水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡をたずねて  片掛かいわい12

伝えたいお話あれこれ   大正時代の頃のお話4

神通川の鱒漁 
 
 水腰英太郎の言によれば、大正年間には片掛でよく大量の鱒を獲ったという。籠場(第一ダムと吉野橋の中間)と呼ばれた地点で、加賀井・前原・村杉といった人々をはじめ、六、七人の上手な男衆が威勢よく獲った。
 
 水腰梅太郎(後の公選初村長)が買いまとめて、富山市の桝常・堺捨・高田といった店に売った。これらの店の若衆が富山から峠を越えて自転車で買い入れに来たものだという。
 
 富山の「鱒寿し」は現在全国に著名な存在ではあるが、当時はその原料が細入からも供給されていたのである。なお鱒を保存するため、片掛では雪の室(雪を貯える施設)をつくり、その中で冷蔵しておいたという。
 
 なお、同じく水腰英太郎の話では、対岸下流の寺津においても鱒漁が行われ、「片掛鱒」に対して、「寺津鱒」と呼ばれたが、片掛鱒の方が値が良かったとのことである。その根拠として、寺津から片掛まで鱒が遡上するのに一週間かかるほど、片路峡が急流だったため、鱒の肉が締っていたからだということがいわれるが、このように片掛の鱒は大変評判が高く、高山・船津方面からも買いに来たという。      「細入村史」



とれたばかりの鮎や川魚を塩焼きにして食べた    文山 秀三 

 私が子供の頃には、今のような大きなダムはなかったので、鮎はもちろん、鱒や鮭もたくさんいた。川の浅瀬を鮎の群れがのぼって行くのがよく見えたし、浅瀬を歩くと鮎が足に触れた。それほどたくさんいたのである。

 また、ヤス(魚を突く道具で先がとがっている)を使って水中にもぐり鱒や鮭をとる名人もいたので、それを見ているだけでも楽しかった。片掛は山村であったため、海でとれる魚は干物や塩ものなどが主で、鮮魚はあまり食べることはできなかった。そのかわり、神通川でとれる川魚を結構食べることができたし、新鮮だった。とれたばかりの鮎と川魚を塩焼きにしてたべたのは美味しかった。
               
                      (飛騨街道「片掛の宿」昔語り まぼろしの瀧) 文山秀三著



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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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