水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡をたずねて 猪谷かいわい 14

伝えたいお話 あれこれ 4

安政の大地震 

 一八五八年(安政五)二月二十六日午前一時頃、飛騨北部から越中にかけて大地震が発生した。この地震は一般に、安政地震、飛越地震、富山では越中大地震と呼ばれ、マグニチュードは七と推定されている。震源は、越中と富山の国境、跡津川断層である。

 この地震によって、各地に大きな被害が出たことが記録されている。
 富山では、富山城の石垣や門などが壊れ、地面が裂けて水が噴き出したほか、家屋が潰れ地割れが生じた。また、この地震によって常願寺川上流の大鳶・小鳶山に山崩れが起こり、支流の湯川と真川がせきとめられて大きな湖が二つできた。その二週間後に湯川のダムが、一ヶ月後に真川のダムがあいついで壊れ、溜まっていた水は濁流となって一気に常願寺川へ、さらに神通川、白岩川にも流れ込み、下流の村々は大洪水に見舞われた。流されたり壊れたりした家一六一二戸、溺死者百四十人にも及んだ。
 
 猪谷橋本家に所蔵されている「橋本文書」にも、細入村での安政地震の時の様子が詳しく記録されている。要約した一部は、次のようである。
 「安政五年(一八五八)二月二十五日、夜九ツ時(午前零時)大地震が起きた。人々は驚き、逃げ惑った。地震はその後も何度となく起き、人々は外にムシロを敷いて、夜が明けるのを待った。石垣や土蔵などは大きく崩れ落ち、家の戸や障子、壁、道具なども壊れ、人々は生きた心地がしなかった。西猪谷関所や長屋の内壁や石垣なども壊れ、猪谷村では、猪谷川より取り入れていた用水が山抜けの大被害をうけた。
 二十六日も地震は静まらず、人々は外に小屋を懸け、夜もそこに泊まった。猪谷村では寄合を開いて、火の用心に心がけることを申し合わせ、また蟹寺村では山が所々崩れて水溜りとなっているので、関所番人は吉四郎を遣わして様子を調べさせた。加賀沢村までの道路は寸断され通ることが出来ないので、吉四郎は山の峰を通り、加賀沢村まで行った。加賀沢村のかいがふちでは山が抜けており、そこから表村にかけて所々で山崩れが起き、神通川が水溜りとなっていた。
 村の肝煎は、村々へ神通川に水溜りができていることを知らせた。
 この水溜りは、二十六日夜六ツ時(午後六時)頃に、切れて流れ出した。流木を多数含んだ流れは、崩れて埋まっている数ヶ所の所の上を越して行ったが、大水にもならず事なきを得た。
 ところで、この地震で、関所の上手、西禅寺にかけての三百本ばかりある林の所が、七尺(二m)ほどが押し下がった。余震や雨が降った時に崩れ落ちる心配があるので、関所近くの家十軒ばかりを立ち退かせた。この地震では、飛騨地方の被害も甚大で、横山番所も山崩れによって潰れ、人も亡くなった。…」

 その後、一八六一年(文久元年)七月十日の大雨にて、安政五年の大地震による地滑場所が一挙に滑り降り、民家六軒、ほか作小屋を押し潰し、うち一軒を神通川まで押出し、関所長屋の南縁が被害を受けた。
                      参考 「細入村史」
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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