園の所に着いた。ここで,妻篭方面と与川方面に分かれる。道標が立っている。こちら妻篭,こちら与川を経て野尻駅と表示されている。いっしょに歩いてきた人は妻篭へ行くようだ。私は与川を経て野尻駅まで行く。駅前でもらった地図で確認すると,野尻まで約5時間とある。昨年11月に1度歩いたことがあるので,だいたいの予想が立った。まずは昼までに与川村に着くことを目標に歩き出した。与川への道は道標では中山道と表示されている。

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 歴史的には中山道が大雨や洪水で通れなくなった時に脇道として使われた道である。正式には現在の南木曾から野尻までは国道19号線が旧中山道である。しかし,南木曾町は,歴史の道としてこの与川への道を中山道と表示して,ハイキングコースに設定し,道の保存も併せて整備している。

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 与川への道を歩き出してすぐ,美しいコスモスの花の色が目に飛び込んで来た。家の庭先に植えられたものであるが,一株の大きさは都会では見られないほど大きい。一株に100以上花を付けている。さっそく写真を撮った。少し歩くと今度は,大きなヒマワリの花が咲いていた。この南木曾町の人たちは花を庭先に植えている。町の人たちの優しい心が伝わって来るようだ。今日は庭先の花を見るのも一つの目的にすることにした。

 本陣跡を過ぎるまでにもう10枚以上の写真を撮っていた。止まる回数が多いので,今日は予定より時間が掛かるかも知れないと思ったが,出発時間が早いので,安心して歩けそうだ。

 この道は,道標がきちんと整備されていて大変歩き易い。まず道を間違えることはない。前回と比べると道標の表面に書いてある字が読み取り難くなっている。青い色が最初は塗ってあったのだと思うが,その色はほとんど落ちてしまっている。きっと,この道標を設置した時は町にこの与川への道を宣伝することで観光客を誘致しようという意気込みがあったのだろうが,その後,ほとんど道標については点検,修理がなされていないのではないだろうか。再整備の必要を感じた。

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南木曾の町を離れると,緩やかな上り道になった。道の脇は段々になった田圃が広がり稲が穂を重そうに垂れ,稲刈りの時期を迎えていた。今時にしては珍しい光景が広がっている田圃を見つけた。竹で稲架が組んでありそこに刈り取った稲が干してある。農家のほとんどがコンバインで刈り取ってしまうとばかり思っていたので,びっくりした。今時このような手作業による刈り採りと稲架で稲を乾燥させる農作業が残っていたことに感動さえ覚えた。今回はこれから先でもこのような光景をたくさん見ることができた。

1時間程歩いて廿三夜塔に着く。二十三夜の遅い月の出を拝み,豊作などを願ったと案内板に書いてある。そのすぐ横の田圃の周りに電線が張ってあった。見ると「危険,電気が流れています」と表示されている。動物避けに張り巡らされているようだが,歩くものにとっては物騒な話である。触らないように気を付けて歩いて行った。
道は自然歩道が多くなった。草はさほど伸びていない。地域の人がこの道を歩く人のために刈り込んでいるようである。しかし,今日は季節柄もあり,ハチやヘビに出会うかもしれないので,十分注意して歩いて行った。

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  出発して2時間程で小川野平という村に着く。予定通りの速さで歩いているようだ。前回この村を歩いた時にびっくりしたことがある。この道が人家の庭の中を通っていて,庭で野良仕事をしていた家の人に「本当にこの道を歩いていいのですか」と尋ねたことがあった。今日も同じ所を通るのではないかと思っていたが,案の定,前回と同じ家の庭に出てしまった。今日も庭先で婦人が洗濯ものを干していた。「こんにちは」と挨拶すると「こんにちは」と笑顔で返事をしてくれた。この道が人家の庭の中を通っていることにびっくりしているが,もっとびっくりしているのは,普通ならここは迂回させて新しい道を作り,そちらへ身も知らぬ人たちは歩かせてもよいのではないかと私なら考えてしまうのだか,この家の人は,おおらかさがあるのだろか,平気で通してくれていることである。歩くのが今日は私一人であるが,イベントでも開催されれば数百人という人が歩いて行くことになるのではないだろうか。この村の人たちのおおらかさと温かさを感じた。

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 今日はここでハプニングがあり,もう1軒の家の庭でいきなり犬が飛び出してきた。犬は苦手なので一瞬どうしようかと思ったら,すぐ後から飼い主の人が出て来てくれて,安心した。人の庭の中を通るのであるからしかたのない話である。この家の人もにこやかに笑って「どうぞ通ってください」と声を掛けてくれた。この村に住む人の優しさは,この地域の自然と無関係でないような気がした。この地方の冬の厳しさは想像を絶するものであろう。低温と積雪で閉じ込められてしまうことも度々あるのではないだろうか。そんな自然の厳しさがおおらかで優しい人柄に何か関係があるのではないだろうかと都会に住む私には思えてきた。

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出発して3時間。与川の村に着いた。とても自然の美しいところである。たまたま田圃を見回りにきていた人に出会う。この地域でも田圃に電線が張ってあるので,その理由を尋ねると,イノシシの被害が多いので,イノシシ避けに電線を張り巡らしていると教えてくれた。

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 緩やかな坂の上に阿弥陀堂があった。時間はもうすぐ12時。ここで昼ご飯を食べることにした。阿弥陀堂の横には水飲み場が設置されていた。口に含むと自然水のおいしい水であった。朝,金山駅構内の売店で買ったおにぎりを食べた。美しい自然の景色を見ながら食べる弁当は,例えそれがほっか弁であっても格別の味である。よく見ると阿弥陀堂の前の田圃にも稲架が作ってあった。ここでも手作業で稲刈りをし, 稲刈りをしている村の人はいろいろな所に紹介されている。交通機関から遠く離れた山の奥の農村風景を目の前にして,今日の目的の大半を達成し,充実した気持ちが心の中に広がっていた。

