水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 5

山陰路の旅

11月21日(金) 高浜~天橋立~丹後
 

午前5時起床。小雨が降っている。今日は天候が悪そうだ。

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長距離トラックが引っ切りなしにやって来る。トラックは、しばらく停車し、再び発車して行く。長距離トラックの運転手が大変な勤務をしていることが想像できる。一つ間違えば大事故につながる車の運転。最近、長距離トラックによる大事故が立て続けに起きているが、深夜走り続けなければいけない所に最大の原因があるようだ。事故のほとんどが、深夜から明け方に起きていることからも分かる。トラックから降りて来た運転手が、眠そうな様子でトイレへ入って行った。しばらして用を済ませた運転手が出て来た。シャキッとした姿勢で歩いて行く。元気になっている様子だった。交通事故を減らすために「道の駅」が果たしている役割はなかなり大きいようだ。旅人は寝床を片付け、椅子を起こした。それからお湯を沸かし、コーヒーを入れた。朝食はコンビニを見つけておにぎりでも買うことになりそうだ。

 午前8時半、東舞鶴港に到着した。港近くのコンビニでおにぎりを買い、船着場に車を停め、海を見ながらおにぎりを食べた。熱い味噌汁が美味しかった。雨がかなり強くなっていた。小さな定期船が船着場に到着し、10人ほどの勤め人が降りて来た。近くの島と舞鶴の港を結んでいる定期船のようだった。時間になり定期船は出港して行ったが、お客は1人も乗らなかった。

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 東舞鶴の町へ入る時に「引揚記念館」という案内板があるのを見つけた。今からそこへ行くことにした。満州やシベリアからの引揚者が帰って来た港が舞鶴港だった。戦後生まれの旅人には、話で聞くだけなのだが、上さんの両親は、満州からの引揚者だった。シベリア抑留者だった父親は、今は亡くなってしまったが、シベリア抑留で大勢の戦友が命を亡くしていった話を、旅人は聞いたことがあった。引揚者の母親は、現在、旅人と一緒に生活している。満州開拓に出掛け、向こうで終戦を迎え、命からがら日本へ帰って来た母親には、悲しくて辛い思い出がある。今でも戦争当時のことについては多くを語らない。「引揚記念館」へ旅人が行ってみようと思ったのは、そのことがあったからだ。

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 駐車場に車を停めると、「母は来ました 今日も来た」という歌が聞こえて来た。引揚者の息子を待つ母の悲しい気持ちを歌った「岸壁の母」は、この舞鶴での出来事だった。入場料300円を払って建物の中へ入ると、満州開拓の様子を当時の新聞や写真で紹介していた。特に目を引いたのは、シベリアの抑留生活を紹介する模型だった。当時の衣服や防寒具なども展示されている。本当に粗末な防寒具だったということが分かる。抑留されている人たちはガリガリに痩せこけていた。暖房らしい暖房もなく、極寒のシベリアでの抑留生活がいかに酷いものであったかが理解できた。舞鶴へ引揚てきた様子を知らせる新聞も展示してある。13年間で66万人もの人が舞鶴港に降り立ったということだった。

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 特別展もあり、抑留生活を表現した佐藤さんという人の油絵も展示されていた。辛い抑留生活だったという様子が伝わる絵だった。「戦争を知らない世代に『平和の尊さ・平和の祈り』を語り継ぐ施設として、この『引揚記念館』が建設された」という趣旨の文章が大きく表示されていた。イラクでは戦争が激化し、「日本も自衛隊をイラクへ派遣する」という議論が国会で行われている。「日本は二度と悲惨な戦争はやらない」と誓ったはずなのに、今、それが破られようとしていた。「引揚記念館」が泣いているように旅人には思えた。

 舞鶴から天橋立に向けて車を走らせる。強い雨が降り続けているので、天橋立は雨に霞んでよく見えないだろうと思った。午前11時、北近畿タンゴ鉄道「天橋立駅」に到着した。少し雨が小降りなったようだ。駅前に車を停めて、駅の案内所に行った。「この辺りに無料駐車場はありません」と受付の女性から強い調子で言われた。「天橋立はどこから見たら一番いいですか」と質問すると、「松並木を挟んで、東と西のどちらからも見ることが出来ます。どちらもケーブルカーやモノレールで山へ上ります。そこから股のぞきが出来ます」という答えが返って来た。「天橋立の股のぞき」が出来る場所が、2か所あるということを初めて知る。この先、さら旅を続けるのだからと、旅人は、対岸の山から「天橋立の股のぞき」をすることにした。

 車を走らせ対岸に到着。駐車場で車を停めると、管理人がすぐにやって来た。「1台700円です」という。「えっ、700円もするの」と驚いたが、駐車するしかないので、しぶしぶ700円を払いケーブルカーの乗り場へ行った。「15分間隔で山頂まで運転しています。」と案内放送が流れていて、長い行列が出来ていた。バスツアーのお客さんたちだった。皆オレンジ色のバッチを着けている。往復640円のケーブル代を払い、列の後に並んだ。

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 小さなケーブルカーが下りて来て、全員乗ることが出来た。10分ほどで傘松駅に到着。細かい雨が降り続け、天橋立は霞んでいる。

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 観光客は、股のぞきができるというステージに立って、股のぞきに挑戦している。カメラを逆さにして股のぞきに挑戦している人もいる。「カメラを逆さにしても、写真を反対にしたら、股のぞきだと分かるかい」と友だちが笑っていた。その時、霧がすっと晴れ、天橋立の風景がはっきり見えるようになった。青い海を、白い観光船が白い尻尾を引いて走っていくのが見えた。

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 「わっ、きれい!」観光客たちから歓声があがった。平和で、のどかな風景だった。

 「天橋立」の見学を終え、「舟屋」が並ぶ伊根町に向かって車を走らせている。「舟屋」がどこにあるのか、はっきり知らなかったのだが、「天橋立」でもらったパンフレットにそのことが紹介されていた。「舟屋」があるのは、「天橋立」のある隣町ということだ。旅人はワクワクした気分でハンドルを握っていた。「前から見たい」と思っていた風景なのだ。

 細くて曲がりくねった道を走っていくと、民家が並ぶ漁港に出た。並んでいる民家が舟屋だった。道路側からはそれは分からないが、海側から見たら、家の1階が海とつながり、そこに小船が止まっているのだろう。早くその風景をみたいと車を走らせた。家並みが切れた所で、海が見え、想像していたような風景が目の前に現れた。車を空地に停めて、その風景を眺めた。洗濯物が1階の軒先に吊るしてある家もある。入り江になっているようで、海は静かだった。

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 全国に漁港はたくさんあるのに、こういう「舟屋」が存在するのは、この「伊根町」だけだという。海岸線ぎりぎりまで山が迫り、狭い土地で暮らす人たちの生活の知恵がこういう家を作り出したのだろう。「舟屋」は230軒もあるというから驚く。もっとたくさん漁船が止まっているかと期待していたのだが、数隻しか姿を見ることが出来なかった。漁に出ているのだろうか。

 時刻は午後2時を過ぎていた。遅い昼食を伊根港の埠頭で食べることにした。1人の釣人が竿を仕舞う所だった。「釣れましたか」と聞くと、「アジか少し釣れたけど、風がだんだん強くなって来たので止める所だよ」とその親父さんは言った。先ほどまではなかった強い風が吹き始めていた。コンビニで買ったおにぎりを食べ、ポットから温くなったお湯を注ぎ、味噌汁を作って飲んだ。ケチケチ旅行がかなり染み付いてきたようだ。
風はさらに強くなり、海には白波が立ち始めた。荒れる日本海という風景になりつつある。沖の方から漁船が帰って来た。たくさんの釣り客が乗っている。野次馬心が働き、のぞきに行く。大きなクーラーボックスが持って釣り客たちが下りて来た。釣り仲間で来た人や、夫婦連れもいた。夫婦連れがクーラーボックスを開けて獲物を見ている。大きなブリが1匹とその下には大きな鯛が2匹横になっていた。

