水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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アラン・ブースが歩いた奥美濃を歩く 4

第4日目  高鷲村 

 チャレンジ四日目。朝四時起床。洗面を終え、五時三十分出発。「蛭ヶ野まで行けば、ドライブインもたくさんあるから、朝食がとれるよ」と前の晩聞いたので、水だけを補給した。宿から出発してまもなく、歩道はなくなり、白い路側帯だけになった。その幅は三十センチ、大きなダンプが来たら、ちょっと不安になる幅である。こんな道をまず歩いている人間はいない。行く手に最初のトンネルが見えてきた。路側帯の幅は相変らず三十センチ。とても歩けない。止めようかと思ったが、よく見ると自転車が通ったわだちが残っている。歩けないこともないと確信し歩いて行った。後ろからトラックがやって来て。追い抜いて行った。心臓が止まるほど怖かった。やっとのことでトンネルを通過した。腕を見たら、腕時計のねじの跡に血が滲んでいた。

 「この上り道はまだ続くのだろうか」と、とても不安な気持ちで歩いて行く。坂をかなり上った所で道が二股に分かれていた。新しい道を付ける工事のようだ。この先通行禁止の立て札があるが、車の通らない新しく作っている道の方を歩くことにした。どうやらバイパス道路のようだ。その道は、広くて、歩道もしっかり付いている。どんどん上って行くと、遠くからラジオ体操の音楽が聞こえてくる。どうやら次の町がすぐ近くにあるようだ。

 道はとううと行き止まりになったが、そこは大日岳スキー場がある西洞という町だった。ラジオ体操の音楽は小学校から聞こえて来るようだった。再び国道に出ると、子どもたちがぞろぞろ道を歩いてくる。ラジオ体操からの帰りのようだ。道には、辛うじて白線が見えるが、幅は十センチもない。子どもたちはほとんど車道を歩いている。時々ダンプが走って行くが、子どもたちは全く気にしていないように見える。今、この町は、事故の不安から、バイパスを作っているのだろうが、今までにもっとやるべきことがあったのではないだろうか。せめて、人が歩く歩道を確保することが、なぜできなかったのだろうか。全く不思議な光景である。

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 とうとう今回の街道歩きを終了する時が来た。この大日岳スキー場入り口から蛭ヶ野に向かう所で、私は一歩も前へ進むことができなくなってしまった。道に路側帯はあるが、歩道は一センチもなくなってしまったからだ。地図で見ると、この先、道は急カーブの連続である。ダンプがひっきりなしに通過して行くこの道を、歩き続ける勇気も冒険心も今の私には不足しているようだ。さらに先には、もっと危険なトンネルが幾つもあるという。アラン・ブースは、ここから先も歩き続け、白川郷まで行き着いた。改めて、彼の目標に対する強い信念とそれをやり遂げた不屈の精神力を認識した。

 大日岳スキー場口からバスに乗り、北濃駅で長良川鉄道に乗り換え岐路に着いた。アラン・ブースの本に出会い、彼と同じように白川郷に行ってみたいと思った旅は、やり遂げることができなかったが、リュックに結ばれた光るたすきを見ながら、この旅で出会った人たちのことを思い出していた。そして、アラン・ブースの最終目的地白川郷へも行ってみようと思った。(完)
[ 2012/05/17 09:54 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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