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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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韓国に一番近い島 壱岐・対馬の旅 3

3 3月20日(水)壱岐島内巡り
 
 午前6時起床。頭がボッとしている。前日の焼酎の飲み過ぎがたたっているのだ。ペットボトルのお茶を飲む。あっという間に1本が空になってしまった。熱いシャワーを浴び、少しすっきりしてきた。午前7時過ぎ、1階のレストランへ行く。和定食が出て来た。アジの干物、海苔、タクワン、梅干、ワカメの味噌汁、それに大きな生たまごが付いていた。ご飯をお代わりした。少し二日酔い気味だが、体調は万全のようだ。

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 部屋へ戻り、荷物を整理した。窓から港を見ると、漁船が忙しなく走っていた。漁を終えて来たようだった。今日は雲一つない上天気だ。壱岐の美しい海や山の景色が見られそうだ。テレビからは、鈴木宗男氏と加藤紘一氏の辞職勧告を巡るニュースが流れていた。
 
 9時少し前に、郷ノ浦本町バスステーションへ行った。受付で、定期観光バスのチケットを購入した。1日コースは、5200円だった。島内をタクシーで回れば、5万円近くになるという。昼食や入館料を含み、バスガイドの説明もあるのだから割安だと思った。

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 定期観光バスに乗車したのは、私一人だった。たった1人の客を乗せて、バスは発車した。「今日はご乗車ありがとうごさいます」と美しいバスガイドさんに言われて、恐縮するしかない。「たった1人の客しかいないのに、バスを走らせるのか」今の時代には全く不思議な話だった。運転席の隣りの席を1人占めにした。「お客さん、これから港へ行きます。朝一番の船でお客さんが着くかもしれませんから」とバスガイドさんが言った。「定期観光バスは、事前の予約が必要」とパンフレットには書いてあったが、時間に間に合えば予約なしでも乗車できるようだ。
 
 郷ノ浦港は、船を待つ人で混んでいた。制服を来た中学生がたくさんいた。別れを惜しんで泣いている子もいる。卒業式を終え、進学するのだろうか、それとも就職するのだろうか。映画の一場面を見ているようだった。やがて、船が遠くに見えて来た。昨日乗ったジェットフォイルだった。すごい速さで海上を走っていた。乗っている時よりも、見ている方が、スピード感がある。船はみるみる内に近づいて来て桟橋に横付けした。ガイドさんと一緒にお客さんが来るのを待っていたが、残念ながら新しいお客さんは来なかった。ガイドさんは、残念そうな顔をしながら、再びバスに乗車した。

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  最初の見学地は「城山公園」だ。壱岐を南北に縦断する国道382号線をバスは走って行った。国道382号線は、佐賀県呼子町から海上を走り、壱岐を縦断し、再び海上を走り、対馬を縦断しているという。海上はフェリーの航路が国道になっているのだ。「壱岐は平な島です。一番高い山でも標高が213mですから」とガイドさんが後の席から説明してくれる。「産業は農業と漁業と観光です。東西15km、南北17kmの島はなだらかな丘が続き、田んぼや畑がたくさん作られ、米や野菜は100%自給しています。農業人口は7000人くらいでしょうか。周りは海に囲まれていますから、漁業は盛んです。三つ目が観光です。魏志倭人伝にも、『一支国』として紹介されています。古墳や遺跡などが数多く残り、景色も海も美しいですから、夏にはたくさんの観光客で賑わっています」客が1人では、もう一つ力が入らない様子だが、詳しく説明してくれる。

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 「城山公園」は郷ノ浦から島を10数キロ縦断した島の北にあった。ここは豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、急造した勝本城の跡で、展望台からは勝本の町や港が美しく見えていた。「向えの島は自衛隊の基地です。一般人は島へ渡ることはできません」とガイドさんが教えてくれる。山桜が満開で、花吹雪が舞っていた。城跡を巡り、階段を下りた所に「御柱」が建っていた。「これは長野の諏訪神社から運んできたものです。諏訪市と姉妹都市になっているので、贈られたのです」と説明してくれた。その横に「河合曽良」の句碑も立っていた。松尾芭蕉と一緒に「奥の細道」を歩いた俳人で、河合曽良はこの壱岐で亡くなったということだった。ガイドさんの話はたいへん勉強になる。「私の説明に質問しては、絶対にいけませんよ」とガイドさんからきつく言われていたので、もちろん質問はしなかった。
 
