第2日 岬の分教場 午前10時過ぎ、田の浦港に着いた。岬の分教場は港のすぐ前にあった。苗羽小学校田の浦分校。壷井栄「二十四の瞳」の小説の舞台になった小学校だ。高峰秀子の映画はここで撮影されたと受付の人が説明してくれた。昭和46年に廃校になったが、記念館として当時の子どもたちの作品も含めてそのまま保存されていた。

低学年の教室に入った瞬間、どこかで出会った風景に見えた。小さな2人用机。剥げかかった黒板。くすんだ床板。そうそう、今から30年前、私が初めて教員になって教えていた金沢市立上平小学校の教室とそっくり同じなのだ。あの時の思い出が鮮やかに蘇ってきた。
「全校児童数十七人。複々式の教室。私は高学年4・5・6年の10人の担任。がむしゃらに子どもたちに教えていた。『先生の教え方が分からん』と言って駄々をこねた4人の5年生。理科の授業はいつも山へ行って自然の中で遊んでいた。子どもたちの方が草や鳥についてよく知っていた。厳しい冬、雪をラッセルして子どもたちを迎えに行った…・」懐かしい思い出が次から次へと蘇って来た。しばらくその教室を動けなかった。
岬の分教場から歩いて10分ほど離れた所に「二十四の瞳映画村」がある。1987年に田中裕子主演で再映画化することになったが、分教場の周りの住宅環境がすっかり変わってしまい、分教場では撮影できないので、松竹がここに分教場や昭和初期の民家や商店などを再建したのが映画村である。時刻も11時近くになり、祝日でもあり、映画村は混んでいた。本物そっくりの分教場や映画に使用した乗合バス、粗末な民家などまた映画化されればすぐ使用できそうに思った。映画村の中に壷井栄文学館も併設されていた。特に目を引いたのが壷井栄の小説「二十四の瞳」の直筆原稿だった。涙を流して読んだ、教員に成り立ての頃のことをまた思い出した。
映画村の映画館で「二十四の瞳」を上映していた。1時間半を超える映画を最初から最後まで見てしまった。途中涙が止まらなくなり、どうしようもなかった。教員を辞めたばかりの私には刺激が強過ぎた映画だった。

映画村の中に用水があり、鯛やカワハギなどの魚が泳いでいた。その中に大きなコブ鯛がいた。茶目っ気のあるコブ鯛で、餌をよこせとねだっているようで、手だけ差し出すと口から水を吐き出して怒っていた。「へんてこりんな魚だ」と観光客もあきれた顔で見ていた。こんなおもしろい魚を見たのは初めてだ。この映画村を代表するキャラクターかも知れないと思った。