第11日目(5月26日) 紋別~宗谷岬 オホーツク海に面する紋別町は漁師町でした。港には百隻を超える漁船が繋留されています。それも、隊列を組んで、きちんと並んでいます。たくさんの大漁旗が風に揺れて、壮観な風景を作っていました。その中に見たことのない不思議な形をした大きな漁船が5隻停泊していました。白い船体は錆びで赤茶けています。船体の後尾の形が変わっていて、海の中から何かを引き上げるような構造になっているのです。誰か来たら、聞いてみようと思っていると、船の中から親父さんが下りてきました。「不思議な形の船ですね」私は親父さんに声を掛けました。
「この船はトロール船だよ。海の中へ網を下ろして、海底の物を根こそぎ獲ってしまうという船なのさ。以前はこの船が15隻もあったんだよ。それが、魚を獲り過ぎるということで、9隻に減らされ、今はこの5隻だけになってしまったのさ。この辺りの海の底は、今では平になってしまって、魚もあまり獲れなくなってしまったよ」トロール船を恨んでいるような話振りです。どうやらこの親父さんは、船の乗組員ではないようでした。港に繋留されているたんさんの漁船もこの近くの海ではなく、ずっと沖の魚を追いかけているのでしょう。
街中に「はまなす通り」というスナックや飲み屋が連なる賑やかな通りがありました。北の外れの町にこんなにたくさんの飲み屋があるのには驚きました。この町に住む人が飲みに行くには、その数が多すぎるように思いました。「最近は不漁続きで、漁師が減って店を閉じてしまった所が多いです。この時期はサンマが獲れるのですが、今年はさっぱりのようです」昨夜泊った旅館のお上さんが話していました。紋別の町は全国から魚を求めてやって来る漁師たちで支えられているのです。その魚もめっきり少なくなり、町は喘いでいるようでした。
宿の女将さんが、素敵な絵を見せてくれました。女将さんのお父さんが描いたスケッチでした。ペンでしっかり描き込まれ、色が丁寧に塗ってありました。「もう、父は亡くなってしまったのですが、これは父の形見として大切にしているのです。父は油絵も描いていたのですが、それは全部売ってしまいました。1枚残しておけばよかったと今は反省しているのですが」女将さんは私の描いたスケッチを見ながら話してくれました。「なかなか素敵な絵を描いていますね。頑張りなさい。きっと素晴らしい絵が描けるようになりますよ」女将さんに励まされて宿を後にしました。紋別港でトロール船をスケッチしました。先ほど見たお父さんのスケッチのようにはいきません。努力を積み重ねれば、私もあのようなスケッチが描けるようになるのでしょうか。そんなことを考えながらスケッチブックを閉じました。港の漁船は動き出す気配もなく、静かに停泊していました。
久しぶりに青空が覗き、オホーツクの海を見ながらの旅は快適でした。何処までも続く真直ぐの道をどんどん走って行きました。「枝幸町道の駅」がありました。休憩することにしました。近くに大きなオートキャンプ場があるので、そこでお湯を沸かし、昼ご飯にしました。また、今日の昼もカップラーメンになりました。「そんなものばっかり食べているといかんよ」家族の声が聞こえて来るようです。
ところで、このキャンプ場にも立派な施設が建っていました。全国いろいろ旅していますが、特にこの2~3年、こういう施設がやたら建てられているように思います。それは温泉施設だったり、保養施設だったり、キャンプ場だったりです。また、道路建設も著しく、巨大な橋や立派なトンネル、広い道路など至る所に作られているのです。確かに、使用して快適ですが、果たして採算が取れているのでしょうか。たとえば、この施設も使用は夏だけに限られています。しかも、使用するのは全国からやって来るドライバーやライダーが主なのではないでしょうか。とても採算ベースにはのっていないと思われます。建設費は、施設を作ったゼネコンや建築会社に流れたのでしょうが、そういう建築会社は、現在どんどん倒産しているのです。莫大な借金だけが残されたということになります。今、国や地方自治体は、巨額の借金を抱えています。まだ、その借金は返済し始めてはいないのです。何と、これからもさらに借金を増やそうというのですから、日本はどうなってしまうのでしょうか。「庶民は心配しなくてもいい」というのかも知れませんが、実際に自分の目でこういう施設を目の当たりにすれば、心配するなという方が無理です。
カーラジオから「日本の国債評価が、三流国の仲間入りをしました」というニュースが流れて来ました。「そんな馬鹿な話はない」と塩川財務大臣が怒っているということですが、「その通りでないか」と私は思いました。「このまま行けば、日本が近い将来潰れてしまうのではないか」と私は心配しています。

かなり固い話を書いてしまったようです。枝幸町の三笠山展望台(もちろんここにも立派な施設が建っています)からオホーツクの海と雄大な大地が見えました。思い切り時間を使って、スケッチブック一杯に描きました。「自分にもこういう景色が描けるようになったのだ」と少し自信の持てる作品になりました。

宗谷岬へ到着しました。三角形の記念碑が見えます。今から4年前、私は大きなリュックを背負ってこの記念碑の前に立っていました。今でもその時のことをはっきり覚えています。当時、私は小学校の6年生を担任していました。担任していた学級は崩壊状態でした。長い夏休みを迎え、ストレスから逃れるように北海道へやって来たのです。「宗谷岬から歩いてみよう」という目標を立て、この記念碑の前に立ちました。バイクや自転車でやって来た若者たちで記念碑の前は賑やかでした。
リュックを背負い、私はここから歩き始めました。焼けるような熱いコンクリートの道をがむしゃらに歩き続けて1週間。羽幌町で私の挑戦は終了しました。途中、多くの人に出会い、助けてもらったことも何度かありました。バイクや自転車で旅している若者たちともいっぱい話をしました。がむしゃらに歩いた旅でしたが、北海道の人や北海道の風景、それから北海道を旅して若者たちからたくさんのエネルギーを貰いました。その年の3月、子どもたちは卒業して行きましたが、「北海道へ歩きに来なかったら、私の手で卒業させることができなかった」と思っています。そんな思い出のある記念碑です。
あれから4年。私の環境は大きく変わりました。教員を退職し、名古屋から富山県細入村へ引越しました。そして、「気ままな旅」を続け、何時かは原稿が売れる物書きを志す身になりました。そして、今回は、スケッチ旅行に出掛けて来たのです。今回も思い掛けない出会いがあり、新しいヒントを幾つか貰えたように思います。とにかく、自分の目指している道は、時間が掛るのです。5年、10年というスケールで見なくていけないのです。「あせらず、じっくり」。宗谷岬に来て、そのことがはっきりしました。「北海道へスケッチ旅行に来てよかった」と思いました。
「いつまでのんびり旅行しているの?我が家も忙しいのよ」上さんの声が聞こえて来そうです。今回のスケッチ旅行はここで終了しようと思いました。しかし、ここは日本の最北端。ここから富山は遠いです。まだ4日ほどは掛りそうです。気ままな旅はまだまだ続きそうです。(完)
北海道のスケッチ 宗谷~小樽
「サロベツ原野の廃屋」
「苫牧町の風車」

「苫牧町の風車」

「厚田村農昼港にて」

「留萌の風車」

「小樽港にて」