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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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韓国に一番近い島 壱岐・対馬の旅 5

5 3月22日(金)対馬島内  厳原~上対馬 

 午前6時起床。シャワーを浴び、気持ちがすっきりした。荷物を整理し、朝食の時間になったので食堂へ下りて行った。和定食が出て来た。やはり大きな生卵が付いていた。九州での正しい朝食は納豆ではなく生卵なのだろうか。 

 7時半過ぎに、レンタカー会社の若い女性と男性がやって来た。女性に免許証を見せた。「これどう読むのですか」と女性が私に聞いている。「婦負郡(ねいぐん)と読みます」と私が教えた。「地名は難しいですね」と女性は言いながら、免許証を書類に書き写していた。「楡原はどう読むのですか」と再び聞いている。「にれはらと読みます」と再び教えた。手続きが終わり、代金を払った。1泊2日で11000円だった。「対馬空港近くにある、会社へ午後1時過ぎまでに返す」という条件になっていた。「くれぐれも事故には注意してください。もし、事故が起こったら、警察へ連絡して事故証明を必ずとってください」と念を押された。事故を起こせば余分にお金が掛かるということだった。車は軽の4ドアタイプだった。操作の説明は男性がしてくれた。「国道とはいうものの、狭い所がありますから、事故にはくれぐれも気を付けてください」と男性も言った。レンタカーの事故がよく起こっているように思った。
 
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 午前8時過ぎ、ホテルを出発した。最初の見学地、厳原町にある「万松院(ばんしょういん)」へ行った。「万松院は対馬藩主宗家の菩提寺で、1615年に創建された」と説明がある。門の横の木戸から中へ入った。早朝で受付の人がいない。受付を素通りし、階段を下りて奥へ進んで行った。いきなり、見上げるような石の階段が現れた。山の上へ石段は続いていて、両脇には苔むした石灯籠が並んでいる。「百雁木」という呼ばれる石段だそうだ。この先に歴代藩主のお墓があるというが、「今からお殿様のお墓まいりに出掛けます」という雰囲気にぴったりの石段だと思った。石段を上り詰めた所に、おおきな杉の巨木があり、その横に歴代藩主の立派なお墓が並んでいた。ウグイスの声も聞こえていた。

 万松院のすぐ隣が、金石城跡で、ここは宗家の居城があった所だ。櫓門が復元され、現在も発掘作業が続いていた。桜並木があり、白い花が開き始めていた。ここは、厳原の桜名所なのだろう。
 石垣塀に囲まれた家並みが残る国道382号線を走り始めた。たくさんの車が走っていて、都会の道路を走っているという感じだ。「対馬空港」という表示がある。明日の午後の便に乗る予定の対馬空港へ寄り道することにした。車を借りたレンタカー会社が見えた。明日の午後ここへ車を返しに来るのだ。空港の駐車場に車を停め、ターミナルビルへ行った。ビルの中はガランとしていた。対馬と福岡を結ぶ便が5つ、長崎への便が2つあった。ロビーから大きな飛行場が見えたが、黄砂で霞んでいた。
 
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 空港から再び国道を走り、大きな赤い橋が見える公園に着いた。「万関橋(まんぜきはし)」という美しいアーチ橋だ。明治時代に旧日本海軍が、浅茅湾(あそうわん)を開削してつくった運河に架かる大橋だ。橋の下へ通じる道を歩いて行くと、柵があって、「ここでの釣りは禁止されています」と大きな看板が出ている。柵を乗り越えて、運河の渕の細い道を歩いて行った。目の前を、漁を終えた漁船が走って行った。帰り際、釣り竿を持った2人の親父さんが、やって来た。2人は、看板をチラリと睨んで、柵を乗り越えて行った。きっと大物が釣れることだろう。

 橋の近くにある「万関展望台」へ行った。浅茅湾が望める絶景ポイントになっていたが、残念ながら、黄砂が酷くて、美しいという海も赤い橋も霞んでいた。

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 次は豊玉町の和多都美神社へ行く予定だ。国道を30分ほど走り、脇道へ入る。道が狭くなる。対向車に気を付けながら、標識に従って山道を走って行った。海の中に石の鳥居が立つ「和多都美神社(わたつみじんじゃ)」に到着した。ここは海神を祭る神社で、5つ並ぶ鳥居の内2つが、海の中に立っていた。この辺りは、弥生時代後期の遺跡が密集し、大陸との交流があり、土器や古銭などの遺物もたくさん見つかっているという。美しい海を背景に静かに立つ鳥居から古の昔が偲ばれるようだった。すぐ近くの海岸には「神話の里自然公園」という町営キャンプ場が作られていた。
 