 「すごいですね」と声を掛けた。「ブリが釣れたのには驚いた。すごい引きだったよ」と親父さんが興奮気味に話してくれた。「これは釣り堀で釣ったのよ。ここからも見えると思うけど、あの生簀が釣り堀なの」と奥さんが言った。「でも、すごい引きだったよ」と親父さんがブリを指差していた。「私は全然だめだったけど、だめな人にはちゃんとおみやげをくれたの。この2匹は私が貰った鯛よ」奥さんが恥ずかしそうに言った。「えっ、そうですか。釣り堀は高いのでしょうね」と言うと「ええ、高いですよ。1人15000円ですから。」と驚くような値段を、親父さんが教えてくれた。釣り客たちが車に乗って帰って行く。車のナンバーは「京都・兵庫・大阪・名古屋」だった。遠くからここへやって来ているのだ。こういう商売があることを旅人は初めて知った。美しい海と舟屋の風景と魚釣り、近くには温泉もあるというから、ここは、観光客が増えそうな所だと思った。

 「舟屋」のある伊根町から国道178号線を走る。丹後半島をぐるりと廻る道だ。険しい道が続く。一つ間違えば断崖から転落しそうな所もある。スピードを落として車を走らせる。しばらくすると、「速く行け」と後ろの車に追い立てられた。そんな時は、「お先にどうぞ」と道を譲りながら、旅人は慎重に運転を続けるのだった。

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 強風が吹き、空は曇り、時折激しい雨が吹きつけた。冬の山陰路を行くというイメージぴったりの天候になった。断崖の下に広がる黒い海は、高波を立てて唸っていた。時刻は午後4時近くになっている。そろそろ今日の宿泊地を見つけなくてはいけない。地図で調べると、「てんきてんき丹後」という道の駅が、この先にあるので、そこを宿泊地にすることに決めた。「道の駅」が一定の間隔で作られていることに感謝、感謝である。「道の駅」が各地に作られ、車の旅が気軽に出来るようになった。

 「てんきてんき丹後道の駅」には、スーパーやレストランが併設され、近くには日帰り入浴が出来る温泉もあった。スーパーで夕食のおかずを買う。うどんとおにぎりと煮魚の献立にした。今夜はまともな夕食になりそうだった。

 温泉に出掛けた。断崖の上にある温泉で、露天風呂からは大荒れの日本海が見える。10m近い高波が断崖に打ち寄せていた。

 1日の汗を流し、気分もさっぱりした所で夕食を作った。風がこない所を見つけ、出し汁を沸かしうどんを入れた。卵入りの熱々うどんが出来上がった。強風が吹き荒れる中、いつものように薄暗い灯りの下での夕食が始まった。熱いうどんは美味しかった。おにぎりも食べ、今夜は食べ過ぎだったようだ。

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 酔いも回り眠気が襲ってきた。そろそろ寝床を作らなければいけない。広い駐車場はガランとして、数台しか停まっていない。国道沿いの立派な「道の駅」なのに、駐車する車が少ないのは、長距離を走る車が少ないということなのだろう。広い駐車場にポツンとした状態で、寝るというのは勇気がいるなと旅人は思った。午後9時消灯。外は依然強風が吹き荒れていた。



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[ 2012/11/30 06:48 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 4

 北陸路の旅

11月20日(木) 敦賀~三方五湖~高浜


 午前5時起床。まだ辺りは真っ暗だ。霧雨のような雨が降っていた。釣り場所に人影は見えない。寝床を片付け、座席を起こし、車内を掃除する。昨夜、旅人を刺した蚊はどこに隠れているのだろうか。隅々まで探したが見つからなかった。

 午前6時、釣り場所に人影が見える。雨が降っていても、遠くからやって来た釣り人は、魚を釣らなければ目的が達成できない。朝の散歩を兼ねて見物に行く。親父さんがアジのサビキ釣りで挑戦していた。「アジは掛からんわ」と親父さんはぼやいていた。しばらくすると夫婦連れがやって来た。この人たちもアジをねらいに来たようだった。「昨日の夕方、サビキでイワシがたくさん釣れていました」と教えてあげる。「じゃあ私はそうするかな」と奥さんがサビキ釣りの仕掛けを用意し始めた。釣りに来る時は、その場に応じて釣る魚に対応できるよう、釣道具もいろいろ持って来ているのだと感心した。魚釣りは男しかやらなかったが、近年になって女性の中にも急速に広がっているようだ。

 車に戻る。旅人は、暑いコーヒーが飲みたくなり、荷物が入った箱の中からガスレンジを引っ張り出した。登山の時に持って行く携帯用のガスレンジで、旅人が北海道へ歩きに行った時に購入したものだった。小さな鍋に水を入れ、ボンベに点火した。今回の旅行では初めて使う。コンビニ弁当ばかりでなく、これで食事も作るようにすれば費用はもっと安くなる。そのために持ってきたものなのだ。しばらくして湯が沸いた。そして、持って来たポットに湯を入れた。今日からは自炊も始めようと旅人は思った。熱いコーヒーは美味しかった。

 釣り桟橋のトイレを使用した。和式と様式の2種類があり、中は清潔でトイレットペーパーもきちんと設置してあった。ここなら家族連れでやって来ても安心して釣りが楽しめる所だと思った。問題は魚が釣れるかどうかということだ。出発する前に、もう一度釣りの状況を見に出掛けた。釣人の数は増えていた。大物ねらいの人か多かったが、釣人のバケツの中を覗いたが魚は釣れていなかった。しかし、ここは大物が釣れそうな雰囲気のする場所だと思った。

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 午前7時発車。今日は敦賀から若狭湾沿岸を走る予定だ。まずは、近くにある敦賀港へ向けて車を走らせる。コンビニが見つかれば朝ご飯にする予定だ。しばらく走ると賑やかな通りになり、敦賀港の中央桟橋に出た。桟橋の前は広い公園になり、芝生も整備され、お金がしっかり使ってあるという感じだ。今回の旅でも、行く先々で新しい施設があることに驚いている旅人だ。敦賀でも釣り桟橋で驚いたが、この中央桟橋の前にある公園もそうだ。日本中どこへ行っても、莫大な資金を投入して、公共施設の整備を行ったということが分かる。例外の自治体はない。裏を返せば、日本中が借金地獄になってしまったのだが、子どもたちや孫たちに喜ばれる施設を大人たちが一杯作ってあげたということなのだろうか。問題は、この施設をこれからも維持していけるかということだ。大人たちの責任は重大である。

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 コンビニも見つかり、おにぎりと新聞とインスタント味噌汁を買った。少し行った所に「気比の松原」という景勝地があるというので、そこで朝食にすることにした。降っていた雨も止んだようだ。道路標識に従って車を走らせると、松林が見えて来た。ここが「気比の松原」という所らしい。

 駐車場に車を停め、辺りを散策する。海岸線に沿って松林が1kmほど続いていて、松林の中には遊歩道も設けられている。散歩している人の姿があちらこちらに見えた。松林の前にはきれいな砂浜が広がっている。夏は海水浴場になるらしい。ベンチに座って朝食にした。ポットからお湯を注ぎ、味噌汁を作った。おにぎりと味噌汁という簡単な朝ご飯だったが、熱い味噌汁が美味しかった。バスが停まり、団体さんがぞろぞろ降りて来た。松林の前でポーズをとり、記念撮影をしていた。ここは敦賀では有名な景勝地になっているようだ。

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 福井県にはたくさんの原子力発電所がある。敦賀市や隣の美浜市にも原子力発電所がある。ここからすぐ近くの敦賀半島の突端に敦賀原子力発電所があるので、旅人は見学することにした。半島の曲がりくねった山道を20分ほど走ると、敦賀原子力発電所の正面に着いた。高い塀が何重にも巡らされた奥に円筒形の形をした建物が見える。原子炉のようだ。見学館があるというので、受付に行く。「すいません、原子力発電所を見学したいのですが」受付の男性に申し出ると「いや、ここは発電所なので見学できません。見学館がここから少し離れた丘の上にありますから、そちらへ行ってください」とあわてた様子でヘルメットを被った男性が外へ出てきた。アフガン戦争、イラク戦争と戦争が激しくなり、日本もテロ攻撃の対象にされるようになってから警戒が厳重になっているとのことだ。浮浪者のような旅人が訪れたのだから、受付の人が慌てるのも無理もないことである。「見学館はこの先ですから」受付の男性は早く行ってほしいという様子だった。旅人が男性と話している間にも、工場へやって来た車がチェックを受けて中へ入って行った。

 見学館はすぐ近くにあった。駐車場に車を停め、玄関から中へ入ると、白衣を着た大勢の人たちが、受付の女性に案内されて2階へ上がって行くところだった。原子力発電所では白衣を着ることが安全につながっているのだろうか。「見学したいのですが」と言うと「1階が見学館になっています。コースに沿って見学してください」と素っ気ない返事が返って来た。

