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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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韓国に一番近い島 壱岐・対馬の旅 4

4 3月21日(木)壱岐から対馬へ 

 午前6時起床。外は強風が吹き、雨も激しく降っている。今日は1日あれる雰囲気のようだ。今日は、壱岐から対馬へ午後のフェリーで渡るのだが、フェリーは運行するのだろうかと思った。

 午前7時になったので、風呂へ行った。風呂場はけっこう混んでいた。泊り客は皆、この時間を待っていたようだ。熱い湯に浸かり、気分もすっきりした。
 
 食堂へ行く。昨日と同じテーブルに私の食事が用意してあった。和定食だった。ここにも大きな生卵が付いていた。食堂の窓から海が見えるが、沖合いは白波が立っている。雨は小降りになってきたようだ。食事を終わる頃、昨日見た4人の老人が食堂へ入って来た。やはり、一人の老人は、大きな人形をしっかり胸のところに抱いていた。涙なしでは聞けない物語が人形にはあるのだろう。

 バスの発車時刻は9時14分。それまで少し時間があるので、部屋でスケッチすることにした。花を開き始めた桜の老木と「壱岐の松島」といわれる海をスケッチした。スケッチに熱中してしまい、時計を見ると、時刻は9時10分を過ぎていた。大急ぎで荷物を整理して、フロントへ駆けて行った。「お客さん、何時のバスに乗るのですか。9時14分なら、もう間に合いませんよ。もう少し早く出発されないといけなかったですね」と主任らしい人が、少し怒った感じで言った。「次のバスは11時14分です。どうされますか」と聞いている。「湯ノ本の町まで歩いて行って、そこでしばらくスケッチでもして過ごします」と私は答え、精算を済ませて国民宿舎を後にした。

 雨はすっかり上がったが、強風は相変らず吹き荒れていた。国民宿舎から道を少し下った所が湯ノ本の町だった。大きなホテルや旅館が建っているが、港には漁船がたくさん停泊していて、漁師町という感じが強い。バス停にリュックを置いて、辺りを散策することにした。

 港の堤防に沿って歩いて行った。海を望んだ小高い丘は公園になっていた。大きな滑り台やブランコなどが設置されていたが、この遊具で遊ぶのは誰なんだろうかと思った。この湯ノ本の町には子どもたちがたくさん住んでいるようには思えなかった。夏にここへ遊びにやって来た観光客が遊ぶのだろうか。公園から坂道を下ると小さな小屋があって、鹿が4頭飼われていた。汚れた檻の中に囲われている鹿たちが、淋しそうな目で、私をじっと見つめていた。

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 桟橋に繋がれた漁船が風にあおられて揺れていた。どの漁船も竿先に赤い旗を掲げている。「今日は出漁しません」という合図なのだろうか。1隻の漁船に韓国の国旗が掲げられていた。この船は、韓国で漁をしているのだろうか。国境が近いのだと思った。

 大きな建物が幾つもある。「湯遊び広場サンドーム壱岐」という建物がある。入場料800円となっている。温泉やサウナ、温水プールが設置されていると説明があった。中から子どもたちの賑やかな声が聞こえて来た。その横の体育館は、テニスやサッカーが楽しめるようになっていた。こちらは静まり返っていた。

 バス時刻まで1時間ほどあるので、港をスケッチした。小さなイカ釣船のランプが風に激しく揺れていた。すぐ近くで、親父さんがアジの干物を干していた。「いい絵が描けるかい」とその親父さんが笑っている。「風が強くて、飛ばされそうですよ」と私が答えると、「この辺りは、つよい風が吹くから。あんたは、どこから来なさった」と親父さんが聞いて来た。「富山から来ました」と答えると、親父さんは干物作りの手を休めて、私に話始めた。「富山は、魚が美味しいというじゃないですか。いい所だそうですね。この辺りの船も、富山までイカを追って漁に行きますよ。富山の船もこの辺りまで来ていますがね」と親父さんは言った。話は壱岐の島のことになった。「今、壱岐では合併が最大の話題になっているよ。何度も話し合いがあって、今回やっと一つにまとまりそうだ。壱岐に観光で来る人も多いが、離島だからとっても不便な生活をしていると思っている人が多いよ。ホテルも旅館もないと思っている人もいるんだから。あんたもこの島を周ったと思うが、車であっという間に端から端まで行けちゃうんだから、便利な所だよ。四つの町が一つになって、もっと道路も整備して、観光客にもたくさん来てもらいたいものだ」と親父さんは、力説していた。壱岐は長崎県だが、距離は佐賀県に一番近く、経済は福岡県との交流が一番強いという。「いい旅をしていきなさい」と親父さんは言うと、再びアジの干物作りを始めた。町村合併向けて壱岐では本格的な取り組みが始まっているようだった。

