第3日目 高松~高知~大阪 午前4時半起床。洗面を終え、五時半ホテルを出発。今日は土讃線で大歩危まで行き、祖谷のつり橋の写真を撮りに行く予定である。高松駅はまだ時間が早く売店は空いていない。改札にも駅員はいない。青春十八切符はその日最初に乗車する時に検印をもらわなくてはいけない約束になっている。駅員が来るのを待って、改札を通過する。朝食は、この先乗り換えをする駅で買うことにした。すでにホームには琴平行普通列車が入線していた。
五時五八分、がら空きの列車は琴平に向けて出発した。まだ辺りは真っ暗である。坂出を過ぎた辺りで遠くに瀬戸大橋の明かりが見えた。多度津を過ぎた辺りで空が赤く染まり出した。遠くに見える山の間だから朝日が昇って来そうである。いよいよ日が昇るという時に意地悪く列車は琴平に到着した。せっかく構えたカメラをしまい列車を降りる。乗り換えの時間はわずか二分。隣りのホームへ駆け足で急ぐ。阿波池田行普通列車に乗車すると同時にドアが締まり列車は発車した。一両編成で、シートが二列向かい合っている古いワンマンカー列車である。
列車はゴトゴト揺れながらゆっくり山を上って行く。今から四国の尾根を越えて行くのだろうか。山はますます高くなり、列車はその山の中をぐんぐん高度を上げて行く。遥か下の方に先ほど通ってきた町が見える。線路の脇に雪が積もっている。この地域の冬は雪も降り寒さがかなり厳しそうである。箸蔵という駅に停車した。何とここはスイッチバックの駅で、引込み線を戻った所に駅がある。駅を確保するだけの土地がなくこのような形式の駅になったのであろうか。それだけ土地の勾配がきついということである。長野県の篠ノ井線姥捨駅もここと同じスイッチバック方式の駅である。特急列車に乗ってしまえば通過してしまうので気が付かないが、箸蔵駅も特急は通過してしまうので急ぎの人はこんな駅が四国にあることは知らないだろう。今回普通列車の旅をして新しい発見ができてよかったと思った。遥か下の方に大きな町が見えてきた。阿波池田の町だ。大きな川は吉野川のようだ。
7時53分阿波池田に到着。ここで8時発高知行普通列車に乗り換える。すでに列車は向いのホームに停車していた。乗り換え時間の間に朝食を仕入れようと駅の売店に行った。幸いにも売店は営業していたので、おにぎりとお茶を買って急いで列車に戻る。しばらくして列車は発車した。この列車も先ほどと同じタイプの一両編成のワンマンカーである。
向い側の座席に外人と日本人の若い女性の二人連れが楽しそうに話をしている。四国の旅を楽しんでいるようだ。ひょっとするとこれから私の行く大歩危に彼女たちも行くのかもしれないと思った。列車は美しい渓谷になった吉野川の淵に沿って進んで行く。小歩危を過ぎ、次は大歩危である。

八時三六分大歩危に到着した。私と向い側に座っていた二人連れの女性も列車から降りた。駅前は雪こそなかったが、冷たい風が吹いていて、とても温度が低いように感じた。駅の改札口で大歩危に関するパンフレットがないか尋ねたが、「何もおいてありません」という返事が返ってきた。ここから先どう行ったらよいのか全くわからない。取りあえず、駅前広場に出てみると、大きな案内板が立っていた。それには、駅から二キロ下流のところから大歩危渓谷を遊覧船に乗って舟下りを楽しめることや、駅前からバスに乗れば西祖谷にあるかずら橋を見に行けること、その途中に村の温泉施設があることなどが紹介されていた。今日はつり橋を写真に撮ることが目的なので、取りあえずそこへ行かなくてはならない。駅前のバス停の時刻表を見ると、かずら橋を通る村営バスが九時四十分に発車することが分かった。