 近くには烏帽子岳(えぼしだけ)展望所もあった。道が整備されていて、車で頂上まで行けた。ここも浅茅湾を一望できる絶景のポイントだというのだが、黄砂が酷く、海は何も見えなかった。
 来た道を引き返し、再び国道を走る。時刻は11時。このままどこにも寄らないで、上対馬まで行くことにした。時速60kmで走っているのだが、後から車が迫ってくる。対馬の人はこの細い国道も慣れた感じで飛ばしている。「どうぞお先に」と道を譲りながら走って行った。「上対馬町」へ入ると、家の数が多くなり、大きな建物も見えるようになった。午後1時過ぎ、比田勝港へ到着した。上対馬は、小さな町だった。
 港正面にある食堂で昼食にした。くたびれた感じのおばさんが、野菜炒め定食を作ってくれた。どこにでもありそうな野菜炒めだった。食事を終わり、フェリー乗場へ行った。ちょうど、「博多行」のフェリーが出航するところだった。このフェリーが博多に到着するのは19時20分となっている。比田勝港から博多まで5時間20分も掛かることになる。ここから「韓国釜山行」の船が出ているが、韓国まで1時間で行ってしまうという。ここは韓国に一番近い島だということを改めて認識した。

 今晩の宿は、いつもながらの飛び込みで、港の見える「梅屋ホテル」で決まった。1泊朝食付きで6510円だった。部屋へ荷物を置いて、上対馬の町をドライブすることにした。
 最初に行ったのが「歴史民族資料室」だった。地図には場所が示してあるが、その辺りへ行っても「歴史民族資料室」の看板が見つからない。歩いている人に尋ねると「それなら、町役場の中にあります」と教えてくれた。役場の一室が歴史民族資料室となっていた。立派な資料室だった。遺跡や文化財、野生動物などが展示されている。その中でも、鰐浦の「韓国展望所」から見たという韓国連山のパネルがすごかった。すぐ目の前に韓国が見えていた。「ビルの窓まで見えることがあるそうですよ」と壱岐のガイドさんが話していたのを思い出した。本当にそのような写真だった。

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 韓国展望所へ通じる道路を走って行った。しばらく走ると、「豊砲台跡」という標識が見えた。「対馬にも大きな砲台があります」と壱岐で聞いていたが、ここのようだ。錆びた標識がねじれて立っていた。道路があるが、崖が崩れて、石ころがたくさん転がっていた。車で行くのを止め、歩いて行くことにした。この先に砲台があるのか、少々不安な気持ちになりながら、山道を上っていった。行き止まりに大きな駐車場があり、そこが砲台跡だった。ガランとした大きなコンクリートのトンネルがある。中は薄暗いが、何とか歩いて行けそうだ。コンクリートのトンネルを歩いて行くと、大きな丸い回廊になった。壱岐で見た砲台跡とよく似た構造をしていた。こちらの方がトンネルの崩れが少ないように思った。トンネルから出て、砲台の上部に通じる道を上って行くと、大きな穴が開いていた。ここも壱岐の砲台跡と同じ造りだった。
 砲台跡から自然歩道が続いているので歩いて行った。岬へ通じる道と「ヒトツバタゴ自生地」に分かれていた。ハイキングコースになっているようだ。季節のよい時期には家族連れがたくさんここを歩くのだろう。道を引き返し、車の所へ戻った。
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 次は「韓国展望所」だ。一本道を進んで行く。地図で見ると砲台跡からすぐの所にあるようだが、道標が見つからない。大きなトンネルを抜けた。右に道標らしきものがあるが、後ろ向きで見えなかった。走り過ぎたような感じなので、道を引き返した。さっきは後ろ向きだった道標がはっきり見えた。「韓国展望所→」となっていた。上対馬町は道標の整備を怠っているようだ。
 「韓国展望所」は海の見える丘の上に建っていた。広い駐車場はガランとしている。今日はいろいろな所を見学して回ったが、観光客には一人も会っていない。上対馬まで観光に来る人は本当に少ないようだ。「韓国展望所はソウルのパコダ公園にある多目的施設をモデルにして造られいる」と説明がある。その通り、異国風の建物である。天気のよい日には、韓国が一望できるというのだが、まだ黄砂が激しく飛んでいた。すぐ下にある海岸も霞んで見えていた。

 大浦湾に沿った道を走り再び国道382号線と合流した。上対馬の町を1周したことになる。大浦湾にある港の
突堤で家族連れが魚釣りをしていたのでの覗いて行くことにした。小魚が面白いように釣れていた。サヨリだった。餌は、オキアミを使っていた。撒き餌をしてしばらくすると、立て続けにサヨリが掛かった。バケツの中にはサヨリがぎっしり詰まっていた。対馬は魚が濃いようだ。
 