 11時15分過ぎ、「郷ノ浦行」のバスがやって来た。数人の客が乗っていた。昨日、観光バスで周った景色の所も幾つか過ぎた。11時40分過ぎ、郷ノ浦本町バスターミナルに到着した。天気は晴れているのだが、空は灰色に霞んでいた。黄砂が大量に飛んでいるようだった。
 
 郷ノ浦港まで歩いた。宿泊したホテルも見えた。12時少し前に郷ノ浦港に到着した。沖合いは白波が立ち、海は相変らず荒れていた。「船が動いていないなら、壱岐でもう1泊すればいい」と思った。切符売場へ行くと、12時30分発の「対馬厳原(いずはら)行」フェリーは運行するという張り紙が出ていた。しかし、高速のジェットフォイルは運行中止になっていた。フェリーは風には強いのだと思った。

 フェリー乗り場の食堂でカツカレーを食べた。壱州牛のスープがしっかりしみこんだ美味しいカレーだった。定刻を少し過ぎて、フェリーが入航した。大きなフェリーだった。たくさんの人が船から降りてきた。観光客がほとんどのようだった。壱岐から乗船したのは、7人だったが、フェリーの船内には、結構たくさんの人がいた。

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 12時45分フェリーは静かに郷ノ浦港を離れた。2等船室では団体客が食事を始めていた。壱岐から積みこんだ弁当のようだ。ビールやお酒も入り船室には賑やかな話し声が響いていた。「間もなくフェリーは外洋に出ます。船が大きく揺れることもあります。食事はあと、10分程で終了されるようにお願いします。通路を歩く時は、しっかり手摺を掴んでください」と船長からの放送が入った。「えっ」という驚きの声が団体客から上がった。「壱岐までは船はほとんど揺れませんでした。静かな航海でしたよ」と隣りおばさんが教えてくれた。

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 それは突然やって来た。ドンという大きな音がして、船が大きく揺れ始めた。何度も船に乗って旅をしているが、こんな音を聞いたのは初めてだった。「オーッ」という驚きの声もあちこちから上がった。それからが大変だった。座っていても、体が横に倒れそうになった。置いてある荷物がずるずる滑って行く。横になると、逆立ちしている感覚だ。体がずるずる滑って行った。トイレに行く人が、通路でひっくり返った。もう真ともに歩くこともできない。団体客の何人かが、気分が悪くなったようで、吐いていた。対馬までは、まだ1時間以上ある。みな、じっと耐えているという感じだった。対馬海峡は普通の日でも流れが速く、船も多少は揺れるのだろうが、今日は強風が吹いて最悪の状態だった。船に乗れば、波に揺られるのは普通のことなのだろうが、そういう経験がない者にとっては、苦痛の時間だった。それにしても、この大波の中を進むフェリーは大したものだと思った。フェリーが欠航するのは、台風の時くらいなのかも知れない。幸いにも私は酔うこともなく、対馬まで頑張ることが出来た。

 午後3時少し前、船は対馬厳原港(いずはらこう)へ入航した。乗客は皆、横揺れから開放されて晴れ晴れした顔をしている。タラップを下りてターミナルビルの1階へ行った。観光案内所で、今日の宿を紹介してもらうことにした。「ホテルですか、旅館ですか、民宿ですか」と受付の女性が地図を広げた。宿の名前がずらりと並んでいた。その中から「柳屋ホテル」を選んで電話をすると、「どうぞ。お待ちしています」と快い返事が返って来た。1泊朝食が付いて6500円だった。
 
 ターミナルビルから街中へ向って歩き始めた。黄砂に町全体が煙っている。厳原の町は大きなビルがたくさん並び、店もたくさんあって、賑わっていた。車も引切りなしに走り、郷ノ浦よりも大きな町のように感じた。離島の町とはとても思えない賑わいだ。小さな川に沿った賑やかな通りを歩いて行くと、大きなホテルや旅館が並んでいる。その中に「柳屋ホテル」の看板を見つけた。まだ完成して間もない感じの小さなホテルで、白い外壁が光っていた。フロントでお上さんからキーを貰って部屋へ行った。こじんまりした綺麗な部屋だった。

 明日のことを考えた。対馬は大きな島だ。南北80km、東西18kmもある。南の厳原から北の上対馬まで時間がたっぷりかかりそうだ。パンフレットで調べると対馬にも定期観光バスは走っていた。しかし、運行は土、日曜日に限られていた。路線バスは観光地へは行っていない。明日は平日なので、島内を巡るにはタクシーかレンタカーということになる。少し不安もあるが、思い切って、レンタカーを借りることにした。明日はレンタカー初体験ということになりそうだ。ホテルのお上さんに聞くと、「このホテルと提携している会社がありますから、連絡しておきます」と快い返事だった。明日は上対馬で宿泊することになりそうだ。時刻はまだ4時。夕食まで時間があるので町を散策することにした。

