水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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北海道最北端から歩く

第5日 稚内から豊富

 天北旅館の一夜は、凄まじかった。夜中に、部屋の前の廊下で、ドタンという激しい音がして起こされた。「何だろう」と、戸を開けると、若者が倒れていた。「大丈夫ですか」と声をかけたが、返事はなかった。泥酔状態で、廊下に寝込んでしまったようだ。そのままにして、私は寝たが、時々、バタンという、彼が寝返りをして壁にぶつかる音で起こされ、熟睡することができなかった。

 午前三時半、起床。相変らず酔っ払った青年は、廊下で熟睡していた。洗面を終え、荷物を持っていよいよ出発。駅前を通ると、バイクや自転車で旅をしている青年たちが、寝袋に入って寝ていた。彼らは、安上がりの旅を楽しんでいるのだ。薄暗い稚内の町を、南に向かって歩いて行く。時々、車がすごいスピードで走って行くが、時間が早いので、車はほとんどない。

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 午前五時、約五キロ歩いて、国道四十号線の出発点に到着した。コンビニで、朝食のパンと牛乳、昼食のおにぎりを買う。「豊富まで三十五キロ」という標識を見ながら、パンを食べた。牛乳には、「豊富牛乳」というラベルが貼ってあった。
 
 国道四十号線も朝が早いので、車はほとんど走っていなかった。最初の内は、歩道があったのだが、やがて白い路側帯だけになってしまった。しかし、路側帯は大変幅が広くて、安全に歩くことができた。
 午前六時を過ぎた頃から、少しずつ車が増えてきた。北海道の道は、実にスケールが大きい。ずっと向こうまで、真っ直ぐの道が続いているのだ。距離にして、ニキロ以上はありそうだ。さすがに、北海道にしかない道路だ。車がスピードを出してしまうのも、仕方のないことかも知れない。また、道路には、百メートルごとにポールが立っていて、矢印の標識が下がっている。「矢印の真下に、路側帯が引かれている」ということを知らせるもので、冬、除雪のために必要な標識のようだ。その標識の数を数えれば、あそこまでは、何百メートルあるかと計算できるので、それからは、標識を目印にして歩くようになった。

 午前八時、歩き始めて四時間が過ぎ、日差しが、だんだんと強くなって来た。今日も雲一つない天気である。私の歩く時速は、どうも五キロのようだ。日頃、道を歩く時には、リュックも軽く、軽い靴を履いているので、時速六キロは出ていた。ところが、今回は、リュックは重く、底の厚いトレッキングシューズを履いているので、思うほどペースが上がらない。ここまで、ちょうど半分の二十キロを歩いたことになる。
それにしても、北海道の道は、景色がほとんど変わらない。道の両側には、広大な牧場が広がり、家がない。稚内から豊富の間には、宿のある町がなく、どうしても今日は、豊富まで歩いて行かなくてはいけない。
 
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 道の端で、少し休憩し、ペットボトルに入ったお茶を飲む。向こうの方から、自転車が近付いて来た。自転車で、北海道を旅している若者だ。「こんにちは」と挨拶すると、「歩いているのですか。頑張ってください」と、励ましの声を掛けてくれた。今日も、こうした自転車やバイクの若者たちとの挨拶を励みに、歩いて行くことになるのだろう。リュックの横にある緑色の旗が、彼らと同じ仲間だということをアピールしながら揺れていた。
 午前九時過ぎ、一台の車が、私の横に泊まった。何と、居酒屋「伍佰」のマスターだった。「がんばってね。この先に、店が一軒あるから、そこで休憩するといいよ。後は、豊富までは何も店がないからね。気を付けて歩いて行きなさいよ」と、マスターは激励してくれた。わざわざ、遠い稚内から、朝早く見送りに来てくれたマスターに、北海道の人たちの優しさを感じた。

