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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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福原伸二作 「かさでら物語」 その五

福原伸二さんが遺してくれた笠寺にまつわる逸話「かさでら物語」をシリーズでご紹介します。

【その5】 大蛇のいた村上社

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笠寺地方が、「松巨嶋」と呼ばれる嶋であったころ、京の都から、鎌倉に旅する街道として、三通りの「鎌倉街道」がありました。

◆松巨嶋
 まず北を回路する上の道。野並から大喜、井戸田、中根夜寒、野並古鳴海、嫁ヶ茶屋。
 真ん中を行く中の道。白豪寺東、地蔵寺南、村上社楠、古鳴海。
 南を回路する下の道。白豪寺東、長楽寺東、前浜通五丁目と六丁目の境の道、狐坂。
 この三通りがありました。

 古地図で見る呼続の浜は、入り江が入り込む遠浅の海で、万葉集にも詠まれています。
「年魚市潟 干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」
「桜田へ 鶴啼き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴啼き渡る」
「鳴海潟 夕なみ千鳥 たちかえり 友よび継ぎの 濱になりけり」
 古い松巨嶋の地図と伊勢湾台風の浸水地図の写真を比べると、ほぼ一致します。

 さて、笠寺地方が嶋であったころのお話です。
 旅人が、古鳴海から松巨嶋をめがけて、舟に乗っていました。
松巨嶋には、村上社があり、そこには、大きな楠の木があり、
舟乗りには、ちょうど良い目印になっていました。
楠の木は、そりゃ高さは六十尺に近く、木の周りは二十尺ぐらいと、
どえらい大きかったからです。

 船頭が舟を漕ぎながら、面白い話をしてくれました。
「大昔、村上社の楠木に、一匹の大きな大蛇が住み着いておったそうだ。
 大蛇は、夜、昼なしに、音も立てず鼠を一飲み、蛙も一飲み、
鶏も一気にごくごくごくりと飲みほしては、
村の人たちを困らせていました。
 村人は、大蛇を退治する方法を、いろいろ考えました。
 古老が、八頭の大蛇の話を思い出し、名案を考えました。
村人たちは、たくさんの卵の中に、お酒を浸み込ませて、
楠の木の下に置き、しばし待ちました。
しかし、大蛇は、なかなか出て来ませんでした。

 が、やがて、ニョロリ、ニョロリと首を出し、
卵をペロリ、ペロリと食べました。大蛇は、うまそうにしていましたが、
やがて、酒のアルコールが効いたのでしょうか。
「あれれ、あれれ」
 大蛇は、首をだらりと、木の下に垂らしてきました。
村人たちは、ここぞとばかり、棒で大蛇の頭を叩きました。
村人たちは、協力して大蛇を取り押さえました。
そして、とうとう、大蛇は死んでしまいました。
 大蛇の胴体は、村上社を頭に、
しっぽは、今の桜小学校の辺まであったそうです。
しっぽのあったその辺を、「北尾」といって、今は地名になっています。
 
 話を聞いてるいるうちに、舟は、村上社へ着きました。
 旅人は、面白半分に、楠の木の下に卵を置きました。
すると、神の使いである、白い蛇が降りて来ました。
旅人は、腰をぬかしてしまいました。
 それからは、村上社には、白い蛇も黒い蛇も現れなくなったそうです。

[ 2016/10/26 17:20 ] 笠寺観音かいわい | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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