中央本線~東海道本線~身延線~中央本線を巡る 手元に未使用切符の二枚残った「青春十八きっぷ」がある。この切符が使えるのは一月二十五日までである。今日は一月二十一日、金曜日。明日から始まる連休が使用できる最後のチャンスになる。
年末にもこの切符を使って、列車旅行をした。その時は、北陸本線で敦賀へ出て、そこから小浜線を経由して山陰本線の豊岡で一泊。二日目は、そこから餘部鉄橋まで行き、その後、播但線を経由して姫路ヘ。そこで山陽本線に乗り換え岡山へ。そして瀬戸大橋を渡って高松で一泊。三日目は高松から土讃線で大歩危・小歩危を見学し高知ヘ。高知からは大阪行きのフェリーに乗って、三日目は船の中で宿泊。四日目は大阪から関西本線で奈良を経由して名古屋に戻る旅行をした。
夕食も終わり、食後のブランディーを飲みながら、気ままな列車旅行の目的地を探そうと、時刻表を調べ始めた。今回も、幾つかの線を乗り継いでぐるっと回ってくるコースを考えていた。そこで思いついたのが、高蔵寺から名古屋へ出て、名古屋から東海道本線を東に進み富士市ヘ。富士から身延線に乗り換え甲府へ出て、甲府から中央本線に乗り換え、塩尻を経由して高蔵寺に戻ってくるコースである。これなら一日で周れそうだ。切符は二枚。この旅行に誰かを誘うこともできる。酒の勢いもあって、職場の秋山さんに電話をした。秋山さんとは今まで何度か旅行に出掛けたことがあり、私の旅話も楽しそうに聴いてくれる職場の同僚である。突然の電話に秋山さんも驚いたようだが、「明日、暇だったら私の物好きな旅行に付き合ってくれませんか」という私の誘いに彼は快く答えてくれた。楽しい旅になることを期待して床に着いた。
一月二十二日(土)、六時三十六分高森台西発、高蔵寺駅行のバスに乗車。土曜日なのでいつもなら満員になるバスも、乗客が少ない。六時四十五分高蔵寺駅到着。秋山さんには六時五十三分発の名古屋行列車に乗るように連絡してあったが、彼は改札口で「いやー今日は列車に乗り続けるという旅だそうだね。ちょうど暇をもてあましていた所だったから、ご一緒させてもらうことにしたよ」と笑顔で私を迎えてくれた。「青春十八きっぷ」の最後の欄に二つ検印を受け、プラットホームに急いだ。「帰りの予定は今晩八時ごろですよ」と階段を上りながら、秋山さんに話した。果たして予定通り帰って来ることができるのだろうか。いよいよ気ままな列車旅行が始まった。
六時五十三分高蔵寺発、名古屋行普通列車に乗車。平日、この列車はほぼ満席で走っているのだが、今日はガラ空きである。土曜休日は定着してしまったようだ。「朝ご飯は食べてきたのですか」と秋山さんに聞くと、「うちのかみさんは、いつも朝ごはんは作ってくれませんよ。自分で用意して食べていますから、今日もそうですよ」と笑いながら教えてくれた。私は、今日は列車にずっと乗っているのだから、朝ご飯は駅弁でも買ってと考えていたので、「豊橋で乗り換え時間があるので、そこで駅弁を買うつもりです」と秋山さんに告げた。
守山を過ぎる辺りで、東の空が明るくなり始めた。今日の天気予報は、曇り後雨ということだった。今日の旅行では、楽しみの一つに、富士山の姿を間近で見ることも入っているのだが、この天気では少し難しいかもしれないと思った。
七時十五分列車は定刻通り金山駅に到着した。ここで、東海道本線に乗り換える。乗り換え時間は八分。少し余裕がある。ゆっくり歩いて離れた所にあるホームへ移動した。寒いホームで新快速豊橋行を待っていると、リュックを背負った年配のグループが階段を降りて来た。私たちと同じ列車に乗るようだ。どこへ行くのだろうか。中央本線沿いには歩いたり山登りをするコースがたくさんあるのだが、豊橋に向う東海道沿線にはそのような所はほとんどないので、不思議に思った。
