水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡をたずねて  片掛かいわい20

伝えたいお話あれこれ   大正時代の頃のお話12

大正から昭和にかけての片掛のくらし     文山秀三

くらし(その七)
 

 山村だから都市のような上水道はない。しかし、片掛では洞山の麓の岩の間から湧き出る水は、他所ではなかなか見当らないといわれるよい水で自慢の一つだった。湧き出る所に不動尊がまつってあり、元のところから土管で引き、各家へはパイプを引いて上水道として使っていたが、一年中殆ど水温、水量ともに変化しなかった。その上、大雨が降っても濁るということがなく、本当に水にだけは恵まれていた。旅人や都市から来た人達が、何といううまい水だといいながらヒシャクで何杯も飲んでいたものである。
 
 そのころの一般の農家ではどんな副食物を食べていたか詳らかではないが、私の家は小さいとはいえ旅人宿をしていたので、一般の農家に比べて少しは良かったといえるのではなかろうか。之は副食ではないが、家の者が飲むお茶は番茶で、そのホウジ茶は自分の家で作っていた。このほかにお客さん用に上等と普通のお茶を絶やしたことはなかったし、お酒も良いものと普通のもの(そのころは何級酒という等級はなかった)をいつでも揃えていた。また流通がよくなかったので魚などの缶詰も相当数保管されていて、急な宿泊者があってもまごつかないようにしていたものである。
 
 今のように、お金さえ払えば何でも入手できるという時代ではなかったし、生かさず殺さずの江戸幕府の政策が明治まで残り、村人達は粗食に堪えるように日頃から訓練されていた。そして季節毎に合った種類の少ない材料を、形をかえたり味付けに新味をもたせたりなど、いろいろ工夫して食べることを考えていた。また、豆腐は昔からあったものだがその料理の仕方などは今に比べて多く、上手に食べていたように思う。食用油は主に菜種油を使い、豆腐の油あげのほか揚げ物にもよく使われていた。脂肪分としてはこのほかに胡麻がよく料理に使われていた。調味料の大半は味噌で、味噌はどこの家でも自作の大豆を煮て糀(こうじ)だけは買って作り、一年中味噌汁の絶え間はなかった。私の家でも、大人の身長よりも高い(深い)味噌樽が何本も土蔵に貯えられ、三年後にならないと食べはじめなかったほど年数をかけていた。そのころでも酢や醤油はあって調味料として使われていたほか、トウガラシ(ナンバといっていた)は香辛料として一般に用いられていた。

img9091.jpg   「細入村史」

 冷凍食品というものがなかったので、海の魚といえば塩魚(シオモノといっていた)や干物が多かった。たまに鮮魚を売りに来た。ザルに雪か氷を敷きつめた上に魚を並べ天秤棒で担いで売りに来たものである。その魚も相当時間が経っているので鮮度はかなり落ちていたが、山村の人達はそれでも「やっぱり生魚(なまざかな)はうまい」といって食べていた。本当に海でとれた鮮魚がよく出回るようになったのは、その後高山線が猪谷まで開通してからで、それまでは特別のことがなければ生き生きした海の魚を見ることはできなかった。

 肉類は、禅宗や浄土宗、浄土真宗などの門徒であったことも原因で、牛肉や豚肉をあまり食べなかったようだ。勿論肉を売る店もなかったのだからやむを得ないが、後に高山線の建設工事が始まり、他県から多くの土方(どかた・土木作業に従事する人々)が入り込むようになり食べていたので、村人達も次第に食べるようになった。乳製品としては育児用のミルクがあったぐらいで他に乳製品らしいものは覚えていない。しかし、牛や豚をあまり食べなかった反面、熊、兎、キジ等地元やその付近でとれるものの肉をときどき食べることができたし、海の鮮魚が少なくても神通川で川魚がとれた。

 今は全国どこへ行っても季節にかまわず茄子やトマト、白菜、キャベツなどが売られていて、どの野菜がいつの季節のものか分らない人が多いと聞いている。その頃でも、大根やニンジン、ゴボーなどは作られていたが、片掛では昭和になってようやく茄子が作られるようになり、トマトや白菜が植えられるようになった。それ以前の軟い菜といえば杓子菜(しゃくしな)ぐらいだったので、白菜を作るようになって軟らかくてうまいし、その上貯蔵がきくということで喜ばれたものである。トマトは何か臭いがあるというので、みんなに浸透するのに少し年月がかかったようだ。

 南瓜(ナンカンといっていた)は副食としても、おやつにしてもうまいしその上保存がきいた。ジャガイモ(センダイモといっていた)やサツマイモも保存食物であるが、サツマイモは寒さに弱いのでその格納場所は特に注意をはらい、イロリに近い床下にモミガラなどを入れその中へ保管していた。一方、一般に山菜といわれる物の中では保存用として貯えられたものにゼンマイがあった。片掛ではワラビをあまり干さないが、ゼンマイはどこの家でも干して野菜の少ない冬場に食べるように貯蔵されていた。山菜はほかにも多くの物を取りに行ったが、ゼンマイ以外の物は干してもうまくないし貯蔵もきかないものが大部分で、やっぱり山菜はとったときに食べるのが一番うまいようだ。

                        (飛騨街道「片掛の宿」昔語り まぼろしの瀧)文山秀三著




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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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