 しばらく歩いて行くと、小さな店があった。ここから先、豊富まで店がないというので、五百ミリリットルのペットボトルに、お茶を、しっかり補給した。日差しはますます強くなり、道路からも熱気が伝わって来る。しかも、道路には日陰が全くなかった。汗がしたたり落ち、すぐ、水が飲みたくなった。しばらく歩いて水を飲むという、繰り返しの中で、とうとう、ペットボトルの水がなくなりそうになった。「ペットボトル一本で十分歩いて行ける」と考えたのが、間違っていたのだ。「とにかく、どこかで水を補給しなくては、この先歩けなくなる」。私は、切羽詰った気持ちになっていた。見渡す限り牧場が続き、家は、一軒も見えなかった。
 
 カーブを曲がった所で、ようやく、工事現場の小さな事務所を見つけた。車が一台止まっていて、事務所の扉が開いていた。「すいません。だれかいませんか」と、私は開いている扉から中に入って行った。中では、二人の男性が座って仕事をしていた。「ここに水はありませんか。歩いていて、水がなくなってしまったのです」と、手前の男性に言うと、「残念だけど、ここには、水道はないんだよ。もう少し行くと、もっと大きい工事現場があるから、そこで頼んだら」と、冷たく断わられた。がっかりして、事務所を去ろうとした時に、「ちょっとかわいそうだから、これをあげるよ。持って行きな」と、奥にいたもう一人の男性が、大きなペットボトルを一本私に手渡してくれた。それは、新品のスポーツドリンクだった。たぶん、私は、かなり悲壮な顔をしていたのだろう。涙が出るくらいうれしいペットボトルを恵んでもらい、何度も何度もお礼を言って、その場を後にした。そのペットボトルは、旅が終わった今、北海道の貴重な思い出の一つとして、大切に保管している。

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 兜沼を過ぎ、午前十一時、豊富町徳満に着く。目的の豊富駅まで後、八キロ程である。午後一時頃には到着できそうである。大きな農家の前を通ると、おばあさんが、一生懸命畑仕事をしていた。「こんにちは。少しここで、休憩させてもらっていいですか」と声を掛けると「いいですよ。どうぞ、そこでは何ですから、家の中へ入って休憩してください」と、親切にも自分の家に案内してくれた。道端で休憩できればと思っていたのに、おばあさんの親切にはびっくりした。家に入ると、息子さん夫婦(私と同年輩ぐらいに見えた)が、居間でくつろいでいた。
「冷たいお茶をどうぞ。名古屋から来たのですか」と、息子さんとの会話が弾む。「酪農も大変で、農業をやめてしまう人が、増えているのです。私たちは、戦後、ここを開拓して、酪農を始めました。今から、私の牧場へ行って、サロベツ原野を見させてあげましょう」ということになった。私は親切に甘え、ジープに乗って、牧場に連れて行ってもらった。

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 山の上からの見晴らしは素晴らしく、サロベツ原野が、はるかかなたまで広がっていた。天気がもっとよければ、真正面に利尻富士が望めるということだった。豊富の町は、もうすぐそこに見えていた。牛舎の中も見学させてもらい、息子さん夫婦にお礼を言って、その農家を後にした。北海道の人は、親切だと聞いていたが、今日は、その親切を何回も体験する一日になった。
 
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 十二時、徳満駅に到着。この駅で、昼食にすることにした。徳満駅は、全くの無人駅だった。北海道では、旅行をしているバイクや自転車の若者が、駅を宿舎替わりに使うこともよくあるという。私も計画の段階では、無人駅で寝ることも考えていた。駅舎の中は、がらんとしていて、ベンチが二つ置いてある。やはり、こういう無人駅で泊まるには勇気がいるようだ。
 
 棚の上に、ノートが何冊も積み重ねてある。手に取って見ると、この駅にやって来た人や、ここで泊まった人たちの感想が、びっしり書かれていた。「学生時代以来二十年ぶりでやって来て、駅が大きく変わってしまい残念だ」という感想もある。昔は、この駅も賑わっていたようだ。「ノートを盗むな」という記述もある。貴重なノートを、失敬していく人がいるのだろう。徳満駅は無人駅だが、思い出が一杯詰まった貴重な駅だった。