 見学順路に従って見て行く。原子力発電の仕組みや安全性について説明されている。しかし、現実には原子力発電については、安全性を巡って激しい論議が続いている。特にプルトニウムを使うプルサーマル計画の安全性については疑問視する声が多い。「本当にプルトニウムを人間が制御できるのか。取り返しのつかない事故が起こるのではないのか」と心配する科学者の声にどう答えるのか。敦賀ではプルトニウムによる発電をしているから、もっと詳しい説明がいるのではないかと思う。つい最近、この敦賀原子力発電所でナトリウム漏れの事故が発生しているのだ。それなのに、実際に起きた原子力事故や疑問視する声については全く紹介がなかった。「原子力発電は安全だ。原子力発電は素晴らしい。原子力発電はもっと必要だ」ということを一方的に宣伝する見学館だと旅人は思った。

 見学を終え、庭に出た。庭のすぐ横に研修室があり、そこで白衣を着た人たちが熱心に講義を受けているのが見えた。さっき女性に案内されて行った人たちのようだ。「へんな格好をした親父が庭をうろうろしているな」と彼等には見えているのだろう。庭から敦賀原子力発電所がはっきりと見えた。近代科学の粋を集めた原子力発電所。絶対に事故があってはならない施設だが、テロ攻撃という不安も増し、厳しい時代になった。早く安全なエネルギーが開発されることを願って発電所を後にした。

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 敦賀半島を横断した西側には美浜原子力発電所がある。近くまで車を走らせた。敦賀原子力発電所と同じような形をした原子炉が見えた。福井県には、この他に大飯原子力発電所と高浜原子力発電所がある。本当に事故が起こらないことを願う。

 美浜町から三方五湖へ向かう。雨が降ったり止んだりのいやな天気である。「天気がよければ美しい湖が見えるのだろうが、この分だと霧雨にかすんでいるかもしれないなあ」と思いながら車を走らせる。もうすぐ三方五湖という所で、小さな川を渡った。橋の上で釣りをしている2人の親父さんがいる。釣りの成果はどうかなと野次馬心が起きた。車を停め、覗きに行く。こういうことは気ままな旅だからできるのだが・・・。

 「釣れますか」と声を掛けると同時に、1人の親父さんの竿がしなり、結構大きな魚が上がってきた。アイナメだった。「よく釣れますよ」ともう1人の親父さんがクーラーボックスの中を見せてくれた。大きなアイナメが10匹ほど入っていた。見ている間にまたアイナメが釣れた。本当によく釣れるのだ。旅人も釣りがしたくなり、近くの釣具店を教えてもらい、ノコノコ餌を買いに出掛けたのだ。ところがである。教えてもらった釣具店は休業だったのだ。道行く人に聞いても、釣具店はこの辺りではそこ一軒しかないようだった。魚釣りをあきらめざるを得なかった旅人は、大魚を逃した時の気持ちになっていた。

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 三方五湖は「レインボーライン」という有料道路を走らないと展望できない。ゲートで1000円を払って有料道路へ入った。道はぐんぐん高度を増し、やがて眼下に海岸線や湖が広がり始めた。絵になる風景だった。
しばらく走ると展望台だった。霧雨が降る中、見晴台に立つ。眼下に三方五湖が広がっていた。空が騒がしいので見上げると、何百というカラスが群れを作って飛んでいるのだ。ギャーギャーと泣き叫んでいる。「何事が起こったのだろう?」不思議に思いながら、じっとカラスの群れを見ていた。ようやく、その原因が分かった。薄茶色でハトほどの大きさの鳥をカラスたちが追いかけているのだった。それはハトではなく、ハヤブサかトビの子どものような感じだった。どうしてこんなにたくさんのカラスたちが1羽の鳥を追いかけているのか分からないが、幼鳥は必死になって大空を逃げ回っているのだった。幼鳥を助けようにも旅人には為すすべもない。ただじっと起きていることを見ているだけだった。

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 その時である。今まで大空を逃げ回っていた幼鳥は、木の茂みの方へ方向転換した。そして、木にぶつかりそうになりながらも茂みの奥へ身を隠したのだ。カラスたちは幼鳥を見失い、ギャーギャーと泣き叫びながら、しばらくその辺りを探し回っていたが、やがてあきらめて飛び去って行った。無事、幼鳥がカラスたちの追跡から逃れることができたのだった。それにしても、カラスの大集団が1羽の鳥を追いかけるという信じられないことがあるのだ。ただ、ただ驚いた旅人だった。雨が強くなり、車へ戻った。

 三方五湖から小浜に向けて車を走らせる。午後1時、JR小浜線に沿った国道27号線を走っている。そろそろ昼食にしなくてはいけない。国道脇にあるコンビニを見つけて停車した。オニギリを買う。ポットから朝沸かしたお湯を注ぎインスタント味噌汁を作る。少し温度が低くなっているが飲める。あっという間に昼食を終えた。

 コンビニが全国的に広がり出したのはまだ歴史が浅い。コンビニは、24時間営業の小さな商店という感じだったが、最近は、売る商品も豊富になり、生活のする中でコンビニがないと困るというまでになってきた。特に旅をしているものにとっては、大切な存在になっている。国道沿いのコンビニは、旅する人が利用する機会が増えたこともあり、トイレの使用やごみの処理、お湯の提供など、以前にも増して利用し易くなった。1級国道沿いにあるコンビニは駐車場が広い所もあり、そこにはトラックが何台も停車している。公共の「道の駅」に負けない、民間の「道の駅」という役割を担うまでになっている。ここも、そのようなコンビニだった。

 午後2時再び走り出す。雨は完全に上がったようだ。小浜町に入る。ここは、旅人の友人の実家がある所だ。その友人は名古屋に住んでいる。旅人が、30年前に名古屋で結婚生活を始めた時に、すぐ隣に住んでいたのが友人だ。それ以来ずっと世話になり、旅人が教員をやめ、富山に引越してからも、旅人のことを心配して電話や手紙をくれる。旅人にとって大切な友人だ。友人が育った小浜町を走っていた。車の中から見る小浜町はのどかな田園風景が続いていた。しばらく走ると美しい海も見えて来た。山と山に囲まれ、美しい小浜湾に面した小さな町だった。「実家へ帰るのも一仕事よ」と友人がよく言っていたが、ここからだと、京都が1番近い都会なのだろう。名古屋からは遠い所だった。友人の言っている意味がよく分かった。やがて友人から「小浜はすてきな町だったでしょう!」という手紙が届くのではないだろうか。

 車は海岸沿いを走っている。海は波もなく穏やかだった。「今から釣りをしようか」と旅人は思った。旅人がそんな気持ちになったのは、三方五湖で大魚を逃がしたのがよほど悔しかったのだろう。釣具店の幟を見つけると、車を停めた。小さな釣具店だった。「ごめんください」声を掛けると奥から親父さんが出て来た。「この辺りで魚がよく釣れる所がありますか」と釣具店の親父さんに尋ねた。「そうだねえ。この先の橋を渡った所の堤防でみなさんよく釣っています。今だと、アジとかキスとかスズキとかが狙えます」親父さんは親切に教えてくれた。旅人はキスを釣ることに決め、餌はアオムシにした。

 教えてもらった釣り場に着いた。釣人が1人竿を延ばしていた。「何か釣れますか」とメガネの親父さんに声を掛けた。「ポツポツアタリがあるねえ。サヨリが少し釣れたかな」と親父さんは穏やかな声で答えた。「キスを釣ろうと思っているのですが。釣れますかねえ」と旅人が言うと、「釣れるんじゃないのかな。とにかく竿をじっとしておかないで、シャクルといいよ。そのままにしておくと毛虫やヒトデが釣れるからね」と面白いことを言った。「毛虫?」旅人は聞き間違えたようだ。投げ竿の準備を終わり、アオムシを付けて釣り始めた。しばらくして小さなアタリがあった。リールを巻くと大きなハゼが上がって来た。「ハゼが釣れるのですか」とびっくりしていると、「まだ本格的な季節じゃあないけど、ハゼもよく釣れるよ」と親父さんが笑っていた。しばらくして、再びアタリがあり、今度は、ゼンメイが釣れた。それからもハゼやゼンメイがポツポツと釣れた。セイゴもヒットした。五目釣りの雰囲気だった。本命のキスは釣れないが、とにかく魚が釣れるということは気分がいい。釣りは、魚が釣れなくてはいけないと旅人は思った。