30分程休憩し,出発。根の上峠を越えて野尻駅を目指す。2時には野尻駅に到着できそうである。竹林の道,杉林の道など自然歩道の上り道を峠目指して上って行った。汗が吹き出し,心臓の音が聞こえてきたが,きつい上り道を一気に上り詰め40分程で峠に着いた。根の上峠は林の中にあり,視界がきかなかった。地図を見ると,野尻駅までは林道を下ることになっていた。少し休憩してから,緩やかにカーブした林道を下って行った。前回きた時はここからの下り道はただの林道で見るものが何もなく,たいくつな道であったことを思い出した。今回も期待しないで下って行ったが,前回に比べて季節が1カ月早かったことで,下る楽しみを発見した。それは林道の脇に秋の草花が美しい花を咲かせていたことである。ススキ,ツリガネニンジン,オミナエシ,フジ、バカマノギク,ツリフネソウ,タデの仲間など秋を代表する美しい花を見ながらの下り道であった。写真もたくさん撮ったが,技術的に未熟なのでうまく映っていないだろうと思った。

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 林道は途中から急坂に変わったが,約1時間程で今日の最終目的地,野尻駅に無事到着した。駅の時刻表を見ると次の列車は2時43分発である。まだ1時間近くあるので,どこかに喫茶店があれば入りたいと思い,駅前の通りを歩いてみたが,残念ながら店を見つけることはできなかった。

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 野尻の町を歩いていて,ダム建設反対のポスターがたくさんの家の玄関にはってあることに気が付いた。木曽川を挟んで野尻の町とは対岸になる所に阿寺渓谷というところがある。そこにダムを建設するというので反対運動が起きているようだ。ダム建設に伴い木曽川が汚れたり,自然が破壊されたりすることになるとポスターは訴えていた。昨年来た時にはそのようなポスターは見ていなかったので,反対運動が町全体に広がってきていることが分かった。名古屋に住む私も今後ニュースなどで知ることができるようになるのかも知れないと思った。

 酒屋で缶ビールを1本買い,駅のベンチに座って飲むことにした。野尻駅の構内を見回すといろいろ貼紙がしてある。「村内3駅の営業時間に協力を」「営業時間は7時30分より5時30分」「定期券,座席指定券の購入は事前に申し入れを」など駅の業務についての物が多いことに気づいた。改札口を見ると,カーテンが閉まっていた。今日は日曜なので休みなのかと思っていたら,カーテンが開いて,年輩の駅員が窓の向こう側で仕事を始めた。どうやら次に発車する列車に合わせて仕事を始めたようである。さっそく,切符を買うことした。中津川までの切符を頼みながら,この構内の貼り紙が業務に関することが多いので,そのことについて質問すると年輩の駅員はいろいろ親切に教えてくれた。「自分は正規の職員ではなくJRを退職して今は委託職員である。村内3駅とは野尻,大桑,須原である。勤務は時給制ではなく,売り上げによる歩合制である。3駅の内,野尻駅は1日の売り上げが10万円はあり,何とか採算がとれるが,大桑駅では1500円にもならない日がありとても採算に合わない。3つの駅の3人の委託職員でプール制にして何とか仕事を維持しているが,それでも採算に合わないので,村から補助金が出ている。」という内容だった。JRが民営化され,採算に合わない路線が合理化される中で,この大桑村では深刻な事態を迎えているようだ。やがて,この駅も無人化されてしまうのかもしれないと感じた。私の乗る列車は2時43分だが,それ以前の列車は何と11時になっている。11時の列車に乗り遅れた人は3時近くまで待たなければいけない状態になっているということだ。年輩の駅員は「今では定期券を買って通勤する人がめっきり減ってしまった。ほとんどの人が車で通勤している」と嘆いていた。

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  3時43分,予定通り中津川行きの列車が到着。ほぼ満席の状態で列車は野尻駅を出発した。野尻駅で乗車したのは私を含めて5人であった。私は途中中津川駅で下車し,中津川で有名な「すやの栗きんとん」をみやげに購入し,快速電車に乗って18時にJR金山駅に戻ってきた。秋の自然をしっかり満喫できた街道の旅の1日であった。




[ 2012/09/27 09:00 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

能登半島一周車の旅

第2日目

 午前6時起床。気温が低く寒さを感じる。洗面を終え、6時半宇出津駅前を出発。コンビニで朝食のおにぎりを購入した。宇出津から県道35号能登内浦線を走る。海岸に沿った狭い道だが、眺めはたいへんよい。断崖になった所もあり、慎重に走って行く。20分ほどで九十九湾遊覧船乗場に到着した。 


九十九湾(つくもわん)

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 内浦を代表するリアス式海岸で、大小合わせて99のいりえがあることからこの名前が付いたという。港には遊覧船乗場があり、40分で湾内を一周できる。賑わうのはやはり夏のようだ。時期を過ぎていたので、切符売場は寂れた感じがしていた。すぐ近くに「のと海洋ふれあいセンター」があり、九十九湾の自然を紹介する展示施設や、海岸には自然観察路が作られていた。

 県道35号線を北に向って走って行く。15分ほどで恋路海岸に到着した。


恋路海岸 

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 恋路海岸の駐車場はよく整備され、キャンブ場も設置されている。浜辺は砂浜が広がり、海水浴場になっている。夏はたくさんの人で賑わっているようだ。
 「恋路海岸」とはロマンチックな名前が付いた海岸である。男女の像が浜辺に作られ、鳥居の奥には、松が生い茂った弁天島が浮んでいる。恋路海岸には次のような話が残っている。
「恋に落ちた娘と青年は、夜ごと娘が焚く火を目印に逢瀬を重ねていた。ところがある晩、青年の恋仇が娘を閉じ込め、別の場所に火を焚く。お引き寄せられた青年は海の深みに身を取られて命を落とし、娘もその悲しみから海へ身を投じた」悲しい話である。毎年7月27日に行なわれる恋路の火祭りは、大松明が夜の海を赤く染めるという。
 冷たい風が吹く浜辺でスケッチを始めた。今日1枚目のスケッチである。赤い鳥居と松が生い茂る弁天島を描くのは難しい。潮が引き、鳥居へ続く道が次第に現れて来た。広島の厳島神社の風景を思い出した。この弁天島と何かつながりがあるのだろうか。絵を描き終わり、遅い朝食にした。旅に出ると食事の時刻がいつも不規則になる。食べることより、いろいろ見て周りたいという気持ちが優先してしまうようだ。弁天島を眺めながら食べたおにぎりは美味しかった。


