水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡をたずねて  片掛かいわい15

伝えたいお話あれこれ   大正時代の頃のお話7

大正から昭和にかけての片掛のくらし  文山秀三

くらし(その二) 

 履物については前に触れたが、特に低学年のときには下駄(げた)や草履(ぞうり)が多かった。これらのものは登下校の途中でハナ緒がくれることがあるので、いつもカバンの中にハナ緒用の紐を入れていたものだ。下駄はお祭りやお盆には新しく買ってもらっていたが、普段履きのものは、買ってもらったものがすり減ったあと自分の家で作っていた。下駄用の木は日常注意して見ているうちに手頃のものをとっておき、雨の日などを利用して削ったり、焼け火箸で穴を開けたりして作る。草履は勿論自作だったが(藁のもの)竹の皮で作ったものは買っていた。冬雪の多いときは藁靴を履いたりしたが、私は歩きにくいのであまり使わなかった。雪道が固まると、スリッパに似た形で藁で編んだものが、もっと手軽で歩きやすいということでよく履いたものである。そのほか、積雪時に大人が(男用)使ったものの内、足の形にピッタリ合い作業もし易いものが、藁で編んで作られていてよく履かれていた。このように、雪の中での履物は藁(わら)で編んだものが多い。これは雪の上では滑るのを防ぐ必要と保温という一石二鳥をねらったもので、その材料も沢山あった。

img9041.jpg   「細入村史」 
 
 雨の多い季節には足駄(アシタといっていた)を履くことが多かった。足駄といっても若い人では知らないという方が多いと思われるので、書き添えることにする。之は一口にいうと台木に木の歯をはめ込むもので、歯が減ってくると歯だけ抜き取り、新しい歯を何回も入れ替えができるという長所がある。あまり重くならない様に歯を薄くし、高さも下駄の二倍ぐらいになっていた。この様に、足駄は雨の多い地帯では生活の知恵として発明されたものであろうが、うらを返せば、道路事情が悪かったわが国では、履物の改良によってすこしでも雨をしのぐ工夫がこらされたものであろう。
 
 小学校の三年生頃からゴム靴が入ってくるようになって、登下校に下駄や足駄、草履をはく者が次第に減っていった。ゴム靴はその頃の子供達にとっては近代的な履物だった。しかし、みんな靴下をはいている者はなくハダシのままで、冬になり寒くなると足袋(たび)をはいてゴム靴を履いていた。どういうわけか足袋は底が白くなっている。足袋は家の中でもはいていたので、白い底の部分はすぐに汚れて黒くなる。ところが、雪には漂白作用があるので、雪の上に一昼夜ものせておくと汚れた足袋の底も白くなるので、洗濯しにくい足袋をきれいにするのに便利だった。足袋は上の部分は破れないのに、底の特にカカトやユビの下の方がすり減って早く破れて穴があく。そこで考えられたのは、底の部分だけ丈夫な布きれを縫いつけて補強し、またその底がすり切れるまではいたものである。
 
 電気洗濯機は戦後発売されたもので戦前ではなかったし、外に機械的に処理するようなものも一般家庭にはなかった。私達が子供の頃は、みんな洗濯用の木のタライで洗濯板(厚さ二十㎜程の木の板に、横に山型で長さ三十㎝程の溝が彫られている)の上で洗濯物を手でもみながら洗った。洗剤としては固形の洗濯石鹸が使われていた。
 
 着物の洗濯では、縫い糸を全部取り除き、張り板に張って乾燥していた。張り板というのは厚さ十五㎜位で幅六十㎝長さ二m程の曲りにくい反らない板である。縫い糸を除いた着物の部分きれを洗濯した後、この板に張りつけたのだが、シワがなくなり元のままの形が再現されるので多く使われた。張り板も裁縫板や木のタライ、洗濯板等と共に嫁入り道具として必ず持って行ったものだと聞いている。農閑期の晴れた日、方々の家に立てかけられた張り板は、生地の色彩がそのままあらわれるのできれいだった。

 今、どこの家でも使われているような電気アイロンは無かったが、火種を直接入れるように作られたアイロンがあって一部で使われていた。そのほか、電気アイロンでも火種でもないアイロン(内部に発熱体がない)があって、炭火などで温度を上げて使うというものもあった。
 
 一般の家にはミシンがなかったので、どこの家でも女の人達は針仕事をしていたし、みんな上手だったようだ。その頃は、他人に縫い物をしてもらうなどは女の恥と心得ていたようで、年頃の女達では針仕事が上達する為に相当な時間がそのけいこに使われた。私も、老眼になった祖母の為に針の目に糸を通してあげたものだ。小さいときからやっていたので何を縫うときにはどの針を使い、どういう糸を使うであろうということまで、大体見当がついたものである。また、縫い物をすると肩がこるというので、よく、祖母や母の肩をもんだり肩たたきをしたりした。
      
                       (飛騨街道「片掛の宿」昔語り まぼろしの瀧)文山秀三著


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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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