水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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北海道最北端から歩く

第10日  天売島 

 午前五時、起床。洗面を終え、荷物を整理する。  
 午前七時、宿を出発し、港へ急ぐ。フェリーの出発時刻は、七時三十分。乗船するフェリーには、すでに、たくさんの人が乗り込んでいた。オロロン鳥がいるという天売島に行くことに決め、乗船手続きを取る。フェリーは、「焼尻島経由天売島行」。天売島までは、一時間四十分かかる。船内に売店がないので、港の売店で、食べ物を買おうとしたが、パンやおにぎりはない。仕方なく、ソーセージを買う。朝食は、天売島に着いてからにした。
 
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 午前七時三十分、フェリーは出港した。携帯電話で、名古屋の上さんに連絡をとる。「今から、船で天売島へ行くことにした。北海道を歩く旅も、今日で終了するよ。今日は、留萌に泊まる予定だから、また宿が決まったら連絡する」と話すと、「えっ、歩くのを止めるって。どこ、天売島って…とにかくよかった。これで、心配しなくてすむものね。宿が決まったら、連絡ちょうだい」と、びっくりした声が返ってきた。私の行き当たりばったりの旅には、あきれて物も言えない。
 
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 フェリーの横を、カモメが付いて来る。

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 子どもたちが、お菓子を手に、カモメを待ちうけている。礼文島へ渡る時に見た風景と、同じだった。実に見事に、カモメたちは、お菓子をくちばしで掴み取って行った。ここのカモメたちも、フェリーから餌が貰えることを、しっかり学習しているようだった。

 午前八時三十分、焼尻島に到着。港には、旅館や民宿の旗を持った人たちが、お客さんを待ち受けていた。たくさんの人たちが、降りて行った。礼文島での、竹ちゃんとの出会いを思い出した。十分ほどで、再びフェリーは出港した。天売島は、すぐ目の前に見えていた。緑が美しい島に見えた。

 午前九時、天売島に到着した。この港でも、旗を持ったたくさんの人が、出迎えに来ていた。港のすぐ前にある「よし丸食堂」に入る。いろいろなメニューがある。ウニ丼、ウニラーメン…ウニと表示があるメニューは、どれも、千円をかなり超える値段である。私は、八百円の海鮮ラーメンを注文した。

 パンフレットを開き、天売島について調べる。「八種類、約百万羽の海鳥と、五百人の島民が共生し、世界的に貴重な島として、注目されている。絶滅に瀕しているオロロン鳥(和名ウミガラス)、ウミスズメ、ヒメウは、国内唯一の繁殖地で、ウトウやケイマフリの世界最大級の繁殖地でもある」と、説明がある。島を巡る一周十二キロの道も、整備されているようだ。この店では、一周するための車やバイク・自転車のレンタルもやっていて、何人もの人が、手続きをしていた。もちろん、私は、その道を歩いて一周することにした。
 
 海鮮ラーメンが、運ばれて来た。アマエビ・イカ・ワカメ・白身の魚などが入り、薄味でとても美味しい。北海道で食べたラーメンの中では、ここの味が最高だった。隣りで、持って来た新聞を見せて、「ここに、この店の紹介が載っていたので、持って来たよ。ここのウニ丼、ウニラーメンは、絶品と書いてあるよ。そのウニラーメンをください」と老夫婦が注文した。しばらくして、運ばれてきたウニラーメンは、ウニがしっかり載っていて、「あれは美味そうだ」と見ていて思った。
 
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 午前九時五十分、港を出発。きつい上り道を歩いて行くと、広い通りに出た。旅館や民宿が、何軒も並んでいる。小さい島なのだが、結構、車も走っていた。

 右手に、博物館のような建物が見えるので、近づいて行くと、「海の宇宙館」という案内板が立っている。中には、天売島の自然についての説明や、美しい写真が、たくさん飾ってあった。オロロン鳥については、「昭和十三年には、四万羽が生息していたとされているが、現在は、数十羽しか生息しておらず、国内希少野生動植物に指定されている」と説明がある。
 
 博物館を出て、舗装された道を進んで行った。やがて、家がなくなり、左手に、海が見え出した。道は、海からかなり高い所にあり、見通しが利く。後ろから、自転車に乗った五・六人の家族連れが、抜かして行った。この人たちは、自転車で、島を一周しようというのだ。地図には、徒歩で三~四時間、自転車では二時間と書いてある。「自転車なら一時間で回れそうなものなのに、どうして二時間なのか、不思議だなあ」と思ったのだが、その意味が、しばらく行って分かった。
 
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 やがて、道は厳しい上り坂になった。歩くのも辛い上り道を、先に行った家族連れが、自転車を重そうに引いていた。とうとう、私は彼らに追い着いてしまった。まさかこんな上り道を、自転車を引いて歩こうとは、彼等も、予想していなかったようだ。年配の奥さんが、旦那さんにぶつぶつ言っている声が、聞こえてきた。何と、この道は、この島の山の頂上まで続いていたのだ。
 