七時二十三分金山発新快速豊橋駅行に乗車。七両編成の車内は結構席が詰まっている。列車はかなりスピード上げて走って行く。沿線は家や工場が隙間なく続き、中央本線で見られる田んぼや畑、山並みは全く見ることが出来ない。「やっぱり、中央本線はいいですね」と秋山さんが言う。私も「全く同感です」と相槌を打った。以前、私は名古屋の真中、熱田区に住んでいた。「もっと自然がたくさんある所に住みたい」と思っていろいろ家を探していた折、この秋山さんに「私の住んでいる近くに一軒家が空いている」と紹介されたのである。さっそく高蔵寺へ見に行ったところ、大きな庭のある家で、周りは小高い山に囲まれ、自然環境には恵まれていた。買い物や通勤には不便だが、思い切って引越した。それが縁で、秋山さんとは、それから一緒に酒を飲んだり、旅行に行ったりするようになったのである。それ以来、毎日、田んぼや畑や山並みを見ながら旅をしている気分になっているのは事実だった。きっと秋山さんも私とよく似た気持ちなのかもしれないと思った。岡崎を過ぎた辺りから車窓の風景に田んぼや畑、山並みが見え始め、やっと旅に出たという気分になってきた。
八時八分豊橋に到着。何と金山から僅か四十五分で着いたことになる。十年前には名鉄電車とJR、どちらが早く名古屋・豊橋間を走るかで競争していたのだが、今では名鉄に大きく水を空けてしまったようだ。ここでの乗り換え時間は十五分ある。豊橋駅は昨年新しく改装が終わり、実に立派な駅に変身した。駅の売店も何軒か並び、いろいろな物を売っている。私は、朝ご飯を仕入れに売店へ行った。おにぎりと、まだ朝早いが、旅行には欠かせないカップ酒とつまみの竹輪を買った。秋山さんもアルコールには目がない人だから、私と同じくつまみとカップ酒を買った。
発車時刻が迫ってきたが、まだ、列車は入ってこない。今度乗る列車は、豊橋駅が始発である。通勤型の列車だったらいやだなあと思っていると、黄色とグリーンで塗り分けられた列車が静岡方面から入って来た。この列車が、すぐ折り返して三島行になるとアナウンスが流れた。旧い型の列車でボックスシートである。これならゆっくり車窓を眺めながら旅が楽しめそうである。
八時二十三分、三島行普通列車は発車した。ボックスシートを二人で占領し、車窓を眺めながらカップ酒で乾杯した。これだから列車の旅は最高である。しかし、近くに座った客は、いきなり酒を飲み出した二人のおじさんにあきれていたのではないだろうか。浜名湖が左手に見えてきた。「浜名湖の北に少しアップダウンのきつい姫街道という旧い道が残っています。つい最近も歩きに来ました。春に職場のみんなを誘って歩きに来たいと思っているのですが、みかんが一杯実を付けている山の上から見る浜名湖の景色はなかなか趣がありますよ」と話した。
浜松に近づくに連れしだいに客が増え、とうとう二人で占領していたボックスシート席も譲ることになった。
清水を過ぎ、列車の右手に駿河湾が見えてきた。波間には船が浮かび漁をしている。この地域ではサクラエビ漁が盛んだ。そろそろサクラエビ漁が本格的に始まる季節を迎える。サクラエビのかき揚げは最高の味である。天気がよければ、ちょうどこの辺りから富士山の美しい姿が見えるのだが、今日は残念ながら見えない。
十時四十二分富士到着。ここで身延線に乗り換えなくてはならないが、乗り換え時間は僅かに四分。階段を駆け上がり、迎え側のホームへ急ぐ。二両編成の列車に乗ると同時に発車のブザー鳴った。今日の旅行ではここの待ち合わせ時間が少なくて心配していたのだが、無事乗り換えることができ一安心。乗車したのは、いつも中央本線で乗っている青いボックスシートのある列車である。考えてみればここもJR東海の営業区域である。同じ型の列車が走っていても当然なのだろうが、名古屋からは、かなり遠い身延線に同じ型の列車が走っていることにびっくりした。身延線は初めての乗車なる。旅行の本には景色が大変素晴らしい線路としてよく紹介されているので楽しみである。ぼぼ満席になった列車は静かに発車した。