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 午後二時過ぎ、長い長い四十キロを歩き切り、無事豊富駅に到着した。まずは、今日の宿を見つけなくていけない。駅の中にあるサービスセンターへ行く。「ここでは、宿を紹介はできませんが、電話を教えますので、自分で交渉してください」と、受付の女性は言った。
 まずは、豊富温泉に近い旅館に、電話をかけた。「残念ですが、満室です」という返事が返って来る。どこも満室のようだ。続いて、駅近くのトーヨーホテルに電話をした。「ええ、いいですよ」と、どうにか宿は確保できた。今日は、長距離を歩き、かなり疲れているので、これから豊富温泉でしばらく休憩してから、宿に行くことにした。行き当たりばったりの旅は、こういうところが面白い。
 
 午後二時三十分、留萌行のバスに乗車し、豊富温泉で下車する。豊富温泉は、大きな温泉のようである。ホテルや旅館がたくさん建っていた。

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 町営のふれあいセンターへ行く。入浴料三百八十円を払って、中に入る。休憩室や食堂もあって、たくさんの人で賑わっていた。荷物を置いて、さっそく温泉に行く。風呂場には五人くらい人がいた。二つの風呂があり、一つは濁っていて、もう一つは透き通っていた。さっそく、濁った方に入った。ぬるい湯である。疲れた身体を湯船で伸ばすと、今日歩いた疲れが、飛んで行くように感じた。

 しばらくして、お湯が、少し奇妙なことに気が付いた。お湯の表面に、油が浮いているようなのだ。「おかしいなあ」と思いながら、今度は、透き通った風呂に入った。こちらの方は、水風呂だった。横を見ると、中年の男性が、タライから何か黒いものをすくって、身体に塗りつけていた。「何を塗っているのですか」と聞くと、「コールタールですよ」と、返事が返ってきた。「コールタール?」聞き間違えたと思い、もう一度質問すると、「ここの温泉は、石油が含まれている塩水の温泉です。私は、コールタールを塗って、皮膚病を治しているのです」と教えてくれた。それで、湯に油が浮いているのも納得できた。
 
 しかし、不思議な温泉があるものだ。私が、びっくりしているのを見て、近くにいた老人が、「出る時には、しっかり石鹸で身体を洗って、シャワーで流して行かないと、いつまでも油臭いよ」と忠告してくれた。「ここは、湯治場の方で、もう一つ、新しくできた風呂があるから、そちらは、油臭くなくていいよ」と、勧められたので、新しい風呂にも入った。新しい風呂は、家族連れや若者で一杯だったが、薄い油の幕が浮いているのは、一緒だった。世の中には、本当に珍しい温泉があるのだ。
 
 後で、パンフレットを読むと、「大正末期に、石油の試掘をしていた際に、天然ガスと一緒に噴出したのが始まり。日本最北の温泉郷として、多くの人に親しまれている。わずかに黄濁したアルカリ性の湯は、なめると少し塩辛い。また、弱い石油臭があるのも特徴で、アトピー性皮膚炎をはじめ、皮膚病全般への効能がある」と説明されていた。また、入口には、皮膚病の難病といわれる「乾癬の会」のコーナーも作られていた。
 
 午後五時、豊富駅へバスで戻り、今日の宿、トーヨーホテルへ行く。国道沿いにあるビジネスホテルで、向い側に、ガソリンスタンドがある。明日は、次の町の幌延まで歩く予定だ。距離的には、二十キロはない。朝は、ゆっくりできそうなので、朝食をお願いする。

 午後七時、夕食を食べに、外へ出る。近くの焼肉屋に入る。店の中は暑いが、冷房はもちろん、扇風機も置いてない。「うちわがあったら、貸してくれませんか」と女将さんに言うと、「そんなものあったかねえ。少し待ってください」と、店の奥へ入って行った。だいぶ時間が過ぎて、「やっと見つかりました」と、うちわを持ってきてくれた。北海道でも、この辺りは、夏にうちわを使うことがほとんどないようだ。「今年の夏は、本当にどうかなっていますね」と女将さんは言った。ビールと焼肉を注文した。肉の味が美味しくなかった。きっと、疲れていたのだろう。




[ 2012/07/27 08:33 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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