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今は、静かな湖水の淵に並ぶ岩稲集落であるが、その昔、この集落は、この湖水の下にあった。ダムが出来たことによってここへ移転した。その経過について、岩稲八幡宮境内の記念碑に記されているので紹介しよう。
「昭和27年4月9日、北陸電力株式会社から当部落へ神通川第2発電所建設計画が提示されて承諾協力が求められた。それによれば急淵岩をはさむ千古の清流をせき止めて一大ダムを建設するために宅地を埋めたて、家屋を持ち上げねばならぬもの、移転せねばならぬもの数多く田畑山林の水没、工事用土地提供等用意のものではなかった。当部落としては一大変革を来すことでもあるので夜を徹しての協議折衝実に数十回、結局国家の要請による電源開発の主旨に則り同年9月27日部落民全員一致をもって起工承諾の覚書を取交し同年10月14日基本契約成立して調印を完了したのである。10月7日着工工事のため家屋を持ち上げて移転したものは当時の部落戸数27戸中公民館をはじめとして16戸に及んでいる。…本工事は近代科学の力によって着工から僅々一ヵ年半の昭和29年2月に完成を見たのである。…」