  何かおかしな形をした物が針に引っ掛かって上がって来た。ゴミかなと思っていたが、モゾモゾ動いている。15cmほどの大きさで毛虫そっくりの形をした気持ちの悪いものだった。旅人は初めて見るものだった。「何ですか、これは」メガネの親父さんに動くものを見せた。「それが、毛虫ですよ。正式名はどういうのか知りませんが、この辺りでは毛虫と呼んでいます。よく釣れるのです。」親父さんは笑っていた。「触って大丈夫ですか。」と聞くと、親父さんはうなずいている。旅人は恐る恐る毛虫に触り、針から外した。「毛虫」と聞いた時に、聞き間違いかと思ったのだが、本当に毛虫がいたのだ。気持ちの悪い生き物だった。しばらくして、今度はヒトデが釣れた。「毛虫やヒトデが釣れるからね」と初めに親父さんが言った通りになっていた。

 時刻は午後4時、少し薄暗くなり始めた。「この辺りに道の駅はありますか」旅人はメガネの親父さんに聞いた。「ありますよ。ここから見えますよ。ほら、あのチカチカ光っている所。あそこが道の駅です。温泉もあるから、私も帰りに入って行こうと思っているのです」親父さんが教えてくれた。宿泊に絶好の場所が、すぐ近くにあるのだ。しかも、温泉付きとは素晴らしい。旅人は、そこを今夜の寝場所にすることに決め、もう少し釣りを続けることにした。

 そこへ釣人が1人やって来た。髭を生やした青年だった。青年は車からリール竿を取り出し、サビキ釣りの仕掛けを作っていた。「何を釣りに来たのですか」と旅人が聞くと、「ここは夕方から夜にかけてアジがよく釣れるのです。それを釣りに来ました。」と青年はいやな顔もせずに話してくれる。青年は、リール竿を5本並べ、餌のアミを入れた大きなバケツ、それから水面を照らすライトまで準備していた。本格的な魚釣りだ。青年の準備が終わったころ、メガネの親父さんは竿を納めて帰って行った。旅人も釣った魚を放し、釣りを終えることにした。 

 あたりが一層暗くなり、遠くの明かりがはっきり見え出した頃、青年はライトに明かりを灯した。竿が並んでいる辺りが明るく照らし出されている。しばらくして竿に当たりが出始めた。アジが釣れ出したのだ。15cmほどの型のいいアジだった。やがて、次から次へと針にアジが掛かり出した。竿が5本もあるので青年は魚を取り込むのに忙しい。アジを針から外し、餌籠にアミを入れ、再び仕掛けを投げ入れる。流れ作業のような動作が続く。そして、瞬く間にアジがバケツ一杯になった。「何匹くらい釣る予定なの」と青年に聞くと、「500匹から1000匹かな」と驚くような数字が返って来た。しかし、この調子なら1時間もあれば達成できそうに思えた。「食べるのが大変ですね」と言うと、「その通りだね。でも近所にも配るからいいかなあ」と青年は嬉しそうな顔をしていた。大量にアジを釣るにはそれなりに工夫しないといけないのだろうが、すごい釣人がいるのだ。

 メガネの親父さんに教えてもらった「道の駅」は「高浜シーサイト」という名前だった。広い駐車場、売店、レストラン、それに露天風呂まであるという素晴らしい施設である。夕食の材料は近くのコンビニで仕入れた。弁当と野菜の煮物と焼酎を買った。まずは、旅の汗を流しに露天風呂へ出掛けた。放浪の旅に出ても毎日風呂に入れるとは幸せである。しかも、温泉なのだから豪華なのだ。

 ここの入浴方法は少し変わっていた。バーコード付きのカードですべて行うシステムだった。慣れない旅人は受付の女性にいろいろ教えてもらうことになった。驚いたのは、風呂の中の衣服を入れるロッカーまで、カードが鍵になっていることだった。受付の若い女性は臆することもなく、男性の更衣室の中まで入ってきて親切に利用方法を教えてくれたのである。隣では、裸の男性が堂々とオープンだったのだ。きっと、このシステムではトラブルが多いから、そんなことかまっちゃいられないのだろう。やはり、誰もが分かる入浴方法に改善した方がいいのではないだろうか。

 風呂は快適だった。特に露天風呂は面白かった。カモメが1羽、露天風呂の脇をヨチヨチ歩いていたのだ。迷い込んだのだろうが、垣根が高いし、松の木が邪魔して飛び上がるのにも、飛び上がれないのだ。カモメと一緒に入った露天風呂は情緒があった。

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 風呂から出て、休憩室へ行った。入口に迫力のある大きな油絵が掲示してある。荒れた海で網を引く漁師たちを描いたものだった。男たちの気迫が伝わってくる絵だった。こういう絵が描けるようにならなくてはいけないと旅人は思った。

 薄明かりの下で、いつものように夕ご飯を食べた。旅に出て3日目の夜になった。順調に日本海を南へ向かって走っているように思った。明日は、舞鶴から天橋立へ行く計画だ。北陸からいよいよ山陰に入る。酔いがまわり、眠気が急速に襲ってきた。旅人は、寝床を急いで作り、寝袋に潜り込んだ。

 夜中、再び猛烈な痒さに目を覚ました。再び、蚊に手の甲を刺されたのだ。昨夜旅人を襲った蚊が車内のどこかに潜んでいたのだ。薬箱を探し出し、ムヒを塗った。しばらくして耳元で「ブーン」という羽音がする。パチン!憎き蚊を退治したようだった。窓の外を見ると、薄明かりに、たくさんのトラックが駐車しているのが見える。自動車の数も多い。やはりここは最高の「道の駅」のようだ。その後なかなか寝付かれない。今夜は焼酎を少し飲み過ぎたようだった。



[ 2012/11/29 06:40 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 3

北陸路の旅

11月19日(水) 加賀温泉~東尋坊~敦賀港


 目が覚めた。無事朝が迎えられたようだ。時計は午前4時を指していた。旅人にはそれはいつもの時刻だった。老人になると目覚めが早くなるというが、旅人はすっかり老人になってしまったようだ。ラジオのスイッチを入れる。ラジオ深夜便「こころの時代」の番組が流れていた。この日は小児科の先生の話だった。きっといい話だったのだろうが、ぼっと聞いていただけなので内容は忘れてしまった。これもいつものことだった。

 駐車場は暗いが、薄明かりに車が何台か停まっているのが見える。昨夜寝る時にあった車とは場所が違っていた。よく見るとエンジンが掛かっている車もある。「ジャスコ」へ買い物に来たのだろうか。ひょっとしたら旅人と同じように車の中で宿泊している人なのかも・・・。

 午前6時半、辺りは明るくなり始めた。そろそろ夜が明ける。寝袋をたたみ、座布団を片付け、椅子を元の位置に戻し、車内を掃除した。それから軽い体操をした。体調はよさそうだった。これからは、これを日課にしようと思った。

 今日はまず東尋坊へ行く計画だ。その前に朝食を食べ、顔を洗い、排泄をして朝の一仕事を終えなくてはいけない。「ジャスコ」で朝食の買い物ということも考えたが、なぜか行く気になれない。加賀温泉駅のすぐ近くにコンビニがあったことを思い出し、車を発車させた。

 コンビにはすぐ見つかり、サンドイッチと牛乳と新聞を買った。コンビニの駐車場に車を停め、車の中で新聞を読みながらサンドイッチを食べた。こんな形の朝食がこれからも続くのだろうか。トイレはJR加賀温泉駅の公衆トイレを使用した。なぜかトイレにトイレットペーパーがない。入口にティッシュペーパーの自動販売機が設置してある。「トイレットペーパーは自分の物を使え」というのだ。「道の駅」はどこもきちんとトイレットペーパーが設置してある。なぜ「JRの駅」はトイレットペーパーが設置しないのか全く理解できない。

 午前7時半出発。「東尋坊は、海沿いの道をひたすら西に走れば着ける」という大雑把な計画で、とにかく車を走らせた。近くに漁港がありそうな雰囲気になり、やがて道が細くなり、行き止まりのような感じになった。「どうも袋小路に迷い込んだな」と思ったら、いきなり視界が開け小さな漁港に到着した。「橋立漁港」という名前と「加賀漁業協同組合」という看板の掛かった建物が見えた。少し散策する。堤防には釣人が何人かいた。その中に中年の女性がいる。様子からすると1人で釣りにやって来ているようだった。「何か釣れますか」と声を掛けと、「餌ばかり取られて少しも釣れないの」と返事が返って来た。その時、当たりがあり、小さな魚が糸に付いて上がって来た。メバルだった。「やあ、釣れましたね」というと「今日はアジを釣に来たのだけど、まあ、これでもいいか」と女性は上手に魚を針から外していた。旅人は時代も変わったなあと思った。