「かずら橋行バス券あります」と駅前の酒屋の窓に紙が貼ってあるので、八百八十円を払ってバス券を購入する。待ち時間は駅前をうろうろして過ごす。先ほど一緒に列車から降りた女性たちは、どうやら遊覧船に乗るようで、乗り場の方へ向って歩いて行くのが見える。少し歩いて行くと立派な橋が吉野川に架かっていた。そこから見る吉野川は深い渓谷になっていて、きれいな水が音をたてて流れていた。大歩危渓谷は長良川の上流にある風景とよく似ているなあと思った。
再び駅前へ戻ると、かずら橋行の村営バスが停車していた。小さなマイクロバスだ。バスに乗り込むと外国人の青年がバスに乗車していた。アメリカ人だろうか。大きなリュックを持っている。日本国内を旅行しているように見える。運転手にこの地域のことを尋ねると「山の上は雪が凍結していて大変だよ。観光客は春から秋にかけて多いが、今時はほとんどいなから、かずら橋も貸切で渡れるよ」と教えてくれた。
「どこから来ましたか」といきなり外国人の青年から話し掛けられた。日本語が上手なのにはびっくりした。「名古屋から」と答えると「ぼくは豊橋からです」と思い掛けない返事が返ってきた。この青年はイギリス人で、今は愛知県の常勤講師として、豊橋西高校を含め四つの高校で英語を教えている。日本人の彼女と一緒に冬休みを利用して国内旅行していたが、彼女の方は仕事があって先に帰り、昨日からは一人旅をしている。昨日は高知市内を見学し、昨夜は大歩危駅の横でテントを張って寝たということまで詳しく話してくれた。私も小学校の教員で、冬休みで青春十八切符を使って旅行を楽しんでいるというと、「同じ愛知県の職員だね」と意気投合してしまった。
「外国人にはとても有利なJR切符があることを知っていますか」と彼は言った。彼の話によると、「その切符は日本国内では販売していなくて、日本を観光する外国人のための割安切符で、JRなら新幹線も特急も乗り放題で、七日間で二万円くらい、二十日間でも四万円くらいの値段だ」というのだ。彼は今日本で働いているので買うことができないのだが、以前はその切符で何度も旅行したという話だった。そんな割安な切符があることは初耳だった。JRはとても不公平なことをやっているのだと腹立たしく思った。
時間になり、村営バスは発車した。八人ぐらいしか乗れないマイクロバスに乗客は六人。駅前の小さなスーパーで正月の買い物をした村の人がたくさんの荷物をかかえて乗っている。細い山道をマイクロバスは上って行く。雪が道の脇に積もっているが、道路の淵には雪が積もっている。険しい山を上り、トンネルを越え、再び山を下った所が祖谷かずら橋バス停だった。

バス停から更に五分くらい下った所にかずら橋がある。マイクロバスはかずら橋の前まで行ってくれる。「帰りは、この上のバス停で四国交通のバスに乗ってください。発車時刻は十一時50分です」と運転手は親切に教えてくれた。村営バス以外にもバスが走っていることを始めて知った。

かずら橋は想像していたのとは異なってスケールが小さく、谷もそれほど深くないことが分かった。それより幻滅したのは、その橋のすぐ横には立派なコンクリートの橋があり、谷の向こう側へは立派な橋を歩いて行けば行けるのである。その橋からは、かずら橋の全景を見ることができるようになっていた。私はイギリス人の若者と一緒にかずら橋の入り口へ歩いて行った。かずら橋はすべてが蔦でできていた。入口に料金所があり、大人五百円を頂きますと書いてある。わずかに二十メートルぐらいの橋を渡るのに五百円という料金の高さにはびっくりしてしまった。私は写真が撮れればよいので、とても渡る気にはなれなかった。イギリス人の青年は、大きなリュックを背負って渡って行った。橋は凍っていて滑りやすく青年は蔦をしっかり握って一歩一歩進んでいる。私はシャッターを切った。おもしろい写真が撮れるそうだと思った。かずら橋から少し離れた所にびわの滝という高さ五十メートルの滝があったが、水が少なくスケールない滝だった。
四十分ほどで見学を終えてしまい、バス時刻までは一時間以上ある。この祖谷の村をぶらぶらすることにした。バスの通る県道を上って行くと道の両側には民宿が何軒も建っていた。ここへは年間五十万人を超える人がやって来るとのことだ。さらに五分ほど行った所が村のはずれだった。おばあさんがそうじをしているので、少し話を聞いてみる。「このあたりの村は農業で生活しています。向い山の頂上の向こうにも家があるんです。坂ばかりできつい所ですわ」と話してくれた。「この坂を上って行くと学校が見えますよ」と教えてくれたので、さっそく上って行くことにした。急な坂道を五分ほど上ると、村の全景が見えてきた。向い山の中腹に学校らしい建物も見えた。