遠くに富士山のうっすらした姿が見える。とにかく富士山の姿が見られて少し嬉しい気持ちになる。身延線は周りより少し高いところを走っているので、本来なら真正面に富士山がそびえているようだ。天気がよければなるほど絶景である。列車はトンネルを幾つも通り抜けて、ゆっくり山を上っていく。「景色がいいですね。やっと旅行に来た気分になりましたよ」と秋山さんが声を出して私を呼んでいる。右手に大きな川が迫ってきている。冬枯れの山と白い川原の色がなかなか趣のある景色だ。地図で調べると富士川とある。今はほとんど水はないが、きっと梅雨時には水が激しく流れているのだろう。
十一時五十六分、列車は身延に到着。単線なのでこの列車はここで二十五分近く停車するとアナウンスが入る。せっかく身延線までやって来たので、どこかで途中下車して見学しようと出発の時から考えていたのだか、ここで、途中下車して身延山を見学することにした。もちろん秋山さんからは、「それはいいですね。ぜひ行きましょう」と快い返事が返ってきた。次に乗る十四時七分発甲府行特急列車までは二時間ある。さっそく駅前にある観光案内所に身延山までの道筋を聞きに行った。「二時間あれば身延山の本堂だけなら何とか見て来られますよ。バスが駅前から出ているからそれに乗っていくと便利ですよ。身延山までは十五分くらいだね」と係のおじいさんが、親切に教えてくれた。
バス発車は十二時二十五分。二十分近くあるので駅前の食堂で昼食をとることにした。「時間がないのですぐできるものにしてください」と店のおばさんに言うと、「それだったら、ざるぞばだね」と五分も経たない内にざるそばが運ばれてきた。腰がかなり強いそばで、これなら時間が経っても伸びる心配はいらないなと思った。店の中に大きな水槽があり、富士川に棲むいろいろな種類の魚が泳いでいた。

十二時二十五分、駅前から十人くらいの乗客を乗せてバスは発車した。駅前に通りには仏壇店が何軒も並んでいるのがバスの中から見えた。身延山には日蓮宗総本山久遠寺がある。パンフレットには「身延山は今からおよそ七百年の昔、日蓮大聖人がその晩年を過ごした霊山である」と説明があり、たくさんの宿坊やお寺が地図にかかれている。毎年全国から大勢の人がこの身延山へお参りに来ていることが町の様子から伺えた。
山道をバスはゆっくり上って行く。山交バスの車内に「乗り降り自由」という案内が出ている。「バス停でなくても運転手に知らせればどこでも停車します」と書いてある。ここで「降ろして」と声を出せば、停まってくれるのだろうか。残念ながら、終点まで途中で乗り降りした乗客はいなかったので、その場面を見ることが出来なかったが、今時、のどかさを感じさせる珍しいシステムだ。
大きな山門をくぐり抜け、しばらく走ったところが終点だった。運賃二百八十円を払ってバスを降りる。道の両側に土産物屋や飲食店が建ち並び、店先では白い湯気を上げている。気温が低いので、よけいに暖かさを感じさせる。近づいて見ると、名物の饅頭を蒸している湯気だった。「湯葉あります」の幟があちらこちらの店先にたくさん立っている。身延山は湯葉や豆腐料理が有名なようだ。帰りに土産物店は覗くことにして、本堂への道を急ぐ。