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 漁港をあちこち見て回った。面白い建物があった。家の下が桟橋になっていて、船を横付けできるのだ。船から下りれば家の玄関という面白い構造なのだ。そういう家が何軒も並んでいる。京都の日本海沿岸にある「舟屋」という建物に造りが似ていることに気が付いた。今回の旅行では「舟屋」をぜひ見たいと思っていたのだが、こんなに早くそれに似た建物を見ることが出来、嬉しくなった。

 橋立漁港から少し走った所に景色のいい岬があった。断崖絶壁の岬は公園になり遊歩道も設置されていた。「加佐ノ岬」という表示がある。季節のいい時期にはたくさんの人がやって来るのだろう。驚いたのは、その断崖に生えている松が、あちらこちらで伐採されていたことだ。どうやらマツクイムシの被害で枯れてしまったもののようだ。枯れた松は全て切り倒すしかないのだろうか。この日も松を伐採するチェーンソーの音が響いていた。  

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 最近聞いた話だが、マツクイムシの被害が急速に広がっているそうだ。特に手入れをしていない松林の被害が多いそうだ。このまま進むと有名な松林も消えうせてしまう恐れがあるそうだ。富山湾にある雨晴海岸の岩の上に生えている有名な松がある。先日、能登半島へ出掛けた時にその岩を工事していたことを、思い出した。ひょっとしたら、あれはマツクイムシ対策をしていたのかも知れないと思った。「加佐の岬」の切り倒された松が並ぶ光景は、自然保護という言葉を空しく感じさせた。

 「東尋坊」を目指して車を走らせた。やがて「東尋坊」という案内板も見えるようになり、もう迷わないで到着できそうだ。そういえば、2年前に、この辺りでスピード違反の検問に引っかかったことを思い出した。北海道へ自動車で出掛け、北海道から敦賀までフェリーに乗り、敦賀から富山へ帰る途中だったのだ。気分よく走っていたら、いきなり赤旗を持ったお巡りさんが飛び出してきたのだ。「何だろう」と思っていたら、旅人に「止まれ」と合図を送っているのだ。旅人は、まだ免許取立てで、その事情がよく分からなかった。とにかく停車したら、「はい、15kmオーバーです。車を降りて、こちらへ来てください」と事務的に言われ、スピード違反の書類にサインしたのだった。初めての交通違反だった。その時のことを思い出しながら走って行くと、検問に引っかかった所を通過したようだった。「えっ、こんな道が40km制限」と驚くような広い道だった。それに気が付かないで走っていたのだ。今回もスピードの出し過ぎには注意しようと、旅人は気を引き締めた。

 「東尋坊」の駐車場に到着した。公共の駐車場は有料だが、売店の駐車場は無料である。もちろん旅人が停めたのは売店の方である。車を降り歩いて行くと、売店の店員さんが出て来て「どうぞ店の中を歩いて行ってください」と案内してくれる。もちろん断ることはできない。チラチラ商品を眺めてから「また後で」と声を掛けて外へ出た。

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 「東尋坊」の有名な断崖はまだ先である。そこへ行くまでの狭い道には、商店がずらりと並んでいた。驚いたのは、平日なのに道を歩いている人が、たくさんいることだった。ちょっとした賑わいになっている。「お客さん、カニを買いませんか。安いですよ」店の人たちの掛け声にも、並んでいる商品にも張りがある。景気はかなり回復しているように感じた。土産物の主流派は、何といっても越前カニだった。それにしていい値段が付いていた。こんな高いカニを土産に買う人がいるのだろうか。


 断崖の所へ出た。20人ほどのグループが記念撮影をしていた。あちらこちらに見学している人がいる。観光船も人をたくさん乗せて走っていた。不景気風は、本当にどこかへ行ってしまったように思った。断崖へ通じる道に、自殺者に自殺を思いとどまるように呼びかける標識が立っていた。「命の電話」という公衆電話ボックスも設置されていた。死ぬ前にだれかに電話をして、思いとどまってもらおうというものだ。やはりここは今でも自殺の名所になっているのだ。飛び込めば間違いなくあの世へ連れて行ってくれそうな断崖が聳えている。自殺者が年間三万人を超えているというから、何人かは、ここで命を亡くしているのかも知れない。

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 「東尋坊」を後にして越前海岸を走り続ける。狭い海岸の道には民宿が並び、店の前ではカニを茹でる湯気が上がっている。冬の越前海岸へカニを食べに、たくさんの観光客がやって来ているのだろう。時刻は12時。そろそろどこかで弁当を買って昼ご飯にしなくてはと思った。しばらく走るとコンビニがある。さっそく車を停め、弁当を買う。500円也。立派な幕の内弁当だった。「どこか景色のいい海岸で食べよう」と再び車を走らせた。 

 漁港が見えて来たので、そこで食べることにした。港で夫婦連れが釣りをしていた。魚は釣れているのだろうか覗きに行く。サビキでアジを釣っていた。釣れていのは、生半可な数ではなかった。バケツから溢れるほど、アジが釣れていた。「大漁ですね」と声を掛ける。「ええ、あまりの数にこちらも驚いているのですが、アジが群れているのが見えるでしょう」と親父さんが海の中を指差した。投げ入れた餌の周りには、アジが真っ黒になって群れていた。「もう十分に釣ったから竿を収めて帰ります」と親父さんは言った。「アジはどうやって食べるのですか」と聞くと「やはり、空揚げですかね。しかし、こんなにたくさんは食べられないから、近所の人に配るのが大変ですわ」と奥さんは笑顔で話した。仲のいい夫婦だった。夫婦連れも去り、静かになった港で弁当を食べた。カモメが数羽、堤防に残されたアジを突付いていた。
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 再び越前海岸を走る。狭い道路には小さな民宿が並び、店先では湯気が上がっていた。ここへやって来る客は関西や中京方面からの人たちが多いのだろう。そんなことを考えながら走っていると、「この先露天風呂あり」という看板が、目に飛び込んで来た。昨日は風呂に入っていなかったので、すっきりしたい気分だった。「日帰り入浴が出来るかも」と期待しながら車を走らせた。「露天風呂あり」という看板を出していたのは「漁火」という日帰り入浴施設だった。入浴料400円を払って中へ入った。こぢんまりとした風呂が三つあった。露天風呂からは青い海が見え、海を見ながら入る風呂は最高だった。海には白波が立っていた。風が強くなってきたようだ。汗を流してさっぱりした気分になった。こうした形で、1日に1度は風呂に入ろうと旅人は思った。時刻は午後3時。今日はどこに寝場所を見つけるのだろうか。

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 越前海岸を敦賀に向けて車を走らせる。辺りは暗くなり雨も降り出した。天候がだんだん悪くなって行くようだ。河野海岸有料道路(520円)から国道8号線に入り、しばらく走ると敦賀だった。国道脇のコンビニを宿泊地にするということも考えたが、気が進まない。「どこかないか」考えていて思い出した場所があった。敦賀港の長距離フェリー埠頭だ。広い駐車場や売店もあった。そこへ行くことにした。

 「フェリー埠頭」という道路標識が見える。国道8号線から分かれ、トンネルを抜けると以前来たことのあるフェリー埠頭だった。大きなフェリーが桟橋に停まっていた。北海道へ行くフェリーのようだった。今晩はここを宿泊地とすることに決めた。再び、夕食を買いに車を走らせ、国道沿いにあるコンビニで弁当とビールを買う。本当に車というものは便利なものだ。

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 戻る時に新しい発見をした。フェリー埠頭のすぐ横に釣り桟橋があるのだ。雨の中でも、たくさんの人が釣りをしていた。広い駐車場もあり、トイレも設置してあった。「京都」「名古屋」「岐阜」といったナンバープレートの車が10台近く停まっている。今日の寝場所は、フェリー埠頭からここに変更した。多くの釣り客と一緒に泊まる経験は初めてだった。夜釣りを勉強できそうだと旅人は思った。

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 ここは、敦賀市が建設した本格的な釣り桟橋で、駐車場、トイレ、水道、自動販売機、ごみ箱などが設置され、きちんと掃除も行き届いていた。釣り客は中年の男性がほとんどだが、女性も何人かいた。ねらいは「アジ」だった。サビキを入れた籠を電気浮につけ、遠投していた。獲物が掛かれば浮が水中に沈むという仕掛けになっている。サビキ釣りを楽しんでいた家族連れのバケツには、小さなイワシがたくさん入っていた。「アジが釣れないのが残念です」と奥さんが話してくれた。大きな網を用意した親父さんがいたが、バケツの中にはカワハギが2匹泳いでいるだけだった。すっかり暗くなり、雨も強くなって来たので、釣り客たちは竿をしまい始めた。どうやら今晩の釣りはこれでおしまいになるようだった。旅人も、車に戻り夕食にすることにした。