しっかり汗をかき、バス停に戻ることにした。坂道を下って行くとバス停が見えてきた。バス停でイギリス人の青年が荷物を整理しながら休んでいた。「やあ」と挨拶して話をする。かずら橋が有料だったことに彼も一番腹を立てていた。「本来なら無料で渡れる施設にすべきだよ」と彼も私と同じ意見だった。そこへ大歩危の駅で見た二人の女性がかずら橋の方からやって来た。「やあ、こんにちは」と声を掛ける。「あなたたちは舟に乗りに行ったとばかり思っていたのでが、行かなかったのですか」と聞くと「船下りの後、バスでここへやって来て、かずら橋を今見終わってきたのです」と、日本人らしい女性が答えた。「この人はイギリスからきた人です」と私が紹介した。

いろいろ四人で話している中で、思い掛けないことが分かった。日本人とばかり思っていた女性は、台湾から仙台の大学に留学している中国人であること。もう一人の女性はオーストラリアからやって来て、今は千葉で英語の教師をしていること。二人は冬休みを利用して国内旅行をしていて、たまたま昨日泊まったユースホステルで知り合ったという。何だか国際交流会を開いているような気分になっていた。何よりもよかったことは、四人の共通語が英語ではなくて日本語だったことである。台湾からのやって来た女性は何と、外国人しか使えないJR国内フリー切符を持っていたことである。値段は割安の四万円台だった。JRに一度聞いてみなければと思った。池田行のバスがやって来たので国際交流会は終了した。オーストラリアの女性は途中の村の温泉施設で下車し、台湾から来た女性は私と同じ大歩危駅前で下車した。イギリス人は遊覧船で舟下りを楽しむため、そのままバスに乗って行った。短時間ではあったが、思いも掛けない人との出会いがあり、楽しい一時を過ごすことができた。
台湾から来た女性はこれから高松に行くというので、すぐ連絡していた列車に乗って行った。私の方はこれからどうするのか、まだ決めていなかった。取りあえず今日は高知まで行こうと決め、駅前の食堂で昼食にすることにした。野菜そばを注文する。素朴な味のそばだった。
十三時四七分発高知行普通列車に乗車。この列車も一両編成のワンマンカーである。しばらくうとうとしていて、気が付くと隣りで酔っ払いの老人が大声でわめき散らしている。私と目が合い、何か訳の分からないことを話し掛けてくる。とてもいやな気分になるが、じっと我慢して知らん顔をしていた。酔っ払いは土佐山田駅で下車していった。三十分ほどで高知に着く。まだ、高知から先、今日はどうするのか決めていなかった。時刻表を開いていろいろコースを考える。高知から窪川、宇和島まで行き、そこで宿泊し明日中に名古屋へ変えるコース。高知に宿泊し明日中名古屋へ帰るコース。まだ他にもコースがありそうだ。高知からフェリーで大阪へ出るコースもある。時刻を調べると高知発二一時二十分大阪南港行に乗ればよいことがわかった。これなら明日中に名古屋に確実に着けるし、フェリーの宿泊は夏の北海道旅行で経験していたのでこのコースでかえることに決めた。いよいよ私のきままな旅行も終わりを迎えそうである。
