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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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ふらり きままに  厳冬の親不知行き3

親不知の海岸で

 激しく雪が舞う国道を歩いて行く。このまま歩道が続いていれば、親不知まで行けそうだ。しかし、親不知インターチェンジ横を過ぎた所で、突然歩道がなくなった。後は、白い路側帯が続く道だ。車がすごい勢いで走る国道の路側帯をとても歩く気にはなれなかった。親不知の海岸の一部が見られたということで我慢し、歩くことを止めることにした。

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 来た道を戻り、海岸へ下りてみた。橋脚をくぐると荒れた日本海が視界に飛びこんで来た。高い波が海岸線に並ぶ巨大な橋脚に激しくぶつかっている。そして、荒れ狂う波間をカモメが飛んでいた。これが現代版親不知の風景だと思った。今日やって来てよかったと思った。
 港の横にある道を通り、少し行くと広い広場に出た。道の駅という表示がある。車が何台も停まっていた。その向こうにレストラン漁火という大きな看板のかかった建物がある。おばあさんが話していた建物だ。
休憩を兼ねて昼食を取ることにした。階段を上り、扉を開けると、店内はたくさんの客で賑わっていた。親不知の海を見ながら食事の出来る感じのいいレストランだった。私は、海岸にある大きな岩がよく見えるテーブルに席を決めた。シーフードカレーとビールを注文した。美味しいカレーだった。ふと、海岸を見ると、高い波が押し寄せる波打際を、毛糸の帽子をすっぽり被った1人の男性が何かを拾いながら歩いていた。

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 天候はますます悪くなり、海岸にある大きな岩を波が乗り越えるほどになった。衝突する波の高さは、20メートルを超えていそうな気がした。荒れる日本海の厳しさが伝わって来た。
 帰りの列車を時刻表で確認し、親不知駅に戻ることにした。巨大な橋桁をくぐると再び味気のない風景に変わった。巨大なコンクリートの塊を見ながら駅に急いだ。行く時には気づかなかったが小学校がある。歌外波小学校と校名が下がっている。どう読むのだろう。
 親不知駅の待合室に着くと、中年の男性が着替えをしていた。リュックとカッパ、長靴姿は私と一緒だ。
「写真を撮りに来たのですか」と話し掛ける。「いえ、石拾いに来たのです」と男性は気さくに話をしてくれた。「石拾いですか。海岸で何かを拾っていたのは貴方だったのですか。」「そうです。ずっと、石を探して三日間が過ぎました。今日は4つ拾いました。」と、ポケットから拾った石を取り出して見せてくれた。石は真っ白で、素人の私にはよく分からなかったが、少し緑がかった所がヒスイだと教えてくれた。男性は九州から毎年正月になると、石を探しに、この辺りへやって来ているという。「こんな馬鹿なこと、止めなくてはと思っているのですが、今年も家族の反対を押し切ってやって来てしまいました。」と笑いながら話してくれた。変わった趣味を持っている人がいるものだ。そういう私も同じ仲間だ。
 強風のため30分遅れてやって来た14時20分発富山行普通列車に乗車。列車は強風が吹く親不知駅を発車した。車窓に広がる荒れる日本海を見ながら帰路に着いた。 

[ 2012/03/31 06:12 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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