 次の見学地は、「かつもとイルカパーク」だった。「なぜここにイルカパークができたのか」というイキサツはすごい話だった。「20年ほど前のことですが、イルカの被害に困っていた漁師さんたちが、大量のイルカをこの勝本町の湾内に追い込み、撲殺したのです。湾内はイルカの血で真っ赤に染まったということです。それが、ニュースで世界中に報道され、外国の自然保護団体も抗議にやって来たそうです。『壱岐の人は酷いことをする』と世界中の評判になりました。汚名返上ということもあって、ここにイルカパークを作ってイルカを保護しようということになったのです。今でも漁師さんたちは、イルカの被害が絶えなくて困っているそうですが…」ガイドさんの話を聞いていて、私も「イルカ撲殺事件」があったということを思い出した。

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  大きなプールにイルカがのんびりと泳いでいた。「現在13頭のイルカがいます」と表示が出ている。よく見ると、このプールは海とつながっているようだった。「逃げていかないのですか」と聞くと「海との境には網が張ってありますが、ジャンプすれば海へ出られるようになっています。イルカの中には海へ出て行くものもいますが、逆にここへ入ってくるものもいます。ここは、いつも餌が貰えますから」とガイドさんは笑っていた。餌をやる時間になり、訪れていた観光客が魚を持ってイルカに近づいて行った。イルカたちは観光客のすぐ側まで近づいて来て、大きな口を開けて餌をもらっていた。口の中へ手を入れてもイルカはよく慣れていて、噛みつこうとはしなかった。ここで訓練を受けたイルカが全国のイルカパークへ送られているという。「そこで、うまく生活できなかったイルカは、またここへ戻って来るのです」という話には驚いた。全国にはいろんなイルカパークがあるのだろうが、海とつながったイルカパークはここだけなのだろうか。

  現在もイルカやクジラを巡って血生臭い話が話題を呼んでいるが、壱岐の人たちが、過去の事件を教訓にして、自然と人間の関わり方について、新しい取り組みを始めていることには拍手を送りたい気持ちだった。しかし、壱岐の人たちには、「イルカ撲殺事件」は今も、脳裏に強く焼き付いているようだ。壱岐ではこの事件はタブーになっているのかも知れないと思った。

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 次の見学地は「勝本漁港の朝市」だった。ここは、観光客相手ではなく、地元の人たちを相手にした素朴な朝市だった。ガイドさんに、道行く人や店番のおばあさんが気さくに声を掛ける。「壱岐は小さい島だから、みんな知合いですよ。あれは誰の車か、車を見ただけでだいたい分かりますから」とガイドさんは笑っていた。畑から掘って来たばかりの野菜や新鮮な魚がたくさん並んでいた。

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 午前中の最終見学地「壱岐焼酎工場」へ行った。小さな酒蔵で焼酎が作られていた。壱岐では麦焼酎は16世紀ごろから作られ始めたそうだ。豊富な地下水を使い、大麦と米麹から麦焼酎が作られる。ちょうど麦を蒸している所だった。狭い部屋には白い湯気がもうもうと立ち込めて、活気が伝わって来た。2年ほど寝かしてやっと焼酎は完成するということだった。試飲コーナーもあり、何種類か焼酎を味わった。45度という古酒は、沖縄の泡盛に似た味だった。「お土産に焼酎はいかがですか」とお上さんに言われたが、まだ、旅が続く私には焼酎は重過ぎる。「いりません」と断るのはとても辛いことだった。