十五時二五分列車は高知に到着した。さっそく駅前の旅行センターに行き、フェリーの切符を注文する。観光シーズンではないので、どこの席も空いている。料金七一三〇円で二等寝台を確保した。まだ出発までかなり時間があるので、高知市内をぶらつく。賑やかな帯屋町商店街はたくさんの人でごった返していた。まだ時間が四時間近くあるので映画を見ることにした。たまたま見つけた映画館で「エンド・オブ・ザデイ」というアーノルド・シャワルツネッガー主演の映画を見た。二〇〇〇年問題も絡んでこの世の終わりを阻止するという宗教的色彩の濃い内容であった。
映画が終わって外へ出ると時刻は七時半近くになっていた。フェリー乗り場での乗船手続きを三十分前までに完了するように言われていたので、後一時間くらい残っていた。高知で旅行最後の夕食を食べようとその辺りをうろうろする。高知名物のカツオの刺身が食べたい。こういう時はなかなかいい店が見つからないものだ。大通りに「うな泰」という小さな寿司屋を見つけて中へ入った。こじんまりした寿司屋だが、店の中には六人の職人が働いていた。なかなか繁盛しているようだ。さっそくビールとカツオの刺身を注文する。ビールを飲みながら、店内を見まわすと頭の上に色紙が何枚も飾ってある。藤田まことの「仕事渡世人、またの名をはぐれ刑事と申します」の色紙がある。その下には真野響子の色紙も飾ってある。有名人がかなり訪れている店のようだ。カツオの刺身が出てきた。薄く切ったニンニクが載り、ビールには最高の味であった。続いてにぎりを注文する。こちらの方もなるほどとうならせる味だった。特にうなぎは美味しかった。
フェリー乗船の手続き時間が近づいたので店を出る。タクシーを拾い高知港へ行く。がらんとした建物で乗船手続きを終え、埠頭に停まっているフェリーの階段を上り船内に入る。出港までまだ四十分近くあるのか、船内は静かだった。十年ほど前の夏にこのフェリーに乗ったことがあるが、その時船内は人で溢れていて、甲板で毛布を敷いて寝た思い出がある。年末に、高知から大阪に向けて旅をする人は多くないようだ。船内受付で今晩泊まる二等寝台の場所を聞き、部屋へ移動する。八つのベッドが並んでいて、私の場所は入口の下段だった。一つのベッドのカーテンが閉まり、靴が脱いであった。すでに人が休んでいた。

定刻の二一時二十分、フェリーは静かに港を出航した。ブリッジから真っ暗な闇の中に高知の街の明かりが輝いて見えた。空を見上げると、真っ暗な空にたくさんの星が輝いていた。今夜は雲一つない快晴のようだ。まだ、街の明かりが空に反射しているので、それほどたくさんの星は見えないが、船が沖に出れば、きっとたくさんの星がみえるのではないだろうかと思った。気温は低く、強い風も吹いていて急速に体温が奪われて行く。防寒服を着て、出直すことにした。
午後十一時、再びブリッジへ行く。船は室戸岬の沖合いを通過している頃ではないだろうか。水平線の方向にかすかに町の光がみえる。空を見上げてびっくりした。満天、星の海だった。オリオン座の三ツ星が明るく輝き、大星雲も淡く光っている。すばる星もぼっと光っている。北斗七星が水平線から上ってきたような位置に輝き、天の川が細長く空を横切っていた。旅の最後の夜をフェリーで過ごし、そして最高の贈り物を貰ったことに感謝し、ポケットから取り出したウィスキーで乾杯した。いよいよ明日は名古屋に帰る。きままな列車の旅も無事終了できそうだ。
追記
第4日目は、大阪南港から地下鉄を乗り継いで天王寺へ出、そのあと関西線を走る普通列車を乗り継ぎ、12時無事名古屋駅に到着した。