水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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北海道最北端から歩く

第7日  幌延から手塩

 午前四時半、起床。空は少し曇っている。風も少し吹いていて、今日は、歩き易そうに思える。洗面を終え、荷物を整理した。
 
 午前六時三十分、食堂へ行く。朝の早い工事関係者は、ごはんを食べ始めていた。女将さんは、忙しそうに、宿に泊まった人たちの弁当を、用意していた。街中で働くのなら、店で食べればよいのだろうが、こういう所では、旅館で弁当を用意してもらうのだということを、始めて知った。味噌汁には、やはり、大きなシジミが入っていた。
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 午前七時、宿を出発する。広栄荘の女将さんが、見送ってくれた。幌延の駅前を通り、線路を渡って、西に向って歩いて行く。一時間ほど歩いた所に、「ここは、北緯四十五度通過点」という案内板が立っていた。北半球のちょうど半分の位置を記念して、立てられたもののようだ。車が、クラクションを鳴らして止まった。風力発電の基礎工事をしている男性だった。「なかなか、歩くのが速いですね。これからまだ、長いですが、気をつけてくださいね」と激励された。本当に、こういう励ましが、一番嬉しい。「ありがとう。お互いに頑張りましょう」とお礼を言う。
 
 そこからしばらく行った所で、天塩川を渡った。橋の長さは百メートル位で、それほど大きな川だとは感じなかった。水は茶色に汚れている。牧場から流れ出した水もたくさん含まれているので、こんな色になっているのだろうか。
 
 国道四十号線と別れ、ここからは、天塩川を右に見ながら、国道二百三十二号線を、日本海に向って歩いて行く。一直線の道路を、時々、車が猛スピードで走って行く。北海道の道路は、信号も交差点もほとんどないので、高速道路のようだ。今まで路側帯だった所に、歩道が現れた。こういう時は、近くに町があるか、学校があるかだ。予想した通りに、小学校が現れた。通学路に、きちんと歩道が確保されている。しかし、この車時代に、遠く離れた所から、歩いて通う子どもが、本当にいるのだろうか。ほとんどの子が、スクールバスか自家用車の送り迎えになっているのだろう。 

 なだらかな丘になった所を、通過する。緑の牧草が、一面に広がった原っぱに、牛が何十頭も放牧されている。小さな川も流れている。北海道でしか味わえない、美しい風景である。

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 午前十時、小さな小学校の前を通過する。「川口小学校」という表示がある。道路のすぐ横に校舎が建っているので、寄り道することにした。今は、夏休みだが、今日は金曜日だから、だれか、学校にいるのではないかと、玄関へ行く。しかし、残念ながら、鍵がかかっていてだれもいないようだ。

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 すぐ横に、教員住宅のような建物がある。車が止まっているので、ドアをノックした。中から、若い女性が、眠そうな顔で現れた。「こんにちは。名古屋で教員をしていますが、北海道へ歩きにやって来ました。ここを、通り掛かりましたので、立ち寄りました。この学校のことについて、少し教えてくれませんか」と頼んだ。

 「全校児童は八人。三年生と五年生がいないので、一・二年と四・六年の複式学級である。先生は、担任二人と校長の三人。学校が、この地域の文化センターのような形になっていて、学芸会や運動会も、地域ぐるみで取り組んでいる。すぐ隣の小学校は、もっと小さくて児童数が三人である。集合学習なども、取り組んでいる。子どもたちの家庭は、すべて酪農である」と、詳しく教えてくれた。突然ドアをノックされ、質問を受けた女先生は、大変びっくりしていたことだろう。全くもって、私は失礼な旅人だった。女先生、ありがとうございました。
 天塩の町へは後、八キロ。この分なら、十二時頃には到着できそうだ。

 広い牧場で、大きな草刈り機に乗って、作業をしている人がいる。草刈りの様子を見るのは、初めてである。しばらく、見学することにした。草刈り機は、牧草をどんどん刈り取って行く。もう一台大きな機械があって、それは、刈り取った牧草を、機械の中に巻き込み、大きな牧草の玉を作っていった。やがて、この牧草は、サイロで保管され、牛の食料となるのだ。北海道の牧場には、大きな牧草の玉が、ごろごろしているが、どうやって作るのか、その作り方が分かり、大変、勉強になった。

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 十二時過ぎ、二十五キロを無事歩き、今日の目的地、天塩の町に到着した。まずは天塩港へ行く。天塩川の河口にある、小さな港である。漁船が泊まっていて、青年が作業をしていた。「ここは、何が採れるのですか」と聞くと、「シジミやホッキ貝が有名だね。イカやヒラメもよく獲れるよ」と教えてくれた。