 午後5時少し前、ホテルへ戻る。ホテルの駐車場には車が何台も停まっていた。泊り客はたくさんいるようだ。
 大相撲をテレビで見た。武蔵丸が魁皇を破り、明日にも優勝を決めそうだった。ニュースでは、社民党の辻元清美議員の秘書給与疑惑が大問題になっていた。
 
 午後6時過ぎ、食事に出掛ける。商店街を歩く。飲み屋があるが、数は少ない。「ひでよし」という居酒屋へ入る。まだ、店が始まったばかりで、お絞りがカウンターにいっぱい積んであった。お上さんが一生懸命にお絞りを畳んでいた。カウンター席に座り、親父さんに焼酎を注文した。「やまねこ」という対馬焼酎が出て来た。料理は「ひでよし定食」を注文した。鯛とミズイカ、サザエの刺身などが出て来た。焼酎をお代わりした。美味しい料理をしっかり食べ、そろそろご飯が出て来る頃だと思った。「今からアラカブの味噌汁が出ます」と親父さんが言った。お上さんがドンブリ鉢を運んで来た。中に大きな魚が入っていた。ウーンと唸りたくなるような美味しい魚だった。「アラカブってどういう魚ですか」と親父さんに尋ねると「アラカブはこの地方の言葉です。フサカサゴのことです」と親父さんが笑っていた。新鮮でないとこの魚は食べられないそうだ。石巻で食べた「ドンコ汁」と並ぶ美味しい「魚汁」だった。帰り掛けに、親父さんからチラシを貰った。「対馬新鮮組 ひでよし」と印刷された店のチラシだった。

 もう一軒立ち寄ることにした。港のすぐ前にあるスナックへ入った。2人の親父さんがカウンター席に座っていた。ママさんに焼酎を注文した。しばらくして、ドアが開き、おばあさんが入って来た。手に小さな箱をぶら下げている。箱の中からうどんが2つ出て来た。親父さんたちがこの店からうどん屋へ注文した品のようだ。こういうことができるのは相当の馴染客なのだろう。私は静かに焼酎を飲んでいた。「お客さんは仕事でこの町へ来られたのですか」とママさんが聞いてきた。「いやあ、観光で来たのです」と答えた。「昨日の昼、厳原に着きました。途中、船が揺れて何人も吐いていましたよ」と話すと「昨日の朝着いたフェリーも、海が大荒れだったようで、大変だったみたいですよ」とママさんが笑った。「どこから来たのかい」と隣りの親父さんが話に加わった。「富山から来ました」と答えると「富山とは景色のいい所から来ましたね。私の親戚が高山にあるので、富山へは何度も行っています。魚は美味いし、景色はいいし、いい所ですね」と親父さんは私を持ち上げてくれた。「上対馬はどうですか」と親父さんに聞かれて、「韓国展望台や砲台跡へ行って、道がよく分からなかった」と話した。「それは、いけません。すぐ役場の係に電話しましょう」と親父さんは携帯電話を掛け出した。「この人、この町の町会議員をやっているのよ」とママさんが笑っている。時間が遅く、電話は繋がらなかった。「明日にでも役場に電話して、道標をきちんとするように言いますから、貴重な意見をありがとう」と親父さんに感謝され、「飲みなさい」とブランデーまで奢ってもらうことになった。旅はこういうことがあるから楽しくなる。

 話は盛り上がって、町村合併の話題になった。「対馬は6町が合併して対馬市になることまでは決まっている。合併にはまだ、いろいろな条件整備が必要で、論議が真っ盛りだよ。この上対馬は観光にもっと力を入れんといかんと思っているが、対馬市になれば、もっと道路もよくなるのではないかと期待している」と親父さんは諸手を上げて合併に賛成の意見だった。「韓国がすぐ近くにあるのだから、交流は盛んなのでしょうね」と言うと「お客さんも韓国の人の方が多いかも知れませんね。ただ、あの人たちは、団体で行動するし、高い物は買わないから、あんまり儲からんは」とママさんが困った顔をしていた。「やはり全国からこの対馬へ観光に来てもらえるように宣伝をしっかりやり、観光地ももっと整備しないかん」と親父さんは力説していた。対馬は壱岐に比べるとはるかに大きな島である。いろいろ困難な課題を抱えての合併論議が進んでいるようだった。町村合併が上対馬の町興しにつながるといいなあと思った。

 すっかり酔っ払ってホテルへ帰った。窓から真っ暗な港が見えた。遠くにある電柱の明かりが海面に映ってキラキラと輝いていた。

[ 2013/05/22 05:57 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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