見附島(みつけじま)
 
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 恋路海岸から10分ほどの所にある面白い形をした島である。軍艦の船首に似ているので軍艦島とも呼ばれている。白い色をした断崖の高さは30m。島のすぐ側まで岩礁伝いに歩いて行ける。海岸は大きな公園になっていて,キャンプ場や海水浴場がある。見附島のスケッチを始めた。女の子が近寄って来て「何やっているの」と片言の日本語で聞いて来た。私のスケッチブックを覗きこんで、「うまいね」と言った。「韓国から旅行に来た。今日はここに泊っている」と話してくれた。
 
 国道249号線を走り、珠洲市内から県道28号線に入る。昨日から能登半島の海岸沿いの道を走り続けている。小さな半島だと思っていたのは大間違いで、大きな半島だった。午前10時過ぎ、能登半島先端の禄剛崎に到着した。


禄剛崎(ろっこうざき)灯台 

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 この灯台がある地域は狼煙(のろし)村である。古代から狼煙台が置かれ、狼の糞を焼いて狼煙を上げたと伝えられる。今は禄剛崎灯台がその役目を果たしているということになる。市営駐車場(有料)に車を置き、細い坂道を上って行くと、見晴らしの効く丘の上に白い灯台が立っていた。眼下に広がる日本海は白波を立てていた。灯台をスケッチした。

 能登半島を輪島に向けて南に下り始める。県道28号線は断崖絶壁の上を走っている。遥か下に白い波頭を見ながらのドライブはスリル満点だ。対向車を心配しながら走って行った。絶景の海岸があるので、立ち寄ることにした。「木ノ浦海岸」と案内板が立っていた。


木ノ浦海岸 

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 木ノ浦健民休暇村として整備され、キャンプ場、テニスコートなどがある。木ノ浦海中公園に指定されていて、海域は国定公園特別地域になっている。漁をするにもいろいろ制限があり、「釣り禁止」の立札も立っていた。展望台からの景色は素晴らしい。この日も何組かのグループがキャンプをしていた。
 絶景の道を走って行く。内浦を走っていた時よりも外浦の方が眺めがよい。県道28号線から国道249号線に入る。この辺りは曽々木海岸と呼ばれている。揚浜式の塩田が昔あちこちで作られていた所である。資料館があるというので立ち寄ることにした。


揚げ浜式塩田

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 かつての日本の塩作りは揚げ浜式だった。夏の炎天下、汲み上げた海水を塩田に撒いて濃い塩水を作り、大きな釜で煮詰めて塩を作る。輪島市仁江町には今もこの方式で塩を作っている塩田がある。日本に残っているのはここだけだという。総合資料館「奥能登塩田村」では塩作りが体験できる。資料館の前には塩田が広がっていた。時期が遅く、塩作りの体験はできなかった。


曽々木海岸 

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 輪島市と珠洲市の境にある2kmほどの海岸をいう。流紋岩や縦、斜めの節理に沿って海食された美しい紋様を見せる断層や岩礁が続いている。「窓岩」は曽々木海岸のシンボルで、海岸線に突き出した岩に人が通れるほどの穴が開いていて、窓のように見えるのでその名前が付いた。観光バスや乗用車が駐車場に停まり、観光客が記念撮影をしていた。

 曽々木海岸から国道249号線を15分ほど行った所に「白米千枚田」があった。「道の駅 千枚田ポケットパーク」が隣接していてそこから千枚田を眺めることができた。 


白米(しらよね)の千枚田 

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 地すべり地帯の傾斜を開いた階段状の水田で、小さな田が重なり合っている。その数は実際には2090余枚ある。「むかし、この地方の殿様が田の数を数えてみたところ、999枚あったが、残り1枚がどうしても見つからなかった。立ち上がったら、自分が座っていた腰の下に1枚の田があった」という伝説がある。景観は極めて美しいが、ここでの農作業はすべて手作業とのこと。水田を整備して機械を導入する話もあるという。現在は地元住民とボランティアで農作業が行なわれているそうだ。田んぼの土手に座ってスケッチを描いた。農作業を終えた老人がゆっくり細い農道を上がって来るのが見えた。この千枚田を維持して行くには、たいへんな努力がいるように思った。

 輪島市の街中にある朝市を見に行くことにした。時刻は12時を過ぎている。朝市ではなく昼市になってしまった。「朝市は終わってしまったのではないか」と心配しながら車を走らせた。街中は車が混んでいて、駐車場も満員で入れない。仕方なく、路上に駐車して車を降りた。


輪島朝市 

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 輪島の朝市通りにはずらりと店が並んでいる。店の数は200件近くあるという。朝7時半から商いが始まる。新鮮な魚や地元の野菜、漬物、輪島塗などの手工芸品。店に並ぶ商品はさまざまである。たくさんの人が買物に来ていた。威勢のいいおばさんの掛け声も聞こえて来た。時刻は12時を過ぎていたので、店じまいが始まっていたのが残念だった。通りにあるうどん屋で山菜蕎麦を食べた。
 
 午後1時過ぎ輪島を出発。国道249号線を南下して行く。今日中には富山の自宅へ帰る予定なのでこれからはあまり寄り道はできない。まずは門前町にある総持寺を見学して行くことにした。午後2時総持寺山門前の駐車場に到着した。


総持寺祖院 

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 1321瑩山禅師によって開かれ、その後曹洞宗の大本山となり、越前永平寺とともに雲水の修行道場として栄えた。全国17000の末寺を持ち、境内には大小70余棟の伝導伽藍を有していたが、明治31年に火災に合い焼失した。これを機会に伝導の本山を神奈川県鶴見に移して別院となった。その後再建が進み、今は祖院となっている。火災の際に焼け残った山門は立派で歴史を感じる。この寺を中心にして発展したのが門前町である。威厳のある山門をスケッチした。