 港を離れ、街中を歩く。小さな町だが、旅館も何軒かありそうだ。パンフレットによると、「この町の人口は約四千五百人。北海道第二の長流、天塩川の河口に位置し、『酪農郷天塩』を目指す牧歌的都市。全道一の生産量を誇る、シジミ貝で有名な町」と、説明されていた。

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 どこかで食事をと、食堂を探す。大きな病院の前に、小さな食堂を見つけて中に入る。ビールとシジミランチを注文した。今まで、何度もシジミが味噌汁に出てきたが、ここでとれる手塩シジミだったのだ。大粒なシジミである。ここは、産地だけあって、シジミランチとは、さすがである。どんぶりに、シジミが一杯入っていて、美味しかった。

  食事を終わり、外へ出る。この店へ来る途中に、「天塩川歴史資料館」という建物があったことを思い出し、そこを、見学することにした。赤レンガの建物で、旧役場庁舎を再生したものだという。江戸時代に、北前船の港町として開かれ、北海道開拓の拠点として発展してきた町の歩みの分かる資料や写真が、展示されていた。無料で開館しているところがよかった。今晩の宿は、その建物のすぐ前にある「民宿さとう」に落ち着いた。この民宿は、一泊二食付きで五千円だった。
 
 宿に入ったのが午後一時、夜までの時間は、洗濯をしたり、これまでの旅をまとめたり、街中をぶらぶらして過ごした。途中、郵便局に行ってはがきを買い、稚内の居酒屋「伍佰」のマスターに礼状を出した。
近くの生協市場にも行って、中をうろうろした。魚屋の店先に、美味そうなカレイやヒラメ・ソイなどが並んでいた。どれも、値段が三百円とか四百円とか、あまりにも安いのにはびっくりした。「調理器具と調理場があったら、買って来て料理を作りたいなあ」と思った。シジミを大量に買っていく人がいる。聞いてみると、「お盆で家族が帰ってくるから、土産にするんだよ」と教えてくれた。市場は活気があって、たくさんの人で賑わっていた。

  午後六時過ぎ、港へ散歩に行く。海の見える港町で泊まるのは、稚内以来である。「今日は少し雲があるが、天塩の夕日も、さぞかし美しいのではないか」と、期待しながら道を急ぐ。港は、ひっそりと静まり返り、誰もいなかった。
 
 西の空を見ると、薄い雲を通して、真っ赤な夕日が見え、その横には、利尻富士が薄っすらと、姿を現していた。カメラを忘れたことに気が付いた。取りに帰ろうかとも思ったが、今日の夕日は、心にしっかり焼き付けることにした。夕日は、沈むにしたがって、水平線近くにあった雲に隠れ、見えなくなってしまったが、うら寂しさを感じさせる夕日だった。家へ電話しようかな。
 
 午後七時、食堂へ行く。この宿の泊り客は五人。親子連れの二人と、工事関係の若い二人、それに私である。この民宿は、おばあさんと息子さんの二人で経営している。料理を肴に、ビールを頼んで飲み始めた。ここでハプニングが起こった。「まあー大変。ごはんが炊けていないわ。スイッチを入れ忘れたわ。どうしよう」と、おばあさんが、叫び声をあげた。親子連れは、ごはんがないと、食事が始まらないようだった。おばあさんと息子さんが謝る中、二人はあきらめて、部屋へ戻って行った。

 工事関係の二人は、私と同じようにビールを飲み始めた。私が、道を歩いていることを話すと、二人は興味を持ったようで、話し掛けてきた。「明日は、次の町の遠別まで歩く予定です」と言うと、「あの町には宿屋が幾つもあるから、きっと泊まれますよ。道の地図を持っているから、後であげましょう」と親切に言ってくれた。この二人は、建設省の技師で、風力発電に関する測量の仕事をしていた。「お盆もありません。家は札幌ですが、ずっと、泊まり歩いています」と、仕事の大変さを話してくれた。
 
 食事が終わって、しばらくしたら、「これ、よかったら使ってください」と、さっきの若者が地図を届けてくれた。北海道の町の紹介や、道にある宿泊施設などが、詳しく書かれていて、大変参考になるものだった。北海道には親切な人が多いのだ。明日は、ここから二十キロ先にある遠別という町まで歩く。北海道を歩く旅も、だんだん調子が出てきたようだ。



[ 2012/07/29 09:51 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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