  午前11時過ぎ、郷ノ浦本町バスターミナルへ戻った。「12時20分に迎えに来ますから」とガイドさんは言うと、バスで行ってしまった。食事が、壱岐交通ホテルの食堂に準備されていた。美味しい鯛の刺身が付いていた。食事は終わったが、待ち時間が1時間近くあるので、町をぶらぶらした。面白い神社を見つけた。「塞神社(さえじんじゃ)」という表示がある。巨大な男根が、入口と祭壇に祭ってあった。縁結び・安産・商売繁盛などのご利益がある神社だと説明があった。細い路地には朝市が並び「干物はいりませんか」とおばあさんに勧められた。旅の途中だからと断ったが、朝仕入れたイワシやアジを棒に刺して、干物を作りながら販売している所が面白かった。本当に素朴な朝市だった。小高い丘へ通じる道を上って行くと、小さな美術館があった。「水彩画や彫刻が展示してあります」と案内が出ていたが、入館料500円となっていたので、入るのを止めた。

 12時20分定刻通りにバスはやって来た。おじさんが一人乗車し、お客が二人になった。「港で予約された人がいますから、もう少しお客さんが増えます」とガイドさんがにこにこしている。郷ノ浦港で5人の団体さんが乗車し、お客さんは全員で7人になった。大きなバスはそれでも、ガラガラだが、ガイドさんに力が入って来た。マイクを取り出し、元気一杯の声を出し、冗談も盛んに飛ばして説明を始めた。「やはり、観光バスはこうでなくちゃあいけない」と思った。

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 午後の最初の見学地は「岳ノ辻展望台」だった。壱岐で一番高い山だ。山頂の展望台から、壱岐の美しい海が見えていた。九州や対馬も透みきった日には見えるというが、霞みがかかり、見ることはできなかった。一緒に乗った団体さんが、盛んにシャッターを切っていた。

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 続いての見学地は「黒崎半島の砲台跡」だった。第2次世界大戦中に、山をくり抜いて造った巨大な要塞で、口径41cmの大砲が取り付けられていた。対馬海峡を通る軍艦を攻撃するために造られた砲台で、砲弾は30kmも飛んだという。実際には1度も砲撃することもなく、戦後解体され、今はそのコンクリートの要塞だけが保存されていた。真っ暗な洞穴を歩いてみて、巨大な大砲が付いていたことがよく理解できた。平和の大切さを知らせる生きた教材だと思った。入口に掲示板があるだけで、ほとんど放置状態になっていたが、町としてもっと積極的に利用ですべきではないだろうかと思った。

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 次は砲台のすぐ近くの「猿岩」へ行った。壱岐のパンフレットには必ず登場しているおもしろ形をした岩である。思わず、吹き出したくなるほど猿にそっくりだった。この岩が見つかったのは最近のことだという。手前に林があって、近づけなかったが、壱岐の観光地を探そうという取り組みの中で、偶然にも発見したということだった。今は公園になり、売店もできて、壱岐に来たほとんどの人が訪れる観光地になっているということだった。「戦時中は、兵隊さんが演習で上っていたそうです。しかし、人の手は一つも入っていません。すべて自然が造ったものです」とガイドさんは強調していた。

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 午後のコースは見学地が多いようだ。次に行ったのは「鬼の岩屋」と呼ばれる古墳だった。「長崎県北松浦に住んでいた鬼が、海を渡って壱岐へ来て、ここに岩屋を造った」という伝説が残っているという。実際には、6世紀から7世紀にかけて造られた円墳で、横穴式の石室があり、中まで入って見学することが出来た。壱岐は古墳が多く、200近くあるということだった。古くから朝鮮や中国と交流があったことがその数からも推測できるようだ。
 
 バスは、島を東西に横断し、東の芦辺町へ向った。「壱岐の人は水や電気はどうしているのですか」という質問すると「壱岐は地下水が豊富で、水道は大部分が地下水です。ダムも幾つか建設されていますが、主に灌漑用水として利用しています。電気は、島内に火力発電所があります。最近、新しく火力発電所が増設されました。壱岐は強い風が吹きますので、実験的ですが、風力発電も始まり、今は2基の風車が回っています」とガイドさんは自信を持って答えてくれた。
 