緩やかな上り道を十分近く行った所に大きな山門があった。ここから本堂へは急な石段がずっと続いているのが見える。「さあ、上りますか」と秋山さんが石段を上り始めた。日頃から山登りで鍛えている秋山さんにとっては格好の石段のようである。ひょいひょいと秋山さんは上って行く。私も後から追いかけるがとても追い着けない。百段近く上った所で、私は一休み。まだ石段はずっと続いている。何人もの人が私と同じように途中で休んでいる。一体どのくらい石段があるのだろうか。三百段はあるのではないだろうか。再び歩き始める。ますます息がはずみ、十段上っては休み、また十段上っては休むという状態になってしまった。秋山さんの姿ははるか向こうに見える。二十分近くかかりやっとの思いで本堂前に着いた。「いやー上りガイがありましたね。さすがに総本山だけありますね」と秋山さんは汗を拭きながら満足そうに石段を見下ろしていた。後で調べたらこの石段は百四メートル、二百八十七段あることが分かった。本堂へはこの石段の他に男坂、女坂を上る行き方があることが地図に書かれていた。

本堂はさすが総本山にふさわしい立派な建物で威厳があった。中に入ると金色に輝く舎利殿や祭壇があり、天井には勇壮な龍の絵が描かれていた。法要の日にはここは参拝者で一杯になり読経が響いているのだろう。今日は人もまばらで閑散としていた。この本堂からさらに上った所が奥之院である。そこへはロープウエーで行くことが出来る。奥之院からは東に富士山、西に七面山、南には駿河湾を望め、絶景とのことだ。
時間も残り少なくなり、本堂を出発した。帰りは男坂を下ることにした。石段に比べれば勾配は緩いが、それでもかなりきつい坂道である。途中、上ってくる人とすれ違ったが、どの人もかなり息を弾ませていた。日蓮宗総本山久遠寺への参拝は楽ではないようだ。あっという間に坂を下り、山門前到着した。少し時間があるので土産物店に入る。湯葉を加工した土産物がたくさん並んでいた。地域の特色を生かした品物が多いのには感心した。
十三時四十分バスは身延駅に向って発車した。車内はほぼ満席である。帰りのバスも途中での乗り降りはなく「乗り降り自由」の光景は見ることが出来なかった。
十四時七分発甲府行特急「ふじかわ七号」に乗車する。特急に乗車する時は「青春十八きっぷ」は使用できないので、乗車券と特急券を購入した。列車は富士川に沿って走って行く。特急列車なのに、しばらく走るとすぐ次の駅が来て停車するのでこれで特急なのかと疑問に思った。時刻表で調べると、僅か四十キロの間に停車駅が七つもあった。
十四時五十九分甲府に到着。「甲府は十年ほど前に息子と富士登山をした時に下車したことがあります。その時はここから河口湖行のバスに乗車しました。明くる日、富士山に登りましたが、山頂で見たご来光は素晴らしかったですよ」と秋山さんに話すと、「僕は昨年の夏にこの甲府駅の改札口で寝てたんですよ。友人と南アルプスに登ったのですが、その時に旅館に泊まるのも高いので、この改札口で寝たんですよ。そしたら夜中にここは改札口だからもっと離れた所で寝てくれと駅員に言われましてね。列車なんか走っていないのに、本当に腹が立ちましたよ」とおもしろい話をしてくれた。

甲府から中央本線に乗り換え塩尻へ行く。乗車するのは十六時三十六分発小淵沢行普通列車である。待ち時間が一時間三十分近くあるので、甲府市内をぶらぶら歩くことにした。観光案内所でパンフレットを貰う。パンフレットで調べると、駅のすぐ南には甲府城跡を公園にした舞鶴公園がある。駅の北およそ二キロの所には武田信玄が館を構えていた武田神社がある。私たちは、少し遠いが武田神社まで行くことにした。駅前の通りをまっすぐ北に向って歩いて行く。道は緩い上り坂になっているようだ。「武田通り」という表示が所々にかかり、歩道はレンガが敷き詰められてよく整備されている。山梨大学の前を通り、しばらく行った所に武田神社はあった。神社の前には土産物屋が何軒も並び、結構繁盛している様子だった。いろいろな漬け物がメインのようだ。ここからは甲府の町が一望できた。周りは小高い山に囲まれてなかなか眺めのよい所だった。