 弁当とビールでいつもの夕食が始まった。ラジオを聞きながら、薄暗い明かりの下で食べる夕食は、やはり、寂しい。明るい電球の下で、家族とワイワイ言いながら食べる夕食が一番だと思った。釣り客たちはどんな食事の仕方をしているのだろか。見に行くことにした。私と同じように、薄暗い明かりの下で食事をしている人が多いようだが、違った人たちもいた。簡易のランプを付けて車の中を明るくし、座席を倒して宴会をしている。すき焼きでもやっている雰囲気だった。車が大きいとああいうことも出来るのだ。明かりが漏れないように目隠しのカーテンを引いている車もある。暗い中で明かりを付ければ車の中が丸見えになってしまう。そのためにいろいろ工夫していることが分かった。「さすがに車を使って夜釣りに出掛ける人たちは、よく研究している」と旅人は感心するのだった。

 午後8時、夕食が終わり、アルコールも回り眠気が旅人を襲ってきた。旅人はいつものように座席を倒し、寝床を作り寝袋に潜り込んだ。外は雨が激しく降っていた。明日は一日中雨なのだろうか。天気がよければ旅人も釣りに挑戦してみようと思った。この車には釣り道具を積んでいたのだ。

 ぐっすり寝込んだ夜中、あまりの痒さに目を覚ました。何と耳元では蚊の羽音がしているのだ。どうやら蚊に腕を刺されたようだ。それも二箇所。まさかこの時期に蚊に食われようとは、予想だにしていなかったことだった。旅人はあまりの痒さに、飛び起き、ごそごそと荷物をひっくり返し、その中から薬箱を取り出し、ムヒを見つけて塗りつけた。旅人が痒さに慌てふためいている様子を見ていた人がいたら、きっと笑い転げただろう。日本海を南に下って来たので、気候が暖かくなったということなのだ。






[ 2012/11/28 05:11 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 2

北陸路の旅

11月18日(火) 富山~金沢~加賀温泉
 

 午後2時出発。午前中は部屋を掃除したり、地区公民館の仕事をしたりして出発が遅くなってしまったのだ。行く先は、日本海沿岸を九州まで南下するコースである。冬の荒れる日本海を眺めながらの旅は魅力的である。4年前の冬、普通列車を乗り継いで山陰を旅したことがある。列車の窓から、荒れる日本海を眺めながら旅した時のことが思い出される。雪が降りしきる中、余部鉄橋をカメラのファインダーから覗いていた時のこと、夜が遅くて宿が見つからなくて、城之崎駅前で途方にくれていた時のことなどが、まだ昨日のように思い出される。今回はどんなことが起きるのだろうか。

 富山県から倶利伽羅峠を越えて石川県に入る。ここはもう何度も走った道だ。その昔、木曾義仲が平家を撃ち破った所だ。峠越えの道や、戦場の跡が今も残されている。旅人は、若かりし頃、この近くにある小さな小学校に勤めていたのだ。

 車は、その昔、教員だった旅人がバスに乗って小学校へ通った道を、走って行く。当時と比べると、道は国道に昇格して格段に広くなり、曲がりくねったカーブも直線に改修されていた。自家用車やトラックがビュンビュン走り、地域は近代化されたように見える。

 残念なことに、勤めていた小学校は廃校となり、ここに住んでいた教え子たちもほとんどがこの土地を離れ、今では数えるほどの家しか残っていなかった。立派になった道が、ここに住んでいた人たちを町へ連れて去ってしまっていた。ワイワイ、ガヤガヤと地域の青年たちと過ごした時のことが頭の中に浮かぶ。みな懐かしい思い出だった。過ぎ去った昔を思い出しながら、旅人はアクセルを踏み続けた。

 午後4時、金沢の市街地に入り、ひどい渋滞に巻き込まれた。都会の道を走るのは、旅人は大の苦手だった。道路が何車線もあるのだ。「何車線もある道路は、真中の車線を前だけを気にして走れば安全だよ」と友達から教えてもらったことを、この日も忠実に守っていた。それでも、右から左から大きなトラックが割り込んで来た。しかも太陽が西に大きく傾き、ちょうど太陽に向かって走っているのだから、まぶしくて信号もはっきり見えない。大きな不安の中で、緊張しているのが分かる。手の平に汗が滲んでいるようだ。「歩道のない国道の路側帯を歩いて旅する時と少しも変わらない。ひょっとして事故に巻き込まれて命を落とすことになるかも」という思いが頭を掠めた。やはり、今回の旅は、冒険旅行だと旅人は思った。

 午後5時、太陽が沈み、辺りは薄暗くなり始めた。市街地の渋滞した道路から無事抜け出し、国道8号線のバイパスを順調に走っていた。小松を過ぎ、そろそろこの日の寝場所を探さなくてはいけない時刻になった。「道の駅」があれば都合がよいのだが、この辺りにはそういう駅はなさそうだった。「どうしようか。コンビニの駐車場という手もありそうだ」とも思った。そこで思い付いたのが、「JRの駅」だった。ここからだと加賀温泉駅が近そうだった。しばらく走ると予想した通り「加賀温泉駅」の道路標識が見えてきた。道路標識に従って国道から離れ、しばらく走ると加賀温泉駅前に到着した。駅前には「平和堂」の巨大なビルが建っていた。広い駐車場もあり、第1日目の宿泊地はここに決めた。
 
 夕食を買いに出掛けた。時刻は午後6時を過ぎていたので惣菜売り場ではバーゲンセールをしていた。3割引とか5割引とか格安の値段だった。弁当と刺身とビールを買った。それでも値段は千円を超えている。ケチケチ旅行をするならもっと工夫しなくてはいけないと思った。この巨大なショッピングセンターの隣が加賀温泉駅だった。駅のすぐ前に広い駐車場はあるが、有料になっていた。

 「夕食にしよう」と車へ戻ることにした。ショッピングセンターの駐車場にはタクシー乗り場もあり、タクシーが3台ほど停車していた。1人の運転手が車の横で体操をしていた。「今晩は。ここは、大きなショッピングセンターですね」と声を掛けた。「街から少し離れているけど、これが出来たおかげで駅前が賑やかになったよ」と運転手は答えた。「今晩ここへ、車を止めようと思っているのだけど」と私が言うと「それりゃあ止めといた方がいいよ。ここの駐車場は時間になると、入口にチェーンを掛けて、車が出入りできなくなるようにしてしまうよ」運転手は真顔で私に教えてくれた。「そりゃあ困った。どこかこの辺りで駐車できるところはありませんか」と私は運転手に聞いた。「そうかい、車で旅行しているのかい。駅前の駐車場はお金がいるし、そうだ、この近くに『ジャスコ』がある。あそこは24時間営業だから駐車場が使えるよ。そこへ行くといいよ」と詳しく道順を教えてくれた。親切な運転手さんだった。

 夕食を後回しにして、急遽、車を走らせ「ジャスコ」に移動した。ここも「平和堂」に負けないほどの大きな建物だった。「食料品売り場は24時間営業」という大きな看板が輝いていた。加賀温泉の町には巨大なショッピングセンターが二つもある。きっと熾烈な競争をしているのだろう。「ジャスコ」は24時間営業で対抗しているのだろうか。

 薄暗い明かりの下での夕食が始まった。トビウオの刺身に醤油を掛け過ぎ、醤油付けになってしまった。暗いのは何とかしなければいけない。弁当とビールで腹が一杯になってしまった。少々食べ過ぎの感じだった。
腹ごなしに散歩に出掛けた。空を見上げると満天星空だった。天の川も見えるようだった。

 午後10時、椅子を倒し、寝床を作る。敷布団代わりの座布団を敷き、寝袋を広げ潜り込んだ。駐車場は真っ暗。少々不安を感じるが、内側からドアをロックした。無事明日が迎えられますように。



[ 2012/11/27 06:48 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)

初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 1

1 はじめに 

 「どこへ行くって・・・まだ行く先が決まっているわけではないが、とにかく買い換えた新しい車であちこち放浪してみようと思っているのだ」旅人は、久しぶりに感じるワクワク気分で上さんに旅の話をしていた。
 