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 午前十一時、島の最西端にある、赤岩展望台に到着した。

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 断崖の淵に、手すりの付いた歩道が作ってある。その道を歩き、下を覗きこむと、大きな岩が、海の中からそびえていた。これが赤岩だ。写真を撮ろうとしたら、カモメが横切って行った。「うまく写っていれば、博物館で見た写真のようになるかも知れないな」と思った。
 
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 断崖には、無数の小さな穴が、開いている。鳥たちの巣穴のようだ。「夜にならないと、鳥はここには戻ってこない」と、説明板に書かれていた。「きっと、夜はすさまじい状態で、鳥たちが休んでいるのだろうな」と思った。緩やかな上り道を歩いて行くと、「マムシに注意」という立札が立っていた。北海道でも、かなり北にある天売島に、マムシがいるとはびっくりした。

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 道が、少し下り始めた所に、海鳥観察舎という建物があった。望遠鏡が、二台設置されていて、絶壁の岩棚にいる海鳥が観察できる。望遠鏡で覗くと、パンフレットに載っているオロロン鳥が視界に飛びこんできた。まさか、数十羽しかいないオロロン鳥を、観察できるなんて思ってもいなかったので、興奮してしまった。カメラを、大きな望遠鏡のレンズにくっつけて、シャッターを押した。「こんな方法で、オロロン鳥が写せたら、軌跡のようなものだ」と思った。絶壁の下に広がる海に、船が浮かんでいた。この島を巡る観光船のようだ。

 観察舎からは、急坂になった。さっきの自転車の一団が、すごい勢いで私を追い抜いて行った。あの人たちは、上りの辛さを、下り坂で解消していったようだ。
 
 午後0時三十分、港に到着した。どうやら、歩いて一周したのは、私一人だったようだ。フェリーの出発時刻は、午後一時二十分。朝入った「よし丸食堂」に行く。ビールとイカ刺と、おにぎりを注文した。「どうでしたか」と、女将さんに感想を聞かれた。「美しい島でした。オロロン鳥を見たので、満足しました。しかし、自転車の人は大変でしたよ」と話した。

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 午後一時二十分、たくさんの客を乗せて、フェリーは天売島を出港した。

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 相変らず、カモメの群れが、フェリーを追いかけて来た。途中、焼尻島に寄って、午後二時十分、羽幌港に入港した。「私の北海道の旅も、これで終わったのだ」と、丘の上で回る風車を眺めながら思った。

 これから、名古屋に向けて帰る。まずは、列車が走る留萌を目指して、羽幌バスターミナルに行った。幸運にも、すぐに留萌行のバスがやって来た。ターミナルには、大きな荷物を持った人がたくさんいたが、このバスは、羽幌発なので、座席は十分に確保できた。

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 バスは、ゆっくり国道を走って行く。今回、歩く予定に入れていた苫前町を通る。丘の上に、大きな風車が、二十本近く並んで回っているのが見えた。たくさんの風車に圧倒された。二学期からは、この風車が、子どもたちとの共通の課題になる。「そうしなくては」と思った。美しい海岸線を、バスは走って行った。小平町に近づくと、国道から外れて、街中のごちゃごちゃした細い道を走った。やがて、海岸線の向こうに、大きなビルが見えてきた。それが留萌の町だった。

 午後四時過ぎ、バスは、留萌駅前に到着した。羽幌から一緒に乗った老人は、「今から、旭川へバスで帰ります」と話した。夕暮れまでには、まだ時間がある。「こうなったら、今日は札幌で泊まって、次の日に、列車か飛行機で、名古屋に帰ろう」と思った。駅前広場には、NHKの連続ドラマ「すずらん」の大きな看板が立てられていた。駅の待合室にも、写真や資料などが貼られていて、ドラマ一色という感じである。私は、時刻表を買って、列車のダイヤを調べた。午後六時二分発の深川行普通列車に乗車し、深川で午後七時三分発の「ライラック二十四号」に乗り換えると、札幌には午後八時に到着できることが分かった。さっそく、上さんに予定が変わったことを、携帯電話で連絡する。「えっ。何だって。今から札幌へ行くって!」と、上さんの甲高い声が響いた。行き当たりばったりの旅も、ここまでくればすごいものだと、我ながら感心した。
 
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 時間があるので、駅前の商店街をぶらぶらする。大きな土産物屋があるので、中に入る。北海道名産の品々が並んでいる。職場への土産を買い、展示コーナーへ行くと、北海道各地を紹介するパンフレットが、ずらりと並べてあった。「すずらん」効果なのだろう。私が歩いた町の資料もたくさん並んでいたので、貴重な資料として、貰うことにした。パンフレットも手に入り、今日は、幸運の連続である。

