7 大月市から上野原町へその1 午前6時起床。隣の部屋の客はまだ寝ているようだ。着替えをしたり、荷物を整理したりするのにも気を使いながらした。本当に最悪の旅館に泊ってしまったものだ。洗面を終え、午前7時旅館を出発した。
大月駅の売店でおにぎりを探したがないので、仕方なく朝食の菓子パンとお茶を買う。7時23分発松本行普通列車に乗車した。今日歩くことになる国道20号線が見える。しっかりした歩道が付いていないように見える。また、いろいろハプニングがありそうだなと思いながら車窓の景色を眺めていた。
7時33分笹子駅に着いた。カメラを持った若者も下車したが、若者は足早にホームから立ち去って行った。改札口へ行くとだれもいない無人駅だった。笹子駅前から国道20号線を歩き始めた。朝が早く車の量は少ないが、猛スピードで走っていた。しっかりした歩道が付いていたが,大型トラックが通ると風圧を感じた。
向こうから小学生の一団が歩いて来た。「おはようございます」と声を掛けると「おはようございます」と明るい声が返って来た。車が激しく通るこの国道が通学路になっているのだ。しばらく歩くと、再び小学生の一団と出会った。「おはようございます」と声を掛けたが、今度は挨拶が返って来なかった。変な格好の親父が挨拶したので、ビックリしたのだろう。
30分ほど歩いた所に旧道が残っていて、そこを歩くと古い家並みが続く町があった。宿場町のような感じである。地図で調べると「白野宿」となっていた。休憩して朝食の菓子パンを食べた。
旧道は町外れで再び国道と合流した。しかし、驚くことにそれまで歩いていた歩道がなくなってしまった。国道に白い路側帯はあるが、歩く場所はなかった。とても車道を歩く気にはならなかった。笹子駅まで戻るしかないと思った。来た道を引き返し始めた時、向こうから黄色いトラックがゆっくり走って来た。道路公団の散水車だった。「ひょっとしたら乗せてもらえるかも知れない」と思った。手を振ったらトラックは私の横で停車した。「すいません。実は甲州街道を歩いて東京へ行こうと思っているのですか、見た通り歩道がなくなってしまい歩けなくなりました。歩道がある所まででいいですから、乗せてもらえませんか」と運転手に頼んだ。「ああ、いいよ。狭いけど乗りな」と運転手はドアを開けてくれた。私にとっては、これが初めてのヒッチハイクだった。「この辺りは歩道がなくて危険な所が多いよ。歩道がある初狩駅まで乗って行きな」と言いながら運転手は車を走らせた
初狩駅の手前で歩道が見えて来たので、車を停めてもらい、礼を言って車を降りた。山田洋次監督の映画「学校Ⅳ」に同じような場面があったなあと思った。ひょっとしたらこれから先、また同じようなことがあるのだろうか。
初狩駅前から再び国道を歩き始めた。午前10時過ぎ、大月の街並みが見えて来た。町の向こうには大きな山が見える。昔、頂上に城があったという岩殿山だ。頂上に登れば、富士山まで望めるということだが、先を急ぐことにした。旧道が残っているので、旧道を歩く。昨日世話になった旅館や焼き鳥屋の前を通った。しばらくして街並みがなくなり、川沿いの国道へ出た。次の目的地、猿橋へ向かって歩いて行った。