福原伸二さんが遺してくれた笠寺にまつわる逸話「かさでら物語」をシリーズでご紹介します。
【その3】 おたつのものがたり 
豊臣秀吉のじだゃあに生きとったおたつの方って知っとりゃあすか。
何、知らんきゃあも。可哀想そうな娘の話だわあ。
雨がしとしと降る夜は、この笠寺のことを思って、泣く声が聞こえてきたそうだ。
それはそれは怖ゃあおたつの話をするで、辛抱して聞いてちょお。
おたつは、ここ星崎城の城主山口半右衛門重勝の娘として生まれたんだわ。
星崎城は、東西百七十メートル、南北百五十メートルの、本丸 二の丸 三の丸を抱えた本格的なお城だったそうだ。
おたつは、星崎城から見るここ松巨島の景色を、子どもの頃から楽しんどったそうだよ。
おたつがやがて大きくなって、豊臣秀吉の養子の豊臣秀次さまの側室の話が持ち上がったんだと。おたつの父 重勝は、おたつが、秀吉の次の関白の奥方になると聞いてよ、お家安泰とめっちゃくちゃに喜んだわ。
おたつは、ここ笠寺を離れるのがさびしくて、おいおい一晩中なゃあとったが、お家だゃあ一と考えて、京に上ったそうだ。
ところがよ、文禄四年、とんでもにゃあ事件が起きてしまったんだわあ。
それはよう、豊臣秀吉の姪で、秀吉の養子、関白秀次が、高野山に追放されてよ、じぎゃあをめぇーじられてしまったんだわあ。
関白秀次のおそばにいたご家来衆はもちろん、秀次のお気に入りの側室が三十数名も切腹のめぇーになったんだって。
いかんがねぇ、その中におたつもおったんだわあ。
三条河原で首をはねられてよ、ひとつの穴に入れられちゃったんだぎゃあ。その穴は、畜生塚と呼ばれたんだって。
父 山口重勝も娘おたつが、秀次の側室であったことからよ、京都の三条河原で首を落とされてしまったでいかんがねぇ。
蒸しあっつい寝苦しい夜だっただわあ。ここ笠寺の東光院のお坊さんが、ふっと目が覚めたんだわ。耳元でわきゃあ女の声がしたんだわぁ。
起き上がろうとしたんだが、なっかなか起き上がれなかったんだわあ。 丁度金縛りにあったようだったんだわあ。 手を首にやったんだわあ。
すると、冷たくて、どろどろしたものが手に当たったんだわあ。生ぐっさゃーあ臭いがするんだわあ。
「血だ」 お坊さんは怖くなった。
それで、手を合わせた。「なんまんだぶつ なんまんだぶつ」
また声がしたんだわあ。
「わたしは山口重勝の娘 おたつです。わたしの家族が身の危険を逃れるように姿をくらました時に、ここ東光院の本院さんに、菅原道真公の絵巻物を寄進しました。
わたしは、道真公の絵を毎日拝んでおりました。わたしの魂は、ここ笠寺にあります。ぜひ春になりましたら、山口さまのすけの城の壕の梅をお供えくださいませ。
この梅が笠寺に咲き続ければ、わたしおたつも、成仏できましょう。頼みましたぞ」
それっきり、声は聞こえなくなったんだがね。
その梅が今も残っとるんだわ。 見晴台遺跡のところによぉ。
しだれ梅の紅梅と白梅と、毎年咲いとるんだわあ。
よぉーきいて ちょおだいた。これで おしまい。
とっぴんぱらりの ぷー。