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 ホテル横の路地を歩いて行くと、石垣を積んだ塀のある家並が見えて来た。どこか異国に来たという感じだ。江戸時代に築かれた石垣塀で、武家屋敷があった所だという。苔むした石垣が落ち着いた雰囲気を作っていた。
そして、石垣塀から発見したことがあった。博多の町で「元寇防塁跡」を見た時に、「これで敵の侵入を防いだ」という説明がよく分からなかったが、今、石垣塀を見てその意味がやっと理解できたのだ。背よりも高い石垣塀なら確かに敵の侵入を防ぐことが出来ると思った。こういう石垣塀が博多の海岸に作られていたのだろう。「元寇防塁」を築いた技術は、対馬から伝わったのではないだろうかと思った。

 石垣塀の続く道を歩いて、「対馬歴史民族資料館」へ行った。入口の案内は、日本語とハングル文字の説明があった。よく見ると、全ての資料にはハングル文字が書かれていた。ここは、韓国に一番近い国境の島だと理解した。資料館には対馬と朝鮮半島との交流の歴史を物語る資料が並んでいる。14mもあるという朝鮮通信使絵巻は色鮮やかだった。「朝鮮通信使というのは、厳しい鎖国政策下、江戸に入ることのできた唯一の外交使節団で、対馬藩がその実務を担当していた」と説明がある。

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 すぐ隣にある「郷土資料館」にも行った。対馬の古代から近代までの資料が展示されていた。その中でも対馬に生息する動物標本がよかった。「ツシマシカ」「ツシマテン」「コウライキジ」などの標本の中に「ツシマヤマネコ」を見つけた。かわいいヤマネコだった。

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 再び石垣塀のある道を歩いて行くと、大きな鳥居のある神社の前に出た。「八幡宮神社」と表示があった。大きな境内は駐車場になっていた。

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 ホテルへ帰ると、お上さんが「明日の朝、8時にレンターカーを持って来るそうです」と教えてくれた。「レンタカーは、上対馬で乗り捨てることはできなくて、再び厳原営業所まで持って来なければいけない」ということだった。シャワーを浴び、少し休んだ後、明日からのことを考えた。対馬は2泊の予定だ。明日は、上対馬で宿泊することは決めていたが、明後日のことはまだはっきり決めていなかった。上対馬からの早朝のジェットフォイルには乗れなくなった。厳原から午後のジェットフォイルの便もあったが、対馬空港から飛行機で博多へ戻ることもできた。空港へ電話をすると、「空席がある」というので、飛行機で博多へ戻ることにした。少々旅費が高くなったが、明日からの予定も決まり、すっきりした気分だった。

 午後6時を過ぎ、辺りは薄暗くなり始めていた。食事に出掛けることにした。川沿いの道を港に向って歩いて行った。居酒屋、レストラン、焼肉屋などが並んでいる。どの店も賑わっているようだ。和食料理の店に入った。金髪の若者が包丁を握って料理をしていた。出るに出られず、ビールと刺身定食を注文した。鯛とヒラマサの刺身が出て来た。対馬でしか食べられない料理を期待していたのだか、この店では無理のようだった。

 
 2軒目を探して歩いた。「お多幸さん」という古風な暖簾の掛かったおでん屋がある。思い切って入ることにした。扉を開けて中へ入ってびっくりした。小さな店だが、店の造りが変わっていた。大きな囲炉裏が店の真中にあり、それを囲むようにして席が作ってあった。囲炉裏の中央には、おでんが入った大きな鍋がドンと置いてある。炭火が燃えていて、鍋から湯気が上っている。三角布を被ったモダンなおばあさんが、囲炉裏の一角で料理をしていた。「不思議な造りの店ですね。対馬ではこういう造りの店が多いのですか」とおばあさんに聞くと、「ここだけかも知れませんね。ずっと昔からこういう店です」とおばあさんは、答えた。「不思議な感じの店だから、テレビに登場したことがあるのでは」と言うと、「いやあ、そうだと嬉しいけど、そんなことは1度もありません」とおばあさんは笑っていた。家庭的な雰囲気がそこら中から漂っていた。

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 焼酎とおでんを注文した。大きな鍋からおばあさんが、ダイコンと豆腐をすくってくれた。醤油の味がよく染みたおでんだった。壱岐で食べた豆腐は弾力があったが、対馬の豆腐はどこにでもある普通の豆腐だった。棚に日本酒のビンが一杯並んでいた。「白嶽」という対馬の酒が多かったが、いろいろな銘柄がある。「久保田」という新潟の有名な酒を見つけた。その隣に「立山」という富山の酒もあった。「いろんな酒があるのですね」と言うと「これは、お客さんが持ち込んで来るのです。私は、おでんをみなさんに食べてもらえればいいのです」とおばあさんは澄まし顔だった。「対馬の思い出」に残る店に出会え、満足した気分でホテルへ帰った。




[ 2013/04/22 02:38 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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