急ぎ足で甲府駅に戻る。時間は短かったが、列車に座りっぱなしの旅行にはちょうどよい運動になり、気分も爽快になった。
十六時三十六分発小淵沢行普通列車に乗車。車内は学生たちで満員である。山梨大学の前にある予備校で、センター試験を終えた受験生におしる粉を振舞っていたことを思い出した。今日はセンター試験が行われた日なのでその帰りなのだろう。窓の外を見ると、薄暗くなった中に高い山の峰がずっと続いている。「あれは南アルプスですね」と秋山さんが教えてくれる。暖冬で山頂には白い雪があまり見られなかった。
十七時十五分すっかり暗くなった小淵沢に到着した。ここで、十七時二十五分発松本行普通列車に乗り換えた。「お腹が少し空いてきましたが、夕食はどうしますか」と秋山さんが言う。「この先の塩尻は大きな駅ですから、そこで弁当と酒を買う予定にしているのですが」と私が答えると「納得」と彼は頷いてくれた。
十八時十六分、列車は塩尻に到着した。ここで松本から来る普通列車中津川行に乗り換える。いよいよ気ままな列車の旅も最終コースに入った。弁当と酒を買いにホームの売店へ行く。「えっ、弁当はこれだけしか残っていないの」と思わず声が出てしまう。いろいろな種類の弁当が並んでいるとばかり予想していたのに、五つほどしか弁当は残っていなかった。「さっき団体さんが来て、たくさん買っていったからこれだけしか残っていません」と売店のおばさんはすまなさそうに言った。私は幕のうち弁当を、秋山さんはサラダ街道弁当を買った。もちろんカップ酒もそれぞれ二本ずつ買い込んだ。
十八時三十七分中津川行普通列車が入って来た。何と列車は満員である。「えっ、これじゃあのんびり座って、弁当を広げてということはできないのか」と残念な気持ちで列車に乗車した。車内は学生たちで溢れていた。センター試験を松本で受験した学生たちのようある。車内を移動すると空いている座席がある。何とか二人の座席を見つけることができほっと一安心。さっそく弁当を広げて食べ始めた。美味しい幕のうち弁当である。秋山さんのサラダ街道弁当もいろいろなおかずが並んでいて楽しくなる弁当だ。美味しい弁当で酒もすすむ。
駅に停まる度に学生たちが少しずつ降りて行く。今日のテスト結果が今後の進路を決めることになるのだろが、大学入試の厳しさが彼らの表情から伝わって来るようだ。
心地よい気分になり、少しうとうとする。もう列車は南木曽近くを走っていた。間もなく中津川である。二十時二十分中津川に到着した。いよいよ今日最後の乗り換えである。向い側に停まっている二十時二十五分発名古屋行快速列車に乗車した。突然女性の声でアナウンスがあった。何と車掌は女性だ。今までJRにずっと乗ってきたが、女性の車掌の声を聞いたのは初めてだ。秋山さんも初めてだという。名鉄電車では女性の車掌を時々見かけるが、JRも女性の車掌が増えて行くのだろうか。多治見を過ぎた辺りで彼女が車内を通り過ぎて行った。小柄の若い女性であった。
二十一時十四分雨の高蔵寺に無事到着した。今日乗車した距離は五七九.八キロメートル。所要した時間は十四時間。「こんな長い時間列車に乗った旅行は始めてだったが、結構変化もあって楽しかったよ」と秋山さんが感想を言ってくれた。彼にとっては突然の電話から始まった旅なのだが、喜んでもらえて本当に嬉しく思った。また、機会があったら、馬鹿な旅に誰かを誘ってみようかなと私は思った。