水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡をたずねて  片掛かいわい24

伝えたいお話あれこれ   大正時代の頃のお話16

大正から昭和にかけての片掛のくらし     文山秀三

くらし(その十一)

 
 農機具(といっても機械的なものはあまりなかったが)のうち、木で作られたもの及び鎌やトグワ、クワ、ミツグワなどの木で作られている柄(エ)に焼印を押していた。墨や塗粉などで家の名を書いていてもすぐに消えてしまうので、消えることのない焼印は最もよい方法だった。鍛冶屋(カンジヤと言っていた)に頼んで鉄製のものを作ってもらい、焼いて印を押したものである。焼印は農機具だけでなく、下駄や足駄などにも押していた。
 
 そのころ車屋という鍛冶屋とも区別のつかないような修理屋があった。車屋といっても車を引張る車夫ではなく、主に修理するもので一部木工もやるという一寸変った職業であった。荷車、馬車などでは全て車は鉄の輪がはまっていた(人力車だけはタイヤだった)ので、すり減った鉄の輪を取り替えるのが主な仕事で、そのときに木工の修理もするのが普通だった。荷車にも馬車にもタイヤが使われるようになったのは昭和に入ってからで、それも徐々に普及して行った。鉄の輪がはまった車輪は相当永い間使われていた。その鉄の輪の入った馬車に乗り砂利道を行くと、まるで空気の抜けたタイヤの自転車で走っているよりもひどいもので、その振動は腸捻転をおこすのではないかと心配するほどだった。
 
 当時、村を次から次へと商売していたものの内、修理業としてゴム靴の修理屋、コウモリ傘直し、イカケ屋などがあった。小学校へゴム靴を履いて行ったもので、そのゴム靴が破れたり穴があいたりする。そこへゴムを貼り付けるものでゴム糊やヤスリなどを使って修理をしていた。コウモリ直しは、特に中心部の手の入らないような狭い部分にも器用に指や工具を差込んで修理していたのを覚えている。
 
 イカケ屋というのは金属製食器や鍋や釜などを修理するもので、一番沢山道具類を持ち運んでやっていた。フイゴで風を送って温度を上げ金属を溶かし、あらかじめ粘土で形を作っておいたすき間へ溶けた金属を流し込むのが面白かった。物珍しいのでイカケ屋さんの仕事の邪魔にならないようにアグラをかいたりシャガンだりして眺めたものである。特に金属(その金属が何であったかまでは聞いていない)が溶けて液状になり、それを流し込むときの一瞬は心臓が止るほど緊張して見つめたものである。
 
 いくら山村といってもたまに物売りが来た。覚えているものでは金魚売や鯉の子売り、十銭均一の店などがあった。金魚売りはその売り声が澄んでいてのんびりしていたので何回聞いてもよいものだと思った。山村では鯉を水田へ放流して、ある程度大きくしてから自宅の池へ入れることが行なわれていたので、田植が終るとそのころを待ちかねたように鯉の子を売りに来たものである。
 
 十銭均一(何でも一品十銭)の店と書いたが、商店が移動してくるのではなく、荷車に日用品類を積んだりブラ下げたりして売りに来た。今でいえばさしずめ二百円か三百円均一の店のようなものであると思えばよい。そんな安物ばかりでも、来る度にそれまで見たことのない日用品が見られるのも楽しみだった。
 
 子供の頃二、三年に一度映画を見た。映画といっても興業ではなく仏教の布教に使われたもので、親鸞上人一代記などでは「吉崎の嫁おどし」の中に出てくる鬼婆々はすごかった。恐ろしい鬼の面は子供達を恐怖におののかせたものである。

 富山から猪谷まで高山線が一部開通してから、一年に数回映画が来るようになった。駅が猪谷にあったので次第に猪谷は人家も増えて行き、映画の会場も猪谷だった(所謂映画館ではなく他の催物の会場にもなった)。映画は時代物でチャンバラが多く、伊井容峰主演など若い人には忘れられてしまった人のものがよく来た。水谷八重子が子役で出演していた昔のことで、たまに現代物の恋愛映画が来ても、今のようなキスシーンは無く、ヌードなどはもってのほかだった。愛し合っている二人が手を握りしめる場面が精一杯の表現として許されていたらしい。それでも若い人達はその場面を食い入るように見つめ、ため息をつき手に汗を握っていたのである。
 
 弁士が得意の声をはりあげての説明がついて、静かな音楽が流れるなど、トーキーとはまた違った味があったものだ。その頃は映画観賞といえるものでなく、片掛から四㎞を歩いて行くので、食べ物飲み物などを持参した上での映画見物で、会場はゴザが敷いてあって男達はその上にアグラをかいて座っていたし、女の人達は座布団を持ち込み行儀良くお座りしての映画見物であった。

 それらとは別に飛騨街道沿いに浪曲師や浄瑠璃語りなどが街道の途中私の家に泊り、家賃稼ぎに部屋と部屋の仕切りになっている戸やフスマを外し、村人達を集めて「公演」をしていた。

                        (飛騨街道「片掛の宿」昔語り まぼろしの瀧)文山秀三著



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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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