 国道249号線を一路、能登金剛を目指して南下する。午後3時過ぎ巌門に到着したが、時間がないので、海岸線をチラッと見た程度で出発した。


厳門 

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 海に突き出した大きな岩山の下が押し寄せる波にえぐられ、大きな口を開けている。小船なら通りぬけられるほどの大きさがある。この洞門の周辺には千畳敷岩、碁盤島、鷹巣岩などの奇石が多く、巌門巡りの遊覧船で海上から断崖を眺めることができる。ここは小説「ゼロの焦点」の舞台になった所で、遊歩道を巡れば、松本清張の歌碑もある。

 国道249号線を走り続ける。午後4時過ぎ、能登半島の付け根、羽咋市にある千里浜へ到着した。これで能登半島一周をほぼ終えたことになる。


千里浜

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 押水町今浜から羽咋市千里浜にかけての約8kmの海岸は、細かい砂が海水を含んで固くなり、車が走れるドライブウェイになっている。夕暮れが迫った浜辺を観光バスやマイカーが引切りなしに走っていた。私も初心者マークを付けた車で走った。多少でこぼこはあるが、砂浜を走っているようには感じなかった。
 親父さんが浜辺で釣りをしているので停車した。リールを沖へ向って投げ、しばらくして引き上げた。ぞろぞろと小さな魚が上がって来た。キスだった。しばらく見ていたが、面白いようにキスが釣れていた。
 すぐ近くで2人のおばあさんが海の中に入って、盛んに足を動かしていた。足で何かを掘っているようすだった。「何が獲れるのですか」と声を掛けると「ほれ、こんなにかわいいアサリが獲れたよ」とバケツの中のアサリを見せてくれた。千里浜はドライブだけでなく魚釣りや潮干狩り、真夏は海水浴やキャンプを楽しむ人たちで賑わっているのだろうと思った。真直ぐに続く砂浜を走る車と砂浜に押し寄せる波とをスケッチした。

 羽咋から国道415号線を走り、能登半島を縦断して再び氷見に戻る。ここで能登半島一周を本当の意味で終了した。時刻は午後5時を過ぎていた。
 氷見から広域農道を走り高岡へ、高岡から国道8号線を走り、富山で国道41号線に入り、午後7時過ぎ無事自宅へ戻った。2日間で走った距離は、380kmになった。免許を取って間もなく1年を迎える。初心者マークを取る日はもうすぐだ。これからも安全運転に気を付け、いろいろな所を旅してみたいと思う。この次ぎは、初心者マークのない車に乗ってはどこを旅しているのだろうか…?(完)




[ 2012/09/26 06:40 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

能登半島一周車の旅 

 第1日目
 
 立山からは紅葉の便りが届いている。秋晴れの日に旅行に出掛けないのはもったいない話だ。私は、畑の仕事を相棒たちに任せて、気ままな旅に出掛けることにした。目的地を富山からすぐ近くにある能登半島に決め、初心者マークを付けた車で行くことにした。最近始めたスケッチも楽しもうと思っている。

 午前8時出発。初心者マークを付けたスズキアルトに寝袋やテント、画材などを乗せた。寝袋やテントは宿が取れない時は野宿を覚悟しての備えだ。もちろん使わないことを願っている。大沢野で国道41号線から離れて八尾へ向う。八尾から県道472号線を走り、婦中・小杉・大門を抜けて新湊に入る。渋滞もなく順調に走り、午前9時過ぎ新湊海王丸パークへ到着した。

新湊海王丸パーク

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 富山新港の一角に作られた施設で、帆船の海王丸が繋留してある。一般公開されていて、常時、船内が見学できるようになっている。「海王丸は昭和5年に進水した練習船で、帆を張った時はたいへん美しく海の貴婦人と呼ばれている」と案内板に説明がある。時刻が早く、公園は閑散としていた。旅に出て1枚目のスケッチを描き始めた。しばらくすると、遠足に来た幼稚園児や観光客の姿が見え始め、賑わって来た。白い船体とオレンジ色のマストが太陽に照らされて輝いていた。帆が全て張られている時の美しい姿をぜひ見たいものだ。

 新湊から国道415号線を走る。庄川、小矢部川に掛かる橋を渡り、海岸線に沿った細い国道を走って行く。15分ほどで雨晴海岸に到着した。観光スポットだけあり、駐車場やトイレの設備も整っていた。


雨晴(あまばらし)海岸 

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 雪の立山連峰を背景にして、沖合いに浮ぶ男岩女岩の景色は富山を代表する観光スポットになっている。義経一行がここを通った際、にわか雨にあい、弁慶が岩を持ち上げて義経に雨宿りをさせたという義経岩が海岸にあり、雨晴の名もこれに由来している。2組ほどの観光客が浜辺を歩いていた。
 冬にここを訪れたことがあるが、その時はカメラを構えた人が10人近くいた。よく晴れた寒い冬の日は、1日中カメラマンたちで賑わっている所である。来年のNHK大河ドラマに「利家とまつ」が決まり、撮影も順調に進んでいるというが、その中に雨晴海岸も登場するという話だ。さらに観光客が増えるのではないだろうか。微かに見える立山連峰と男岩女岩を背景に、海岸へ押し寄せる波のスケッチを描いた。

 国道415号線を走り、氷見市内に入る。賑やかな商店街を抜けて少し行った所が氷見漁港である。漁港のすぐ横に「道の駅 海鮮館」があり、そこの大きな駐車場に車を停めた。時刻はちょうど12時、ここで昼食タイムとする。


氷見漁港 

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 日本海側有数の漁港で、四季を通じてたくさんの魚が水揚げされている。沖合いに大型定置網が仕掛けられていて、毎年冬に、脂ののった「寒ブリ」が水揚げされている。「氷見イワシ」という言葉が広辞苑にも載っているというので、調べてみたら「氷見鰯…富山県氷見から産出する鰯。乾かして食べる」とあった。「氷見の魚」と名前が付くだけで、値段が倍にもなるほど商品価値が高い。海鮮館の中の売店には「氷見の魚」がずらり並べられていたが、値段が高いのにはびっくりした。
 海鮮館の中にあるレストランで和定食を注文する。イカとマグロの刺身が数切れに味噌汁、漬物が付いて1200円。確かに刺身は美味しかったが、値段はやはり高かった。
 海鮮館前から出ている遊覧船で、氷見沖を巡り定置網も見ることができる。この日の運行はもう終了していた。桟橋には釣を楽しむ人の姿もちらほら見える。この辺りは釣場としても人気のあるスポットになっている。
 漁港のすぐ横にモダンな橋があるので見に行く。完成して間もないようで、コンクリートやワイヤーが光っていた。橋を渡った所がコスモス畑になっていて、満開を迎えていた。橋を背景にしてコスモス畑をスケッチした。

