伝えたいお話あれこれ お祭りの話1
片掛の春祭り 文山 秀三 片掛の春祭りは四月十五日、十六日の二日間で、十五日を本祭り、十六日を裏祭りと呼んでいた。(祭りのことを子供の頃マッツリと言っていた)お神輿はないが獅子舞があり、踊りがあって、祭りは秋祭りもあったが、春祭りだけに獅子舞があったので特に印象が深い。
まだ北陸の雪が消えてしまわないころから村の若者のうち適任者を選び、また小学児童の女の子の中から踊子三人にお願いして人選を終わる。
三月半ば頃、前に触れた大渕寺の団子まきが終わると、村のほぼ中央にある青年会館(青年クラブと呼んでいた)で獅子舞と踊りのけいこに入り、若い者は続々青年クラブへ集まってくる。私の家はクラブの近くにあったので、夜になると、けいこの笛や太鼓の音が家の中まで聞こえてくる。これらの音は、寒かった冬のカーテンを引き払って、雪解けや春の花とは違った意味で、本当の春がすぐそこまで近づいたことを知らせてくれた。
青年クラブでは先輩たちが来て、全く初めから基本動作から手を取り足を取って若者たちに教え込むのだが、それは極めて厳しいものだった。一ヶ月間近く、毎夜遅くまでの猛けいこは、教えられる者も教える者も、まだ春浅いというのに汗だくになって続けられるのである。
村人も子供たちも笛や太鼓の音にさそわれ、祭りの日まで待ちきれずに、けいこ途中でも、獅子舞や踊りのけいこをクラブへ見に行った。特にお祭りが近づくと大先輩といわれる人たちがけいこの成果を見にやって来て、話し声もわからぬ程、笛や太鼓にも熱が入り、若者たちも最後の仕上げに頑張っていた。
そして、本祭りの前夜(ヨイマツリ)総仕上げのけいこが本番そのままに演じられ、永かったけいこはこれで終わる。 付近の村々にはそれぞれ獅子舞や踊りがあったが、そのいずれも伝統があって違っていたのは面白い。ただ、どこの村でも伝統を厳しく守り続けていたことは事実で、伝統を守り続けるということはいかに大変なことかよくわかった。
いよいよ祭りの当日がやって来て、子供たちは晴れ着を着せてもらい、新しい下駄を買ってもらってはき初めをする。 子供たちは笛や太鼓に心をはずませながら、ひとまず青年クラブの前庭に集まってくる。この日だけは、いつもと違って、みんな晴れ晴れした顔をしている。女の子の中には薄化粧してもらい、見違えるほどの者もいた。

「細入村史」
獅子が会館を出で鎮守の社へ向かう間、おそろしいお面をかぶった露払いが、獅子の前を歩き、男の子たちは幟を持ったり祭りの旗をかついだりして、獅子と一緒に神社までついて行く。獅子の幕など昨年と同じものなのに、祭りの朝には全く当たらしいもののように見えるのも不思議である。
「片掛の獅子舞 昭和25年4月15日撮影 片掛自治会所有」
神社(八坂社)では春祭りとしての種々の神事がとどこおりなく行われた後、奉納獅子舞は厳粛のうちにもめでたく行われる。村人みんなが見守る中、若者たちは練習に練習積んだ伝統の精華を十分に発揮して行事(奉納獅子舞)は終わる。そして、若者たちはオハライを受け、みんなから祝福される。こうして若者にとっては最も緊張した奉納獅子舞を終わると、後は獅子が村の家々を回り、祭りは盛り上がって行く。
子供たちの中には誰に教えられたということでもなく笛を覚えていて、村人の休憩中には補欠のような形で笛を吹くようになっていた。獅子が行く主な家々ではごちそうを出してくれるので、それを食べることができることもあって、子供たちは獅子について行った。
その年にけいこをつけてもらった若者でも、疲れるので一日中連続に獅子舞はできない。頃合いをみて先輩の村人たちが交替で舞うのも興味がある。同じように見える動作にもその人その人によって少しずつ動作が違うからである。どの家の獅子舞も同じように見えるはずなのに、何回見ても何十回見ても見あきないのが故郷の獅子舞である。だからこそ、子供たちは雪も解けきらぬ頃からお祭りを待ちに待っているのである。
獅子舞が行われた家では悪魔を追い払っていただいたお礼に酒肴を出し、花を打つ。花を打つというのはお金を包んで青年会へ出すもので、そのとき口上が述べられる。
「東西東西」といい拍子木を打つと笛も太鼓も止み、しばらく静かになる。このときに「御酒肴サワヤマ(沢山)…又は一列車など…ならびに金子一包・右は○○様より青年会一同(又は若者一同など)へ下さる。またまた返り花が咲きまして金子一包右は○○様より子連中へ下さる。いずれの花も青年(踊子を含め)身にとりまして恐縮至極に存じ奉ります」。口上は、文句はきまっているわけではないが、大体このような口調でゆっくり抑揚をつけて読み上げる。
ふだんは小遣いがもらえない子供たちも、祭りの日だけはお小遣いをもらって思い思いの買物をし、にこにこ顔でお祭り気分に浸る。母や祖母はごちそう作りに忙しい。家の者のほか親戚の人が来るし、獅子舞や笛太鼓の若者たちのほか踊子へのもてなしがあるからで、料理上手の母と祖母は腕によりをかけて料理を作ってくれたものである。私たち子供は料理の手伝いができないので、お祭り前に大掃除をしたり、すみずみまで掃いたり拭いたりして念を入れ、障子の張り替えなどもすませてお祭りを迎える。
農家では、前年の秋から、これもあれもとお祭りや法事のために、収穫したものの中で良いものを貯蔵しておく。このように、お祭りの準備は半年前から行われているといってよかろう。この頃の草餅は美味しい。餅草の若芽を摘んで草餅にするのだが、これがまたうまい。その香りと舌ざわりは格別であった。
(飛騨街道「片掛の宿」昔語り まぼろしの瀧)文山秀三著