 今まで旅人が乗っていたのは、スズキの「アルト」である。軽自動車なので燃費が安い。北海道1周に出掛けたのもこの車だ。結構走る車だった。しかし、2WDなので雪道や悪路に弱い。特に困るのは、冬にエンジンの掛かりが悪いのだ。エンジンが温まるまでは発進できない。それを無視して発進しようものなら、エンストしてしまうのだ。国道でエンストして交通渋滞を起こしたことが何度もある。修理店で見てもらったら、「お客さん、これは、寒冷地対策がしてない車ですから、仕方がありませんよ」とあきらめるしかない返事だった。冬には滅法弱いのだ。そのいやな冬が今年も近づきつつあった。「そんな危ない車はやめて、思い切って新しい車を買ったら!援助してあげるから」と上さんからも勧められ、思い切って買い換えることにした。

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 近くの中古車店に頼んでおいたら、すぐに新しい車が見つかった。スズキの「ワゴンR」である。これも軽自動車だが、今、流行のボックス型である。スピードも出るし、運転席も少し高くて見晴らしがいい。もちろん4WDで、冬にも強い。旅人が何よりも気に入ったのは、座席を倒すと、寝台が出来て、体を伸ばして寝ることができるのだ。「車の中で寝られたら、どんなに旅が楽しくなるだろう」と前から憧れていたのだが、それが実現したのだ。

 新しい車が来て、数日後、さっそく旅人は、予行演習と称して、能登半島へ2泊3日の旅に出掛けた。雨降りで大変な日だったが、終日、車を走らせ、七尾で夜になった。七尾駅近くにある「道の駅」を寝場所と決め、夕食を近くのスーパーで買い込み、車の中で食べた。薄暗い明かりの下で食べる夕食は、あまり美味しいものではなかったが、腹は満腹になった。

 アルコールも入り、しばらくすると眠気が襲ってきた。さっそく寝る準備に入った。座席を倒し、小さな寝台を作った。簡易の敷布団として座布団を三枚敷き、寝袋と毛布を広げた。午後8時、寝袋に入る。降り続く雨の音をしばらくは聞いていたが、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めたのは次の日の早朝だった。起きた時に腰が少し痛かった。これは、椅子の寝台が凸凹しているためだ。厚手の座布団にすれば解決できそうに思った。天候にも左右されることなく、車の中で十分に寝ることが出来たのだ。

 次の日は、輪島港の駐車場で寝た。ここでも十分に寝ることが出来た。ただ、就寝場所としては、トイレや水飲み場、自販機などがある「道の駅」の方が、適しているということが分かった。輪島では、日帰り入浴をしている温泉も見つけ旅の汗も流した。車で寝泊りする旅も結構面白い。予行演習も終わり、いよいよ放浪の旅が始まる。




[ 2012/11/24 13:51 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉のカラマツ街道 4

「中山道・鳥居峠」を歩く その4

 午後2時30分,美しい紅葉の山々に囲まれた奈良井宿に到着した。

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 奈良井の町は土曜日の午後ということで観光客で賑わっていた。私はさっそく酒屋を見つけ,土産にと木曾の酒として有名な「七笑い」を買った。同僚たちもそれぞれ土産を買っている様子だった。

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 そばを食べようということになり,そば屋を探す。「そばあります」という看板はあるのだが,なぜかどこの店にも本日休業という案内が出ていてなかなかそば屋が見つからない。とうとう奈良井宿の外れまで来てしまった。すぐそこは奈良井駅である。諦め掛けたところに「そばあります。営業中」の看板を見つけ,やっとのことでそばを食べることができた。
つゆは少し薄味だったが,そばは手打ちで美味しかった。

午後3時41分発の臨時列車「ナイスホリディー木曾路号」に乗車。帰りは自由席だったが車両はがらがらだった。リース作りを趣味にする同僚の足元には袋一杯に詰まった枯れ草が顔を覗かせていた。きっと家へ帰ってから枯れ葉や木の実が素敵な作品に変身するのだろう。

 列車は南木曾駅を過ぎていた。太陽が西に傾き,その光を浴びて山々の紅葉は美しく輝いていた。私たちは土産に買った地酒を味わいながら今日の感動の旅を思い出していた。「ぜひ来年も美しい紅葉を見に行こうね」という同僚の声に,私も,紅葉のカラマツ街道を来年も歩いてみたいと思った。


[ 2012/11/23 08:29 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉のカラマツ街道 3

「中山道・鳥居峠」を歩く その3

 鳥居峠の記念碑の前で記念撮影をして、12時40分奈良井宿を目指して出発した。そこから少し上ると御嵩神社がある。この神社の裏手には不思議な感じのする仏像が幾つも並んでいた。

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 神社を過ぎ、下り坂になった所に大きな栃の木が何本も生えていた。子宝の栃という立て札の立っている木もある。葉はすっかり落ちてしまっているが,木の下を探すと割れた栃の実の殻が幾つも見つかった。きっとたくさんの実を付けた栃の木が数週間前にはあったのだろうが,その実は残念ながら見つけることはできなかった。崖の所には人の踏み跡が幾つも残っていた。この実を目的にやってきている人がたくさんいるのだろうと思った。

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 そこから少し行った所で,山の斜面全体にカラマツが生えている風景を目の前にした。その紅葉の美しさは言葉でどう表現したらよいのか困るほどのものであった。また,その場所からは薮原の山を眺望することができ,ここからの景色も実に素晴らしいものだった。同    僚の一人が「昨年南木曾で見た紅葉が私の人生の中で一番最高だと思っていたけど,今日の景色はこれを越えてしまったようだ」と,うっとりした顔で語ってくれた。

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 20分ほどそこで休んだ後,緩やかな坂を下ると,休憩所が設置されていた。トイレもきちんと設置されている。ここからは奈良井宿の全景を見ることができた。奈良井宿から上ってきた人たちはここで休憩するのだろうと思った。残念だったのは送電線が何本も道に沿って張ってあり,美しい眺めの障害になっていたことである。電線の張り方に配慮すれば,景観をもっと売り物にできるのではないかと思った。

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 ここからは本格的な下り道である。こちら奈良井宿という道標のある道をぐんぐん下って行く。しばらく下ると,向かい側の山全体が見渡せる所に出た。向かいの山はカラマツとダケカンバが半々に生えているようで,黄色いカラマツの紅葉とダケカンバの白い幹の色が不思議なコントラストをなしていた。更に下って行くと,カラマツ林の中の道になった。カラマツの葉が降り積もり、絨毯の中を歩いているようだ。ふと見ると何か細い物が太陽の光を浴びてキラキラ光りながら落ちている。 何とカラマツの落葉の瞬間なのだ。「風が吹くとサラサラと音をたてて落ちるカラマツの落葉は本当に素晴らしいよ。それが見られたらいいね」と出発する時に上さんの言った言葉を思い出した。サラサラと音はなかったが,太陽の光にキラキラ輝いて落ちるカラマツの葉の美しさに,胸がキュンと締め付けられる思いがした。カメラのシャッターを盛んに切ったが,その繊細な落葉の瞬間はとても撮せるものではなかった。

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 私たちは美しい紅葉に満喫しながら,カラマツ林の中を下って行った。



[ 2012/11/22 05:52 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉のカラマツ街道 2


「中山道・鳥居峠」を歩く その2

 10時49分,予定通り列車は薮原駅に到着した。ここで降りた客は私たちを入れて20人くらいである。そのほとんどが鳥居峠を歩きにやって来た人たちのようであった。11時、駅を出発。線路の下を抜けると薮原宿の古い町並みが残る中山道に出た。質素な町並みの中を5分ほど歩いた所にお六櫛を売る店があった。しかし,残念ながら鍵が掛かっていて,中を見学することは出来なかった。

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 そこから少し行った所に小さな商店があり,店先に大きくて美味そうな柿が並べてあった。あまり美味そうなので買って行くことにした。中に入って「表の柿は一ついくらですか」と聞くと「表に並べてあるのは全部渋柿ですよ」と言われ,大笑いになった。1箱3800円と値段が表示してあったので,てっきり甘柿だと思ってしまったのである。この村の人たちは渋柿も店先で販売していることに認識を新たにした。私たちは中にあった筆柿を一袋買い,店を後にした。