 氷見から国道160号線を走って行った。ここから七尾まで「能登立山シ-サイドライン」と呼ばれている道だ。海岸に沿って道が続いていて、青い富山湾を見ながらの運転は気持ちがいい。小さな漁村を幾つも通り過ぎて行く。今はまだ気候がよいが、強い北風の吹く厳しい冬の生活は大変だろうなと思った。富山県から石川県に入る。氷見を出発して約1時間「道の駅いおり」に到着した。


「道の駅 いおり」

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 国道160号線沿いの七尾市庵町あり、富山湾を挟んで立山連峰が一望できる景勝地にある。レストラン、物産売店はもちろん、多目的広場にはオートキャンプができる施設もあった。
 しばらく休憩する。そこへ、不思議な車が入って来た。屋根にパラボラアンテナを立て、後ろに自転車2台を括り付けたワゴン車だ。車体には観光地のシールが一杯貼ってある。いかにも長期の旅行している雰囲気だ。私と同年輩の夫婦が車から降りて来た。「姫路を6月に経ち、日本列島を北上し、北海道の道の駅は全部周ってきました。車体のシールは道の駅でもらったものです。寝泊りはほとんど車の中でしています。これからのんびり姫路へ帰るところです」と親父さんがにこにこしながら話してくれた。車には、冷蔵庫、テレビ,布団、鍋,炊飯器、炊事用具などが詰まっていて、生活に必要な物は全て揃っているようだった。「定年退職して、のんびり旅行を楽しんでいます」と奥さんも笑顔で話してくれた。こういう気ままな旅も面白そうだ。機会があれば挑戦してみようかなと思った。

 再び、国道160号線を走る。百海で海岸線から分かれて山の中を走る道路になった。2つのトンネルを抜けて七尾の市街地に入った。車が混んで来てのろのろ運転になる。国道249号線に入り、和倉温泉を目指す。午後3時和倉温泉加賀屋前の桟橋に到着した。


和倉温泉

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 能登半島最大の温泉郷である。江戸時代には海中の泉源を石垣で囲って湯島がつくられ、戦後になって現在の賑わいに発展したという。七尾湾に沿って50軒を越える旅館が建ち並んでいる。その中でも加賀屋が1番大きな旅館だという。今晩ここへ宿泊すれば豪華な旅になるのだが、まだ夕方までたっぷり時間がある。宿泊地はまだかなり先になるようだ。
 桟橋のベンチでスケッチを始めた。対岸にあるのが能登島で、立派な橋が架かっている。能登島大橋だ。この橋ができる前は、渡し船が往来していたという。能登島大橋を描いた。そこへ子どもたちがやって来た。皆、手に釣竿を持っている。「これからイイダコを釣るんだよ」と教えてくれた。小さいタコの形をしたルアーで釣るようだ。「本当に釣れるのかな」と思っていたら、小さなイイダコが引っ掛かって上がって来た。この海岸にはタコがたくさんいるようだ。

 午後4時少し前、和倉温泉を出発した。国道249号線を北上する。田鶴浜町、穴水町、鵜川を経て午後6時過ぎ、すっかり暗くなった能登線宇出津駅前に到着した。


能都町 宇出津(うしつ)

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 能都町は、能都半島の内浦に位置し、漁業が盛んな町である。沿岸には大小100程度の定置網があるという。宇出津には能都町役場があり、駅前には商店街やホテル・旅館が並んでいた。ビジネスホテルのフロントであっさり宿を見つけることができ、車に積んできたテントや寝袋は不用となった。駅前の食堂で刺身を肴にビールを飲み、帰りにラーメンを食べた。いつものお決まりの夕食だった。8時過ぎにはホテルへ戻り、その日描いたスケッチの整理をして、9時過ぎには床に着いた。




 
[ 2012/09/25 08:37 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(1)

神通峡をたずねて  片掛かいわい35

片掛に残る伝説・民話 その4

幻の瀧(片掛・庵谷


 祖母は、いろりで小豆を煮ながら、この地にまつわる昔話をしてくれた。

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 昔、昔の、その昔、神通川という名も、立山という呼び名もなく、片掛という地名などついていなかった遠い昔のことである。

 片掛一帯に大きな湖があって、長さ南北七里(二十八キロメートル)もあった。もちろん、湖の名も、湖水から落下していたという、高さ三百メートルにもおよぶ大きな滝のことも、今では知る人もなく、この話を伝えるのも、私が最後になるかもしれない。

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 原住民と呼ぶか、先住民と呼ぶかは、その道の専門家にまかせるとして、とにかく、わずかだが、人はすんでいた。山があって湖があり、せまいとはいえ、平地に近い傾斜地もあり、よい飲み水もあったし、洞穴までもあったのだ。無理に農耕しなくても、わずかな人数なら、生きていくのに、大きな心配をせずにすんだのである。

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 峠の雪もすっかり消え、若葉が山々をおおい、その緑の中に、山つつじの花がちらほら見える、うららかな春のある日のことである。このあたりでは見かけない、年の頃なら十七、八といった娘がただ一人、下流の方から神通川沿いに、上流の方へ歩いて行った。いつまでに、どこまでたどりつくというあてもなく、話し合う友だちもいないその娘は、ただ黙々と歩き続けていた。
 
 庵谷(片掛の北隣村)までたどり着いた時、はじめは気のせいかと思っていた音が、歩くにしたがって、しだいに大きくなり、ついには、轟々と鳴り響く音だけが、耳に入るようになった。それが、滝の音であることを知らない娘は、その音にひかれ、ひとりでに足が滝の方に向い、遠回りするように進んで行った。

