片掛に残る古い民家
坂野家
片掛に設けられていた郵便局がこの坂野家にあった。片掛の郵便局は、大久保局と高山局の中間地として、人の足で配達や集配をしていた。大正十年から、密田銀行もこの家の一室に出張所を置き、営業していた。今も、二階の家の窓に、その当時の鉄格子が残っている。昭和五年、飛越線が開通し、猪谷駅前が賑わうようになると、郵便局は猪谷駅前に移転した。
水戸家
明治初期に建てられた農家である。今は懐かしいくぐり戸と、長いヒサシが残る農家である。傾斜地の多い片掛は、江戸時代から養蚕が盛んであった。蚕の成育には、日光が直接当たるのがよくないので、屋根のヒサシを長くした。
旧飛騨街道の面影を感じさせる片掛の家屋

立山町へ移築された旧嶋家 
片掛の旧嶋家は、昭和四十六年三月三十一日付で、国の建造物の重要文化財の指定を受けた。その後、県が買い受け立山町芦峅寺にある「風土記の丘」に移築。同年五月にこの地で公開された。
嶋家の建築年代は明らかでないが、文久年間(一八六〇ごろ)に改造したと伝えられ、およそ江戸中期の元禄期(一六八〇年代)に建築されたのではないかとみられている。
所有者だった嶋家は代々農業を営み、肝煎をつとめた家柄であった。片掛は飛騨街道筋の宿場町であったため、農家であっても町家風の普請をしたものであろう。(「細入村史」)
建物は杉林に囲まれており、黄土色の土壁は、緑に映えてひときわ往時の姿を感じさせる。
しかし、山あいの住宅という感はうすく、むしろ町家風である。屋根は切妻造りで、勾配は飛騨の影響を受けてかなりゆるく、板葺きで石が並べてある。正面には板屋根の軒がつき、出入り口の板戸二枚に障子が設けてある点など、町家の特色を示す。往来の多い街道筋にふさわしい建て方である。家に入ると、広い土間があり、右手に、板の間の「かちって」と「広間」が続く。広々とした感じを受ける。飛騨街道筋民家の特色である。
(富山県教育委員会発行「富山県の文化財」)