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 鳥居峠への道しるべが角々にきちんと出ているので,それに従って歩いて行く。線路を再び渡った所に「尾張藩鷹匠役場跡」がある。鷹の雛を確保するために設けた役所の跡で,ここからは薮原宿が一望できた。そこを過ぎると道はきつい上り坂になる。天降社という社の前にオオモミジの木が生えていた。残念ながら紅葉はすでに終わり,葉は散ってしまっていた。白い壁のペンション前を過ぎ、道の両側にカラマツ林が見え始めた。カラマツの針のような葉が黄色に色付き、青い空の色と重なり合っていた。カメラを持ってきた私たちはシャッターを盛んに切った。

 紅葉の中山道を鳥居峠に向かって上って行く。前に自分一人で来た時はとにかく目的地まで行くことばかり考えていて,周りの景色を見る余裕はなかったが,今日は職場の仲間とやって来た。参加した一人一人が満足できるペースで歩いている。そのペースのおかげで,私にとっても今まで気が付かなかった発見につながった。参加した仲間の中に,ドライフラワーの材料にと、枯れた草の蔓や花,木の実等を採りながら歩く人もいた。枯れ草の実が弾けて不思議な形をしているものや,赤い実を付けている木などよく見ると結構美しい。今まで気が付かなかったが,こういう歩き方もあるのだと感心してしまった。

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 大きな看板が立っているのが見える。近づいて見ると,「熊が出没するので歩く時には十分注意しなさい」というものだった。以前来た時はこの立て札は立っていなかったので,最近新しく立てられたようだ。本当に熊が出れば心配なのだが,前来た時に聞いた話では,5年ほど前に,熊の足跡が残っていたことから熊への注意が呼び掛けられるようになったという。特に被害にあった人はいないという 話だった。

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 道はそこからは自然道になり、ぐんぐんと上って行く。道にはカラマツの葉が積もっていて絨毯の上を歩いているような感触がある。実に気持ちがよい。鐘が吊してあり「熊を避けるために鳴らしてください」と表示があった。峠を上るに連れて眼下に薮原の家並が小さく見えるようになってきた。美しく色付いた木の葉の間から見る薮原の町は美しい町だった。

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 1時間ほどかかって鳥居峠丸山公園に着いた。ここには芭蕉の句碑や鳥居峠を記念した石碑などがたくさん立っている。時間はちょうど12時。私たちの前を歩いていたグループが食事を摂っていた。私たちもここで昼食にすることにした。私はいつものように朝買ったおにぎりを食べた。手作りのお弁当を食べている仲間もいる。食後に薮原の小さな商店で買った筆柿を食べる。カラマツの紅葉した林の中で食べる柿の味は格別であった。ふと前を見ると,白い肌をした太い木が太陽の光に幹を輝かせていた。ダケカンバという白樺に似た木だった。





[ 2012/11/21 21:11 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉のカラマツ街道 1

「中山道・鳥居峠」を歩く その1

 11月8日,土曜日。街道歩きには絶好の快晴。今日の街道歩きは久しぶりに何人かの人と一緒に歩く旅である。私が街道を歩いていることは,職場のみんなも知っているのだが,「たまにはみんなを街道歩きに連れて行ってよ」と言われ,計画した旅行である。

 季節は紅葉の真っ盛り。目的地をどこにしようか悩んで,冬に歩いたカラマツの並木道はきっと紅葉が美しいのではないかと考え,目的地を鳥居峠にした。鳥居峠を越えるには中央線薮原駅で下車する。いつもなら,ふらっと列車に乗ってしまうのだが,連れて行く立場ではそんなこともできず,事前に時刻表を調べていたら,この日はJRの企画で南木曾から妻籠を歩くイベントが企画されていることが分かった。この時期では列車が満員になるのではないかと考え,今回乗る臨時列車「ナイスホリデイー木曽路号」の指定席券を参加者の分購入した。

 午前7時30分自宅を出発。JR金山駅を目指して歩き慣れた道を急ぐ。特に早く行く必要はないのに30分も前に金山駅に到着。いつものように駅の売店でおにぎりを買いリュックに入れた。ホームに行くとたくさんの人が立っていた。服装を見ると通勤服のサラリーマンが多いようだ。土曜日でも勤務がある人が多い。私の場合は月に2回は土曜日が休みになっているので今日は気楽に旅行に出掛けられるのだが,まだまだ土曜日が休みになっていない人がたくさんいるようだ。多治見行きの列車が到着した。ホームで待っていた人たちはみんな乗り込んで行った。

横を見るとリュックを背負った10人ぐらいのグループがいる。どうやら私と同じ列車に乗るようだ。ベンチに座ってぼっとしていたらいつの間にかホームが人でいっぱいになってきた。どの人もリュックを背負って「今から歩きに行くぞ」という格好である。みな同じ列車に乗るようだ。

 8時22分,8両編成の臨時列車木曾路号が到着。列車の中はすでに人で一杯である。一瞬自由席に乗り込んだのではないかと錯覚するほどの人が立っていた。やはり今日は紅葉を見に行く人たちで列車は一杯になっていた。私の座席は4号車。自分の座席を探して列車内を移動して行った。たくさんの人が立つ中に名古屋から乗った同僚たちの顔をやっとのことで見つけて,座席に座った。「指定席で本当によかったですね」から会話が始まった。この列車には4両の自由席が付いているが,今日はJR企画の歩く会が設けられていて超満員である。何でも名古屋駅では長蛇の列であったという。鶴舞,大曽根からも同僚が乗り,列車が名古屋市内を出る頃には参加者全員がそろい,今日の旅はスタートした。

途中で車掌が検札に来た。そこで新しい発見があったのだが,名古屋から薮原まで行くのにたまたま鶴舞駅から乗車した同僚が不思議な切符を購入していた。鶴舞駅で「この切符を買うと薮原まで行くのには安いよ」と駅員が親切に教えてくれたという。

 その切符は名古屋からの「青空ワイドフリーパス」という名称であった。土曜日と日曜日と祭日にしか使用できないが,中央線は木曾福島まで,東海道線は二川~米原間などフリー区間が設定されていて,しかも料金が3570円と格安であった。私の切符は名古屋~薮原間往復で5040円である。フリー切符を使うと木曾福島~薮原往復460円を加えても4030円となり1000円も安いのである。こんな安い乗車方法もあるのかと改めて驚いてしまった。しかし,それにしても鶴舞駅の駅員さんは親切な人であったようだ。JRにとってはこういう切符を売ってしまったことで,儲けを減らす結果になったのだが,これからはこの切符を購入して出かけなくてはと私は思った。それにしても,JRがこの切符があることを時刻表に載せていないことに疑問を感じてしまった。

  列車が多治見を過ぎた辺りから,周りの山々の紅葉の美しさに「すごいね」という声が聞こえるようになっていた。紅葉は列車が北に進むにつれてさらに増し,中津川を過ぎた辺りで,もう言葉にならないほどの美しさになっていた。

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 名古屋を出て2時間,南木曾駅に到着した。今日のJRの歩く会は南木曾から妻籠宿を巡るコースが設定されていたが,あれだけいた乗客のほとんどがこの南木曾で降りてしまい,車両は私たちのグループの貸切り状態になってしまった。JRの今日の企画は大成功のようだ。

 南木曾から更に1時間ほど列車に乗ったところに薮原駅はある。私たちは座席に座り,周りの紅葉に見とれているばかりであった。

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 上松駅手前にある寝覚ノ床の景観も格別であった。木曽福島を過ぎた辺りで,黄色一色に紅葉した山が見られるようになった。よく観察するとそれはカラマツの紅葉だった。カラマツの紅葉を間近で見るのは,私は今回が初めてである。その美しさをどう表現したらよいのか言葉に困っていたら,一緒に来た同僚が「胸がキュンと締め付けられるような美しさですね」と表現してくれた。この辺りに住む人は,今どんな気持ちでこの美しい山を見ているのだろうか。

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 「今日は列車の中からこの景色が見られただけでもう満足」と,まだ鳥居峠を歩かない前に思ってしまった。



[ 2012/11/21 08:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

紅葉を尋ねて14


エピローグ 

 旅人の紅葉を尋ねる旅は、この後も、しばらく続く予定だったのです が、「自治会連合会の会議の召集状が届いたよ」と家から連絡があり、急遽帰ることになりました。それでも下道しか走らない旅人は、家へ帰り 着くまで二日ほど掛かりました。帰路の途中も、スケッチだけは心掛け何枚か描きました。まだ未完成で、色は付けていませんが、こちらの方 が、迫力があるように感じています。


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奥入瀬へ行ったことで、また少し飛躍したのかも知れません。
                                                  完
[ 2012/11/19 02:28 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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