 午後六時二分発深川行普通列車に乗車する。二両編成の列車の車内は、かなり空いている。座席を確保し、夕暮れが迫った景色を眺めながら缶ビールを飲んだ。途中、NHK連続ドラマ「すずらん」で、「明日萌駅」として有名になった恵比島駅に停車した。乗車する客は、一人もいなかったが、ホームは人で溢れていた。列車は、すっかり暗くなった原野の中を走り、午後七時、深川駅に到着した。ここで、午後七時三分発、札幌行「ライラック二十四号」に乗り換えた。自由席はかなり混んでいたが、何とか座席は確保できた。後は、午後八時の札幌着を待つだけだった。
 
 ところが、ここから、「今回の旅の総集編」とも言うべき、可笑しな旅が始まるのだ。
「今晩、札幌に泊まらないで、もっと違う帰り方は、できないだろうか」という考えが、頭に閃いたのだ。さっそく時刻表を開いて調べ始めた。札幌発の夜行列車に乗る方法があったが、寝台列車は、座席がとても確保できないと思った。急行もあったが、これも、座席が確保されるかどうか分からないし、例え確保できても、体力が持たないので無理だと思った。飛行機はどうか。名古屋へ飛ぶ飛行機は、この時間には、すでになかった。きっと、お盆だから、明日の飛行機もキャンセル待ちだろう。船はどうか。今回の旅で出会った若者たちの多くが、「フェリーで、北海道にやって来た」と言っていたことを思い出して、調べて見た。フェリーの発着する港は、苫小牧、小樽、室蘭、岩内、釧路の五箇所あった。釧路は遠すぎた。苫小牧は、名古屋へのフェリーが出ているのだが、出港時刻が午後六時三十分で間に合わなかった。岩内は、月曜日のフェリーがなかった。室蘭と小樽が残った。室蘭発直江津行は、午後十一時五十五分発。小樽発敦賀行は、午後十一時五十五分発。どちらも、乗船できる可能性があった。後は、札幌からの列車の連絡だが、どちらも連絡があって、室蘭は、午後十時十分に到着、小樽は、午後八時五十四分着だった。時間的余裕がある小樽から「敦賀行」のフェリーに乗ることに決めた。

 午後八時、列車が札幌に到着した。乗り換え時間は、わずかに三分、重いリュックを背負って、隣のホームまで急いだ。そして、無事予定した列車に乗車した。驚いたことに、列車の中は通勤客で満員、旅行者らしい姿は、私一人だった。私は、小樽が札幌の通勤圏だということを、その時初めて知った。午後八時五十四分、小樽に到着した。後は、港に行けばよいのだが、晩御飯を食べていなかったので、駅の構内で駅弁を買い、駅前の通路横で食べることにした。隣には、バイクで旅する若者が、何人もシートを広げて、寝場所を確保していた。携帯電話で、上さんに連絡をとる。「えっ、小樽だって! どうなっているの! 札幌じゃなかったの? えっ、船に乗るって???」もう、言葉は聞こえて来なかった。「あきれてものが言えなくなった」というのは、こういうことを言うのだろう。

 午後九時三十分、タクシーで小樽港に向った。敦賀行のフェリーはすでに入港している。ものすごく大きくて、りっぱな船だった。乗船手続きを取ろうと、受付へ行くと、「今日の乗船切符は、もうありません。後は、キャンセル待ちだけです」と、受付の女性は申し訳なさそうに言った。「えっ、ここまで来て、乗れないのですか」、半ばあきらめて、帰ろうとすると、「いえ、キャンセルがあると思いますから、十時三十分になったら、またここへ来てください」と、十八番と書かれた番号札を、渡してくれたのだ。私は、キャンセルを信じて、待つことにした。
 ロビーには、たくさんの人が椅子に座っていたが、どうも、私と同じキャンセル待ちをする人たちのようだった。今、自分がこういう状態でこの椅子に座っているのは、予定をくるくる変更したからだ。例え、乗船できなくても、「身から出た錆」だと、半ばあきらめていた。だめなら、今夜は、小樽駅前のホテルにでも泊まろうと考えた。行き当たりばったりの旅も、時にはこういう失敗があるものだ。

 午後十時三十分過ぎ、キャンセル待ちの番号が発表された。「一番から十六番までの人は、カウンターに来てください」というアナウンスがあった。「えっ、あと二人。やはりダメかな」と思った。すると、続いて、「まだ、最終ではありませんので、そのままお待ちください」とアナウンスがある。かすかな希望が見えてきた。何だかフェリーに乗船できそうだ。
 
 午後十一時過ぎ、「十七番から十九番までの人は、カウンターまで来てください」と、アナウンスがあった。「やった!」残りの三人の中に、私は入ったのだ。リュックを持って、受付へ行くと、「二等寝台席になります。料金は九千九百三十円です」と、チケットを渡された。
すぐに、手続きを済ませ、長いエスカレーターに乗り、着いた所は、フェリーの入口だった。間違いなく、敦賀に向けて出港するフェリーに、乗船できたのだった。幸運の連続だった一日は、こうして終わった。汽笛が響き、フェリーが小樽港を出港した。遠くなる小樽の町の明かりを見ながら、「この結末は、北海道行き当たりばったりの旅の締めくくりとしては、最高だった」と思った。 (完)


[ 2012/08/01 08:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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