水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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「青春18きっぷ」で桜の名所を巡る旅 その3

米沢市米沢城の桜 
 
 「青春18きっぷ」の使用期間は4月10日まで。今日は4月8日。手元にまっさらの「青春18きっぷ」がある。富山城へ行った後、購入した切符なのだが、風邪を引いてしまい、しばらく旅へ出掛けられなかったのだ。何とか体調もよくなり、駆け足の旅へ出た。

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                   桜が満開の楡原駅


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 高山本線、北陸本線、信越本線、羽越本線と普通列車を乗り継ぎ、羽越本線村上駅に午後6時過ぎに到着。その夜は駅前のビジネスホテルで1泊し、9日早朝の列車に乗った。坂町駅から米坂線に乗り替え、雪が残る峠を越えて午前10時に米沢駅に到着した。
 
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 空はどんより曇り、今にも降り出しそうな感じである。米沢の町は歩いて周るには少し広すぎるので、駅前で自転車を借りることにした。最近の観光地には、ほとんどの所にレンタサイクル店があるのは嬉しい。「ここはぜひ見て行かれるといいですね」と店の親父さんが幾つか見学場所を教えてくれた。レンタサイクル店に荷物を預け、出発した。

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 最初に行ったのは「米沢織物歴史資料館」である。1階が売店で2階が資料館になっていた。米沢織の歴史は古く、上杉鷹山が藩主の時に始まったと説明がある。230年の伝統がある。生糸を紡ぐところから始まり、機織機を使って織物を織る所などがよく分かるように展示してある。江戸時代の頃の着物なども飾られている。質素な感じの紬織だが、気品が感じられる。1階には米沢織の商品が並んでいた。紅花や草木で染めた着物はなかなかのものだ。飲み屋の親父さんが着たら似合いそうな作業着には8万円という値札が付いていた。 

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 次に米沢城址へ行った。城址は上杉神社となり、上杉謙信が奉ってあった。上杉謙信が治めていたのは越後である。ここは東北地方。ここに上杉謙信の墓があるのが不思議だった。パンフレットを調べてみてその謎が解けた。「上杉謙信の養子景勝は豊臣秀吉の五大老の一人として活躍した。1498年会津藩120万の領主になったが、関が原の戦いで石田三成に加勢したため、徳川家康から30万石に減封されて米沢藩に移された。上杉の城下町としての米沢の歴史はここに始まった」と書いてあった。何度も国替えをした歴史があり、その度、謙信の墓も移動したということなのだ。米沢城址の桜はまだやっと花を開き始めた所だった。お堀の両側に植えられた桜が満開になったらすばらしい景色だろうなあと思った。境内には屋台も並んでいたが、桜祭りにはまだ早く、店は閉まっていた。東北の春はこれからのようだ。

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 上杉神社の隣りにある松岬神社へ行く。大きな銅像が建っていて、「上杉鷹山公」と表示がある。「第9代米沢藩主である。莫大な借金を抱えて困窮していた米沢藩の大改革を行ない、産業を興し、財政を立て直し、現在の米沢の基礎を作り上げた名君であった」と説明がある。今年は、「上杉鷹山生誕250年祭」が行なわれているとのことだ。「なせばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という言葉が碑に刻んである。今は格言に成っているが、これは鷹山が詠んだ歌だと説明があった。

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 その後、上杉家廟所へ行った。杉林の中に上杉家歴代藩主の廟が並んでいた。中央に謙信の廟があり、鷹山の廟は端の方にあった。鷹山の廟は、倹約して質素な造りだという説明があった。

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 雨が降り出したので、見学を止め駅へ戻ることにした。途中、「東光の酒蔵」という酒造資料館を見つけ、中へ入った。大きな造り酒屋で、江戸時代の建物を復元して資料館にしたという説明がある。土蔵は東北一の広さがあるということだ。大きな亀や樽が並び、酒作りの様子がよく分かった。試飲コーナーもあり、香りがよい酒を味わった。辛口でいい香りがした。奥の展示室は「上杉鷹山」を特設していた。直筆の書が飾ってあった。
 
 ますます雨が強くなり、しっかり濡れてレンタサイクル店へ到着した。「夕方まで大丈夫だと思っていましたが、残念でしたね」と親父さんは気の毒そうな顔をしてくれた。自転車を返し、駅前の食堂で昼食にした。米沢といえばもちろん「米沢牛」。メニューを見るといろいろ並んでいる。ステーキ、ビーフシチュー、ビーフカレー、牛肉ラーメン…。その中から牛丼を注文した。しばらくして熱々のご飯に薄くスライスした牛肉の載った牛丼が出て来た。冷えた体が芯から温まりそうな牛丼だった。
 
 列車の発車まで時間がある。駅前の書店に入った。「上杉鷹山コーナー」が特設してある。今回、私は「米沢」という言葉の響きに誘われて、ふらりと米沢へ桜を見にやって来たのだが、米沢の町は「上杉鷹山」を前面に出して盛り上がっていた。「上杉鷹山」という名前に出会い、少し調べてみたくなった。並んでいた本の中から「上杉鷹山」という本を見つけさっそく買い込んだ。これから行く「天童」までの列車の中は、移動図書館になりそうだ。
 
 本には、次のように書かれていた。「上杉鷹山(治憲)は高鍋藩(宮崎)から上杉藩に養子に来て17才で藩主になった。当時の藩財政は借金で破産寸前に追いこまれていたという。鷹山は、積極的な殖産興業政策を実施した。田畑の開墾、桑、楮(こうぞ)、漆などの栽培、養蚕、製糸、織物、製塩、製陶などの新産業の開発に力を入れ、自ら先頭に立って奨励した。また、藩士に対しては質素倹約を自ら実践して示し、武術の奨励とともに、藩の学問所を再興し儒学教育に力を入れた。そして、上杉藩の藩財政を立て直し、天明の大飢饉にも領内からは一人の餓死者も出さなかったという逸話が伝わっている。『伝国の辞』は有名で、『藩主とは、民のための政をするもの』と明言し、その言葉どおり実行した…・」

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 旅を終えてからも、何冊か上杉鷹山について書いた本を読んだ。その中でも竜門冬二著「小説上杉鷹山」はよかった。いろいろ本を読んでみて上杉鷹山が、米沢において、いかに大きな功績を残した人物だったかがよく分かった。現在の日本は、莫大な借金を抱え、深刻な不況に陥り、しかもあきれるばかりの政治腐敗を抱えている。上杉鷹山ならどう改革をすすめるのだろうか。彼ならきっと、まずは「情報公開」「倹約」「みんなの知恵を集める」と答えるのではないだろうか。上杉鷹山は、今の時代に通じる歴史上の人物の一人ではないだろうかと思った。今回は駆け足の旅だったが、今度は、ゆっくり米沢の町を見学してみたい。
 
[ 2012/05/09 06:30 ] ふらり きままに | TB(1) | CM(0)
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[2012/05/09 08:51] まとめwoネタ速neo
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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