7 大月市から上野原町へ その2 「猿橋まで1.5km」という表示がある。これから行く「猿橋」は、日本三大奇橋の一つで、30m近い渓谷に、両岸から刎木を突き出し、その上に橋桁を渡して作った、肘木けた式橋という珍しい工法でかけられているという。「たくさんの猿が手をつないで深い谷を渡っていたのをヒントにして作った」という伝説も残っている。甲州街道では有名な橋だという。ぜひこの目で見たいと前から思っていた。10時半には到着できそうだ。
「大月市郷土資料館」という看板が出ている。立ち寄ってみることにした。国道から離れて細い道を下って行くと広い公園になっていた。美しい公園だった。たくさんの人が芝生に腰を下ろしたり、散策したりしていた。「ここは猿橋公園です。流れている川は桂川です。向こうにあるのが新猿橋で、ここからは見えませんが、崖の向こうに猿橋があります」とベンチに座っていたおじいさんが教えてくれた。桂川の渕に生えている木々は紅葉の真っ盛りだった。「大月郷土資料館」は公園の敷地内に、こじんまりと建っていた。

しばらく公園で休憩することにした。スケッチブックを取り出して絵を描いた。そこへ、リュックを担いだ保育園の園児たちがぞろぞろ歩いて来た。ここへ遠足に来たようだ。「はーい、みんな。写真を撮るからポーズを取って」と先生が大きな声で叫んでいた。何年か前の自分を思い出していた。
大月市郷土資料館を見学に行った。入場料百円を払って中へ入った。大月市の古代から近世までの歴史や資料などが展示してあった。特別展示室があり、「白籏史郎写真展」の特設があった。日本を代表する山岳写真家である。富士山の見事な写真が展示してあった。得をした気分で資料館を出た。
遊歩道を歩いて猿橋に向った。桂川の渕でおじさんが釣をしていた。こんな所で釣をしていいのかと思っていたら、「魚釣場」という立札が立っていた。「何が釣れるのですか」とおじさんに声を掛けると「ウグイだよ」と返事が返って来た。

コンクリートで出来た新猿橋の隣に木製の猿橋があった。たくさんの人がカメラを構えて撮影の真っ最中だった。黄色く紅葉した木々と歴史を感じさせる猿橋をどう切撮るのか苦労している様子だった。私はスケッチブックを出して絵で挑戦した。何段にも重なった橋桁を表現するのが難しく途中であきらめた。絵は難しいと思った。
猿橋の見学を終え、再び国道20号線を歩き始めた。12時過ぎ、鳥沢駅前に到着した。ここは宿場町で古い家並みもたくさん残っていた。食堂があるので中へ入った。定食を注文した。「大きなリュックを背負って旅をしているのですか」とお上さんが聞いて来た。「ええ、下諏訪からずっと甲州街道を歩いてきました。新宿まで歩く予定です」と答えた。「そんな素敵な旅をしているのですか。よく暇がありますね」とお上さんが言った。「いや、仕事を辞めてね。何かに挑戦しようと思って、それで甲州街道を歩き出したんですよ」と話した。そこへ、作業服を着た親父さんが入って来た。「この人、ずっと甲州街道を歩いているんだって」とお上さんが、顔なじみらしい親父さんに話をした。「そりゃあすごい。この先に旧道があるから、そこを歩くといいよ」と親父さんは旧道のコースを教えてくれた。食事が済んで、店を出る時に、親父さんから「いいかい、大月カントリーという立札に沿って行けばいいよ。きつい上り道が続くが、頂上まで行けば、とても見晴らしがいいよ。気をつけて行きなよ」と励まされた。「頑張って旅を続けよう」と思った。
「大月カントリー」へ続く旧道は、親父さんが言っていた通り、きつい上り坂だった。山登りをしているように、息が弾み、何度か休憩しながら上って行った。40分ほど掛かって、やっと平らな所へ出た。遥か下の方に鳥沢町の街並みが見えていた。かなり上って来たことがそれで分かった。遠くの山は雲が掛かっていて、はっきり見えなかったが、天気がよければ富士山が見えるのかも知れないと思った。
平坦になった旧道をのんびり歩いて行った。旧道は立派な道路なのに車は走っていなかった。ハイキングコースに持って来いの道だ。しかし、以前は車がたくさんは走っていたという証拠が、道の所々に残っていた。国道20号線ができ、ここを車が走らなくなったのだろうか。
「甲州夢街道2001」の幟がガードレールに縛り付けてある。今日は、私一人がこの道を歩いているが、何ヶ月か前にここをたくさんの人たちが歩いて行ったのだ。幟は、「道を歩きたい」と思っている人がたくさんいる証だと思った。ここを歩きに来る人のために、この幟をこれからも残しておいてほしいと思った。私は、幟を見て勇気づけられる想いがした。
道の横の畑でおばあさんが仕事をしていた。「こんにちは」と声を掛けると「歩きに来たのかい」とおばあさんは手を休めて、私の所へやって来た。「ここは、景色がいいでしょう。甲州街道でも最高の景色の所だよ。富獄三十六景の1枚はここから見た富士が描いてあるよ。休みになると歩きに来る人がいるよ。紅葉も美しく今が最高だね。この先に一里塚が残っているから見て行きなさい」おばあさんは得意顔で話した。「旧道はどこまで続いているのですか」と聞いた。「鶴川を通って上野原まで行っているよ。ここから後2時間くらいかな。この先に分かれ道があるから、真中の道をずっと行きなさい」と道を教えてくれた。

道は揺るやかな下りになった。車が通らないので本当に歩き易い。下って行くと、藁葺き屋根の旧家が建っていた。甲州街道を歩いて来て、初めて見た藁葺き屋根の家だった。蕎麦屋を営業しているようだが、今日は休業のようだった。その家を見ていたら、庭にいた犬が私に気付いたようで吠え出した。スケッチをしていこうと思ったが、早々にその場を離れた。
しばらく歩くと、道の下に広い芝生が見えて来た。ゴルフ場だった。この辺りにはゴルフ場があちこちにあるようだ。ゴルフを楽しむ男たちの話し声が薮の向こうから聞こえて来た。