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 「左京鼻」という断崖絶壁の所へ行った。黒い岩礁が真っ青な海の中から突き出ていた。すぐ近くの岩礁では、5人ほどの釣り客が腕を振るっていた。「釣船で渡るのです。船頭がさんが忘れてしまって、置き去りになったということもありましたよ」とガイドさんは笑っている。「釣も命がけだなあ」と思った。断崖の先端まで歩いて行った。団体客の二人が、何と、断崖絶壁の隙間を飛び越えて、少し離れた所にある岩へ渡った。無謀な行為に思えたが、みな平気な様子で見ている。高所恐怖症の私にはとても信じられない光景だった。

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 まだまだ見学は続く。次は、「はらほげ地蔵」だった。海の中に六つのお地蔵さんが並んで立っている。「はらほげ」というのは、「お腹に穴が開いている」ということをこの地方の言葉で言ったものだそうだ。赤い前掛けを上げると、確かに、お腹に丸い穴が開いていた。赤い帽子と赤い前掛けが美しい海に映えていた。可愛らしいお地蔵さんたちだった。
 
 バスは、火力発電所のある青島の横を抜け、「原の辻遺跡」へ移動した。ここは弥生時代の壱岐国の首都があった所だ。今も発掘調査が続いている。展示館には発掘された土器や矢尻、古銭、人骨などが並んでいた。弥生時代に船着場が作られていたという跡も発見され、注目を集めているということだった。

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  最後の見学地は「ウニ工場」だった。生ウニを加工して瓶詰め作業をしている所が見学できた。「お帰りには、ウニをどうぞ」という仕掛けになっていた。「土産物より土産話を期待しているから、何にも買ってこんでもいいが」と上さんの言葉を思い出したが、壱岐土産に「ウニのふりかけ」と「青さのり」を買った。また、叱られそうである。
 
 午後4時半、バスは郷ノ浦本町バスターミナルに到着した。ガイドさんの力の入った説明で壱岐のことがだいぶ分かったように思った。短時間でその土地のことを知るには定期観光バスに乗るに限ると思った。
 
 今晩の宿は、勝本町湯ノ本にある国民宿舎「壱岐島荘」である。バスターミナルから「勝本行」のバスに乗り、30分ほどで到着した。湯ノ本は名前の通り温泉が涌き出ている。島内で温泉が涌き出ているのはここだけだそうだ。バス停から少し歩いた小高い丘の上に国民宿舎はあった。1泊2食付きで6660円と格安の料金である。眺めのいい海側の部屋へ案内された。「湯ノ本湾は、壱岐の松島といわれています」とガイドさんが話していたが、オレンジ色に輝いた夕日が島影に沈もうとする景色は、本当に美しかった。

  風呂へ行く。使用時間が「大浴場は8時半まで、その後は家族風呂を利用すること。朝は7時から使用できる」など、使用のきまりが細かく決められていた。こんなところが、国民宿舎らしいと思った。湯は熱く、少し茶色い食塩泉だ。飛沫が口の周り付いて、塩辛い感じがした。きりっとする感じの温泉だった。すっきりした気分になって風呂から上がった。

 夕食は午後6時から7時半までとなっていた。食堂へ行くと、10人ほどの人が食事を始めていた。焼酎を注文し、静かに食事を始めた。隣の席で4人の老人が賑やかに話しをしながら食事をしている。よく見ると、一人の老人が、片手で大きな人形をしっかり胸に抱いていた。何か深い訳がありそうだと思った。老人は、大切な子どもと一緒に旅をしているのだろうか。不思議な光景だった。食事を終え部屋へ戻った。昨日は飲み過ぎたこともあり、夜は静かに部屋で過ごした。「国民宿舎での正しい夜の過ごし方」だったようだ。それにしても、部屋が煙草臭いのには参った。タバコを吸う人の部屋と吸わない人の部屋をきちんと分けてくれるようになると、もっと国民宿舎らしくなるのではないだろうか。



[ 2013/03/23 07:51 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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