片掛の旧跡片掛銀山跡
今から四〇〇年ほど昔の天正年間に、この辺り一帯で銀山の開発が盛んに行われた。片掛・庵谷・吉野銀山で、坑口が一〇〇ほどあったという。
その鉱口の跡が、庵谷へ通ずる村道の脇に、幾つか残っている。大渕寺から峠を少し上った所には、細入観光協会の『片掛銀山跡』の道標が立っている。
旧飛騨街道の一里塚 
片掛集落の中央よりやや南の道路東脇に、直径約九十㎝の榎の大木が二本そびえている。旧飛騨街道は、この木の下を通っていて、昔の一里塚に植えられた榎と伝えられている。
庵谷峠へ続く旧飛騨街道(新道)
大渕寺に近い道路脇に、「旧飛騨街道」の標識が立っている。ここが、小菅峠を越えて庵谷集落へ続く旧飛騨街道の上り口である。峠までは、細くて険しい上り道が続いている。しかし、今は、ほとんど通る人もなく、雑草に覆われている。
明治十九年、旧飛騨街道の改修が行われ、庵谷峠を越える新道が作られた。それまで牛でしか越せなかった峠道が、荷馬車の通行ができるようになり、輸送量が飛躍的に増加した。
吉野と片掛の篭の渡し
神通峡で一番狭い吉野橋の少し上流の大岩に篭の渡しがかかっていた。古図、神通川絵図(文化十年 一八一三年)に書かれている。「幅が十四間(二十五・五米)あった。明治十八年に丸木橋になる。」
昭和二十八年神通第一ダム工事で架け替えられ、更に昭和五十八年に現在の橋となり、幅七米、長さ百二十三米、片路峡を望む絶景の場所になった。

吉野橋から見える冬の片路峡