 しかし、道などあるわけはなく、庵谷峠の山は、行く手に立ちはだかるような形でさえぎり、山は、さらに,けわしさを増していた。さすがの娘も、しだいに疲れを覚えてきたが、適当な休憩場所はなく、おまけに、山あいの太陽は西に傾いて行った。
 
進むにつれて、音は大きく聞こえてくるが、すかして見ても、伸び上がって見ても、木の葉がじゃまになって何も見えなかった。

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 「もっと近くへ行って見よう!」娘は、歩きながら、大きく息をして背のびをしたその時・・・「見えた! 見えた!」 大きな滝が見えたのだ。娘は、これまでに、このように水量が多くて、こんなに高い滝を見たことがなかった。娘は、滝のあまりの見事さに、疲れも何もかも忘れて、ただただ、眺めるばかりであった。

 その頃、飛騨の山々の雪解け水が集まった神通川は、いつもより水量が多く、滝の音は木々の枝をゆすり、滝つぼから湧きあがる水煙は、あたり一面に立ちこめていた。
 
 その時である。滝に気を取られていた娘は、足をすべらせ、そのショックで木の枝から手を離してしまい、崖をすべり落ちたのだ。しかし、幸いにも、転落する途中で、身体が木の幹にひっかかり、一命だけは、とりとめたのだが、打ちどころが悪かったのか、虫の息になってしまった。

 こんな所を通る人もいないその頃のことである。このまま放置しておけば、当然、その夜のうちに、若い命は、消えたにちがいない。滝は、そんなことを知らないかのように、前と同じ音を立て、同じ響きで落ちていた。
 
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 しばらくして、一ぴきの猿が、その娘に近づいてきた。猿は、娘の様子をじっと見ていたが、娘は、全然動かない。それで、猿はさらに近づき、おそるおそる娘に触れてみると、娘は、ぐったりしているけれども、まだ体温はあるし、呼吸もしていることを知った。やがて、その猿は、仲間に知らせるために、その場から離れて行った。
 
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 しばらくして、子猿も含めて二十ぴきほどの仲間が集まり、何か相談している様子だったが、「とにかく、娘を助けよう」と、話が決まったようである。

 ところが、助けようにも、そこでは水煙にぬれてしまう。どうしても峠の頂上付近まで、運び上げなければならないことは、猿たちにも分かっていたようだ。しかし、日が暮れかかるけわしい山の中では、全員の力を集めても、運び上げる作業は、そう簡単なものではなかった。娘の身体を持ち上げる者、押し上げる者、引き上げる者など、いろいろ試しているうちに、猿たちの力が合わさり始めた。そして、やっとのこと、猿たちの協力は、実を結び、日が暮れる頃には、ついに頂上まで、運び上げることに成功したのだった。

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 山の上とはいえ、そこには、少し平らで、風当たりの弱い場所があり、猿たちは、娘をそこまで運んだ。しかし、悪いことに、先ほどより、娘の体温がだんだん下がっていることに、猿たちは気がついた。それで、気温が低下してゆく中、一団の猿たちは、娘の体温を温め、別団の猿たちは、食べものの木の芽などを取りに散ったのだった。それから三十分もたった頃だろうか、娘は、かすかに目を開いた。あたりは、すっかり暗くなっているし、まだ、疲れていたので、娘は、再びねむってしまった。しかし、幸いにも、その夜は雨が降らなかったのだった。

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 朝になって、娘は、目を覚ました。実に、すがすがしい朝だった。娘は起き上がってあたりを見まわした。娘は、自分をいろいろ介抱してくれたのは、人間ではなく猿たちであることが分かったが、人の言葉が通じない猿に、何を言ったらよいのか、お礼の言い方に困っていた。 猿たちは、元気をとり戻した娘を見て、喜んでいる様子で、「キャッ キャッ」と、あたりを走りまわっていた。娘は、猿が集めてきた木の芽などを、少し食べてみた。何の木の芽か分からないが、猿が持って来たのだから毒ではないようだ。少し食べても、身体に異常がないので、娘は安心して食べた。

 木の葉の間から見下すと、そこに、大きな湖があることに、娘は気がついた。よくよく見ると、湖面が、春の陽光を反射して、キラキラ輝いている。そして、その中に、水鳥が浮かんだり、飛びまわったりしていた。瞳をこらすと、湖面は、はるかに続き、果ては山の影にかくれて、どこまでが湖か分からないまま、もやに包まれていた。

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 娘は、これからのことを考えた。山の上では、水にも困るし、雨露もしのげない。どうしても、雨や風に耐えられる所で、水の出る場所を探したい。娘は、そう思いたったらじっとしておられず、少しずつ、南側へ下り、西の方へ歩き出した。猿たちも一緒について歩いたり、木の枝から枝へとび移ったり、一部の猿たちは、食べ物探しにも出かけた。歩くといっても、もちろん道があるわけではない。歩き始めてから、どれほどの時間がたっただろうか。疲れたし、おなかもすいたので、岩の上に腰を下ろし、休憩することにした。

 しばらく、ひと休みをして、娘は、また歩きだそうと立ち上がり、あたりを見まわすと、岩肌の向こうに何か黒く見える所を見つけた。「何だろう」と近づきよくよく見ると、それは洞穴だった。「これは天の助け」とばかり、娘は、太陽に両手をあわせて拝んだ。そして、その洞穴に入って行った。

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 穴の広さは、八畳敷ぐらいで、十分な広さがある。とりあえず、娘は、その洞穴で寝起きすることにした。猿たちは、友だちになってくれ、食べ物も運んでくれるのだ。しかも、眼下が、広々とした湖畔である。娘は、当分の間、ここでゆっくりすることに決めた。

 季節は、まだ暖かかったので、着るものは心配なかった。娘は、冬に備えて、藤づるを叩いて、繊維らしいものをたくわえ始めた。この村には(村というほどのものではないが)わずかの「人」が、別の洞穴に住んでいるようだったが、どちらも近よろうとはしなかった。娘は猿たちを友として暮らしているうちに、弓を作ったが、使うこともなかった。それは、木の芽や食べられる草のほか、幸いにも湖の浅いところに貝が多かったので、貝をとって食べていたからだ。
 いつもの年なら、梅雨時期には雨の降る日が多いのに、その年は、梅雨の季節になっても雨は少なく、周囲の山々は濃い緑におおわれて、やがて夏が来た。

 蝉のなき声が耳に痛いほど聞こえる湖畔である。娘は、毎日のように湖水で汗を流した。洞穴は涼しく、夜はしのぎ易く、虫の音楽もすばらしかった。山では、猿も狐も狸もイタチもテンも、仲よく、暮らしていた。また、熊も人も他のけものたちも、動物たちを襲うようなことはなかった。湖の水は、深い所まで澄んでいて、貝や魚などもよく見えるほどきれいで、空はぬけるような青さだった。

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 ある日のこと、入道雲がしだいに鉛色となり、その動きも激しくなって、気温が急に下がり、風が吹きはじめたのだ。突然の天変異変に驚いた猿たちは、空を見上げてただ泣くばかりである。しかも、猿たちの動きは、今までに見たことのないものだった。娘は、いやな予感がしたが、見守るばかりだった。と、その時、大粒の雨が降り出した。

 はじめ弱かった風もしだいに強くなり、雨はますますはげしくなって、湖水を隔てた向うの山が見えなくなった。そのうち、谷という谷、川という川のすべてが鉄砲水となって、濁流が音をたててあふれるほどになって来た。青く「静」そのものに見えた湖面も、流れ込む川のあたりから褐色に変わって行き、ついに濁流が渦巻くようになってきた。

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 強い風とはげしい雨のために、あちこちの枝になっていた木の実が振落とされて、すぐに濁流にのみこまれて流れて行った。

 これを見た猿たちは、泣き叫んでいる。それは、悲鳴にも似たもので、直接、生命にかかわる重大事ということを知っているのか、空を見上げたり、木の実を眺めたりして、悲しみと驚きを顔にあらわしていた。

 風は、やがて弱くなったものの、雨は、なかなか止まなかった。濁流は、大きな木を根こそぎ抜きとって流していき、山から押し出された土砂は、小さな谷を埋めてしまった。次から次へと流れてくる大木が、湖で渦を巻いている。その木の枝に、小さな動物がしがみついているのが見える。しまいには、山津波が起き、直径数十メートルもの岩までも流され転がり、この世の終わりかと思えるほどの、すごさになった。

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 このはげしい雨は、連続三昼夜も小止みなく降り続き、まったく小降りになるような気配は見られなかった。これ以上、雨が続いたら、この猿たちは、他のけものたちといっしょに、食べるものもなく、全滅してしまうかも知れない。娘は、そのことが心配で、心配で、胸がいっぱいになった。
 三日目の夜、娘は、「何とかして、けものたちを救うことはできないものか」と、一晩中考えてみたが、とうとう、結論が出ないうちに、夜が明け始めた。

 そして、四日目の朝が来た。空を見上げてみても、雨はやみそうになく、湖の水位は、前日よりも、また高くなっていた。

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 ついに、娘は決心した。
 洞穴を出た娘は、はげしい雨をついて、頭からずぶぬれになりながら、湖へ向かってゆっくり歩き出した。そして、湖畔へ着いた娘は、麻のような繊維で織った腰巻き(スカートのようなもの)を脱ぎすて、真っ裸になり、天に向かって、一心に祈り始めた。長い髪は顔や首にまといつき、ふり乱したその髪からは、雨のしずくが滴り落ちている。娘の白い肌からは、ぞっとするほどの恐ろしさが、ただよっていた。

 祈りが終わり、娘は、ゆっくりあたりを見まわすと、静かに、濁流渦巻く湖へ、一歩一歩入って行った。はげしい雨が降り続く中、可愛そうに、白い肌は、濁流のために、たちまち汚されてしまった。そして、渦巻く水に、吸い込まれそうな娘のうしろ姿は、あわれであった。

 娘は、しだいに深みに入って行く。ついには、渦巻く濁流のために、娘の頭や顔が、見えかくれするほどなってしまった。乙女の生命もこれでおしまいかと思われたその時、娘がニッコリと笑った。
そして、次の瞬間、濁流の上にスクッと立っていた。よく見ると、何と、娘は、下半身がうろこでおおわれ、大きな尾びれが、はっきり見える、人魚になっていたのだ。

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 人魚は、しばらく、波間から見えかくれしていたが、突然、水面の上に、その下半身と尾を高く垂直に上にあげた。しかし、それもつかの間、人魚は、猿たちの泣き叫ぶ声も聞かないまま、濁流の中に吸いこまれ、再び浮上することはなかった。

 と、不思議や不思議。それまで降っていた雨はピタリと止み、風もなくなった。そして淡い太陽の光までも見えるようになった。不思議なことに、天候だけでなく、滝の音が、前に比べて、非常に大きくなったのである。どうやら、滝に異変が起こったようである。

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 大雨による洪水で、滝の音が大きくなることは分かるが、雨が止んで、三日たっても四日たっても、滝の大きな音はかわらなかった。やがて、湖の水位が下がり、大雨が降る以前の、水位になったが、滝の大きな音は、あいかわらずそのままだった。さらに、湖の水位が、どんどん下がっていく。どうやら、今まで、滝口であった所の破壊が始まったようだ。そして、いったん破壊が始まった滝口は、とどまることをしらなかった。

 湖の水位はさらに低くなり、やがて、湖底が陸上にあらわれ始めた。何と、それまで湖の中央で、深いと思われていた所が、予想に反して、砂の台地であったり、岸に運ばれた粘土が、へばりついていたりしていた。人々は、湖底の神秘というものを、思いしらされることになった。そして、幾十年の後、神通川は、滝のない川になってしまったのである。

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 片掛のこの地に、巨大な滝があったことなど、誰もが信じることができなくなり、いつの頃からか分からないが、「幻の瀧」と呼ばれるようになった。 

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 語り終えた祖母は、小豆の煮え具合を見てくれと、小皿に入れてくれた。(完)



文山秀三さんの話 祖母の思い出   
 
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 私には、弟や妹がいて、母が二人の面倒をみていたので、当然のように私は祖母の手に育てられ、いろいろの伝説や物語などを聞く機会に恵まれた。とは言っても、祖母は、平仮名とカタカナを全部知っているだけで、漢字は、画数の少ない字しか知らなかった。しかし、数については、驚くほどの速さで計算していたのを、子供心に不思議に思ったことを覚えている。

 その祖母から、ずいぶん、日本古来の話や、おとぎ話などを聞いたが、何度聞いても、正確に話してくれるのにびっくりした。伝説の中に真実が入り、事実の間におとぎ話が入ってくるなど、その話しぶりは見事だった。まだ、幼かった私には、どこまでが伝説で、どこからが真実であるのか判断力がなく、かえって興味深く聞いたものである。

 まだ、テレビはもちろん、ラジオもなかったその頃、子供にとっては、いつも家にいて話をしてくれた祖母は、国語の、歴史の、道徳や伝説・おとぎ話などの この上ないよい先生だったのである。

 「大昔、わが国に文字がなかった頃、『語り部』がいて、一般民衆に物語や政治のことなどを、言葉を通して知らせた」と聞いていたが、祖母が、時間のたつのも忘れて話してくれる姿は、「語り部」の再来かと錯覚するほどだった。

                        (飛騨街道「片掛の宿」昔語り 『まぼろしの瀧』)   文山秀三著 



神通峡をたずねて  片掛かいわい34

片掛に残る伝説・民話 その3

片掛銀山発見の逸話
 

 今をさかのぼる三百八十年ほど前の天正(一六世紀末)のころ、この片掛の村へ、とつぜん、くっきょうな野武士姿の主従数人が、峠を越えてやって来て、宿を求めた。 翌朝、宿を出たこの男衆は、洞谷の口でザルや長おけで、谷川の土砂をかき回しながら、すくい上げ、何事かを語りあっていた。

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 不思議に思った村の衆は、はなれた場所から、おそるおそるながめていると、この大男たちは大声で、「あった、あった。出た、出た。」とさけんだ。
 
 その後、しばらくして、宿へ帰った男衆は、宿の主人に「すぐ村の衆を集めてくれ。用件は見てからだ。」と、息をはずんで、こん願した。

 主人は、半信半疑で、村中に伝えたところ、あまりに急なことではあったが、そうとう陽が昇ってから、集まって来た。

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 親方様のいかめしい大男は、「お前たちに、いいことを教えてやるから、よく聞け。この山に金・銀が、いっぱい出る。これは、今朝とってきたその実物だ。すぐ帰って、家にある銭をみんな持って来い。村中で十貫文ほど集まったら、われわれにあずけることだ。われわれは、その銭で山をほり、あとで、そのあずかった銭を、何層倍にでもして返してやる。実は、われらは、おそれおおくも家康公の命でここへ来たのだ。ここには、金・銀が山ほどねむっているのだ。しんぱいご無用。すぐ家へ帰って持って来るのだ。」と、谷で見つけた金・銀のかたまりらしいものを見せて語った。

 これを聞いた村人たちは、くめんして銭をあずけたところ、親方とともの者は、すぐ飛騨へ向かったが、うち二人はしばらく村に残って、毎日、山見を続けた。

 飛騨の茂住で、また、片掛と同じやり方で、かね山を見つけ、大きな山師となった。これが、後の茂住宗貞(もずみそうてい)であった。

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 その後、まぎれもなく銀がほり出され、寛文(一六七〇年)のころは、下町かいわいに三百戸の家が建ちならび、かまどのけむりが、たえなかった。
 
 【昭和二五年の正月、桑山清輝氏が猪谷中学校の社会科歴史教材を収集の際、水戸豊之助氏(当時七六歳)が、片掛銀山発見について語った内容】   
                                          伝説出典「細入村史」




神通峡をたずねて  片掛かいわい33

片掛に残る伝説・民話 その2

大蛇の話


 洞山の北側に「入道」という地名があり、村人全体の共有地であると聞いている。村から遠く、山奥だったので明治になって払い下げることになったが、誰も私有地にほしいという希望者はいなかった。当時の(村での役職などはわからないが)藤井氏の先見の明によって村全体の財産とすることを条件に申請し、払い下げを受けた。 
 
 この入道の樹木はその後順調に成長し、今では非常に大きな村の財産になっている。入道にいては前に触れたが、この入道に大蛇が住みついていた(今もいるかどうか判らないので過去形にした)。体長三m、胴の直径十cm以上という片掛では一寸見られない大きさだった。この大蛇は神の使者、または入道の守り神として、村人達は殺さないことにしていたし、大蛇も村人に危害を加えるようなことはなかった。

 この大蛇の話は、遥かな昔の物語を書いているのではない。入道の村有林へは毎年下刈り(雑草やつる草などがあまり茂らないように刈り取る)に村の人達が一日がかりで出掛けて行っていた。私の兄も毎年の様に入道へ行っていて、この大蛇を見ていた。

 この大蛇は蛙は勿論、野ねずみやウサギなどを食べているということで、家へ帰った兄は、「今年も大蛇は元気だった」と話をしていたのを想い出す。

                      (飛騨街道「片掛の宿」昔語り 『まぼろしの瀧』)    文山秀三著





神通峡をたずねて  片掛かいわい32

片掛に残る伝説・民話 その1

洞山頂上近くの一本杉
 

 私の家の丁度正面上方で洞山の頂上近くに大きな杉の木があった。

 私達は一本杉と呼んでいたが、一本だけスクッと立っていたのではなく、幹は一つだが、数本に分かれていた。山の傾斜した頂上近くでは、杉の木はあまり成長しないのが普通である。ところが、この一本の杉は、自然に生え、何十回の雷にやられて、途中で折れたり裂けたりしながらも、不死身のように枯死することもなく、零下数十度の寒気にも耐え、豪雪にも吹雪にもよく耐えて、数百年生き続けてきた。
 
 私は子供の頃から、朝、家を出て必ずこの一本杉を眺めることにしていた。後に、私が大人になっていく過程で、または軍隊での猛烈な訓練など、大きな困難や試練に遭遇しても、これらを突破して進むことができた理由の一つが、この一本杉を見てきた無言の訓えかも知れない。    

                        (飛騨街道「片掛の宿」昔語り『まぼろしの瀧』)  文山秀三著



プロフィール

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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